Keep a secret
□かっこ悪いよ
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「では、カーテンの中へどうぞ。中にタイマー式のカメラがあります。シャッターと同時にキスをして、写真を持って来てください」
「わかりました」
開いた口が塞がらない状態にある私を無視して話はどんどん進んでいく。
夏休みに男女二人で遊園地に来ている私達は周囲からはカップルに見えるんだろう。
しかし、私からしてみれば時谷くんと私がキスをするなんて違和感しかなかった。
時谷くんも私の体にはそれなりに興味があっても、キスをしたい相手だとは思っていないはずだ。これまで求められなかったことが、それを証明している。
私達はつまり、そういう関係なのだ。悲しいけれどそれが現実。
そして、パスポート代を無料にするためキスを求められるのもまた悲しい現実だった。
カーテンの中には証明写真機に近い見た目の機械が置いてあった。
「ごめんなさい。僕、金欠なんです! だ、だからその……」
「……いいよ別に。私もお金ないし」
私は強がって何でもないことのように振る舞ってみせる。
本当は、私のファーストキスは時谷くんにとってパスポート代よりも低い価値なんだとわかってショックだったけれど。
「じゃ、じゃあします……」
「さくっと終わらせてね」
時谷くんは全身がぷるぷる震えていた。
緊張してるの? もしかして時谷くんもキスをするのは初めて、とか?
……いや、そんなはずはないか。
ごくりと唾を飲み込んだ時谷くんの右手が私の頬にそっと添えられる。冷たいことの多い手が、今は珍しく温かい。
ぎこちない時谷くんを沈んだ気分で観察していたら、そこで動きが止まった。
「……しないの?」
「あ、あの……目を閉じてください」
困ったように眉を下げている様は少し情けなく見えた。
キスは目を閉じるのが自然か……素直に目を閉じれば真っ暗になった私の世界に時谷くんの温かな手の感触だけが残る。
時谷くんの気配が近付いてきて、もう片方の手は後頭部に優しく添えられた。
いよいよキスするのか、と身構えるが唇に何かが触れる感触はやってこない。
数秒後、後頭部の手は頬に移されて、また少し顔が近付いた気配がした。
でも、その瞬間はいつまでも訪れない。
時谷くんは手を肩に置いたり、顎に添えてみたり、また後頭部に戻してみたり……
上から顔が近付く気配がして離れて、同じ顔の高さから近付いて離れて、横から近付いてきて離れて……
キスする時の手の置き場と顔の角度に迷っている……?
目を閉じた私の前で時谷くんがキスの仕方に頭を悩ませ、あたふたしているとしたら……おかしくて可愛くて、吹き出しそうになるのを必死でこらえる。
辛いと思っていたはずなのに、あとどれくらい待ったらキスしてくれるんだろう。それはどんなキスなんだろう。
なんて、少し楽しみになってしまう。
手慣れた調子でこなすとばかり思っていたが、私とのキスは時谷くんからしてもドキドキして緊張する出来事なのかもしれない。
震える体と温度の高い手がそれを証明してくれているようで嬉しかった。
とはいえ、目を閉じて動かないでいるのもいい加減限界だ。
時谷くんに私の顔はどう映っているのか不安だし、そっと触れる指先がくすぐったい。
私がじれったく感じていることに気付いたのか、ついに時谷くんは覚悟を決めたらしい。私の両頬を包んでいる時谷くんの手に力が入った。
そのまま時谷くんが近付いてくる気配がして、鼻と鼻が少し触れ合う。時谷くんの吐息が唇にかかる。
ああ、唇と唇が触れ合うまであと何センチ……いや、きっと一センチもない。
心臓が破裂しそう。もう私から離れていきませんようにと祈った。
「やっぱり駄目だ!」
「えっ?」
急に体を離され、驚いて目を開ける。
「こんな形でしてしまおうなんてずるい考えだ。かっこ悪いよ……っ」
時谷くんは耳や首まで真っ赤に染めて、髪をぐしゃぐしゃと掻いていた。
