Keep a secret

□可愛いですね
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 翌日、約束の時間――
 自分の家から時谷くんの家までわずかな距離だけど照りつける陽射しに体力を持っていかれる。記録的な猛暑日になると天気予報で言っていただけのことはあった。

 私はこんな日に私は長袖のブラウスにスキニーパンツという組み合わせで来ている。
 時谷くんへのせめてもの抵抗としてできるだけ肌の露出を少なくし、脱がしにくそうな服を選んだ結果だ。
 少し自意識過剰かなとも思うが登校日の悪夢を思えばこのくらい当然だった。

 これから時谷くんの家にお邪魔するにあたってまず一番に心掛けておきたいのは時谷くんを怒らせないことだ。
 私は特別な美人ではないし、スタイルも良くない。時谷くんだって怒っていなければ私に変な気は起こさないかもしれない。

 更に隙を見て時谷くんのスマホから私の写真を消すことができたら万々歳だ。ただ、これは相当難易度が高い。
 もうひとつ……時谷くんの家に行くのなら、彼が隠したがっているという秘密を探ることも可能なんじゃないか。
 時谷くんの秘密を知ることができたら私達は対等な関係になれるはずだ。

 これは正直あまり気乗りしない。人の秘密を暴いて脅しに使うのは最低だと思うから。
 だけど、先に私を脅してきたのは時谷くんの方だ。黒崎さんに苦しめられてきたはずなのに私に同じことをしてる。私はその仕返しをして……と、ずっと続いていくんだろうか。なんだか気が重くなる。

 どちらにしても時谷くんの隙をつかないといけない。大人しく従う振りをして油断させることが大切だ。
 その一環としてまたケーキを作ってきた。前回時谷くんはとても喜んで食べてくれたから今回も機嫌を取れるかもしれない。

 よし、上手く立ち回るぞ。作戦開始だ。

「絶対成功させるぞ。ふぁいとー……」

 一人で眼前に手をかざして掛け声を出した瞬間、玄関が開いた。

「おー……?」
「ふふっ、綾瀬さんそろそろ入ってきてください」
「お、おはよう時谷くん」
「おはようございます。来てくれてありがとうございます」

 いきなり変なところを見られてしまったが時谷くんの機嫌はすこぶる良いみたいだ。私の考えがバレているわけではないらしい。

「…………」
「……あ、あの時谷くん? なんでしょう?」

 でも、時谷くんは私の姿を上から下までじろじろと眺めた後、にこりと微笑んだ。

「綾瀬さんって可愛いですね」
「な、な、なっ!? お、お世辞上手いねー。あはは……」
「本心です」
「そ、そうですか」

 動揺してはいけない。私をおだてて油断させる気だ……そうに決まっているのにただでさえ言われ慣れていない言葉を顔の綺麗な男の子に言われて心臓がもつわけがなかった。

「とっ、時谷くんのお家って超綺麗。この花壇とか最高っす。こんな立派な向日葵見たことない! まじ時谷くんそっくり! 真っ直ぐな背丈のイケメン! って感じでー……それからぁ」

 私も負けじと褒め称えようとして思いつく限りの言葉を並べ立てたが……それ以上はやめておくことにした。時谷くんが明らかにきょとんとした顔で私を見ていることに気付いてしまったから。
 今日という日はこうして幸先の悪い幕開けとなった――


 新品らしきスリッパを借りて入ったリビングは前回来た日よりエアコンの設定温度を下げているのか涼しかった。暑苦しい格好の私にはありがたい。
 よく整理されたチェストの上に以前はなかった大きな向日葵の切り花が飾られている。
 庭に咲いていた向日葵だろうか。モノトーンで統一されたシンプルな部屋に鮮やかな黄色が映えていた。
 向日葵は私の一番好きな花だ。張り詰めていた心が少し癒されるのを感じながら、私は持ってきた箱を時谷くんに手渡す。

「時谷くん、チーズケーキ作ってきたの。後で食べよう」
「僕のために!? あ、ありがとうございます! 箱まで大切にしますね」
「う、うん」

 その食いつきっぷりに圧倒される。特別お洒落な箱ではないから大切に取っておいても使い道はないと思うが、まあいい。
 良い感じに時谷くんの機嫌を取れた。

「飲み物を持って来ますね」
「私も手伝うよ」
「いえ、綾瀬さんはお客さんなので……くつろいで待っていてください」

 お客さん……か。確かにそうかもしれないけど、初めて時谷くんの家に来た日と変わらない丁重な扱いに戸惑ってしまう。
 なんか、よくわからないが平穏な一日になりそうだな……なんて油断しそうになる頭を引き締めなくてはならない。
 私はソファーに座って早速問題を解き始める。自主的に課題に取り組む姿勢を見せたらきっと好印象だろう。

