Keep a secret
□友達なのかな
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翌日の朝、騒がしい教室のドアを開けると衝撃が走った。
「七花、おっはよー!」
「おはよう、ゆかりん」
胸に飛び込んできたのは私の登校を待ち構えていたゆかりんだった。
"ゆかりん"こと高橋ゆかは小柄で人懐こく、いつも元気な私の親友だ。今日もくりくりとした瞳を輝かせて、私の笑顔を誘う。
「昨日のテレビ見た?」
「お弁当の時間に話してたお笑い番組? 見逃しちゃったんだよね」
「もーおっ、超面白かったのにぃ」
ゆかりんとの何気ない会話の最中、ふと視線を感じた。
昨日まで一度も目が合わなかったことが嘘みたいに、自然と時谷くんと目が合った。彼はそれを合図に読んでいた本へ視線を戻す。
時谷くんはいつも一人だ。
授業の合間の休み時間、昼休み、もちろん放課後も、彼が誰かと談笑しているところを見たことがない。
世の中には一人の方が気楽で好きだという人もいる。ならば時谷くんの場合はどうだろう。好きで一人で過ごしてるんだろうか?
きっとそうではない。時谷くんがいじめられていることは何となくみんな知っている。
いじめられっこと仲良くしたら自分もいじめられるかもしれない。
私が今まで時谷くんと関わらないようにしてきたこの考え方はクラスメートのほとんどに当て嵌まるんじゃないだろうか。
あからさまに彼を避ける人もいないと思うが、だからといって積極的に仲良くしようとする人もいないのだろう。だから時谷くんはいつも一人ぼっちなんだ。
考えていたら悲しくなってきて。「時谷くん、おはよう」と声を掛けに行きたいのに、私は弱虫な人間だ。
みんなの前で時谷くんに話しかけるなんてとてもできない。みんな一緒の考えで、一緒の行動をしている。その流れから一人外れる勇気が私にはなかった。
昨日はどうして一緒に帰ろうなんて言ったんだろう。言えたんだろう。
込み上げる罪悪感と自己嫌悪から逃れるためにぎゅっと目を閉じた。
――昼休み。今日の購買は大混雑で、やっと順番が回ってきた頃には全種類のパンが完売していた。
ほぼ毎日食べている大好物の焼きそばパンがなくては午後の授業を乗りきれる気がしない。絶望だ……。
「綾瀬さん」
「……時谷くん?」
足取り重く教室に帰ろうとする背中を控えめな声に呼び止められた。
「あの……よかったらどうぞ」
そう言って、私の前に差し出されたのは馴染み深い焼きそばパンだった。
「昨日のお礼……です」
「お礼ってそんな、悪いよ!」
「全然悪くないです」
「え、でも……一個しか買ってないみたいだけど時谷くんのお昼はあるの?」
「あ……」
そんなこと考えもしなかった……という風にぽかんと口を開けるから、なんだかおかしくて私はついくすくす笑ってしまった。
みんなと同じように、この世界から外れてしまわないように、私も時谷くんとは関わらない――
確かにそう考えていたはずだが、私と時谷くんは購買近くのベンチに隣同士で座り、仲良く焼きそばパンを頬張っていた。
どうせ昨日もう既にいじめのリーダー格の女子に絡んだんだ。きっと顔を覚えられただろう。時谷くんと関わらないよう意識したところで今更手遅れな気がした。
それならばもういっそ好きにしたらいい。
半分こした焼きそばパンは焼きそばが片方にほとんど行ってしまい、焼きそばがたくさん乗っている方を私が食べるようにと時谷くんは妙に必死だった。
物静かな時谷くんがこんなことで必死になっているのがまたおかしくて、私は彼と友達になりたいと思ってしまったんだから。
「そうだ! 放課後のことなんだけどね」
「あ、あの……一緒に帰る……」
聞き逃してしまいそうなくらいか細い時谷くんの声には不安の色が滲んでいる。
「うん。だけどその前にほら、女子達に呼び出されてるでしょ」
「……あ、それは……綾瀬さんは校門で待っていてもらえますか。昨日からその、お金を持ってくるように言われていて。渡したらすぐ帰れると思います」
「お金!? 駄目駄目。渡したら駄目だよ。絶対に駄目だからね!」
力が入って思わず立ち上がってしまう。カツアゲは犯罪だよ。許されることじゃない。
どう対処したらいいのかと無い頭を振り絞るため、私は静かに座り直した。
▽
そうしてついに何も浮かばないまま放課後になってしまった。
仕方ない、奥の手だ。逃げるが勝ち……だ。
お金を渡したら今日は穏便に済むかもしれない。けど、また次も要求されてずっと同じことの繰り返し。だからといって「金なんか払えるかふざけんなこの野郎!」と反抗的な態度を急に取れるかといえば難しい。
根本的な解決がすぐには出来ないなら今日のところは逃げたもん勝ちだろうと思う。
時谷くんと決めた通り、担任の別れの挨拶が終わると同時に教室を飛び出した。
どうやら時谷くんは私より体力がないらしい。校門を出て足を止めると、真面目に大丈夫なのかと心配してしまうくらい荒くなった呼吸を整え始めた。
「はぁっはぁっ。あ、あの」
「ん? 大丈夫?」
「はぁ、はぁっ……は、はい。あの、よかったら……本当に、もしよかったらでいいんですけど」
「な、なに?」
まだ荒い息を吐き出しながら「嫌だったら言ってください」とか何度も念を押してくるから少し身構える。
そんなにも私が嫌がる可能性のあることを言うつもりなんだろうか。
「連絡先……教えてもらえませんか?」
「へ?」
「いっ、嫌ですよね。ごめんなさいごめんなさい」
意外な言葉だったから間の抜けた声が出てしまった。
「い、嫌なわけない! ライン交換しよう。あ、電話番号も教えるよ」
「っ、はい!」
時谷くんは今までで一番大きな声で返事をし、笑った。
綺麗なのに少し幼さを感じさせる笑顔だ。すごく可愛い。ずっとこんな風に明るく笑っていたら、時谷くんの周りは人で溢れるんじゃないだろうか。
「ねぇ、時谷くん……私達って友達なのかな」
友達になれたのかな。
友達って確認し合うものではないと思うけれど、どうしても聞いてみたかったのだ。
時谷くんは私の問いにまたとびっきりの笑顔で答えてくれた。
その後、二人で並んでゆっくり歩く帰り道に昨日のような気まずさはなかった。
相変わらずどんな話をすればいいのかわからず無言の時間は多かったけれど、心地の良い穏やかな沈黙に感じる。
時谷くんも同じ気持ちだったらいいなと密かに思った。