Keep a secret
□感じてたよね
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「時谷くん。もう遅いし帰ったら?」
「こら! そんな失礼な態度取ったら駄目でしょ!」
今は正直、時谷くんにどう接したらいいかわからなかった。そっけなく言い放つと、お母さんに頭を軽く小突かれる。
「薫くん、ごめんなさいね。この子寝起きが悪いのよ」
「いえ、気にしてませんので。お母様」
「薫くん!? お母様ぁ!?」
二人の会話に驚いてしまって私の口からは間抜けな声が出た。
「七花うるさいわよ」
「綾瀬さん元気ですね」
二人とも若干呆れたような顔で私を見るけど、何なの。そんな親しげな呼び方をしあって。初対面のはずなのに距離が縮まるの早くないかな。
「ちゃんと薫くんにお礼を言いなさい。倒れたあなたを運んでくれたんだからね」
「え……」
「綾瀬さん、下校中に貧血で倒れたんですよ」
貧血……そうか、そういう話にしてあるんだ。今日の出来事をお母さんに知られたくはないから私もその嘘に乗っかろう。
「あ、そうそう。なんか気分悪くて。時谷くん、ありが……」
お礼を口にしかけて気が変わった。私が倒れたのは時谷くんのしたことが原因なのに嘘でもお礼を言うのはしゃくだったのだ。
「さっ、お腹空いたんでしょ? ご飯にしましょう」
「うん」
喜んで頷いたものの、テーブルには三人分の料理が並べられている。
私はお母さんと二人暮らしなのに、だ。
「……何で時谷くんも一緒に食べる流れなのでしょうか」
「だからその態度は何なの! 薫くんはご飯を作るの手伝ってくれたんだからね」
私があからさまな不満を漏らすと、お母さんは再び、さっきよりも強く小突いてきた。
何も知らないお母さんからしたら時谷くんが良い人に見えるかもしれないけど、私にはこの状況がどうしても納得できない。
……だって、つい数時間前にあんなことがあったばかりだ。
「ごめんなさい……僕、帰りますね」
「そんな……七花ちゃん?」
「っ!」
私を睨みつける母に血の気が引く。滅多に見せない母の鬼のような形相を前にしたらこう言うしかなかった――
「待って時谷くん! た、食べていきなよ」
「それで七花ってば、サンドイッチはやだ。焼きそばパンをお弁当に入れてーって泣いたのよ」
「ふふっ、綾瀬さんは子供の頃から焼きそばパンが好きだったんですね」
お母さんと時谷くんは幼少時代の私のしょうもない話に花を咲かせている。私を除いて和やかな食卓だ。
何なのだろうか。私はあの時、時谷くんを怖いと思ったし、次に会うのが不安でもあったのに、時谷くんは何も無かったみたいにいつも通りだ。その態度には違和感を覚えずにはいられない。
「七花! ピーマンも食べなさい」
「あー……はいはい」
「ハイは一回!」
「わかったから。時谷くん……ご飯食べたら二人で話そう」
「わかりました」
「いいわねー。青春ねー」
お母さんは私と時谷くんの顔を交互に見比べてにやけているが、変な勘違いはやめてもらいたい。居心地の悪さを感じながら、残していたピーマンをまとめて口に含む。
やっぱり苦い。思わず顔をしかめた私を時谷くんが小さく笑った。
▽
「聞きたいことがあるの」
「っ、ごめんなさい……っ」
「えっ」
お母さんには席を外してもらい、二人きりになったリビング――
時谷くんからの突然の謝罪に面食らう。
「僕……綾瀬さんに酷いことをしてしまいました……あの時、体を乗っ取られたような感覚で、どうしても止められなかったんです。ごめんなさい。ごめんなさい……! 僕は本当に何てことを……っ」
「時谷くん……」
時谷くんは目に涙を浮かべ、なんとか声を振り絞っている。
もしかしたら私のお母さんの前だから普通にしようと努めていただけで、時谷くんも本当は辛かったのかもしれない。
震えながら怯えたように謝罪する目の前の彼のことなら私は知っている。さっきまで感じていた違和感がすうっと消えていく。
「……あの後って最後までしたの?」