「お待たせしました。どれにしますか?」

 机の上にはミルクティー、ココア、グレープフルーツジュース、オレンジジュースが並んでいた。

「あ、メロンソーダがいいですか?」

 ここは喫茶店かなにかなの? にこにこしながら飲み物を勧めてくるから正直怖い。
 しかも机に並んだ飲み物は私の好きなものばかりだ。前に作ってくれた手料理といい、時谷くんと私は味覚が合うんだろう。

「じゃあミルクティーで」
「ミルクティーですね」

 相変わらず上機嫌な時谷くんからグラスを受け取るために手を伸ばす。けれど、私は初めて来た時とは比べものにならないくらい緊張していた。
 何しろ時谷くんの機嫌を損ねないようにしなければならない。粗相のないように落ち着いた振る舞いを心掛けるのだ。
 そうやってぎこちなくグラスに伸ばした私の手が時谷くんの指先に軽く触れる。
 思いがけない皮膚接触。驚いた私はとっさにその手を振り払った。

 時谷くんの手を離れたグラスは真っ白なラグに落ちて、そこからじわじわとミルクティー色の染みを広げていく。

「きゃああ!」

 "一寸先は闇"という言葉が頭を過ぎる。

「ごめんなさいごめんなさい。わざとじゃないんです。許してください」

 どうか殺さないで……!!

「大丈夫ですよ。そんなに気にしないでください。これくらいすぐ落ちます」

 土下座でもしそうな勢いで謝り倒すが、時谷くんは汚れた箇所を拭きながら優しい声音で言ってくれる。

 怒ってない、の……?
 時谷くんの恐ろしい一面は一昨日の部室での出来事と、昨日写真で脅された一件から身をもって知っている。
 普段穏やかな彼は怒らせたらいけないタイプだ。笑顔の裏に何かあるんじゃないかと不安になってしまう。

「課題を始めますか。あ、もう始めてたんですね」
「……うん。また数学教えてくれる?」
「はい。喜んで!」

 私の心配をよそに時谷くんは嬉しそうに頷いた。





 課題は量があり、思ったよりめんどくさいものも多い。わからない問題があればすぐに教えてもらえるから躓くことなく進むけれど、私の腹時計はお昼どきだと告げている。
 気が緩む時間帯だった。

「あ、あのー……時谷くんも半分手伝ってくれませんかね。それか、答え写させて」
「それは駄目です。綾瀬さんのためになりません」
「でも明日までなんだよ。間に合わないかも」
「今日一日真面目に取り組めば間に合います。大体――」

 私の言い訳をぴしゃりとたしなめて時谷くんは不機嫌そうな顔でこちらを見る。
 ああ……これは不穏な空気だ。

「大体何で課題に手をつけなかったんですか? どうせ綾瀬さんのことだから毎日遊んでたんでしょう」
「そ、そんなことないもん」

 ゆかりんが家に来てくれた日以外は遊んだりしていない。時谷くんを傷付けてしまったことが気がかりで他に何も考えられなかった、なんて言えるわけもないけれど。

「小学生じゃあるまいし、遊んでばかりいないでもっと有意義な休暇を過ごしたらどうですか?」
「何それ。なら時谷くんは有意義な休暇とやらを過ごしてたの? 海外にでも行って遊んでたんじゃないの」
「……海外? まあ、海外で過ごすのは有意義かもしれませんね。どうでもいい人とどうでもいいことをして毎日遊んでるよりは」
「だから毎日なんて遊んでない! ゆかりんと三回会っただけだよ!」

 時谷くんが嫌味ったらしいから私も段々イライラしてきて声を張り上げる。
 そもそも課題を半分やってほしいなんて怠惰なことを言わなければこんな争いは生まれなかったであろうことは棚に上げて、だ。

