Keep a secret

□僕の秘密だよ
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――そんなのどうでもいいです。僕のことなんて興味ないんだよ。

 あれから、時谷くんはすぐにいつもの調子に戻ったが複雑な気分だった。
 "どうでもいい"なんて寂しい言葉だ。
 恐らく時谷くんにとって私は唯一の友人だから、自分の勉強より私を優先したいと思ってくれているんだろうか。
 私に対しての過度な心配もそれが理由なのかな。
 でも、時谷くんが私の話を聞きたがるのと同様、私も時谷くんに興味がある。
 もっと仲良くなりたいからいろんなことを知りたいし話したい。きっと私はその気持ちを伝えるべきだったのだろう。

「そろそろお昼にしましょうか」
「やったー! 頭使うとお腹空くね」
「ふふっ。ダイニングに案内します」

 ありがたい申し出で通された広々としたダイニングキッチンは、玄関やリビングと同じく白と黒で統一されていた。
 普通の家庭なら少なからず生活感を感じさせる場所のはずだが、時谷くんの家は違っていた。見栄えの悪い物は一切置かれていない、モデルルームみたいに綺麗なダイニングキッチンだ。

「すごく片付いてるね。時谷くんが掃除してるの?」
「あ、はい。自分で」
「へぇ。偉いね。私が一人暮らししてたら散らかしちゃうだろうな……うそっ、これ時谷くんの手作り?」
「はい。味に自信はないんですが……」

 話しながら次々とテーブルに並べられていく料理の数々に驚きを隠せない。センスの良いお皿に見栄え良く盛り付けられた料理達の美味しそうなことといったら。
 少し視線を外しながら照れくさそうに笑う時谷くんはとても可愛らしい。
 ええ、認めますとも。女子力完全敗北です。

 作ってくれたのはハンバーグ、サラダ、スープという定番料理。
 とろとろのチーズが乗ったハンバーグも、小エビとトマトのシーザーサラダも、野菜たっぷりのコンソメスープも、みんな私の大好きなものだった。

「美味しそうだね。時谷くんありがとう」
「遠慮しないでたくさん食べてくださいね。朝に作っておいた料理を温め直したので味が落ちてないといいんですが……」
「落ちてないよ! いただきまーす!」

 テンション高く手を合わせ、早速箸をつける。一口分を切り分けるとじわっと肉汁が溢れてくるハンバーグを口に含んだ瞬間――
 体に衝撃が走った。これはとろとろのチーズがほど良く油ののった柔らかいハンバーグのお肉と口の中で絡みあって幸せなハーモニーを作りあげている!

「このハンバーグすごく美味しいよ。あ、スープは優しい味。野菜の旨味が出てる。サラダはドレッシングの味が凝ってるね。これまで手作りなの? あー……どれも美味しい!」
「本当ですか。嬉しいです」

 大した感想も言えずに美味しい美味しいとどんどん食べていく私に向けられる時谷くんの視線は温かい。
 とにかく箸が止まらない。どこぞの高級レストランからテイクアウトしてきたと言われても納得してしまう味だった。

「時谷くんはあれだね。将来良い旦那さんになると思うよ」
「っ、ゴホッ!……ケホッケホッ」

 興奮冷めやらぬ私の何気ない一言でスープを飲んでいた時谷くんはむせてしまったらしい。

「大丈夫!?」
「だ、大丈夫です」
「本当に? ほっぺたすごく赤いよ」

 大丈夫と言われても頬は真っ赤に染まっている。時谷くんは慌てて自分の頬に手を当て、その熱に気付いたんだろう。冷たいお茶の入ったグラスを頬に押し当てた。

「どうして赤くなったと思いますか……?」
「え……? スープが熱かったから?」
「ふふっ、そうです。熱くて……すごくどきどきしてしまいました」

 時谷くんはなんだかちょっと残念そうに笑って、うんうんと頷く。含みがある笑みだった。もしも別の反応を返したなら彼はどう答えたのだろう。

「――こんなに美味しいもの生まれて初めて食べました。この味を一生忘れません!」

 食後のデザートは私の作ってきたケーキだ。時谷くんはさっきの私以上に美味しいを繰り返し、一口一口を大切に食べてくれる。
 上手くできていたみたいで嬉しい。時谷くんの褒め方は少し大袈裟だけれど。


 楽しいお昼休憩も終わり、またリビングに戻って勉強を再開している……が、お昼休憩以外はずっとテキストとにらめっこを続けているから辛くなってきた。
 一人ならとっくにギブアップしてスマホを触り始めている頃だ。せめて勉強以外の話題で気を紛らわせたい。

「時谷くん偉いよね。高校生で一人暮らしなんて大変そうだもん」
「綾瀬さん、手が止まっています」

 手厳しい指摘は聞こえなかったことにして話を続ける。

「ご両親は海外でどんな仕事してるの?」
「……僕の親はちょっとしたお店を経営していて……今はその関係で海外にいるみたいです」
「へー! どんな物を売ってるの?」
「そ、れは……」

 時谷くんは眉間にしわを寄せて苦々しそうな顔をした。もしかして聞いてはいけないことだったのかもしれない。

「綾瀬さんには関係のない物です。一部の人にしか需要がない……本当にどうしようもない物ばかり」
「そ、そう……あ! ご両親すごいね。ショップ経営なんてかっこいい」
「……問題の続きやってください」
「はい……」