「していません。綾瀬さんが意識を失ったのを見て、取り返しのつかないことをしていると気付けました。許してください……綾瀬さん……」
「そ、う」
知るのが恐ろしかった問いに救いのある答えが返ってきて、一先ずほっとする。
「さっきはごめんね。嫌な態度をとって。でも……あの時すごく怖かったから……」
怖かったけれど、時谷くんは変な薬を盛られていた。時谷くんが悪いわけじゃない。
そもそもの元凶は黒崎さん達であり、帰るように言われたのに時谷くんの家へ無断で入っていったのは私だ。
私にも落ち度があるのだからこれ以上彼を責めるのは違うのかもしれない。
「もう、あんなことしないでね」
「はい……っ、はい!」
時谷くんは涙ぐみながら何度も頷く。
「……でも綾瀬さん、」
――感じてたよね。
「え?……今なにか」
「何でもありません」
小さな小さな呟きを聞き逃してしまったような気がした。首を傾げた私に時谷くんはいつも通りの優しい笑みを向けた。
「お邪魔しました。また明日学校で」
「うん……」
時谷くんを玄関で見送りながら、私は憂鬱だった。
明日黒崎さん達と顔を合わせたらどうしよう。何か、されるかもしれない……。
時谷くんはずっとこんな不安な気持ちで学校に来ていたのかな。一人ぼっちで心細かっただろうな。
「時谷くんは学校が怖くないの?」
自分の家へと歩き始めた時谷くんの背中に問いかける。
「……僕は学校が好きです。学校に行けば綾瀬さんに会えるから」
時谷くんは少しの沈黙の後、静かにそう答えた。
「綾瀬さんは言ってくれましたね。そばにいるって」
「うん……」
「僕もずっと綾瀬さんのそばにいたい」
「っ!」
その言葉はまるで告白のようで。自分の頬に熱が集まっていくのがわかる。
「あ、あの……こちらこそそばにいてください。お願いします」
「なんだか告白みたいですね」
「えっ!? や、あの、まっ」
「ふふっ、冗談ですよ?」
彼はもしや心が読めるのだろうか?
動揺し、意味のわからない言葉を口走る私を悪戯っぽく笑ってから、時谷くんは帰っていった。
また明日、か。あと一週間乗り切れば夏休みだ。時谷くんの言葉のおかげでさっきよりいくらか気持ちは軽くなっていた。
▽
三時限目の休み時間、私はトイレを済ませて一人で廊下を歩いていた。
私と時谷くんは二年一組。教室は三階にあって、黒崎さんと取り巻きの女子達は七組で二階。一番離れた位置に教室があるため、今のところ彼女達とは遭遇していない。
そう、偶然会うことはあまりないはずだ。
「綾瀬、ちょっといい?」
「黒崎さん……」
――会おうと思えばすぐに見つけ出せる、所詮はその程度の距離だけど。
「い、急いでるから」
「昼休みに第三運動場にあるソフト部の部室まで必ず来て。話があるからさ!」
慌てて向けた背中に黒崎さんの声がかかる。返事をすることなくそのまま自分の教室へと逃げ込んだ。
指定された場所は一昨日黒崎さん達が時谷くんに酷いことをしていた場所だ。私は一体何をされるのだろう。話ってなに……?
「あっ、七花おかえり!……あれ。どうしたの青い顔して?」
「ううん。何でもないよ」
ゆかりんは私の変化にいち早く気付いてくれる。心配させないよう笑って見せたが、頭の中では悪い想像ばかりが膨らんでいった。
「綾瀬さん、一緒に購買行きませんか?」
「ごめんね。今日は友達と先に約束してるんだ」
昼休み、早々に誘いに来てくれた時谷くんに嘘をついた。
一人で行くのは怖い。けど、何か酷いことをされると決まったわけじゃない。時谷くんにはまだ黙っておこうと思った。
「とも、だち。誰ですか。いつも一緒にいる人ですか」
「ゆかりんのこと? ゆかりんなら彼氏とご飯だよ。今日は違うクラスの人なの」
「友達……多いですよね」
「そう、かな?」
「……僕はこれで」
隠しきれない不機嫌オーラをまといながら時谷くんはそのまま行ってしまった。
自分ではそこまで友達の数が多いとは思わないが良くない返答だったのかもしれない。それとも嘘をついていることがバレた……?
