Keep a secret
□触れたいんだ
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「死ぬかと思った……」
「生還できてよかったですね!」
地面に足がつくって素晴らしい。神様ありがとう。
ミラクルドラゴンの出口で腰を抜かした私とは反対に、時谷くんはテンションが高い。
乗車中のシャッターポイントで撮られていたという写真の購入までしている。
私は相当酷い顔で映ってるだろうな。見るのも嫌だ。
「思ったより楽しめました」
「そう? それはよかったね」
「はあ……すごかったぁ……思い出すだけでぞくぞくします!」
普通に考えればジェットコースターについて語っているのだと思う。
しかし、時谷くんは両肩を抱きしめながら身を震わせ、熱っぽい表情を浮かべている。それは教室で見た表情と変わらないわけで。
「それジェットコースターに乗った感想だよね……? まさか私の泣き叫ぶ顔を見ての感想ってことは……」
「そのまさかです」
この男、涼しい顔で何てことを。
文句なら山ほど出てくるが、ミラクルドラゴンに乗りたいと言い出したのは私である。
「き、気を取り直して次の乗ろうか。メリーゴーランドいく?」
正直ここから早く離れたかった。コースターの轟音とともに地面が揺れるし、わー、きゃー、騒がしい悲鳴を聞いてると自分の痴態を思い出してしまう。
「僕が選んでいいんですよね。メリーゴーランドはもう少し後にします。もう一度ミラクルドラゴンに乗りましょう!」
「ん?……もう一度言ってもらえるかな」
時谷くんは笑顔で目の前のミラクルドラゴンを指差しながら言ったのだ。
聞き間違いなどないとわかってはいるが訂正してほしかった。
またあの地獄に舞い戻ろうなんて正気の沙汰じゃない。時谷くんだって乗る前はあんなに怯えていたのに……。
「僕は確信しました。ジェットコースターには吊り橋効果が期待できます」
吊り橋効果って……危険な場面に遭遇した男女が、命の危険でドキドキしている感情を脳が恋だと勘違いするってやつでしょ。
本命の女の子といつかジェットコースターに乗るかもしれないから予行演習だろうか。
「吊橋効果なんてないよ。残念でした!」
本当は恋人繋ぎに変えられた瞬間ドキッとしたけど、それは秘密だ。
「そうですか? もう一度乗って確かめてみましょう」
「え? ちょ、無理だよ!」
「大丈夫。いけます」
時谷くんが楽しそうに笑って私の腕を引っ張っていく。ミラクルドラゴンの入場口まっしぐらだ。
私は必死でその場に踏ん張ろうとするも、抵抗虚しく引きずられていくのだった。
「次は私の番だよね……」
「一巡したのでもう一回じゃんけんですよ」
「そ、そんな」
やっとのことで二回目のミラクルドラゴンを耐えきったというのに、時谷くんは悪魔の笑みを浮かべている。
これは彼が勝ったら三回目のミラクルドラゴンに乗ろうと言い出す流れだ。
「し、仕方ない。負けても恨みっこなしで」
「はい」
普段は時谷くんに絶対勝てない私だけど、じゃんけんなら運で勝敗が決まる。私と時谷くんが平等に戦えるのだ。
全神経を右手に集中する。どうか私に力を与えてください、と神頼みしつつ出す手を決めた。
「「最初はグー! じゃんけんポン!」」
出した手は私がグー、時谷くんがパー。
「うぅ……さっきは勝てたのに……」
「それはまぐれです。さっきの綾瀬さんは奇跡的に勝っただけなので今回こそが正しい結果と言えます」
絶望感でがっくり肩を落とした私を時谷くんが撫でる。優しい手の動きに心を許しそうになるけれど、穏やかな声でかけられる言葉は辛辣だった。
「奇跡的に勝っただけ? 大げさなんだから……単純にさっきは三分の一の確率で私が勝って、今回は三分の一の確率で負けただけ。次は私が勝つよ。じゃんけんってそういう平等なゲームなんだよ」
「そこまで言うならいいですよ。今の勝負はナシにして、もう一度じゃんけんしても」
「本当!? やるやる」
思いがけない太っ腹な提案だ。挙手をしながら全力で食いついた。
「綾瀬さんは子供だね」なんてくすくす笑っていられるのも今のうちだからね。
「じゃあ、最初はグー」
お馴染みのかけ声で同時にグーを出す。