「……三回も会っていたんですね。僕とは一度も会ってくれなかったのに」
「し、仕方ないんだよ。私にだって事情が……っ」

 言いかけた言葉を慌てて飲み込む。私と黒崎さんとの約束は一応継続中だったんだ。

「事情というのは?」
「別に。時谷くんには関係ないことだよ」
「そうですか……」

 無視していたのには事情があったと言い訳したところでもう遅い。私は今更和解したいと思わないし、時谷くんも嫌だと思う。
 今日上手く隙をついて写真を消し、時谷くんと縁を切る。そうすれば私と黒崎さんとの約束はずっと守られ、時谷くんはいじめられないし秘密もばらされずに済む。
 時谷くんはまた一人ぼっちになってしまうと思うけれど……そんなこと気にするもんか。

 とにかく今は時谷くんの機嫌を直すのが最優先事項だ。
 私が怠けようとしたのが悪いからこればっかりは素直に謝るしかない。飲み物をこぼした時も許してくれたからきっと大丈夫だ。

「時谷く――」

 ぐぅー……謝ろうと口を開いたのと同時に私の間抜けな腹の虫が鳴いた。
 リビングは静まり返る。

「…………」
「…………」

 なんて気まずいんだろう。時谷くんはちらちらとこちらを見て、私と目が合うと慌てて逸らすことを繰り返している。
 ……辛い。辛過ぎる。地獄のような時間だ。心が折れたのでもうお家に帰らせてもらってもよろしいでしょうか。

「あ、あの……僕、お腹が空いてきました。綾瀬さんさえよければお昼にしませんか?」
「あ、あー……もう十二時過ぎだったんだね。お昼にしよう」
「は、はい。ダイニングに行きましょうか」

 どうしたらこれ以上私に恥をかかせないか考えた結果の言葉なのだろう。不自然な時谷くんの声色には"気を使ってます感"が滲み出ているから、もう泣きたかった。
 でも、ありがたい提案だ。早く何か食べないとまたお腹が自己主張してきそうで怖い。


 時谷くんは今回も朝からお昼ご飯の準備をしてくれていた。偶然にも大好物の料理ばかりで美味しくいただいた。

「ねぇ、さっきは本当にごめんね」

 持ってきたケーキを自ら切り分けながらそっと謝罪をする。
 時谷くんは親切に課題を見てくれていたのに申し訳なかったと思う。そもそも時谷くんの家に来たくなかった、という思いを今は置いておくとして。

「き、気にしないでください。正直とても……可愛らしかったです……」

 時谷くんはほんのり頬を染めている。その反応も言葉も意味がわからなかった。

「えと、可愛いっていうのは……?」
「ぐぅーって……そういう音まで可愛いことを知って感動しました。得をした気分です」

 だから気にしないでくださいね、と微笑む時谷くんからは裏を一切感じない。
 もしかして……いや、もしかしなくてもお腹の音について言ってらっしゃる?
 忘れてほしいのに時谷くんの記憶に強く刻まれてしまったらしい………ああ、家に帰りたい。

「いただきます」

 そんな会話の間に均等に切り分け終わったケーキを時谷くんが口に運ぶ。
 チーズケーキを選んだのは初心者でも作れそうな簡単なレシピを見つけたからだ。見た目は悪くないけれど味はどうなのか、期待しながら時谷くんの反応を待った。

「美味しい! 幸せです」

 時谷くんは一口ごとに美味しいとか幸せだとか言ってくれるから純粋に嬉しくなる。

「あれ……時谷くん、コーヒー飲んでるの?」
「はい、そうです」
「すごい濃そうな色だね。もしかしてブラック?」

 時谷くんが不思議そうな顔をしながら頷く。ブラックコーヒーを飲んでるんだ。
 時谷くんは甘いのも苦いのも好きなんだろうか。勝手に食べ物の趣味が合うと思っていたけど違う物もあったようだ。

「へぇ。大人だね。私は甘いコーヒーしか飲めないや」
「あ……いえ! 僕も綾瀬さんと同じですよ。ガムシロを切らしてたから仕方なくブラックで飲んでるだけです! あっ、そろそろ勉強を再開しましょうか」
「う、うん。そうだね」

 時谷くんはなんだかごまかすようにスマホで時間を確認し、お皿を片付け始めた。
 ……そうだ。和やかにケーキを食べてる場合じゃなかった。
 時谷くんのスマホの中に隠し撮りされた写真があって、私は脅されている。その写真を消さなくては。
 ここにいる理由を思い出した私は、時谷くんのスマホが彼の黒いパンツの右ポケットの中に消えたのをしっかりと見届けた。
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