Keep a secret

□嫌いじゃない
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「つまり――今後黒崎さんが僕に手出ししない代わりに僕とは一切喋らないという約束を交わしていたんですね」
「うん……」
「さっき約束を破ってることがばれたんだ」
「ごめん」

 言葉足らずの説明を時谷くんは最後まで静かに聞いてくれた。
 彼は怒っているように見えない。ぼんやりと何か考え込んでいるみたいだった。

 そうして、とん……と私の肩に顔を預ける。

「綾瀬さんは辛かった? 僕と話せなくなって……」
「っ!」

 上目遣いの瞳が悩ましげに潤んでいる。縋るようなその目から視線を逸らせない。
 時谷くんはどんな答えを求めているんだろう。
 鼓動が早くて息苦しいくらいだ。少しでも気を緩めたら「あなたが好きです」とうっかり本音がこぼれてしまいそう。

「綾瀬さん……」

 私が答えないから時谷くんの瞳は不安げに揺れている。
 ああ……早く何か言わなくちゃ。彼の悲しんでいる顔はやっぱり苦手だ。

「つ、辛かったよ! だ、だって本当は夏休みも一緒に過ごしたかったの……!」

 私は一世一代の告白でもするかのような気持ちで言い切った。
 でも私の言葉を受けて、肩に触れていた熱が静かに離れていく……
 そうか。私は時谷くんに嫌われてるんだった。こんなこと言われても嫌だろう。
 だからといって彼が求めている言葉もわからないけれど。

「時谷く――」

 突然、腕を引っ張られた。それは本当に唐突な行動だったからバランスを崩した私は時谷くんの胸板に頭から突っ込んだ。
 そしてそのままの形で抱きしめられる。

 時谷くんに預けているのは上半身だけなのに、全身が熱を持つ。
 さっき保健室でされた後ろからのハグとは違って時谷くんの心臓に顔が近い。私よりもずっと早い鼓動に頬を叩かれる。
 時谷くんもドキドキしてるんだ……。

「綾瀬さんに避けられるようになってから死ぬほど辛かった。嫌われたと思っていました……でも本当は僕のことを思っていてくれたから、そんな約束をしたんですよね」

 私の髪や背中を撫でながら話す時谷くんの声音は優しい。怒るどころかそんな行動を取られて罪悪感が募る。

「で、でも! もっと早く話せばよかったって後悔してる。もしも黒崎さんが秘密を流しちゃったらごめん……っ」

 事前に話しておけばこれからデートだなんて黒崎さんを挑発することはなかっただろうし、保健室の前で堂々と黒崎さんの様子を探ろうともしなかったんじゃないかな。
 もっと、もっと言ってしまえば……私と時谷くんはこんな関係にならずに今も友達同士のままでいられたかもしれない。
 例え私を嫌っていたとしても表面上は仲良くしてくれていたのに無視なんてしたから時谷くんのトリガーを引いてしまった。

「その時は僕のために黙っておいた方が良いと思ったんですよね?」
「そうだけど、そうなんだけど……違う……馬鹿な私は選択を間違えたの」
「いいえ。綾瀬さんが少しでも僕を思って出してくれた答えならきっとそれは正しい選択だったんですよ」

 時谷くんのために黒崎さんとの約束を守りたかったのは事実だけれど。
 でも、時谷くんに何も話さずフェードアウトしようとした理由はそっちの方が楽だと思ってしまったからだ。

「選択を間違えたのも、馬鹿なのも僕の方だ。ずっと綾瀬さんを見ていたのにどうして気付けなかったんだろう……」

 時谷くんの言葉は独り言に近かった。
 私の髪に顔を埋めた時谷くんを今度は私が撫でてあげたい衝動に駆られる。
 けれど、できない。時谷くんに好意を持ってることを気付かれるのが怖い。叶わないってちゃんとわかってるから。

「ねぇ……綾瀬さんは僕が嫌いだから無視したわけじゃないんですよね?」
「うん」
「じゃあ……今は……僕が……きら…い…?」

 弱々しく震える声とは対称的に時谷くんは私をきつく抱きしめる。
 激しく脈打つ心音が聞こえる。こんなにくっついていたら私の心臓の音も時谷くんに聞こえてるんじゃないかな。

