Keep a secret

□大っ嫌いだよ
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 この部屋の床は足音がよく響くようだ。室内をうろうろと歩き回っていた時谷くんがやがて足を止めた。
 私が身を潜めている左の壁際の棚から見て、丁度真正面にある右壁際の棚を漁っているらしい。

 どうかこっちに来ませんように。半乾きの髪が体に巻いたバスタオルに水滴を落としている。
 心臓の音が大きく感じるけれど時谷くんには聞こえなかったんだろう。この部屋での用事を済ませたらしい足音は開いたままの扉の方へ向かっていく。

 ……今日の私は何かと詰めが甘い。遠ざかっていく足音にほっとして手に力が入る。
 カチッ、持っていた棒状の物体のスイッチを押してしまった。

 ウィーンウィーン

「ひゃっ!」

 次の瞬間には奇妙な機械音が室内に響き渡る。跳ねるように動き出したそれをすぐに止めたけれど、もう手遅れだ。
 気付かず行ってくれるなんて奇跡が起こるはずもなく……慌てたような足音が開きっぱなしの扉を閉めて、室内は眩しい光に包まれた。

 私が見付けられなかった電気のスイッチは扉のすぐ横にあったらしい。
 時谷くんはその場に佇んで自分の肩を抱きながらブルブルと震えていた。きっとすごく怒ってるんだろうな。
 私だって彼の秘密を知ったのだから写真を消すよう交渉するんだ。

 バスタオルを巻き直して立ち上がると時谷くんの視線がこちらに向いたのがわかった。
 改めて自分の格好に不安を覚えるけど、どうしようもない。

「話があるの」
「い、嫌だ……嫌です……」
「勝手に部屋に入ってごめん。でもね」
「っ、嫌だ!」

 話をしようと一歩近付くと、私から離れたい時谷くんが壁に背中をぶつけた。
 そのまま壁を背にして首を横に振り、嫌、嫌と何度も呟きながら震えている。
 時谷くん、怯えてるの……?

 怒り出すだろうと思っていたから予想外の反応に戸惑ってしまう。
 話は時谷くんが落ち着くのを待ってからにした方がよさそうだ。ひとまず一階で服を着てこよう。
 そう思って扉に向かおうとした時、爪先に何かがこつんと当たった。

 急に動き出した"おもちゃ"の電源をオフにして床に置いたんだ。
 自然に足元の物体を拾う……が、明るい室内で"それ"を初めて目にした私の頭は真っ白になった。
 思考が半分停止したまま、これの入っていた箱を手に取ってパッケージの煽り文を読む。

 超極太バイブで膣内破壊。10段階パワフル振動。オーガズム地獄――

「何これ!?」

 これっておもちゃなんでしょ? おもちゃ、おもちゃ……大人の玩具? どうしてこの部屋にそんな物があるの!?
 数秒遅れでこれの正体をやっと理解し、すぐにパニックに陥る。

 慌てて他のダンボールからいくつか箱を取り出してみるも、どれも目を覆いたくなるような卑猥なパッケージで口には出せない商品名の物ばかり。
 恐らくこの部屋に置いてあるダンボールの中身は全部そうなのだ。

 時谷くんの秘密は隠れオタクなどではなく、こういう……アダルトグッズがたくさん家にあること……?

 手に持ったままのそれに改めて視線を落とす。男性器を模したその玩具は派手なピンク色をしていて一般的な男性のアレより遥かに大きそうだ。
 もっとも私は一般的なアレの大きさなんて知らない。ただこの玩具はあまりに異常だからそう思った。

「いやっ、気持ち悪い……っ」

 とっさに投げ捨てる。さっき見たパッケージを思い出して、酷く汚らわしい物を持っている気がしてしまったのだ。
 私の手を離れたそれは中央に置いてあるベッドの足にぶつかった後、床に転がった。


「っ、気持ち、悪い……?」

 時谷くんはびくりと肩を揺らし、震える声で呟きながら私を見た。
 そのまま苦しそうにくしゃりと顔を歪めて近付いてくる。
 明らかに雰囲気が変わった時谷くんに距離を詰められ、今度は私が背後の棚に背中をぶつける番だった。

