Keep a secret

□自分でします
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 マカロンを食べた後、時谷くんにはマスクを外してもらい、その代わりに私がマスクをした。もちろん普通に一枚だけ。
 ……マスク一枚では心許ないと時谷くんは嘆いていたけれど。

「病院でお薬もらったんだよね。朝の分はもう飲んだの?」
「まだ飲んでないです。今から飲みますね。マカロンを食べたから胃も空っぽじゃないですし」
「あっ、そうだ。家からミネラルウォーター持って来たよ。薬はどこに置いてある?」

 エコバッグからお水を取り出してテーブルに置く。
 他にもスポーツドリンク、リンゴ、ご飯の材料、冷えピタ、マスクなどが入っている。
 お母さんから教えてもらった物は全て持ってきた形だ。

「そこの棚の一番上の引き出しです」
「ここかぁ。開けさせてもらうね」
「あっ、いけません。綾瀬さんはどうかくつろいでいてください。僕が自分でしますから」
「いやいや、時谷くんは座っててよ!……えーと、薬は」

 時谷くんは明るく振る舞っているけど、マスクの下の顔色はあまり良くない。早くベッドで横になってもらわなくては。

 引き出しの中には市販の風邪薬や頭痛薬、消毒液、絆創膏などの医療品が綺麗にまとめられていた。その中から処方薬と思われる白い袋を二つ取り出す。
 片方の袋には「座薬」と書かれている。風邪で座薬というのは相当な高熱じゃなければ処方されないだろう。
 時谷くんの具合は私が思っている以上に良くないんじゃ……。

「時谷くん、体辛くない? あれは……あの……一人では難しそうだよね。安心して。私も手伝うからさ」
「手伝うって何をですか?」
「もちろん座薬だよ。私が入れてあげるから心配しないで」
「座薬?」

 両方の処方薬を取り出して時谷くんの隣にしっかりと腰を下ろす。
 時谷くんは困惑しているが、無理もない。

「大丈夫。恥ずかしがることなんてないよ! これは医療行為だからね」
「……それなら綾瀬さんも具合が悪かったら僕に座薬を入れてもらいたいと思いますか?」
「えっ」
「"医療行為"ですよね?」

 時谷くんはなんだか楽しげに笑いながら私を見つめる。
 困ったぞ。確かに医療行為だ。医療行為なんだけども。ちょっと、どうなんだろうね。
 しかし、これから時谷くんの座薬を入れる手伝いをしようって時に「私だったら嫌です」なんて言えるはずもなかった。

「も、もちろん。私が熱出したときは時谷くんにお願いするよ。こ、困ったときはお互い様だもんね」
「それはよかった。ねぇ、綾瀬さん」

 時谷くんは私の言葉に満足そうに頷くと座薬を持つ私の手に自分の手を重ねる。

「僕、座薬を入れるのきっと得意ですよ。綾瀬さんのなかをじっくり丁寧に、優しく解してから挿入してあげますからね」
「は、はい……」

 熱のせいか時谷くんの手は温かい。突然の皮膚接触と変な言い回しに緊張しながらぎこちなく頷いた。

「あ、あの。早く」
「ああ、そうでした。その座薬は大分前に処方された物なんです。とっくに使用期限が過ぎていますよ。それに僕は座薬を使うほどの熱はないので心配しないでくださいね」
「本当だ……古い日付だね」

 時谷くんは重ねていた私の手から座薬の袋を抜き取ると袋に書いてある日付を見せた。
 焦り過ぎて日付の確認を忘れていたようだ。座薬のお手伝いは必要ないらしい。
 何故だろう。熱がそこまで高いわけじゃないことがわかって安心したのと同時に残念な気持ちになるのは……。


 その後、お薬を飲んだ時谷くんには自室のベッドで横になってもらった。

「あぁーまた失敗した……」

 不器用な私は冷えピタをもう二枚も無駄にしている。
 時谷くんが相手だと必要以上に緊張してしまうのだ。ぎこちない私を時谷くんが温かな眼差しで見守っているから余計にだった。

「ごめん。前髪抑えてて」
「こうですか?」
「う、うん」

 片手で前髪を抑えながら見上げる時谷くんの姿は私の目に新鮮に映った。普段は前髪で隠れた額や眉毛までばっちり見えている。
 色白の額には吹き出物の一つもない。綺麗な形の眉毛は整えているのだろうか……いや、時谷くんはそういったことに無頓着そうだから、何も弄っていないんだろうけど。

 長くて量の多い前髪を短くしたり、少し梳いて軽くしようとは思わないのだろうか。
 時谷くんの並外れた美少年オーラは長い前髪程度で隠れることはない。けれど、影のある美少年はどうしても近寄りがたいのだ。
 本当の時谷くんは年相応に子供で、明るい性格なのだからクラスの男子の輪に馴染むこともそう難しくないような気がする。
 何か、きっかけさえあればいいのにな……。

