Keep a secret

□関わらないで
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 自宅に帰って夕飯を済ませた後は、珍しく自主的に机に向かう気になった。
 時谷くんがせっかく応援してくれたのに怠けるわけにはいかない。
 今日と昨日で教えてもらった範囲を復習してみると問題はすらすら解けていく。
 時谷くんの指導は私にもわかるように噛み砕かれていて、親切だった。自分が勉強を得意な方ではないからか、頭の良い男の子ってちょっと憧れてしまう。

 しかし、そんな時谷くんに今日は悪いことをしてしまった。
 誰だって、外では見せない一面を家の中に隠してる。私はあの部屋を通して時谷くんの秘密を覗いてしまったの……?
 なーんてね。そう言って笑っていたけど本当に冗談だったんだろうか。
 様子がおかしかったのは私に少し意地悪しようとしただけで、あの部屋は別に何でもない部屋で、今日私が見てしまったことを時谷くんは全然気にしていない――
 自分勝手だけれど、そう思いたかった。


 テスト最終日の放課後、今までにない手応えを感じてつい笑みがこぼれる。
 どの教科もそれなりに出来たはず。わからないから適当に解答欄を埋める、という私お決まりのパターンは一度もなかった。
 過去一良い点数が取れるかもしれない。

 今回の大恩人である時谷くんとはテスト期間中、あまり話すことがなかった。
 私は相変わらず教室では時谷くんに話しかけようとしなかったし、時谷くんから声を掛けてくることもなかったからだ。

 テストも終わったことだし、久しぶりに時谷くんと一緒に帰れないだろうか。お礼も兼ねてファミレスにでも誘ってみよう。
 思い立った時には時谷くんの姿は教室になかった。下駄箱にスニーカーは残っていたから、私は校舎内を探し始めたのだった。

「あれー、綾瀬じゃん」
「ど、どうも黒崎さん……」

 いつも本を読んでいる時谷くんが一番居そうな場所――図書室に向かう途中の渡り廊下で、会いたくない人物と鉢合わせした。

「もしかして時谷と約束してた? お前らって仲良いのなー」
「え、約束っていうか……時谷くんこっちにいるの?」
「いるよ。もうすぐここ通るんじゃない?」
「そう……って! 何で黒崎さんがそんなこと知ってるの? まさかまた何か……っ」
「また、ってなんだよ? 時谷に頼んでた物受け取ってきただけー。これだよ、ほら!」
「うわっ」

 いきなりこちらに投げられた黒い袋を間一髪のところでキャッチする。黒い袋はテープでぐるぐる巻きにされていて、中を見ることはできない。
 袋の上から中身を探るように触ってみると、なんだか硬くて、表面がでこぼこしている棒状の物だということがわかる。

「これ何が入ってるの?」
「はあ!? そういうの使ったことないの? あんたって時谷と付き合ってんでしょ」
「使ったこと……? えっ、私と時谷くんが付き合ってるってなに!?」
「ぷっ、あははは! 付き合ってなかったんだ!」

 困惑している私の姿を見て、黒崎さんが大げさに吹き出した。

「あーおもしろー。良いこと知っちゃったよ。あんたのことになると時谷何も言わないんだもん」

 終始小馬鹿にするような態度を取られてイライラせずにはいられない。

「ちょっと! 何が入ってるのか教えてくれてもいいでしょ」
「んー? "おもちゃ"……かな?」
「おもちゃ?」
「そ! じゃ、あたしもう行くわ。これから彼氏とお楽しみだからさー」

 黒い袋を持って上機嫌な背中を私は苦々しい思いで見送る。
 失礼な人だ。結局曖昧にしか答えてもらえず疑問は解決しなかった。その上、これから彼氏と会う予定だという。
 黒崎さんは派手で目を引く美人だから彼氏がいるのは当然といえば当然なのだが女は顔じゃない。もっと中身も見るべきだ。彼氏は黒崎さんの悪行を知ってるのかな。

「綾瀬さん、今帰りですか?」

 彼氏いない歴年齢の私がその場で怒りを燃やし続けていると馴染みの顔に声をかけられた。

「時谷くんのこと探してたんだ。一緒に帰らない?」
「本当ですか! 綾瀬さんから誘ってもらえるなんて嬉しいです」

 このタイミングで現れたということは本当に黒崎さんと会っていたんだろう。きっと嫌な思いをした後のはずなのに時谷くんはそれを隠して笑うから、複雑な気分だった。


 二人で並んで歩くいつもの帰り道――
 何気ない話を楽しそうにしている時谷くんの横顔をちらりと見る。黒崎さんとのこと、やっぱり気になるよ。

「さっき黒崎さんに会ったんだけど……大丈夫だった? 何かされなかった?」
「ああ……別に。何も」
「……物を取られたんでしょ?」
「……黒崎さんから何か聞きましたか?」
「何かって……なんかおもちゃって言ってたけどよくわからなかった」
「そうですか。よかった……」