日に焼けていない時谷くんの手の甲は血管が透けていた。細くて長い指は女性的で、爪は短く清潔に切り揃えられている。
全てが綺麗で繊細に見えるが、それでいて私より大きく厚みのある手だ。ちゃんと男の子なんだと意識させられる。
「どうしました?」
「えっ? ご、ごめん。何でもない。最初はグー、じゃんけんポン!」
二人ともパー。私は瞬時に頭を働かせる。
あいこの場合は同じ手を出す確率が高いと聞いたことがある。
時谷くんもこの雑学を当然知っているだろう。ただ、時谷くんの私に対する評価はどん底レベルに低いはずだ。
恐らく時谷くんは私がこの情報を知らないと思っている……。
「あーいこで」
ということは私が続けてパーを出すと考え、時谷くんはチョキを出すはずだ。
「しょ!」
私はグーを出した。時谷くんの出した手は……
「パー!?」
「はい。また僕の勝ちですね?」
「はは……は」
乾いた笑いが出る。考え抜いて出した手で負けたのは結構ショックが大きい。
「それではミラクルドラゴンにレッツゴー!」
「お、おー……」
時谷くんが変なテンションで片腕を振り上げるものだから、私も反射的にそれに応えたのだった。
精神的に疲労しているけど、いざ三回目のミラクルドラゴンへ――
▽
やはり地獄だったが、三回目ともなると少しは耐性ができたらしい。
シャッターポイントでバンザイする余裕もあったから写真を購入した。時谷くんは一回目から三回目まで全て買っているようだ。
座席についたら自然に手を繋ぐ流れができていて、隣から向けられる熱い視線と冷たい手の温度に終始ドキドキが止まらなかった。
意外と楽しめたとはいえ、三回連続の乗車は体に負担があったのかもしれない。激しい吐き気が、時間差で襲ってきた。
「うぅ……っ気持ち悪い」
「綾瀬さん……」
日陰のベンチに座り、背中をさすってもらいながら吐き気に耐える。今一歩でも動いたらお昼に食べた物をもどしそうだ。
「嫌がっていたのに無理やり乗せてすみませんでした……少し調子に乗りすぎました」
時谷くんは甲斐甲斐しく私の世話を焼きながらも酷く落ち込んでいた。頭を下げ、もう何度目かわからない謝罪を口にする。
「い、いや、私も何だかんだで楽しかったし――うぐっ」
胃の中の物が逆流している。手元にビニール袋がないから、喉元まで上がってきた最低なそれを根性で食い止める。
「どうぞ」
「……と、き谷くん?」
「安心してください。僕が綾瀬さんの全てを受け止めますから」
時谷くんは両手でお椀の形を作って私の顎にくっつける。そう、口元からの何かを受け止めようとするみたいに。
全てって……まさか嘔吐物もふくめて?
時谷くんは心配そうに私を見つめている。ふざけているわけではないのだ。
「僕と綾瀬さんの仲じゃないですか……遠慮はいりません」
待ってほしい。いつから私達は嘔吐物を手で受け止めるような仲になったのでしょう?
「は、早くどかして! ほんとに吐きそう。手汚れちゃうよ」
「汚れる?」
時谷くんは私の言葉に驚いたように大きな目を見開くが、私は何もおかしなことは言っていなかった。
ベンチの前を通る人達も私達の様子を変だと思うらしく、視線を感じる。
「綾瀬さんは自分の体の一部が汚れてると思うの?」
「え?」
「教室でも汗のこと気にしてましたよね。綾瀬さんの体に汚いところなんてない、綾瀬さんは全てが綺麗です。だから僕はその全てに触れたいんだ」
時谷くんはそっと私を抱きしめて背中を撫でてくれる。
時間が経った分、汗をかいていた。私の体は教室にいた時より汚いだろうし、吐き気も収まらない。このままでは時谷くんの背中に吐いてしまう。
でも、時谷くんは背中を汚してしまったとしても怒らないのかもしれない。
全てを許してくれるのかもしれない。
胸がぎゅうっと締め付けられる。私は周りの目も忘れて時谷くんの背に手を回し、縋るように抱き着いた。
幼い頃の私は咳上げを頻繁にする子で、お母さんの手をよく汚してしまったらしい。
例え好きな人であっても躊躇なく自分の手を出すなんてそうそうできない。深い、深い愛情があるからできることだ。
私は時谷くんが好きだけど、彼の全てを綺麗だと思えるのだろうか。
時谷くんは私をどう思ってるの?