「じゃあ失礼して。貼ります」
「わっ、冷たっ」
「これでよし。あとは安静に……あ、そういえば熱は何度なの?」

 時谷くんの額を触って、ずっと聞きそびれていた熱のことを思い出す。

「三十七度八分です。微熱なのにご迷惑をおかけしてすみません」
「ううん、微熱なら安心だよ。平熱は?」
「……三十五度五分くらいです」
「へぇ。平熱低いんだね。ん?……ってことは三十六度五分が平熱の人にとっての三十八度八分と体感的には同じなんじゃない!? 微熱どころか高熱だよ!」

 時谷くんは私が平熱を聞いた瞬間、ばつが悪そうに視線を逸らした。平熱から考えたら微熱とは言えないとわかっているんだろう。

「いえ、そんな大袈裟なことは……ふぁぁ……っ! ご、ごめんなさいごめんなさい!」

 時谷くんは自らの小さなあくびに動揺し、すぐに上半身を起こした。そして土下座でもしそうな勢いで頭を下げる。

「綾瀬さんの前であくびなんて失礼な……っゴホッゴホッ」

 体調が悪いのにいきなり激しく動くから治まっていた咳がまた出始める。

「大丈夫だから落ち着いて。薬が効いて眠くなってきたんだよ。ゆっくり眠ってね」
「ゴホッゴホッ……ごめんなさい。そうします」
「台所借りてもいい? 時谷くんが起きたら食べられるようにご飯の用意したいんだ」
「綾瀬さんの手料理……! は、はい。好きに使ってください。お願いします」
「ありがとう。何かあったら呼んでね」

 再びベッドに横になった時谷くんは嬉しそうに笑いながら何度も頷いた。

「ああっ、待ってください」

 私がそのまま部屋を出ていこうとすると呼び止められる。

「台所は……あの……やっぱり駄目でした。この部屋で少し待っていてください。僕が」
「時谷くんは眠っててよ! また後でね」
「あっ、綾瀬さん!」

 時谷くんは何かを思い出したようで焦って起き上がろうとしたけど、待たずにドアを閉める。諦めたらしく階段を降りていく私の後を追い掛けてまではこなかった。
 時谷くんには困ったものだ。どうも私がいると落ち着いていられないらしい。

 前に入った時谷くんの家のダイニングキッチンは目に付く場所に物が一つも置かれていない、どこか生活感のない空間だった。が、今日は意外な光景が広がっていた。
 テーブルの上には飲みかけの水が入ったグラスと食パンが置いてあり、食器棚は開けっ放し、シンクの上にはジューサーとまな板と包丁が洗ってない状態で放置されている。
 どうやら体が辛くて後片付けにまで手が回らなかったようだ。私はまず片付けから始めることにした。


 時刻は十五時三十分――
 私がお昼ごはんの雑炊を作り終えたのはもう二時間も前だ。
 その間に時谷くんの様子を何度か見に行ったけど熟睡していて起きる気配がなかった。
 先に一人で食べてみたがほとんど味のしない微妙な出来だった。私ってダメダメだ。

 ダイニングでぼーっと時間を過ごしていると階段を降りる音が聞こえてきた。

「あっ、起きたんだ」

 私は外していたマスクを付けて階段にすっ飛んで行った。

「時谷くんおはよう。体調はどう?」
「綾瀬さん!」

 ちょうど一階の廊下まで来ていた時谷くんも、私の姿を見付けて駆け寄ってくる。

「綾瀬さんだ……よかった……っ」
「……っ」

 突然の出来事だった。すぐ前まで来た時谷くんにそのままの勢いで抱きしめられて、驚きのあまり温度の高い腕の中で固まる。

「帰っちゃったと思いました。まだ居てくれたんですね」
「当たり前だよ。何も言わずに帰ったりしないよ」
「……ありがとう」

 私をきつく抱きしめる腕は微かに震えていた。安心させるように背中を撫でる。
 時谷くんは体温が高くて汗もかいている。汗を拭いて着替えた方がいいな。

「ああっ、僕はなんてことを! 今ので綾瀬さんに風邪をうつしてしまったかも。ごめんなさい!」

 時谷くんは私から慌てて離れると頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。

「大丈夫だって。マスク付けてるからさ。それより食欲はある? ご飯食べない?」
「ど、どうしよう。風邪だからって安心はできないのに」
「考え過ぎだよ。ねぇ、お腹空いてない?」
「風邪が悪化して肺炎になることもあるし、最悪の場合は命の危険が――」
「ごーはーんー! 食べる? 食べない? どっち!」
「た、食べます」

 笑顔で手を差し延べれば、時谷くんは遠慮がちにその手を取ったのだった。


「ごちそうさまでした」

 時谷くんは遅めの昼食を完食し、手を合わせた。三回も雑炊のお代わりをした上にデザートのリンゴまで綺麗に平らげたのだから相当お腹が減っていたんだろう。

「残さず食べてくれてありがとう。あんまり上手に作れなくてごめんね」
「とんでもない。美味しかったです! それに僕は綾瀬さんの手料理なら味が薄くても濃くても甘くても辛くても苦くても不味くても……美味しくいただけますから!」
「ありが……って、不味いのに美味しくいただくのは無理があるじゃん!」
「気にしないでください。言葉のあやです」
「いや、気になるよ!」