 慌てて取り繕おうとするも、余計なことを言ってしまったらしい。時谷くんにピシャリと言われてしまい、大人しく頷いた。
 普段の時谷くんの態度からは考えられないが、これ以上踏み込んだらいけない、反抗することを許さない圧を感じた。

 しばらく重たい空気の中で勉強を続けていると、時谷くんが立ち上がった。

「僕の部屋から問題集を持ってきますね」
「えっ」

――時谷くんの部屋!? 今から行くの!? 時谷くんの部屋、見てみたい見てみたい見てみたい!!
 勢いよく顔を上げ、強い願いを込めて時谷くんをじっと見つめてみる。

「……綾瀬さんも一緒に来ますか?」
「うん!」

 時谷くんは少し笑って根負けしたように提案してくれた。多分今の私はものすごく瞳を輝かせて頷いたんだろうな。
 どうしようもないくらいわくわくしている。苦手な勉強と重い空気で沈んでいたところに助け舟を出された気分。
 時谷くんの後ろに着いて二階への階段を上りながら今日一番浮かれていた。

 だから、過ちを犯すことになる――

 階段を上ってすぐ手前にある扉が時谷くんの部屋だった。片付けるから待っていてほしいと時谷くんが先に部屋に入っていく。
 部屋数の多い、広い家だ。お手洗いに行きたいかもしれない、そんな言い訳が頭に浮かんだ。
 私は駄目だと思いつつも好奇心から廊下を進んでいって……

 突き当たりにあったその金属製の扉は異様だった。
 他の部屋の扉とは明らかに違う重厚な作りで、まだ鍵のかかっていない南京錠がいくつもぶら下がっていた。
 異彩を放つその扉に、沸き上がる好奇心を抑えられない。分厚く重たい扉だ。音を立てないよう慎重に慎重に、なんとか少し開けると隙間から室内を覗いた。

 部屋の中央には鉄製のベッドのようなものが置いてあるのが見えた。
 ただ、布団も枕もなく、シーツもかかっていないそれは、ベッドと呼ぶにはあまりに無機質かもしれない。手術台とでもいったほうが妥当であるような気がした。
 部屋の奥の壁際には椅子があった。マッサージチェアのようにも見えるその椅子には、四肢を拘束するベルトが備え付けてある。ステンレスなのか鉄製なのかわからないけど暖かみは全く感じられない。

 ……ここ、何のための部屋なんだろう。寝室……なの?

「――綾瀬さん」
「ひぃっ」

 突然、背後から囁かれた声。耳にかかった息がやけに熱く残る。私は跳ねるように驚きながら扉を閉めた。
 分厚い扉が鈍い音を立ててその異様な部屋を閉じ込める。

「時谷く……この部屋は」
「……僕の秘密だよ」

 振り返れば時谷くんが近い。唇と唇が触れそうな距離で私の顔を覗き込んでいた。
 時谷くんの瞳からは感情が感じ取れない。人形のような暗い瞳はまるでこの部屋みたいに無機質で、冷たく見えた。

「ねぇ、僕の秘密……知りたいですか?」
「あ……あ……」

 思わず後ずさる。でも私が離れた分だけ目の前の彼は距離を詰め、逃げることを許してくれない。
 温度のない瞳、暗い表情をした目の前の彼が、時谷くんじゃない別の誰かのように思えて酷く恐ろしい。体は震え、歯ががちがちと音を立てて上手く喋れなかった。
 一歩二歩下がった先には硬い扉があって、私の体とぶつかった南京錠がジャラジャラと不気味な音を立てた。

 逃げ場のない私に時谷くんの手が伸びる――

「いやっ」

 得体の知れない恐怖感に堪えられなくなって、ついにぎゅっとまぶたを閉じる。

「なーんてね」

 その瞬間、場違いな明るい声が響いた。
 恐る恐るまぶたを開くと、少し困ったように笑う時谷くんの顔が視界に広がる。
 そして私から離れると両手の平をひらひらして見せ、何もしませんよと言葉を続けた。

「綾瀬さんが僕の言うことを聞いてくれなかったから少し意地悪をしてしまいました。ごめんなさい」
「と、き谷くん……?」
「何ですか。綾瀬さん」
「あ、あの、ごめんなさい。勝手に部屋を覗いて」
「もうこの扉を開けたら駄目ですよ? 約束です」

 私は必死でこくこくと頷く。こんな怖い扉、私ももう近付きたくなかった。

「……さあ、問題集を探したら勉強を再開しましょうか! 綾瀬さんには明日のテスト頑張ってもらいたいので」

 にこりと優しく笑う彼は、紛れも無く私の知っている時谷くんだった。早く行こうと急かす背中を慌てて追いかける。

 時谷くんの部屋はリビングやダイニングと同じで必要最低限の物しか置かれていないけれど、廊下の奥のあの部屋よりずっと暖かみが感じられた。
 ベッドには柔らかなマットレスがあり、清潔感のあるシーツがかけられている、そんな当たり前のことに安堵している私がいた。

 あの部屋に対して抱いた疑問も、様子がおかしかった時谷くんへの恐怖心も、帰る頃にはすっかり私の中から消えていった。
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