「どうしてこの部屋に入ったんですか……っ」

 時谷くんに肩を掴まれ、前後に揺さぶられるとバスタオルがはだけてしまいそうだ。なんとか押さえながら私は時谷くんを睨み返した。

「わ、私だって必死なんだよ! 時谷くんが写真で脅したりするから!」

 そうだよ、弱気になるな私。時谷くんの秘密なら握ってる。

「この部屋には時谷くんの秘密があるんだね。時谷くんはアダルトグッズを持ってることを隠したいんでしょ?」
「違う……違うよ……」
「否定しようとしても無駄だよ。たくさんあるんだもん。こういう物が好きなんでしょ」

 弱々しく首を振って否定する彼の手を肩から払いのける。時谷くんは私から滑り落ちた手をぼんやり見つめながら話し始めた。

「……僕のじゃないです。僕はこんな、こんな物好きじゃない……全て親の物です」
「親の?」
「僕の親はアダルトグッズの開発とそれを販売するショップの経営をしています。この部屋にあるのは試作品や新商品、通販用の在庫品……あとは親の個人的な趣味の物です……」
「そうだったんだね……」

 時谷くんの両親はお店を経営しているのだと以前聞いたけれど、何を売っているのかまでは教えてくれなかった。
 あの時話したがらなかった理由がやっとわかった。

 時谷くんはアダルトグッズが家にあることよりも、親の仕事を知られることを恐れていたんじゃないだろうか。
 ただ、私がそれらを時谷くんの趣味だと誤解したからさすがに話すしかなくなったんだろう。
 この噂が広まったら男子は面白がりそうだ。黒崎さんがしていたみたいにあれこれ持ってこいと強要されるかもしれない。
 そんなの辛い。彼の秘密は守られるべきだ。

 でも、私だって必死だったんだから。
 黒崎さんと同じように私の弱みにつけこんで脅したりするから時谷くんも秘密を知られることになったんだよ。
 もうこんなことは終わりにしたかった。

「このこと絶対に誰にも話さないって約束するよ。だからね、時谷くんも」
「誰にばらしてもいいですよ」
「え……待ってよ。私本当に話す気ないよ」
「いいんです。僕はただ、綾瀬さんに知られたくなかっただけなんです。だからもう……どうでもいい……っ」

 落ち着いた様子で話していた時谷くんにまた肩を鷲掴みにされる。

「好きなように言いふらしてください! 学年中に知れ渡るのなんていつものことだ! みんな僕を気持ち悪いって軽蔑した目で見た……!」
「い、痛いよ!」

 言葉と共に肩を掴む力は強くなり、素肌に時谷くんの指が食い込む。しかし、痛みを訴えても力を緩めてくれない。

「それが嫌だってずっと思ってたよ。だから遠くに引っ越してきたのに! 結局あの女にバレて……っ」
「時谷くんお願い。落ち着いて話そうよ」

 何かを否定するように首を横に振り、声を荒げたかと思えば弱々しい声を出して、また怒鳴って……きっと彼自身にも制御できない感情が溢れている。

「去年、高校に入学してすぐあの女に知られて、嫌気が差した僕は学校に行くのをやめました。学校に来ないなら秘密をバラすと脅迫もされたけど、もう行く気はなかった。どうでもいいと思ったんだ。何もかも全てどうでもよくて……っ、なのにあの日綾瀬さんが……」
「時谷くん……」

 悲痛な表情から、言葉から、彼の苦しみが痛いほど伝わってくる。
 時谷くんは高校生になる前からずっとこの件で悩み続けてきたんだ……。
 私もいけなかった。知らなかったとはいえ「こういう物が好きなんでしょ」なんて言ったから彼の心をかき乱してしまったのだ。

「時谷くん、謝らせてほしいの。この部屋にある物を時谷くんが好きで集めてるって誤解してごめんなさい」
「……誤解?」

 時谷くんはぴくりと反応すると肩を掴む腕の力を少しだけ緩めた。

「うん……一番されたくない誤解だったよね」
「誤解だなんて思ってないですよね。僕も親と同じ趣味なんだって内心軽蔑してるんでしょう? みんなそうでした」
「そ、そんなこと思ってないよ」
「気持ち悪いって言ったじゃないですか!」

 離れた場所に落ちているピンク色のそれに目をやる。この玩具を投げた時の言葉は決して時谷くんに向けて言ったわけじゃない。

「時谷く――」
「こうなることはわかっていました」

 否定しようと顔を上げた私に、鋭い視線が突き刺さる。

「だから僕はあなたと話したくなかった。関わりを持ちたくなかった。友達になんかなりたくなかった。綾瀬さんにだけは……っ、こんな僕のこと知らないでいて欲しかったんです!」
「友達になんか……なりたく……」

 私を責め立てる視線から逃げることもできずにただ呆然と時谷くんの言葉を繰り返す。
 意味がわからないよ。こんな風になってしまうまで私達は仲良くしていたじゃないか。
 時谷くんは……私と友達になるの本当は嫌で嫌でたまらなかったの?

