Keep a secret

□デートだから
1ページ/1ページ

 先に学校へ到着したのは私だった。そこから結構な時間、昇降口で時谷くんを待たなければならなかった。

「ごめんなさい。ジュース奢りますね」
「いや、いいよ! あの時はノリで言っただけだからさ」
「そ、そんな……っ今後綾瀬さんのジュースと焼きそばパンを買う役目は僕が責任もって引き受けます!」
「ジュースに焼きそばパン……?」
「僕に任せてください」

 神妙な面持ちで両手を握ってくるが、そんな積極的にパシリのような役割を買って出られても困ってしまう。

「僕と綾瀬さんの仲ですから遠慮は無用です。後で職員室の前に迎えに行きますね。それでは」
「あっ……い、行ってらっしゃい?」

 時谷くんは少し誇らしげに言い残し、小走りで行ってしまった。
 私はぽかんと口を開けるしかない。失礼だけど彼は過去の経験からパシられ癖が付いているのかもしれないな。


 職員室――
 課題を提出したらすぐ帰れると思っていた私の考えは甘かったらしい。

「綾瀬は夏休みだからってたるみすぎだ! いいか? 長期の休みっていうのは他の頑張ってる生徒と差がつきやすいんだ――」
「はい。はい。すみませんでした。反省してます……」

 私はかれこれ三十分以上立ちっぱなしで担任からの熱血指導を受けている。
 適当に相槌を打ちながら時谷くんのことを考えていた。
 今頃時谷くんも「遅いな」と思いながら職員室の前で待ちぼうけしてるのかな。
 学校を出たらどこに行くんだろう。また時谷くんの家で昨日みたいなことを……?

「次の登校日は遅れないように計画的に課題を進めるんだぞ!」
「はい。頑張ります」
「……うむ。行ってよし」

 ようやく解放されたが職員室前の廊下に時谷くんの姿はなかった。
 もしかしたら時間を潰すために図書室にでも行ったのかもしれない。
 目的地を図書室に定めて歩き始めると前方から誰かが談笑しながらこちらに向かってくるのが見えた。

 特に気にせず進もうとした私の腕を横から時谷くんが掴んだ。

「ひゃっ!?」

 真横の昇降口まで引っ張られて廊下からは見えない下駄箱の隅に座らされる。
 探す手間が省けたけど……時谷くんは私の隣で同じく身を屈めながら廊下の様子を窺っている。明らかに不審な行動だった。

「どうかしたの?」
「しー……」

 私の唇を時谷くんの人差し指が押さえる。
 何やら喋るとまずいようだ。わかったという意思表示でこくりと頷いた。
 そのまま時谷くんから炭酸ジュースのペットボトルが差し出される。
 担任に長いこと捕まっていたから喉はカラカラだった。"ありがとう"と口パクすると時谷くんはまた廊下を覗き始めた。

 何をそんなに必死で見てるんだろう?
 視線の先の廊下ではダンボールを抱えた白衣姿の男性と女子生徒が、保健室と近くの教室を行ったり来たりしているようだ。教材でも運んでいるんだろう。

 私はもっとしっかり見ようと時谷くんの背中に密着するように身を乗り出した。
 驚いて振り返る時谷くんには構わずにベストポジションから覗く。

「黒崎さん……?」

 私の小声に時谷くんが頷いた。もう一人は養護教諭の若野真澄(もしの ますみ)先生だ。
 先生の手伝いをするなんて私の中の黒崎さんのイメージと違うな。若野先生はイケメンだって女子生徒から人気だから黒崎さんも猫被りしてるのかな。
 特に面白い光景でもなかったから時谷くんから離れる。けれど時谷くんは黒崎さん達を見続けていた。
 何がそんなに気になるんだろうか。


「出て来ませんね」

 しばらくの間観察を続けていた時谷くんが小さな声で呟く。二人が保健室に入ってから出て来ないらしい。

「若野先生にお茶でも出してもらってお話してるんじゃない?」
「ちょっと見て来ます」
「えっ、まずいよ」

 時谷くんはさっきまでの慎重さが嘘みたいな行動を見せた。保健室の扉の前にしゃがんで聞き耳を立て始める。
 大胆にもほどがある。扉を開けられたらどうするつもりなんだ。

 思えばこの状況は危険なんじゃないか。
 私と黒崎さんの約束は今も続いているはずだ。それを破って一緒にいる場面を見られたら時谷くんの秘密は守られない。
 昨日時谷くんはもう秘密を流されても構わないと言っていたけど、本心だろうか。
 今まで黒崎さんに従ってでも隠し通そうとしてきた秘密だ。できれば守りたいんじゃないかな。

「ね、ねぇ、もう行こうよ」
「気になることがあるんです」

 時谷くんは私の提案を受け入れないばかりか、こっちに来て私も聞け、というように手招きするのだ。
 悪趣味だなあ、と思いつつも扉に耳を当てる。
 変だな。何も聞こえない。

「聞こえないでしょう? 不自然ですよ」
「うーん……」

 確かに雑談をしてるなら声が聞こえてもいい。もしかしたら黒崎さんはベッドを借りて寝ているとか?
 そもそも黒崎さんは何で学校に来ているんだろう。部活には入ってなかったと思うんだけどな。

「ま、まあ、黒崎さんのことなんてどうでもよくない? 早く行こうよ」
「いえ。僕はただ……黒崎さんが気になるんです」
「え……」

 まるで黒崎さんのことが好きみたいな……
 時谷くんは目をつぶり、耳に全神経を集中させているが、普通そこまでする?

