Keep a secret

□友達になろう
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(もー下手だな)
(そんなんじゃ終わんないよ)
(何で萎えてんだよ)
(お前は顔しか取り柄がないんだからちゃんとご奉仕してよね)

 覗き込んだドアの隙間――
 そこには、私が想像もしていない光景が広がっていた。
 床の上で仰向けに倒れた時谷くんは苦しそうに手足をばたつかせ、抵抗の意思を示している。
 そんな時谷くんの下半身に女子が一人馬乗りになっていて、黒崎さんは時谷くんの顔の上に腰を下ろしていた。

 な、に? 殴られてるわけじゃない。何をしているの?
 理解が追いつかない。混乱する頭で、黒崎さんが腰を浮かせた一瞬に時谷くんと目が合った――気がした。

「い、嫌……」

(外で声しなかった?)
(そ、かな。ん、はぁ……っ)

 甘い響きを含んだ声だ。彼女達が何をしているのか気付いてしまった。
 嫌だ、嫌だ嫌だ……! こんなの聞きたくない。見たくないよ!
 私は堪えられなくなって……助けにきたはずの時谷くんに背を向けて逃げ出した。

 そのまま一度も立ち止まることなく自宅に駆け込んで、後ろ手に鍵を閉める。

「はっはっはぁっ……」

 息が苦しい。脇腹が痛い。涙が止まらない。どうして、どうして私は逃げてきてしまったの……!
 とめどなく襲ってくる自己嫌悪と罪悪感に息もできない。私は玄関にしゃがんだまま泣き続けた。


――翌日。早い時間に家を出た。
 これからは遅めの時間に登校すると言っていた時谷くんと鉢合わせないためだ。今の私は時谷くんに合わせる顔がない。
 なんとか目を逸らしながら時谷くんの家の前を足早に通り過ぎる。

「綾瀬さん、おはようございます!」
「っ」

 しかし、ふいに後ろから明るく声をかけられて返事に困ってしまう。

「今日は早いんですね。僕も今日は早く行こうと思って家を出たんです。偶然ですね」
「そ、そう」

 前にもこんなことがあったな……時谷くんと仲良くなってからというもの、登下校の時間が被る日が急に増えた。以前は全く被らなかったから少し不思議だ。

「良い天気ですね」
「あ、ああ、うん……」
「そうだ。昨日出た数学のプリント忘れてませんか? 結構難しかったですよね」

 怖くて時谷くんの顔を見れない。もっと自然にしなければと思うのに、罪悪感から来る胸の苦しさを取り繕えそうになかった。
 明らかにおかしな態度を取っているであろう私に対して、時谷くんは普段通りだった。
 私の不自然さに気付いていないのだろうか。やっと顔を上げ、何気ない話を楽しそうにしている時谷くんの横顔を見つめながらどうしようもない罪の意識に苛まれる。

 昨日時谷くんが受けていたのは強要された無理矢理な行為だったはず。私は友達がそんなひどい目にあっている場面を目撃しながら見捨てて逃げたんだ。
 涙が溢れそうになるのを必死でこらえ「難しかったね」と相槌を打った。昨日のことがバレませんようにと狡いことを考えながら。

「ねぇ、綾瀬さん。僕は今日も放課後に用事があるんです」
「え……?」

 話の流れを無視した唐突な言葉に、心臓を握りつぶされたような息苦しさを感じる。

「だから、綾瀬さんは先に帰っていてくださいね」

 昨日……時谷くんと目が合った気がした。
 あれがもし勘違いでなかったとしたら時谷くんは私が覗いていたことに気付いていて、今日はついて来ないようにと釘を刺してきたんじゃないか……?
 そうと決まったわけじゃない。だけど、時谷くんに心の全てを見透かされてしまっているような気がして怖くなった。

「もうすぐ夏休みですね。よかったら休み中にどこか出掛けませんか? 高校生になってから友達と遊びに出掛けたことなくて……だから今年は楽しい思い出を作りたいんです」

 何の返答もできずにいると時谷くんが新たな話題を切り出した。
 昨日の今日でどういうつもりだろう。恐る恐る時谷くんを見つめると、彼の綺麗な顔にふわりと笑顔の花が咲く。その優しい笑みからは昨日逃げ出した私を軽蔑するような負の感情は見受けられない。