 拳を固く握りながら主張してくれたけど、不味いと感じた時点でその料理は美味しくないってことになると思うんだけど。
 もしかしたら私の雑炊は……い、いやいや、大丈夫だ。夜ご飯で挽回してみせる。


 食後の薬を飲んでから再び時谷くんの部屋に戻った。
 冷えピタは貼り変えたし、次は着替えだ。

「時谷くん、汗だくのTシャツを着てるのは良くないよ。汗を拭いて着替えよう」
「あ……汗臭かったですよね。ごめんなさい。えっと、タオルは」
「全然! 臭くないよ! ちょっと待っててね。お湯でタオル濡らしてくる」

 しょんぼりしてしまった彼に、声を大にして伝えたい。時谷くんからは常に清潔な香りしか漂ってこないのだと……!

「ほら、こっち向いて。胸とお腹もちゃんと拭かないと」
「い、嫌です……綾瀬さん、見ないで……」

 私は張り切って時谷くんの着替えの手伝いを開始したのだけど――
 Tシャツを脱いだ時谷くんはずっとこちらに背中を向けている。もう背中は拭き終わったから前に移りたいのに嫌らしい。

 恥ずかしがる姿は女の子みたいだ。そんなに嫌がられると気になってしまうもので、何がなんでも時谷くんの裸を見てみたくなる。
 大体、私の体を好き勝手暴いておきながら自分は隠そうなんてフェアじゃない。

「もう、早く終わらせて服着ようよ」
「自分でできるのに……」
「だいじょーぶ。私に任せて!」
「……わかりました。で、でも、あんまり見ないでくださいね」

 時谷くんはようやく観念したらしく私と向き合うように座り直す。
 恥ずかしそうに背けられた頬はうっすら赤く染まっている。あまり見るなと言われてもさらけ出された上半身から目が離せない。

 顔が綺麗な人ってきっと全身美しいんだ。
 時谷くんの色白の肌には傷どころかホクロ一つない。華奢で薄い胸板だけど肩幅は広くて、可愛い顔をした時谷くんも男の子なんだと実感させられる。
 変な感じだ。時谷くんとは既に性交渉をしたこともあるのに、今初めて上半身を見て緊張しているなんて。
 やっぱり私達って歪な関係性だと思う。

「あ、あの……綾瀬さん?」
「ごめん。すぐ拭くね」

 時谷くんの裸に見入って手を止めてしまっていた。慌ててタオルを時谷くんの首に当て、背中よりも大雑把に拭いていく。
 本当なら男の人の上半身なんて気にするほどのことでもないはずだ。
 なのに時谷くんはやたらと恥ずかしがっているし、私も時谷くんの裸に見とれてしまった。そんな状況だからなんだかいけないことをしているような気分になるのだ。

 首周りの次は、一番緊張する胸だ。
 胸元にタオルを当てた瞬間、時谷くんの体が強張る。変なところを不自然に擦らないよう細心の注意を払いながら拭いていくとすぐに危険域は通り過ぎた。
 綺麗なお腹も手際良く拭き、次に下腹部にタオルを押し付けてゴシゴシ擦る。こういう場所は汗で蒸れやすいからしっかり拭かないと。

「ん……っ」

 小さな吐息が聞こえて時谷くんの顔を覗き込む。

「え? なに?」
「な、何でもないです!」

 時谷くんの顔は真っ赤だった。何となく呼吸も荒いような。
 裸の時間が長すぎたのかもしれない。顔だけでなく全身が火照っているみたいだ。

「……はっ……っ」

 早く終わらせようとさっきより強く下腹部を押すと、時谷くんがビクッと肩を揺らす。

「ん……はぁ……」
「…………」

 なんだかよくわからない。わからないんだけど、吐息が色っぽく思えて仕方がない。
 私まで顔が熱くなってきちゃったよ。

「あ……っ……綾瀬さ、ん……」
「な、なに?」

 時谷くんは私の手の動きに合わせて腰をピクピク震わせている。
 やがて私の肩に時谷くんの頭が預けられ、弱々しい力で手首を掴まれた。
 少し重たくなった肩を見ると時谷くんは切なそうに眉を寄せて目を閉じていた。

「後は自分でします。これ以上続けられたら……勃……つから……」
「た、つ?」

 掴まれた手に力が入ったと思ったら時谷くんはゆっくり目を開けた。
 肩に乗せられた顔は本当にすぐ真横にあって、そんな至近距離で話しかけられると緊張で息が詰まる。

「っ! わぁぁあっ、ご、ごめんね!」

 少し遅れて言葉の意味を理解した私はすぐさまベッドから飛び降りた。
 時谷くんは私の後ろで残りの箇所を拭いて新しい服に袖を通しているようだ。
 私は縮こまって待つしかなかった。
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