Keep a secret

□怒ってないよ
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 時谷くんのスマホのロックは私の誕生日で解除された――
 何で私の誕生日なんだろう……?
 疑問ではあるけど、私の誕生日だから設定された数字とは限らない。偶然何かの日付と被っただけの可能性もある。

 ホーム画面は初期設定から変えていないことが丸わかりで、正直ださい。でも男子ってそんなものかもしれない。
 自分の端末じゃない分勝手が違って迷うが、「アルバム」というアプリを見付けた。恐らく画像はここだろう。
 人のスマホを覗き見るのは禁忌だ。罪悪感はあるけど、時谷くんが強姦未遂からの盗撮からの脅迫……なんてしなければ私もこんなことせずに済んだんだよ。

 心の中で言い訳しながらアルバムをタップすると、縮小された画像達が画面いっぱいに広がる。

「な、何これ……」

 アルバム内には私の写真があった……私の写真だらけだった。
 一枚ずつ開かなくてもパッと見でわかる。被写体が私の写真がずらりと並んでいて、どれだけスクロールしてもそれは延々と続いていた。
 家の前の道路を歩く後ろ姿、教室でぼんやりしている横顔、焼きそばパンを頬張る姿、友達と会話中の笑顔――
 いかがわしい写真こそないものの全て明らかな盗撮だった。

 確かに盗撮写真を探していたが、こんな写真は知らない。
 遡ってみれば去年の冬や秋に撮られたものまである。去年なんて時谷くんと一度も話したことがないのに何故か時谷くんは私を隠し撮りしていたのだ。
 意味がわからない。同じような写真ばかり眺めていると混乱して目が回る。

 大量の私の写真の中に数枚だけ混ざっているふわふわの白い毛をしたポメラニアンの写真、虹のかかった空の写真、料理サイトのスクショなどは健全そのものだが、この異様なアルバム内では逆に浮いている。
 ついにアルバムの最後まで到達したが肝心の写真は見当たらない。
 昨日時谷くんに撮った写真はこれだと画面を向けられた時、私は目を背けてしまった。
 どこに保存していたんだろう。パソコンにデータを移した可能性もあるか……


 考えている最中に廊下から足音が聞こえてくる。時谷くんが帰ってきたのだ。
 開いていたアルバムのタブを急いで閉じて元の場所にスマホを戻す。
 そして私は何事もなかったかのようにソファーに座った。

「お待たせしました。見る映画決めましたか?」
「あ、ううん。時谷くんのおすすめを聞こうと思って」
「おすすめですか。そういうのはあまり自信がないんですけど……」

 両手に抱えたお菓子や飲み物をテーブルに置き、時谷くんはDVDのパッケージを眺めながらあれでもないこれでもないと悩み始めた。

「やっぱり綾瀬さんが決め」

 プルルル――

 着信音が時谷くんの言葉を遮って、空気が一瞬で凍りついた。
 さっきは救いの手だった電話に、今度は首を絞められる感覚。
 ああ、やってしまった。スマホの電源落とすの忘れてた……。

 鳴り続ける着信を聞きながら私も時谷くんも無言だった。
 おかしいと思ってるかな。電源が切れていたこと忘れてたらいいのに。

「……電話出ないの?」
「どうせまた親からです」
「そう……」

 どうしようどうしよう。ちらりと時谷くんを盗み見ても表情に変化はないように思うのに、空気が重くて息苦しい。

「綾瀬さんは恋人のスマホが気になるタイプですか? 僕は気になります。きっとこっそり見ると思います。当然のことですよね。恋人には知る権利があります。大好きな人が誰と連絡を取り合っているのか……」

 着信が途切れたのと同時にとんでもないことを言い出されて、何も反応できない。
 それでも時谷くんはなんだか晴れやかな表情をして一方的に話し続ける。

「アルバムの中だって把握する権利があるんです」
「っ!」

 ……間違いない。時谷くんは私が何をしていたか気付いている。そしてとても怒っている。細められた瞳の奥が笑っていないのだ。

「綾瀬さんはどう思いますか?」
「わ、私は……」
「早く答えてください」
「私は見ません!」

 冷たい声の催促に精一杯答える。「見ました。ごめんなさい」ともし正直に打ち明けたら許してもらえるでしょうか……絶対無理だ。

「どうしてですか?」
「怒らせてしまうから……です……」
「僕が綾瀬さんの恋人なら怒ったりしないよ」
「ほ、本当……?」
「当たり前ですよ。僕が怒るわけないじゃないですか」