 時谷くんはため息をついて俯いてしまう。

「綾瀬さんにお願いがあります」

 そして、小さな声で話し始めた。

「綾瀬さんは優しいから僕が黒崎さんに絡まれていたら気に掛けてくれますよね。でも、もう……この問題には関わらないで。知らないふりをしてください」

 知らないふり――
 確かに今までの私はいじめの加害者にも被害者にもならないために時谷くんから目を逸らし続けてきた。
 だけど、もう傍観者ではいられない。
 時谷くんは「何も」と言うけど、高価な物を取られたんじゃないか、他に酷いことはされなかったか、どうしても心配になる。
 だって、私はきっと時谷くんのことが――

「で、でも、私……!」
「お願いします! そうしてくれないと、僕は……僕は……っ」

 時谷くんの瞳からついに涙が零れ落ちた。彼の細身の体が震えている。
 このまま彼の言葉を肯定しなければ全身にヒビが入って壊れてしまう。そう思うほどに時谷くんは儚く、繊細に見えた。
 私は時谷くんの力にはなれない……なんて無力なんだろう。つられて泣きたい気持ちをこらえて、わかったと小さく頷いた。


「それではまた明日」
「うん。また明日学校でね」

 時谷くんの家の前で極力明るく普段と変わらない調子でお別れを言ったつもりだった。
 しかし、自分の家に向かって歩き出した途端に「綾瀬さん……っ」と、切羽詰まった声に呼び止められる。

「時谷くんどうしたの?」
「あ、あの……!」

 そのまま黙り込んでしまった時谷くんが言いたいこと……不安に思っていることは何なのか、言葉の続きを想像して口を開く。

「大丈夫。私と時谷くんは友達だよ。明日からもそれは変わらない。時谷くんのそばにいるから安心して」

 例えいじめの件で関わることができなかったとしても時谷くんは一人じゃないよ。
 いつか助けを求めてくれるなら、私に話したいと思う日が来るのなら、その時こそきっと時谷くんの力になってみせるから。

「は、はい……っ、はい、綾瀬さん」

 私の言葉は彼が言いたかったことの答えになれたんだろう。何度も頷きながら私の大好きな笑顔を見せてくれた。





 翌日の朝、教室で初めて時谷くんに声をかけた。 
 「おはよう」その一言を切り出すことがこれまでとても難しいことのように思っていたが、実際に行動に移してみればそれは驚くほどに簡単なことだった。
 もっと早くこうしていれば良かったのだ。クラスメートの中にはこちらを見てこそこそと何か話す人もいたけど、気にしない。

 時谷くんが「関わらないで」と言ったのは私を思ってのことだ。私がいじめに巻き込まれないようにと心配してくれている。
 私はその気持ちを汲むべきだ。黒崎さん達とのことで変に関わろうとしない。
 でも、これからも友達として仲良くしていきたい。時谷くんもその関係を望んでくれている。
 ……本当にそれでいいのか、もやもやが消えたわけではなかったけれど、無理矢理にでも自分を納得させることにした。


 四時限目の授業が終わり、誰より先に購買に駆け込んだ。
 二回も奢ってもらっているから今日は私が時谷くんに焼きそばパンをご馳走しよう。
 前にたくさん買っていたから時谷くんも購買の焼きそばパン愛好家で間違いない。きっと喜んでくれるはず。

「綾瀬さん、早いですね」
「でしょでしょ? これ一緒に食べよ。焼きそばパン!」
「もうっ、綾瀬さんは本当に焼きそばパンが好きなんだから」

 購買に一足遅く現れた時谷くんはくすくす笑いながらパンを受け取ってくれた。

「だって美味しいんだもん。時谷くんも焼きそばパン好きでしょ?」
「僕ですか? うーん……」
「あれ? 前にたくさん買ってたよね。好きじゃなかったの?」
「……あ。そ、そういえば好きでした! 焼きそばパン美味しいですよね」

 変な反応が返ってきた。わかりやすく声が裏返っているし、視線は慌ただしく動き回っていて定まらない。
 たまに時谷くんは不自然な態度を取るから、私は小さく首をひねった。


 購買近くのベンチに座って時谷くんと一緒に食べる焼きそばパンは格別に美味しい。
 ふと時谷くんの方を見ると前髪に何か付いている。パンくずだろうか。自然と髪に手を伸ばし、それを掬い取った。

