Keep a secret

□矛盾した感情
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 プルルル――

 綾瀬さんを抱きしめて意地悪をしていたら無粋な電話が鳴った。
 定期的にかかってくる親からの電話を無理に出る必要はない。他でもない綾瀬さんと一緒にいる時に空気も読まずにかけてきやがって、というのが本音だった。

「この親不孝者! 今電話に出なかったら地獄行きなんだから!」

 無視する気満々の俺とは逆に綾瀬さんはどうしても電話に出てほしいらしい。
 この様子だと俺が折れるしかなさそうだ。

「ハァ……わかりました」

 仕方なく綾瀬さんから離れてリビングを出る。
 また、綾瀬さんを怖がらせる行動を取ってしまったな……。


 実は昨日、綾瀬さんと約束をした後に買い物へ行った。「いつか食べてみたいね」と綾瀬さんが友達と話していた有名なスイーツ店に二時間も並んだのだ。
 きっと喜んでもらえるはずだと期待していたけど、彼女は警戒していてそれどころではなさそうだった。
 苦労して手に入れたスイーツもあまり意味をなさない……そんなことで勝手にがっかりして彼女に意地悪をしてしまった。

 プルルル――

 俺の親は特別な用事もないのにしつこく電話をかけてくるからいつも迷惑している。
 このまま無視してまた変なタイミングでかけてこられるのも厄介か。

「はい」
「もしもし薫? 昨日は何で電話に出てくれなかったの! 元気にしてる?」
「別に普通。で、用件は? 父さんが危篤なの?」

 電話越しの母さんの声は不快なほど明るい。この様子だと用事なんてないな。

「はぁ!? 危篤って何なの? 薫が寂しい思いをしてるんじゃないかって心配して」
「問題ないから。もう切るね」
「ちょ、ちょっと待って!………何とか言ってあげてよ。薫が冷たくするの」

 電話の向こうで母さんが誰かに語りかけている。雰囲気からして父さんだろう。
 俺のことをすっかり忘れて話し込んでいるらしく笑い声が聞こえる。親からの電話ってこういうところが面倒くさいんだ。

 この人達はあと数年で結婚二十周年とかになるはずだ。
 二十年……決して短い年月じゃない。それでも今も新婚夫婦のように仲が良いのは毎晩夫婦の営み……というものを行っているから?
 綾瀬さんのご両親は離婚しているが、俺と綾瀬さんの親の違いは何処にあるんだろうと、ふと疑問に思った。

「母さん達ってさぁ、気持ち良いセックスができる相手だから結婚したの?」

 つまりは体目当てというか、体の相性を重視して永遠の愛を誓ったのか。
 こんなこと普通は親に聞かない。だけどこの人達は幼い息子に何の配慮もなく毎晩公害レベルの雑音を聞かせ続けた親だ。
 真昼間からリビングで事に及んでいて出くわした俺は泣きながら家を飛び出したこともあるし、学校帰りに漏れている声を聞いて家に入れなかったこともある。
 今更遠慮する必要性を感じなかった。

「どうした。彼女でもできたのか?」
「……別に」
「なんだ? 薫の片思いか?」

 電話の相手が父さんに代わる。そう、俺の一方的な思いだ。

「俺と母さんはな――」

 父さんが何か言おうとしたタイミングで声が途切れる。充電切れだ。
 まあ、いいか。親の馴れ初めなんて本気で知りたかったわけじゃない。

 リビングに戻ったら綾瀬さんと何をしようか?
 課題が終わったと伝えたら笑顔を見せてくれる綾瀬さんは優しい子だ。もう一度彼女の友達からやり直したい。
 そもそも乱暴なことをするなんて俺らしくないよ。まるで父さんみたいじゃないか。
 俺はあんな気持ち悪い人とは違い、まともに生きていきたいと思ってたんだ。
 綾瀬さんに酷いことをした一昨日の俺は本当の俺じゃない。

 ……だけど、綾瀬さんは俺と友達に戻ることなど望んでいないだろう。
 今日の彼女が俺のことをやたらと褒めそやしている理由も見当がついていた。

「ハァ……」

 無難に映画でも見ようか。終わる頃には夕方だから綾瀬さんを家まで送ろう。
 深いため息をつきながら考えをまとめるとリビングに戻った。

――本当に彼女を家に帰していいのか?
 耳元で囁きかけてくる醜く薄汚い声には無理矢理ふたをした。


「ここでお茶会しようよ。映画見ながら!」
「わかりました」

 俺はキッチンでお菓子の用意を始めた。
 綾瀬さんが食べたいと話していたスイーツ店はチョコレートのマカロンが人気らしい。だからそのマカロンを一箱、他には焼き菓子とチョコレートレアチーズケーキを買ってきた。
 マカロンと焼き菓子は凝った箱に入っているから開けずにそのまま持っていこう。
 ケーキは皿に乗せて……

「あ……」

 綾瀬さんの手作りチーズケーキを昼に食べたばかりだ。
 まさか綾瀬さんが作って来てくれるなんて昨日の俺には予想できなかった。
 ケーキを出すのはひとまずやめよう。危うく配慮に欠けた振るまいをしてしまうところだった。

 このケーキは恐らく捨てることになるだろうな。綾瀬さんには隠しているが俺は甘い物が大の苦手だ。
 でも、綾瀬さんが作ってくれるケーキは美味しい。胸焼けしそうな甘さなのに心の底から美味しいと感じる。

 綾瀬さんは甘い物を食べたら幸せになれると雑談の中で言っていたことがあるけれど、その通りかもしれない。
 綾瀬さんの甘い甘いケーキは俺を幸せにしてくれる。
 綾瀬さんは俺なんかが用意したお菓子でも幸せになってくれるだろうか。

 飲み物は紅茶か、ハーブティーか? センスが良いと思ってもらえる選択をしたい。
 綾瀬さんは暑そうな格好だから涼しげな色合いのハーブティーにしようかな。
 でも、ハーブティーとマカロンって合うのか? レジ横に並べられていた茶葉を買ってみただけだから正直よくわからない。

 検索しようとポケットに手を入れてやっと気付く。スマホはリビングで充電中だ。
 お茶会しようと提案され、自然にこのマカロンを出せる展開となったことに浮かれていたのかもしれない。
 まあ、リビングにあるからって別に……何もないはずだ。気にしなくていい。


 プルルル――

 リビングに戻ると俺のスマホが鳴った。親からまた電話がかかってきたら嫌だから電源を入れずにおいたのにだ。
 誰かが電源を入れたのだ。誰かって一人しかいないわけだけど。
 綾瀬さんは俺のスマホから例の写真を消したい一心で、ここでお茶会しようなんて言ったんだな。
 綾瀬さんが喜んでくれることを期待してまんまと席を外した俺は大馬鹿だ。

 わかっている。写真を撮ったなんて言って彼女を脅している俺が全て悪い。
 綾瀬さんは被害者で、俺は加害者だ。綾瀬さんからの信頼を回復するためにもっともっと努力しなければならない。

 そんなことわかってる。
 わかっていたのに、俺の手はハーブティーのポットに伸びて――

「お風呂に入ってきてください……返事は?」
「はい……」

 また、矛盾する行動を取ったのだった。
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