「っ、駄目だよ。黒崎さんには彼氏がいるじゃん!」

 つい大きな声が出た。慌てて自分の手で口を塞ぐ。
 何をムキになってるんだ私は……。

「綾瀬さんは黒崎さんの恋人を見たことがありますか? 僕はないです。誰と付き合ってるか噂も聞いたことがない」
「私も知らないけど……他校の男子とか? 大学生もありえるかも? 黒崎さんって黙ってれば大人びた美人だし、きっとお似合いの超イケメンだよ!」

 何で黒崎さんの彼氏のことを気にするの。まさか本当に好き、なの?
 酷いことをされているのに嫌いになりきれない。好きかもしれないと思い悩んでしまう。
 どっかの誰かさんみたいな感情を時谷くんが黒崎さんに抱いているとしたら……

 ガララ――

 そんな嫌なことを考えていたら、突然扉が開いた。

「え?」
「「あ……」」

 恐れていた事態が起こってしまった。
 失礼ながら黒崎さんは般若……という表現が相応しい表情で私達を見下ろしている。
 その凄まじい威圧感に萎縮しているのは意外にも私だけだった。
 横で一緒に驚いていた時谷くんはすぐに立ち上がり、真っ正面から睨み返す。黒崎さんに引けを取らない迫力だ。

「「…………」」

 時谷くんと黒崎さんは私にはわからない二人だけの会話方法でもあるのか、と疑問に思うくらいじっと睨みあって互いに譲らない。
 時谷くんは今まで黒崎さんにされるがままだったはずなのにいきなりこんな反抗的な態度を取っていいんだろうか。

「あのー……ぐ、偶然だねー黒崎さん。それに、時谷くんも……」

 これでも知恵を振り絞った結果なのだが苦しい言い訳だ。
 時谷くんとも今ここで偶然会ったかのように振る舞うのはさすがに無理があった。
 その証拠に黒崎さんはゴミでも見るような目で私を見下ろしているし、時谷くんも苦笑している。
 もう二人に割って入らない。心に誓う。

「何で昨日電話かけ直してこなかったわけ?」
「昨日は特別な日だったから」
「はあ? 何なのその態度は!」

 尚も鬼のような顔をした黒崎さんと仏頂面の時谷くんが対峙している。
 昨日の電話って時谷くんが出なかった二回目の電話のこと? あの電話がきっかけで私はハーブティーをぶっかけられたんですが。

「で、何で扉の前にいたの?」
「黒崎さんこそどうして学校にいるの?」
「時谷……っ、お前には関係ないだろ!!」

 時谷くん、これ以上はやばいって。いよいよ黒崎さんの堪忍袋の緒も限界だ。
 黒崎さんが時谷くんに掴み掛かる寸前、

「どうかしましたか?」

 保健室の奥から穏やかな声が飛んできた。

「先生! な、何でもないです……」

 黒崎さんは慌てて時谷くんから離れて、大股開きの脚をさっと閉じる。
 他の先生の前でも堂々と問題児をやってる黒崎さんが若野先生の前だと猫被りなんだな。これがイケメンの力ってやつ。

 若野先生は私達の前まで来るとゆったりとした笑顔を向ける。
 確かにちょっとかっこいいかもしれない。みんなが言っている大人の色気を感じる。

「立てますか?」
「ありが……っ!……じ、自分で立てます!」

 唯一座ったままの私に手を差し出してくれる、その親切は大変ありがたいけれどお断りしないわけにはいかなかった。
 若野先生の手を取ろうとした瞬間、時谷くんと黒崎さんが同時に私を睨みつけたからだ。血走った目に身の危険を感じる。
 私が一人で立てば、二人とも安心したように息を吐く。この二人意外と息が合うな。

「二年一組の時谷くんと綾瀬さんですね。保健室に何か用事ですか?」
「あー……えーっと、私達はちょっと……ね、ねぇ? 時谷くん」

 頭の回転が早い時谷くんなら自然な言い訳をさらっと言ってくれるはずだ。
 顎に手を当てて何か考えている時谷くんを期待を込めて見つめる。
 が、彼は空気を読んでくれなかった。

「若野先生と黒崎さんは保健室で何をしていたんですか?」
「なっ、何聞いてんの! 今の無しです。忘れてくださいね。ははは……」

 時谷くんは急いで訂正する私を呆れたように見るが、呆れてるのは私も同じだからね。
 ここは上手くやり過ごすべきなのに時谷くんは二人のことが気になるらしい。
 黒崎さんと二人きりでいた若野先生に嫉妬でもしてるんだろうか?

