Keep a secret

□偶然ですよね
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 その日の夜、自室でくつろいでいた私はメッセージの通知音で飛び起きた。
 そうっと薄目で画面を見てみれば期待していた相手からだ!
 思わずガッツポーズが出てしまった。

『今日はありがとうございました。とても楽しい一日でした。また明日学校で。』

 簡素な文章を何度も読み返してはベッドの上で足をばたつかせてしまう。
 まさかこんなに早く、しかも時谷くんの方から連絡をくれるなんて。どうしよう。胸が高鳴るってきっとこういうことを言うんだ。

「い、いやいや!」

 待って! 落ち着こう。ただラインが一件届いただけじゃないか。
 三十秒で読んでニ分以内に返信する。ラインなんて高校生の私達にとってそんな風に消化されていく他愛ないもののはずだ。
 だから、よくわからない胸の高鳴りよ、収まってくれ。頼む。
 寝返りを打ちながらああでもないこうでもないと葛藤しているうちに時は流れ……

『こちらこそ楽しかったよ。おやすみなさい!』

 これだけの文章を返信するのに三十分を要したのだった。





「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「んー……行ってきます」

 朝は苦手だ。どれだけ寝ても寝足りない。
 あくびをしながらだらだらと歩き始めてすぐに視界に入る時谷くんの大きな家……同じ道沿いだが時谷くんの家は私から見て右手側、我が家は左手側に立っている。

 彼の家の前をちょうど通りかかった時、玄関が開いた。
 続けて姿を見せた時谷くんと目が合って恥ずかしさがこみ上げてくる。昨日返信した文章おかしいとか思われてないかな。

「綾瀬さん、おはようございます。偶然ですね」
「おはよ。本当だね。せっかくだから一緒に行こうよ」

 時谷くんは嬉しそうに頷いて私の横に並んで歩き始める。
 どうやら杞憂だったようだ。よかった。

「それにしても珍しいよね。時谷くんと登校時間被るなんて」

 時谷くんは毎日もっと早い時間に登校しているはずだ。登校中に姿を見かけることはなかったし、私が教室に着くと既に着席して本を読んでいることが多い。
 もっとも私が攻め過ぎた時間に登校しているだけとも言えるので彼の朝が特別早いわけではないのかもしれない。

「今後はこのくらいの時間に登校しようと思っていて」
「そうなの? 信号一つで運命が変わる世界へようこそ! 歓迎するよ優等生くん」

 そうふざけたら時谷くんは楽しそうに笑ってくれた。
 時谷くんの笑顔を見るとなんだか胸の奥が温かくなって……良いもん見たなーって満たされた気持ちになれるから不思議だ。
 時谷くんの笑顔、プライスレス。


 学校に着き、上履きに履きかえる間に急に不安が押し寄せてくる。
 時谷くんと二人で登校してきた私を見たら、みんなどう思うだろう?……ああ、嫌だな。さっきまでの楽しい気持ちを忘れて、私はまた人の目を気にしてる。

「うわーん! 七花ーー!」

 手を広げながら走ってきたゆかりんがそのまま私の胸に飛び込んでくる。

「ちょっ、どうしたの!?」
「がぁ……! えぐ……っ、むづぎがぁ……うぅ……っ」

 泣きじゃくっていて何を言っているのか全くわからない。これは一大事だぞ。
 先に教室に行っててと伝えようとした時には時谷くんの姿はもうなかった。

 一限目を丸ごと使って落ち着いたゆかりんの話はシンプルなものだった。
 今朝に彼氏の押野睦月(おしの むつき)くんと別れたというのだ。
 些細な口喧嘩がエスカレートして別れ話を切り出され、売り言葉に買い言葉でゆかりんも承諾してしまったのだという。二人はお似合いのカップルだったのにそんな終わり方は悲しすぎる。

 好き同士で付き合ったのに大抵の恋人達が別れてしまうのは何故なんだろう?
 恋人どころか夫婦だってそうだ。好きな人と結ばれることができても、その愛は永遠には続かない。理由はわからないけど、大体そういうものだ。私の親も離婚しているから現実として知っていた。

 ……ただ、ゆかりんが押野くんを諦めるのはまだ早い。どうやって仲直りをするか放課後に改めて話し合うことにした。





「綾瀬さん。これ……どうぞ」

 待ちに待ったお昼休み。今日こそは焼きそばパンを手に入れようと購買の列に並んでいると、横から声をかけられた。
 そうして焼きそばパンがたくさん入ったビニール袋が顔の前に差し出される。

「時谷くん? え、嬉しいけど昨日ももらっちゃったし、今日は自分で……」
「え、えと……あの……買い過ぎちゃって困ってるんです。もらってほしいです」
「あ……っ、と、もらうよ! ありがとね」

 こんな量間違えて買うだろうか。しかも焼きそばパンだけこんなにも。
 断りたい気持ちもあったが、時谷くんが悲しげに俯くからこのありがたい申し出を受けることにした。


 私達は昨日と同じ場所でまた一緒に焼きそばパンを食べ始める。八個もあったから四個ずつ食べることになった。
 お金はちゃんと払うと言ったのに……
「払うよ」
「いいんです」
「受け取って」
「受け取れません」
 こんなやりとりを繰り返すうちに時谷くんの表情が曇っていったから結局ごちそうになっている。

「助かりました。うっかり買い過ぎて困っていたら綾瀬さんを偶然見付けたので」
「もー……本当に買い過ぎだよ。あははっ」
「綾瀬さんは焼きそばパンならもらってくれるかなって思って」
「あれ? 私が焼きそばパンを好きなこと知ってたんだ?」
「……え? あ、いえ。その……あっ、昨日! あの、おいしそうに食べてたから……」
「そ、そっか」

 変に慌てて不自然な様子を不思議に思う。今思い浮かんだ言い訳で取り繕ろおうとしてるみたい。全然大したことない話なのにどこか違和感があった。

「綾瀬さん、よかったら今日も一緒に帰りませんか」
「あ、今日はね――」

 嬉しいお誘いだけど、今日はゆかりんが落ち込んでいるから一緒にいてあげたい。ゆかりんと先に約束があるのだと正直に伝えた。

「その人って綾瀬さんといつも一緒にいる……」
「うん。せっかく誘ってくれたのにごめんね」
「…………」

 先約があるなら仕方ないですよ。気にしないでください。とか、例えば言ってくれたなら私も気楽だったのだが時谷くんはそれきり黙り込んでしまった。
 そこからはずっと無言で、初めて一緒に帰った日みたいな気まずい時間が流れた。


――放課後。
 どうゆかりんを励まし、再起させるか頭を悩ませていたのだけど……なんとゆかりんと押野くんは早くも復縁していた。
 デートに誘われたと申し訳なさそうに言うゆかりんをどうぞどうぞ行ってきなよと私は大喜びで送り出したのだった。
 朝はこの世の終わりだとばかりに泣いていたのにこの短時間で解決に至るとは男女の仲ってやつはやはり奥が深い。
 明日会ったらたっぷり話を聞かせてもらわなくては。

「綾瀬さん」

 一人で校門をくぐると後ろから名前を呼ばれた。最近よく聞く声だから振り向かなくてもすぐに誰かわかる。

「本当にすごい偶然ですよね」
「う、うん。そうだね」

 ……偶然か。そういえば今日はやけに偶然が重なって時谷くんに会うな。

「一緒に帰りましょう……?」

 整った唇が孤を描く。夕焼けを背にして、黒い影がかかっている。時谷くんのその笑顔はあまり好きではないと思った。
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