「綾瀬さん!?」
「髪に付いてたから……って、わっ! 時谷くんの髪の毛やわらかーー」

 そのなめらかさに感動して、思わずまた髪に触れてしまう。さらさらで艶があって絹のような髪ってこういうのを言うのだろうか。

「ふふっ、くすぐったいよ」

 髪に触れる私の手に時谷くんが優しく手を重ねた。私と違ってひんやりした手だ。
 そういえば時谷くんの体の一部に触れたのは初めてだ。時谷くんは校舎裏で座り込んだ私に手を差し延べてくれたけど、あの時は手を取らなかった。
 あれから距離はぐっと近付いたのにほんの少しも触れたことのなかった時谷くんと初めて肌と肌が触れ合っている。軽いスキンシップなのに妙に意識してしまって顔が熱くなっていくのがわかる。

「綾瀬さん……顔赤いです」
「と、時谷くんだって赤いよ!」

 慌てて手を離し、赤い顔が見られないように俯いた。時谷くんは私の顔を覗きこんで「そうですね」と言ってくすくす笑う。
 時谷くんも色白な顔が相当赤くなっているのだから考えたことは同じはずなのに私よりいくらか余裕を感じられた。

「もう、時谷くんは……っ」
「……よぉ、時谷」
「っ!」

 話に夢中になっていたから背後に立っていた人物に気付かなかった。
 一気に背筋が凍る。不機嫌そうな低いトーンの声が、和やかな雰囲気をぶち壊した。

「ちょっと来てくんない?」
「……綾瀬さんは先に教室に戻っていてくださいね」
「時谷く……っ」

 腕を引っ張られ立たされた時谷くんは私に小さく笑みを残し、黒崎さんと共に行ってしまった。
 本当は追いかけたかった。私も急いで立ち上がり、すぐに力なく座り込んだ。昨日約束したんだ。ついて行ったら時谷くんの負担になってしまうかもしれない。
 悔しさとやるせなさで胸がいっぱいで、大好物も喉を通らない。残った焼きそばパンに手を付けることはなかった。


 時谷くんは五時限目の授業の途中で戻って来た。黒崎さんにやられたのか、頬に目新しい小さな傷を作って。
 白く透き通った肌にできた赤黒い擦り傷が痛々しくて、傷なんてないはずの私の頬までズキズキと痛むような気がする。

――黒崎さんと二人きりで行かせたのは間違いだったのだ。
 そう確信するが、ならどうすればよかったのか、どうすることが時谷くんにとって一番良いのかわからないよ……。

「時谷くん、一緒に帰ろう」
「あ……今日は用事があって……せっかく誘ってくれたのにすみません。また誘ってくださいね」

 時谷くんはこっちが申し訳なくなるぐらい何度も頭を下げてから教室を出て行った。
 用事があるのなら仕方ない。ゆかりんと軽く雑談した後、私も教室を出た。

 以前はゆかりんと毎日帰っていたのだが、ゆかりんが押野くんと付き合い始めてからは一緒に帰ることは少なくなった。
 寂しいけど、そのおかげで私も時谷くんと親しくなれたと言えるのかもしれない。

 一階に降りる途中、開いていた窓の外から騒がしい声が聞こえてくる。
 人を馬鹿にするようなこの笑い声を何度も耳にしたことがあった。うんざりした気持ちで窓の外を覗くと案の定黒崎さんだ。お馴染みの取り巻きの女子三人を連れている。
 そして……その後ろを少し距離を開けてついて行く男子は、時谷くんだ――

 思わず窓から身を乗り出して彼女達の行き先を目で追う。
 どうやら第三運動場の端にある部室棟の一室に入っていったみたいだ。
 あそこは確か、女子ソフトボール部が昔使っていたという部室だったか。
 うちの高校が部活動にもっと力を入れていた頃は第三運動場も使われていたそうだが今はどこの部も使っていないため、あの周辺に寄りつく人はいない。

 人目を忍ぶにはうってつけの場所だ。

 昼休みに黒崎さんから呼び出された時谷くんは怪我をして戻ってきた。複数人相手だったら更に酷い暴力を受けるかもしれない。

――そうしてくれないと、僕は……僕は……っ。

 昨日の時谷くんの言葉の続きは何だったんだろう。それは今この状況で知らないふりをする理由として足る言葉だろうか?
 ……とにかく時間が惜しい。状況を見てから判断しよう。そう、自分の中で考えをまとめて第三運動場に向かった。

 部室棟の前まで来たら聞き取りにくい声がぽつりぽつり耳に入る。入口のドアは少しだけ開いていた。
 見付からないよう出来るだけしゃがんでドアの隙間からこっそりと中の様子を覗きこんだ。
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