 これはもしかして恋人だったら……という例え話を出して、怒ってないから気にしないでと遠回しに言ってくれているの?
 ほっとして思わず笑顔がこぼれた瞬間、衝撃が走った。

「時谷く、なんで……」
「ごめんなさい。ちょっと躓いてしまいました」

 頭上から勢いよく降ってきた冷たい液体が全身を濡らす。そんな私を見ながら時谷くんは悪びれもなく笑ってみせた。
 ハーブティーを選んだんだ……爽やかな香りは絶望的なこの状況に似合わなかった。

「時谷くん……ごめ、なさい」
「怒ってないよ。可哀相に……震えてるんですね。身体が冷えてしまったんですよ」

 時谷くんはびしょ濡れの私を抱きしめ、背中を撫でながらそんなことを言う。
 お願い。怒らないで。
 もしも私が震えているのならそれは時谷くんに怯えているからだ。

「お風呂に入ってきてください……返事は?」
「はい……」





 最高の湯加減のお風呂に浸かりながら気持ちよく腕を伸ばす。新築らしいピカピカの真っ白なバスルームが羨ましい。
 時谷くんは毎日このゆったりとした広い浴槽で疲れを癒し、壁に掛けられているタオルで体を洗っているんだろうか。
 も、もちろん裸で……。

 髪や体を洗うつもりはなかったものの出来心でシャンプー類もチェックしてしまった。
 シャンプーとトリートメントは初めて見るメンズ物だ。これで時谷くんのさらさらヘアーが保たれているのかと思うと感慨深い。
 ボディーソープは奇遇にも私の家と同じ物だった。
 うちは近所の薬局で目立つ場所に山積みになっているボディーソープを買っているから、時谷くんも同じ理由でつい選んでいるのかもしれないな。

 本当はこんな呑気にお湯に浸かっている場合ではないのだが、これからの展開を想像するのが怖いからどうでもいい考えを巡らせて現実逃避していた。
 さっきの出来事が嘘みたいにこのバスルームは平和だ。時谷くんが一緒に入ると言い出さなくてよかった。

 私が真に考えるべきは時谷くんのスマホに例の写真がなかったことについてだ。
 新たに発見した盗撮写真ももちろん問題だがあれは優先して考えなくていいだろう。
 データがパソコンに移された可能性があるなら二階の時谷くんの部屋に確認に行こう。


 ごちゃごちゃ考えているだけでは事態は好転しないから、私はついに立ち上がった。

「頑張るぞー……おー……」

 今朝時谷くんの家の前でしたように空中に手をかざし、小声で気合いを入れ直す。
 シャワーの音が聞こえていたら抜け出したことに気付かれにくいだろうから、蛇口をひねって水を全開にする。

 そのままバスルームから出て、ホテルのタオルのような肌触りの良いバスタオルを借りる。近くで回っている洗濯機には私の服が入っていた。
 躓いたと言っていたけど、絶対わざとだ。時谷くんは「恋人」がスマホを見ても怒らないが、恋人ではない私にはこうして制裁を加えるのだろう。

 時谷くんからは服が乾くまでゆっくりお風呂に入るよう言われている。
 乾燥も含めて一時間くらいだろうか。時間に余裕があるのはありがたい。
 私は音を立てないよう慎重に廊下に出た。
 バスタオルを一枚巻いただけでうろつくなんて家でも滅多にしない。お母さんにも裸を見られるのは気恥ずかしいのに、それをクラスメートの男子の家でしているなんて改めておかしな状況だ。

 つくづく自分が間抜けで嫌になる。
 脱がされにくいからと長袖を着てきたのに結局自ら脱いで裸になってるんだから。

 リビングから話し声が漏れていた。また親と電話しているのかもしれない。
 時谷くんが一階にいるなら動きやすいな。
 足音に気を使いながら階段を上る。パソコンはもうすぐそこだ。逸る気持ちでドアノブを回すと、期待を裏切られた。
 なんと――鍵がかかっている。