「本当に俺は駄目な奴です……ごめんなさい、綾瀬さん」
「時谷くん……」
深々と頭を下げる時谷くんはなんだかおかしかった。
昨日したことは完全にレイプだったし、先ほど教室であんな大胆なことをしてきたというのにキスは出来ないだなんて。
でも嬉しい、かも。時谷くんも多少は私のファーストキスを大切に思ってくれているんだよね。
唇は触れ合わなかったが、私から時谷くんへの気持ちはぐっと近付いた気がした。
「ねぇ、早く入場しようよ! 私すっごく楽しみになってきたんだ」
「はいっ!」
カーテンから出た時谷くんは自分用のパスポートを買った。
割り勘は嫌だと時谷くんが主張するので余計なことを言うのはやめておく。
「こちらお写真になります。残念ながらキスチャレンジは失敗でしたが思い出にどうぞ」
「わ、ありがとうございます!」
写真には目を閉じた私の横顔と、それをどこか切なげに見つめている時谷くんの横顔が映っていた。
キスの仕方に迷っている最中だろうか、良く撮れている。時谷くんの表情が綺麗だから正直すごく欲しい。
「この写真もらうね」
「僕も欲しいです!」
さっとカバンに仕舞おうとしたら、すぐさま時谷くんも声を大にして主張してくる。
「どうして綾瀬さんが欲しがるんですか」
「そ、それはこっちのセリフだよ」
一旦端っこにズレて言い争いを始めた私達がこんなの時間の無駄だと気付いたのは、なんと数十分後のことだった……。
どちらが写真をもらうかまだ決着はついていないものの一時休戦にしよう。
遊園地は何歳になっても楽しい場所だけれど好きな人と一緒だともっとわくわくする。
隣で笑っている時谷くんに幸せを感じながら入場ゲートを通ったのだった。
園内は学生や家族連れで混雑していた。
今日は雲一つない良い天気だ。直射日光をガンガンに浴びながらも私達は怖いくらい元気だった。
「ミラクルドラゴンがいい!」
「メリーゴーランドにしましょうよ!」
「えー? 最初から攻めていこうよ」
「メリーゴーランドってロマンティックじゃないですか。ずっと憧れてたんです」
さあ、アトラクションに乗りまくろう!と張り切る私達の意見はまたも割れている。
絶叫系のアトラクションが豊富なこの遊園地の中で一番人気がミラクルドラゴンだ。
最初に乗るならミラクルドラゴンでしょ!
「よし、わかった。じゃんけんで勝った方の希望のアトラクションに乗ろうよ」
「じゃんけんなら僕が勝ちますよ。負けても恨まないでくださいね?」
時谷くんはじゃんけんに自信があるのか既に勝ち誇ったような表情をしている。
でも、ジャンケンなんて所詮は運。これは心理的揺さぶりをかけてきているのだ。
「一発勝負だからね。最初はグー! じゃーんけーんぽーん!」
▽
「あの高さから落ちたら即死ですよね。事故が起こったりしませんか……?」
「もう! 心配し過ぎだよ。大丈夫大丈夫」
私達はミラクルドラゴンの列に並んでいた。幸い待ち時間はそんなになかったため、もうすぐ順番が来る。
さっきのじゃんけんは私がチョキ、時谷くんがパー。自信満々だった時谷くんが結局負けたのだった。
私がチョキを出したことに何故か酷く驚き、天を仰ぎながら「明日は雪ですね」などと負け惜しみまで言う始末だ。
「こんな危険な乗り物に乗りたがる気持ちがわかりません。綾瀬さんに何かあったら僕はどうすればいいんですか……」
時谷くんはとにかくミラクルドラゴンに乗るのは中止にしたいらしい。
単に高いところが怖いだけじゃないの?
往生際が悪いよ時谷くん。じゃんけんに負けたんだから観念しなさい。
「時谷くんもジェットコースター乗ったことあるでしょ? 死んでないもん大丈夫だよ」
「乗ったことないですよ」
「ないの!?」
「はい……」
時谷くんの返事は弱々しい。やたらと怖がっているのも納得だった。
ミラクルドラゴンは日本のジェットコースターの中でも上位の怖さだと聞く。
私も初挑戦だからどの程度か知らないけれど、初めてのジェットコースターがミラクルドラゴンはさすがにハードル高いか?