「嫌い――」

 私が発した途端に時谷くんはびくりと肩を揺らす。

「じゃないよ。嫌いじゃない」

 時谷くんの気持ちは正直よくわからない。
 けれど、時谷くんを安心させるように髪を撫でる。柔らかい髪からは私と同じトリートメントの香りがする。
 散々酷い目にあわされているのに嫌いじゃないって、告白したも同然かも。
 ただ、震えている時谷くんに嫌いだなんて言えるわけがなかった。
 もしかしたら今の私なら「じゃあ好きなの?」と聞かれたら素直に頷いてしまうのかもしれない。

「……ありがとう。それに、ごめんね」
「うん……」

 ごめんね、か。時谷くんは私に対してやらかしてることが多いから何に対しての謝罪なのかいまいち掴めない。
 私の本当の気持ちを察してやんわりと断った……という意味ではないことを祈りたい。


 私も……もやもやしていることをこの際はっきりさせておきたい。

「時谷くんの好きな人って黒崎さん……?」
「……はい?」
「"はい"って言った!? や、やっぱりそうなんだ! 好きなんだ!」

 信じられない。時谷くんって痛めつけられるのが好きなのかもしれない。

「ち、ちょっと待ってください! いきなり意味不明なことを言われたので疑問形で返しただけです!」

 時谷くんは勢いよく立ち上がり、身振り手振りで必死に否定しようとする。
 焦っているのは図星だからでしょう?

「言い訳はいいよ。時谷くんってばさいてー……ドSだと思ってたけど、実はドMだったんだね!」

 SはMも兼ねると聞いたことがあるが時谷くんの場合はMが本流なんだろう。

「違う! 僕は健全です。ノーマルですよ。SとかMとか、気持ち悪い属性に当てはめないでください。それに、ドMなのは綾瀬さんの方じゃないんですか?」
「なっ? 勝手に人のことM扱いしないでよ!」
「綾瀬さんが先に言い出したんじゃないですか……」

 そのままいじけたようにそっぽを向いた時谷くんに、私は疑惑の目を向け続ける。

「ハァー……」

 時谷くんがため息をついた。疲れ切った人特有の深い深いため息だ。

「僕が黒崎さんのことを好きだなんてあり得ません」
「本当?」
「当たり前です。そんな勘違いをされるのはさすがに心外ですよ」

 呆れ顔での即答。嘘ではなさそうだ。
 よかった……ほっとして自然と笑みがこぼれる。私を見て、慌てて目を逸らす時谷くんの顔は何故だか真っ赤だった。
 そんな反応をされるとこっちまで恥ずかしくなるし、妙な勘違いをしてしまいそうだ。

「どうしてそんなおかしなことを思ったんですか?」
「お、女の勘かな」

 顔が赤い自覚があるらしい時谷くんは気まずそうに口元を覆っている。
 理由は単純に時谷くんが黒崎さんの動向を異常に気にしていたからなんだけど。
 私の女の勘はまたも働いている。黒崎さんじゃないならもしかして……と現状一番あり得ない人物を新たに思い浮かべていた。

「女の勘……それなら綾瀬さんの女の勘は全く当てにならないから金輪際頼りにするのはやめたほうがいいですよ」
「はい……そうします」

 時谷くんは心が読めるのかもしれない。
 私の淡い期待を見事にばっさりと切り捨ててみせた。

「でも、綾瀬さんは黒崎さんと若野先生をどう思いましたか?」

 いつの間にか顔の赤みが引いた時谷くんが真剣な顔をしている。
 時谷くんはまだあの二人のことが気になるみたいだけど、どうと言われてもな。
 時谷くんの目線では気付かない若野先生の特徴といえば……

「若野先生ってイケメンだからねぇ」
「……はい?」

 今度は疑問形だと聞き取れた。
 若野先生は女子の間では話題に上りやすい存在だが、男子からしたらあまり関わらない先生だし知らないことも多いはずだ。
 役に立つかはわからないが私の知っている情報を全て話そう。

「んーとね。若野先生は確か42歳だったかな。A型の身長180センチ超え。結婚してて子供もいるみたいだけど、妻子持ちっていう禁忌な雰囲気も女子達を虜にしている理由かもよ? あとは若野先生の眼鏡に白衣っていう定番の格好がツボの女子多いね。おまけに物腰が柔らかい紳士だからこの学校で圧倒的に女子から支持を受けている先生なわけですよ。つまり、若野先生は美形で大人の色気がすごいし大人気だから黒崎さんも若野先生に気に入られたかったんじゃない?」