軽くため息をついてから私も教室を出た。
部室に先に来ていた黒崎さんはお昼ごはんの真っ最中だった。コンビニのおにぎりやらサラダやらを広げてくつろいでいる。
見たところ彼女一人らしい。少し緊張が緩むけれど、それでもすぐに逃げ出せるように入口から離れる気はない。
「警戒してんねー。今はほんとに話がしたくて呼んだだけだって。綾瀬は昼飯どうすんの?」
「そんなこといいから……話ってなに?」
「んー、昨日あんたが気を失った後ねー、時谷が言ってきたんだよね」
昨日の話……怖いけど時谷くんからは聞いていないから興味がある。
「綾瀬には今後一切手を出さないでほしいって。あたしに指図するなんてどういうつもりなわけ? あいつ自分の立場をわかってないんだよ。それでね、良いこと思いついたんだー。ご主人様に逆らう奴隷には制裁を加えてやろうって!」
「っ!」
背筋が凍る。黒崎さんはヘラヘラしながら話すが目は笑っていない。この人、時谷くんのことを奴隷だなんて思っていたのか。
時谷くんは私がこれ以上巻き込まれないように気遣ってくれたんだろうが、黒崎さんの逆麟に触れてしまったらしい。
「だーかーらー! これからお前は時谷と一緒にいるの禁止な。喋るのも駄目だから」
「な、何で? そんなの嫌だよ!」
「えー、断るの? 時谷にはどうしてもどうしても隠したい秘密がある。あたしはそれを知ってるっていうのに」
「秘密……?」
「そう。綾瀬があたしの言うことを聞いてくれないなら時谷の秘密を学校中にばらす。あ、ネットで拡散するのも有りかぁ。あのことがみんなに知られたら、あいつまた学校に来なくなっちゃうかもしれないね?」
どこまで最低な人なんだろう。
時谷くんの"秘密"というのがなんなのか、私は知らない。けど、私を従わせるためにでまかせを言っているわけではない……気がする。
時谷くんはいつも黒崎さんに抵抗することなく大人しく従っていた。何をされても守りたい秘密があったからだ。
「あんたが時谷への制裁に協力してくれるって言うならさ、もうあたし達があいつに手出しするのやめるよ」
「それって、その……時谷くんにび、媚薬飲ませたり、エ、エッチなこととかもしないってこと?」
「もちろんしない。ぶっちゃけ性欲処理に使える相手ならいくらでもいるからねー。あ、でもこの件を時谷に話すのもアウトだから。こっそり話そうなんて思うなよ? あたしは顔が広いからさ。少しでもおかしな態度を取ったらすぐにばらまいちゃうからねー?」
「…………」
黒崎さんの言葉を信じるなら、私が時谷くんから離れれば時谷くんの秘密は守られるし、今後いじめの被害にもあわずに済むということだろうか。
でも、また時谷くんを一人にするの?
そばにいるよって言ったのに。そばにいたいって言ってくれたのに……?
「まっ、嫌ならいいよ。あたしから時谷に制裁加えておくね。あんた達はずっと仲良しごっこしてなよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
このままじゃ時谷くんの秘密……というものが酷い形で公表されることになる。時谷くんはそうならないようにいじめに耐え、我慢し続けてきたのに、全て無駄になってしまう。
「わ、わかった。時谷くんの秘密を言わない、時谷くんに何もしないって本当に約束してくれる?」
「うん。約束する。だって時谷はあたしが痛めつけてやるより綾瀬に無視された方が面白い反応しそうなんだもん」
「……黒崎さん、約束破ったら許さないから」
「うん。それはこっちの台詞」
黒崎さんがもう一度確かに頷いたのを見て、その場を後にした。
許せない。全てが許せない……人の弱みにつけこんでこんな約束をさせる黒崎さんも、それを受け入れることしかできない自分も。
ここに来る前より気分はずっと重い。悔しくて苦しくて、何よりも時谷くんに会うのが怖かった。