 よく見たら彼の部屋のドアノブには鍵穴が存在していた。
 自宅の部屋にこんな鍵いるか?と馬鹿な私は思うけれど、現に侵入者を阻んでいるんだから必要なのだ。

 大人しくバスルームに戻ろうか?
 そう思いドアノブから手を離すと廊下の先に目がいった。ちょうど"あの"部屋がある。
 頭の隅に追いやっていたもう一つの案……時谷くんの秘密を探るならあの部屋は避けられない気がした。

――もうこの扉を開けたら駄目ですよ? 約束です。

 あの日した約束を破ってこの部屋に入り、結果怖い目にあったのに私はまたこの重厚な鉄の扉の前に立っていた。
 ここを覗いた時の時谷くんの様子はやっぱり少しおかしかったと思う。この部屋には見られたくない何かがあるんじゃないかな。
 ここまで来ておいて今更引き返せないから、私は扉に手をかけた。


 窓のない完全な密室だ。扉を閉めたら室内は真っ暗になってしまった。
 扉付近の壁を触ってみるが電気のスイッチはなかなか見つからない。扉を閉める前に電気を付けておけばよかったな。
 また扉を開けるのはリスクが高い。時谷くんが自分の部屋へ戻ろうと二階に上がってきた時に異変に気付かれないよう、できるだけ閉めておきたかった。

 スイッチを探しながら壁伝いに歩いているうちに少しずつ暗闇に目が慣れてきた。
 左右の壁際にはステンレスの棚が並んでいた。シンプルな棚の上にダンボール箱がたくさん置かれている。
 その中のダンボール数個を床に置いて梱包を解くと中には同じデザインの箱がきっちり詰まっていた。
 どれも未開封のようだし、日用品や必要な物をまとめ買いして置いているだけだとしたら、この部屋に秘密なんてないのかな……

 ダンボールを棚に戻そうとした時、ある考えが頭を過ぎった。
 もしかしたら――ダンボール箱の中身はオタク趣味のマニアックな物なのでは?
 例えば美少女アニメのフィギュアだとか、プラモデルだとか、鉄道模型なんていうのも有り得る。さっきのダンボールをもう一度上から覗いてみれば箱の上部に何やらアニメ絵の女の子が載っているものもあった。
 ……やっぱり。この部屋は時谷くんのコレクションルームなんだ。

 時谷くんの秘密は「隠れオタク」だということに違いない。
 私はそういう趣味に偏見はないけれど、中には本気で隠したい人もいるだろう。その弱みを黒崎さんに付け込まれたんだな。
 確信を持ったところでもっとしっかりと中身を確認しようと思った。
 私には写真というデータ媒体の圧倒的な弱みがある。これではまだ不利だ。できれば時谷くんの秘密を詳しく把握したい。

 他のダンボールの中から適当に選んだ箱を手に取る。暗くてよく見えないがなんだかド派手なパッケージをしていそうだ。
 新品の箱を開けると緩衝材に包まれた棒状の物が入っている。取り出して直接触ってみたらこの感触には覚えがあった。

 似た形状の物を以前に触ったことがある。
 そう、黒崎さんが時谷くんに学校へ持ってこさせて受け取っていた物だ……黒崎さんはこれを"おもちゃ"だと言っていたような。


 ギィィー……

 急に金属が擦れる音が響いた。そして真っ暗な室内に扉一つ分の光が差し込む。
 防音性の高い部屋にいるせいで時谷くんが二階に上がってきていたことにこの瞬間まで全く気付けなかった。

 今の私はバスタオル一枚という心許ない格好だ。できれば対峙したくない。
 とにかく落ち着け。時谷くんは私がバスルームを抜け出したことには気付いておらず、用事があって入ってきただけの可能性もある。
 幸いにも私は廊下の光が届かない部屋の奥にいる。音を立てずにじっとしていればやり過ごせるかもしれない……

 私は祈るような気持ちで息を殺した。
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