綾瀬さんなんて大っ嫌いだよ! 嫌い嫌い嫌い嫌い――
……違う。時谷くんが私のことを好きなはずがない。
私を嫌いだと言った時谷くんの声も表情も鮮明に思い出せる。あの時の言葉は繰り返し何度も私を苦しめるんだ。
「落ち着いたみたいでよかったです」
「うん、いろいろとありがとう。なんかもう大丈夫っぽいよ」
しばらく休んで、体調は自然と回復した。
時谷くんが買ってきてくれた冷たいお茶が染み渡り、カラカラだった体が生き返る。
「僕のせいで辛い思いをさせてしまったお詫びに、良いことを教えます」
「え、なになに?」
「実は気付いてからずっと教えてあげたいと思ってたんですよ。綾瀬さんがあまりにも不憫で、見ていられなかったので……」
「な、何なの?」
そんな前振りをされたら身構える。
社会の窓が全開……は、スカートだから違うし、何なんだろう。
「綾瀬さんがじゃんけんでチョキをほぼ出さない、という話です」
「チョキを?……でも最初のじゃんけんでチョキを出して時谷くんに勝ったような?」
「だから"ほぼ"ですよ。綾瀬さんがチョキを出して本当に驚きました。明日は季節外れの雪が降りそうです」
初めて知った癖だが……そういえば時谷くんは私がチョキを出した時、大層驚いて失礼なことを言っていたな。
「綾瀬さんがじゃんけんする場面を目撃したら、出した手を密かに記録していたんです。それでわかったことですが、綾瀬さんがチョキを出すのはじゃんけんを連続してする時か、あいこが五回以上出た時など、特殊な場合に限るんです」
「いやいや、何で私のじゃんけんの手を記録してるの!」
こんな風に言い切るということは相当数のデータを集めているはず。どれだけ前からそんな怖いことしてたんだろう。
「つまり綾瀬さんとのじゃんけんはパーを出しておけば負けることがないんです」
時谷くんは私のつっこみを無視して話を続ける。
「五回以上あいこが続くことは極めて稀なので、あいこの場合も同様にパーが有効です。綾瀬さんのこの弱点に気付いている人は僕の知る限りで三人もいます。一見平等に思えるじゃんけんですが、その人達を相手にしている時の綾瀬さんは一方的に不利だったわけです。公平さを取りもどすために今後はチョキも出すことを提言します!」
論文の発表でもしているのだろうか。時谷くんの語りは力強く、少し誇らしげだった。
考えてみれば今日の時谷くんはパーしか出していない。私と戦う場合の必勝法を知っていたから自信満々だったんだな。
何かイカサマをされたような気分だけど、これからはチョキも出そうと胸に刻んだ。
「時谷くんありがとう。良いこと知ったよ。もう負けないからね! 早速次のアトラクションを決めるじゃんけんしようよ」
ゆかりんとお母さんは間違いなく私の癖に気付いている。私はなかなかこの二人にじゃんけんで勝てないのだ。
でも理由がわかったから今後は勝てるかもしれない。時谷くんのストーカーちっくな行動はひとまず水に流そうと思う。
「あ……もうジャンケンはいいんです。綾瀬さんの好きなアトラクションに乗りましょう」
時谷くんは元気のない笑顔を見せる。私の具合を悪くさせたと気にしてるんだろう。
「うーんと、じゃあメリーゴーランドにしよっか!」
「……綾瀬さんも乗りたいんですか?」
「もちろん。行こう!」
時谷くん、そんな不安そうな顔をしないでよ。好きな人とメリーゴーランドに乗るのは、女子の憧れなんだよ。