「……すみません。聞こえませんでした。もう一度言ってもらってもいいですか」
「だーかーらー! 若野先生は優しくて紳士的で大人なの! あの低音ボイスも良いね」

 静かに聞き返してきた時谷くんに簡潔に教えてあげる。
 これらは友達がよく話している内容、いわば一般論のようなものだから私の好みというわけではなかった。
 私は優しい時の時谷くんみたいなタイプが好み……なんて口が裂けても言わないけれど。

「へぇー……若野先生って僕とは正反対なんですね。綾瀬さんはああいう男が好みだったんだ?」
「え……何か怒っておられますか?」

 張り付けたような笑みが怖い。私は本能的に後ろへじりじりと下がる。

「怒らせるようなことを言った自覚があるの?」
「い、いえ!」

 身に覚えがないから首を振るも、笑顔の時谷くんに腕を掴まれる。
 あ、これは何かまずいことを言ってしまったっぽいですね……。





 時谷くんは私の腕を引いて三階の廊下を足早に進んでいく。
 この先にある私達の教室が目的地だろうか。悪い予感しかしない。

 夏休み中の校舎内は寂しい雰囲気だ。
 四階の音楽室から漏れてくる合唱部の歌声以外には私達の雑な足音しか聞こえないし、ここまで誰ともすれ違わなかった。
 グラウンドや体育館では運動部の生徒達が汗を流して部活に取り組んでいるが、文化部は所属人数も活動日も少ないからだろう。

 やはり時谷くんは私達のクラスの前で立ち止まった。

「開いてるかな?」

 鍵よ、かかっていてくれ……!

 ガララ――

 私の祈りは一瞬で否定されてしまった。
 問題なく扉が開いた教室に時谷くんが足を踏み入れる。

 半分諦めながら付いて来たけれど、いよいよ危機感が募る。
 昨日の出来事だって気持ちの整理がついていないのだ。曖昧な状態で今日が来て、流されるままに時谷くんと接していた。
 ここは断固拒否の意思を示したい。

「時谷くん、待って待って!」
「待ちません」

 廊下と教室の境界で力の限り踏ん張る私を時谷くんは一蹴し、そのまま教室に引きずり込まれた。

「い、一旦落ち着こう。きっと話せば分かりあえるはずだよ」
「そうですね。綾瀬さんの希望も聞きます」

 乱暴拒否の意思表示に腕で大きくバツ印を作る。
 希望を聞くなんて時谷くんが珍しく紳士的だ。さっきまで私にくっつきながら「嫌い?」と聞いたりして可愛い男の子だったのだから、急に外道にはなれないんだろう。

「どの机を使いますか? 綾瀬さんに選ばせてあげます」
「はい?」
「安定感なら先生の机が一番ですね。ただ、物が多く置いてあるのが欠点です。教卓は高くて危ないので駄目です。床は選択肢にありません」

 時谷くんはにこやかに先生の机や教卓を順番に指差して説明していくが、彼は何を言ってるんだろう?
 紳士的だと思ったことを訂正しなければならない。彼はやっぱり外道だ。

「わ、私……どれもや……っ」
「怯えないで。痛いことはしません」

 耳元で囁かれた声は普段より低い。
 体が強張る。ただでさえ蒸し暑い教室内で密着されて体感温度が五度くらい上がる。

 だけど時谷くんの髪はさらさらだ。汗をかいている様子はなく涼しげな顔をしていた。
 それに比べて汗で髪が湿っている私は特別汗っかきな人みたいに思われないか気になってしまう。
 変に焦る私の背中をまた一筋汗が伝ってしまった。

「綾瀬さんに嫌いじゃないって言ってもらえて僕すっごく嬉しかったんです」

 私から顔を離した時谷くんは瞳をキラキラと輝かせ、微笑んだ。
 怒ってたんじゃなかったの?

「だから……ご褒美あげるね?」
「っ」

 再び顔を近付けてきた時谷くんの熱のこもった吐息が唇に触れる。
 思わずびくっと震える私の顔を時谷くんは至近距離で眺めてくすりと笑う。

「うん……」

 どうして私は素直に頷いているんだ……言葉にしてから少し後悔する。
 でも、時谷くんの端正な顔を前にして他の選択肢は出てこなかったのだ。
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