「乗るのやめとく?」
「でも綾瀬さんは乗りたいんですよね?……だから僕も乗ります」
前に来た時は友達が怖がって乗ってくれなかったから私もやめたのだ。それが心残りになっていたから今度こそ乗ってみたい。
だけど、時谷くん吐いたりしないかな……心配になってくる。
話している間に前の人達が出発していった。私達はちょうどコースターの先頭に乗ることができそうだ。
「どうする? やめるなら今しかないよ。今まで怖くて避けてたんでしょ? 無理しない方がいいよ」
「避けていたわけではないんです。遊園地に来たのが十年ぶりなので乗った経験がないだけで……でも、綾瀬さんが事故に巻き込まれるかもと考えたら怖いです」
十年ぶりというと六、七歳の頃だ。ジェットコースターに乗った経験もないはずだね。
今の時谷くんなら乗ってみたら案外楽しく思うかもしれない。
「次のお客様どうぞ」
「時谷くん、安全バーがあるから大丈夫だよ。何事も経験ってことで乗ろう」
「そうですね。ここまで来て乗らないなんてかっこ悪すぎます。そんな姿を綾瀬さんに見せるわけにはいきません」
「安全バーを下ろして固定してください」
コースターの先頭の座席に座り、私は係員さんの指示に従って安全バーを下ろす。
「綾瀬さん、固定できました? 本当にそれで安全なんですか?……すみません! 彼女の安全バーがしっかり固定されているか確認お願いします」
「ちょっと時谷くん!」
隣の時谷くんは自分の安全バーを下ろさず私の心配ばかりして、係員さんまで呼び付ける始末。お恥ずかしい限りだ。
「お客様大丈夫ですよ。お連れ様、失礼しますね……はい、大丈夫です」
「あ、ありがとうございます……」
係員さんは私の確認後、時谷くんの安全バーを下ろしてくれたのだった。
さて、もうすぐ発車だ。
緊張し始めた私の隣で時谷くんは不安がピークを迎えたらしい。
――今から死ぬかもしれない。好きだって言わないと。
――こんなムードのない場所じゃ嫌だ。
――でも、そんなこと言ってられないか。
さっきから隣で何かぶつぶつ唱えている。
彼は今死んだら確実に幽霊になるだろうな。何か凄まじい未練が残っていそうだ。
こんなに残念な時谷くん初めて見た……でも、不思議とそんな時谷くんが嫌ではない。
時谷くんの妙に人間くさい一面を見れたことが私は少し嬉しかった。
「……聞いてください綾瀬さん! 僕は、僕は……」
「大丈夫。死ぬ時は一緒だよ」
時谷くんを落ち着かせようと、安全バーを握りしめている彼の手に自らの手を重ねた。
まったく縁起でもない発言だ。しかし、時谷くんの顔はパアッと明るくなる。
「そっか。綾瀬さんと一緒なら何も怖くないね」
時谷くんは私の手を握り直して大好きな笑顔を見せてくれた。その微笑みはやっぱり綺麗で、私の緊張まで解れていく。
やがて発車のアナウンスが流れ、私と時谷くんを乗せたコースターが動き出す。
時谷くんは固く手を繋いでくれている。
もしも仮に……いや絶対に御免だけど、このコースターに何かあったとしても時谷くんは繋いだ手を離さずにいてくれる。
そんな安心感があった。
コースターはゆっくりとした動きでレールを登っていく。ミラクルドラゴンの最初の急降下はとにかくすごいらしい。
「ドキドキしてきたね!」
「そうですね! 空をバックにした綾瀬さんは天使みたいでドキドキします」
……天使? 彼の発言は本気か冗談か読めないから質が悪い。
真横から私をじっと見ている時谷くんを無視して前方に視線を向けた。
最前列は視界が開けている。レールの先がよく見えるのだ。
しばらく上の場所でまるでレールが切れたようになっている、あそこが落下地点だ。
カタン、カタンときしむ音が恐怖を煽る。怖くて周りの景色が見れない。
ゆっくりと登っていくコースターが後少しでその場所に到達する。
やばい、やばいよ。もうすぐ落ちる。
時谷くんはどうしているかと思ったら、顔を真横にして私をじっと見つめていた。
「なっ、何? 私のこと見ちゃって! びびってるの?」
「僕は綾瀬さんを観察しています。なかなかこんな姿を見られる機会はないので」
「なっ、何それ!」
強がっているけれど、本当は時谷くんも恐怖で景色を見られないのだろう。
「時谷くんのばかぁ! いつまでもこっち見ないでよぉ。もう落ちるんだからぁ!」
「そ、その情けない声は何ですか……すごく可愛いです」
いよいよ頂上にたどり着きそうだ。時谷くんの手を強く握りしめ、もう片方の手で安全バーに縋りながら落下に備えて目を閉じる。
カタン、カタン――
コースターの動きがゆっくりになる。あと、どれくらいで……
「ごー、よーん、さーん、にー」
隣から不吉な声がした。時谷くんがカウントダウンを始めたのだ。
ああ、落ちる……!
「いーち」
ゼロ――
……あれ? 落ちない。
なんだ、気の早いカウントダウンだな。あとどれくらい残っているんだろう。
気になって目を開けた瞬間、視界の端で時谷くんがにやりと笑って、そして……
「ぎゃあぁぁあ!」
体が宙に浮き、真下に落ちていくような感覚……大迫力の景色を見ながら絶叫する。
わざと間違ったカウントダウンをして目を開けさせてきた時谷くん、絶対に許さんと心に誓いながら。
「うあぁぁあ!」
物すごい風に顔面を叩きつけられ、内臓が浮いている。ようやく降りきったと思ったら、また早いスピードで登っていく。
「死ぬ! もう死ぬーー!!」
「……僕が隣にいます。だから大丈夫ですよ」
繋いだ手は指の一本ずつが交差する、いわゆる恋人繋ぎへと変わっていた。
隣を見る余裕はないけれど、時谷くんが私をずっと見つめているのが何となくわかる。
私は時谷くんの手を更に強く握り返した。