「ど……して私にだけ知られたくなかったの?」
「……僕のスマホを見たでしょう?」
「私の写真、何であんな……」

 見たけれど……時谷くんのスマホで見たものといえば盗撮写真だけだ。あれが何か関係あるんだろうか。

「一年前……綾瀬さんが……手紙をくれたから……」
「て、がみ? 手紙って……時谷くんが不登校だった時にポストに入れたあのメモ?」
「…………」

 時谷くんは頷いた後、黙り込んでしまう。

――だから僕はあなたと話したくなかった。関わりを持ちたくなかった。友達になんかなりたくなかった。

 頭の中でさっきの言葉がループしていた。短い期間ではあるが時谷くんと築いた関係性が揺らぐ。
 どうしてどうして……言葉の意味を、彼の気持ちを正しく理解したくても、無性に悲しくて涙をこらえている今の私には全て悪いようにしか考えられない。


『そろそろ学校に来ない? 学校に来たら友達になろう』

 あのメモを入れたのは去年の夏休みの登校日だった。
 何も言われなかったし、差出人が私だということに時谷くんは気付いてないと思っていた。
 ……でも、知っていたのか。

 夏休み明けから学校に来るようになったのに声をかけられなかったから、私は罪悪感で彼をよく目で追っていた。
 そして、いつか話しかけたいと思い続けてきた。
 そんな時、放課後の校舎裏で黒崎さん達に囲まれている時谷くんと目が合って、私はやっと変われたと思った。
 遅くなってしまったけれど、あの手紙の約束を果たせたと……でも、それは私の勘違いだったのでは……?

 さっき時谷くんは”もう学校に行く気はなかった。何もかも全てどうでもよかった”とまで言っていたのに、私のメモを読んでもう一度登校しようと思ってくれたのだ。
 そんな時谷くんの期待を裏切り、友達になるどころか話しかけることさえしない私をどう思っただろう。
――私を、憎んだんじゃないのかな。

 盗撮写真は去年の十月から始まっていた。時谷くんが登校するようになって一ヶ月経った頃だ。
 どれだけ待っても話しかけてこない私を憎み、いつか脅しのネタに使えるかもしれないと写真を撮るようになったの……?
 私にだけは秘密を知られたくないのも憎んでいる相手なら当たり前だ。

 考えれば考えるほど辛くなってくる。背中に触れている冷たい棚が私の体温を奪う。震えが止まらなかった。
 少しでも気を緩めれば瞳から溢れてしまいそうな涙をなんとか堪え、目の前で俯く時谷くんを見つめ直す。視線に気付いた時谷くんが小さく微笑んだ。
 涙で滲む視界にはその微笑みがとても恐ろしいものに見えた。

 時谷くんは私のこと――

「僕はあの日から綾瀬さんのことが」
「嫌いだったんだよね」

 時谷くんの言葉を遮る。彼の口から続きを聞くのが怖かったのだ。

「わ、私のこと憎んでるから……嫌いだから……いっぱい写真を撮ってたんでしょ?」
「どう……して……そんな……」

 怖いのに私は言葉を続けてしまう。時谷くんに否定してほしかった。
 今は壊れてしまった関係だけど、初めからこうだったわけじゃないと思いたかった。

「時谷くんは初めから私のことが嫌いだったの……?」
「……っ、そうだよ! 綾瀬さんなんて大っ嫌いだよ! 嫌い嫌い嫌い嫌い……」

 何度も何度も吐き出される呪いみたいな言葉。ぼんやりと曖昧な時谷くんの輪郭。その声は震えている気がした。
 私は力が抜けて床に座り込む。我慢できずに溢れ出した涙が頬を伝っていく。

「嫌いだよ……綾瀬さんのことを考えると胸が痛くなる……」
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