「黒崎さんには教材の整理を手伝ってもらっていたんですよ。他校に貸し出す予定の資料を今日中にまとめないといけなかったので助かりました」
「へぇ。そうですか」

 時谷くんは納得したように頷きながらも意味深に笑う。腹の中にどす黒いものを抱えているように見えた。
 それが私に向けられた感情ではないことに安心するのと同時に、次に何を言い出すのか不安でたまらない。
 黒崎さんの怒りを増幅させる発言は控えてもらいたかった。

「結局保健室に用事ないんでしょ。先生のお手伝いは終わったところだし、あなた達ももう行ったらどうかな?」

 黒崎さんが割って入ってくる。普段より心なしか丁寧な言葉遣いだ。
 私だってこの場からすぐにでも去りたいけど、それでは本当に用事もないのに保健室の扉にくっついていたことになってしまう。

「やー……用事があって来たんだよ? 用事っていうのは……」

 やっぱり何も思い付かないから、時谷くんに目で縋る。

「学校に来る途中で綾瀬さんが顔面をぶつけたそうです。湿布を貰えませんか?」

 その手があったか! ぶつけた鼻や額はまだ少し痛い。時谷くんの話に乗っかろう。

「そうなんですよ。私のおでこ腫れてませんか?」
「見せてくださいね」
「はい」

 私が前髪を上げて額を見せると、先生が手を伸ばしてくる。

「綾瀬さん……!」
「えっ」

 若野先生の指先がもう少しで私の額に触れる、というところで時谷くんに引き寄せられて後ろから抱きしめられる。

「な、な、なに!?」

 離れようともがくが腰に回された腕に更に力が入った。

「若野先生……湿布だけください。後は僕がしますから」

 時谷くんの表情は見えないけれど声で不機嫌であることは十分すぎるほど伝わった。

「一枚でいいですか?」
「はい」

 時谷くんの行動に面食らっていた若野先生はすぐに優しい微笑みを取り戻す。
 そのまま棚から湿布の箱を取り出して時谷くんに一枚渡した。

「用事が済んだから行きましょうね」
「うん……」

 これでよかったのだろうか。あんまり上手くごまかせていない気がするんだけど。
 時谷くんに腕を引っ張られながら廊下に出るが、その後ろを黒崎さんも着いてくる。


 時谷くんはぴたりと足を止めた。

「……何か用?」
「何であんた達が一緒にいるわけ?」

 まずい。一番の問題点に触れられた。
 時谷くんは私と黒崎さんの間の約束を知らないから私が上手い言い訳をしないと――

「何でって……今日はデートだから」

 しかし、私より先に時谷くんがとんでもないことを言い出した。

「これから遊園地に行くんだ。ね、綾瀬さん?」
「えっ、遊園地?」

 微笑みながら同意を求められるけれど完全に初耳だった。
 私と遊園地なんて行って時谷くんは楽しいんだろうか?
 なんて、今は考えている時間じゃない。

「あのね、黒崎さん。時谷くんが言ってることは違う――」
「違いませんよ。もう行っていい? 僕達は堂々とデートできるから忙しいんだ」

 時谷くんは私の言葉をぴしゃりと否定して黒崎さんに挑発的な笑みを向ける。
 やっぱり時谷くんの態度はおかしい。黒崎さんに対して嫌味っぽい発言が多過ぎる。

 ……もしかして私は当てつけに使われてるのでは? 私と仲良くしてるところを見せて黒崎さんの気を引こうって作戦?
 残酷だが黒崎さんは時谷くんに少しも好意を持っていない。そんな作戦は無意味だ。

 無言になってしまった黒崎さんを残して時谷くんは歩き始める。
 腕を引かれながら振り返ると黒崎さんがまた保健室に入っていくところが見えた。
 まだ保健室に用事があるのかな。
 時谷くんもおかしかったけど黒崎さんの態度もかなり違和感があった。時谷くんに強く言い返せなくなっていたのは何故だろう。

 結局、約束を破った件を解決できずに黒崎さんと別れてしまったことになる。
 こうなってしまった以上は時谷くんにも約束のことを打ち明けるべきだろう。
 初めから話しておけばよかった……なんて後悔が押し寄せるが今更遅い。緊張で溜まった唾を飲み込んで立ち止まる。

「あ、あの……ごめんなさい!」
「え……?」

 時谷くんは急な謝罪に目をぱちくりさせている。

「く、黒崎さんと約束をしてて……破ったから、あの、時谷くんの秘密が……その……」
「え、と。綾瀬さん、ジュースでも飲んで一旦落ち着きましょう」

 そういえば買ってもらったジュースを飲んでなかったことを思い出す。
 私達は近くの階段に座った。隣の時谷くんが急かしてくることはなかったけれど、緊張状態の中で私は話し始めた。
次の章へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