 その後も申し訳なさと気まずさからあまり上手に喋れなかったけれど、時谷くんは終始楽しそうだった。





 憂鬱な放課後――
 時谷くんは私に別れの挨拶を済ませるとさっさと教室を出て行ったからもういない。
 恐らく時谷くんの用事というのは昨日と同じで黒崎さん達からの呼び出しだろう。
 またあの部室で昨日みたいなことをするのだろうか。忘れたいと思っても昨日の光景は目に焼き付いている。簡単には消えてくれそうもなかった。

 うじうじと悩みながら自宅前にたどり着いたタイミングで、遠くの方から耳覚えのある声が聞こえてきた。
 なんて間の悪い。あと一分早く家に着いていれば私はそのまま何事もなく今日を終え、普段と変わらない明日を迎えたのだろう。
 でも、確かに聞こえてしまった。無視することなんてできない。声の聞こえた時谷くんの家の方へすぐさま視線を向ける。
 昨日と同じメンバーと時谷くんが見えた。

(時谷の家はまじでいろいろ揃ってるからねー)
(もらっていこうっと)
(仕方ないから彼氏と使う前に時谷で試すかー)

 けだるげに歩きながら何か話している黒崎さん達の後ろを、俯いた時谷くんが大人しくついていく。
 ここからでは時谷くんの表情を窺い知ることはできない。でも、どんな顔をしているか想像がついた。胸が締め付けられる。

 一同が消えていった時谷くんの家の前に慌てて走る。前に時谷くんの家に来た時とは違い、躊躇なくインターホンを押す。
 すぐに時谷くんがインターホン越しに応答してくれた。

「綾瀬さんどうかしましたか?」
「黒崎さん達が来てるんでしょ? 私、心配で……!」
「……何もないですよ……ごめんなさい。また明日」
「っ、時谷くん!」

 ブツッという音と共に音声が途切れる。もう一度インターホンを鳴らしてみるがもう反応は返ってこない。
 このまま帰ったとしても時谷くんは明日会った時には普段通りに接してくれるだろう。
 でも、本当にそれでいいの……?
 その場で立ち尽くしながら、一年生の頃の記憶が頭に浮かぶ。


――時谷くんは高校に入学してすぐにいじめの標的になったらしい。
 一学期がまだ半分も過ぎていない五月の初旬にはもう学校に来なくなった。

 違うクラスだったため時谷くんのことは何も知らなかったが、私は毎日時谷くんの家にプリントを届けに行っていた。
 熱心な担任だったらしく、その日の授業内容をまとめたプリントが毎日用意されていたのだ。

 これは本当なら時谷くんと同じクラスの男子の役割だったのだが……その男子に頼まれ、先生には内緒でしていたことだった。
 私は毎日時谷くんの家の前を通って帰る。プリントをポストに入れるくらいのことは負担ではなかったから請け負ったのだ。

 時谷くんのことは顔も知らなかったけど、単純に心配もしていた。
 このまま不登校が続いたら出席日数が足りなくなる。時谷くんは二学期も学校に来ないつもりだろうか。こんなに近所に住んでいるのに顔も知らないまま、彼は学校をやめてしまうかもしれない。
 だから私はプリントと一緒に、走り書きしたメモをポストに入れた。

 八月二十日、夏休み中の登校日だった。

『そろそろ学校に来ない? 学校に来たら友達になろう』

 たったそれだけの文。誰からか名前も書かず、ほんの軽い気持ちで――

 夏休み明け、時谷くんが登校していると知った時は驚いたし、嬉しかった。
 でも私は、"友達になろう"メモに書いた言葉を実行に移すことができなかった。
 先生はプリントを届けているのは同じクラスの男子だと思っている。時谷くんも私の存在を知る由はない。だからメモの差出人はその男子だと思ったはずだ。

 放課後の校舎裏で時谷くんと初めて目が合った瞬間、放っておけなくなったのはこの過去も大きく関係している。
 あのメモは私の頭の片隅に小さな棘が刺さっているみたいに常に存在していた。
 そして、学校で一人ぼっちの時谷くんを見かける度に思い出すように痛んだ。

 きっかけは違ったけれど、一年越しにやっと時谷くんと友達になれたのだ。
 これからも彼と友達でいたいなら、このまま帰るなんてしたらいけない。

「……よし」

 改めて決意を固めて、時谷くんの家のドアノブを握る。幸い、と言っていいのか無施錠だったらしい扉は簡単に開いた。

「時谷くん?……綾瀬です。私やっぱり心配で……」

 時谷くんの家は不気味に静まり返っている。室内に向かって呼びかけてみるも反応は返ってこない。
 ……ひどく胸騒ぎがする。招かれていない彼の家に、私は足を踏み入れた。
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