Keep a secret

□南京錠の意味
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 時谷くんのお父さんから届いた荷物はダンボールが二箱。
 時谷くんはその細腕で「よいしょ」と大きいほうのダンボールを持ち上げた。

「二階に運んできますね。綾瀬さんも後で来てください。扉を開けてほしいんです」
「わかったよ。足元気を付けてね」
「はい。リビングで待ってていいですよ。廊下は暑いですから」

 戻ってきたら声をかけますね、と言って時谷くんは階段を慎重に上っていく。

 時谷くんが運んでいったダンボールは中身がぎっしり詰まっているらしく、結構な重量があった。
 私じゃ持ち上げるだけで精一杯。階段なんて怖くてとても無理だ。
 それを楽々とは言えないまでも運ぶことができる時谷くんはやはり男の子なんだな。
 彼の華奢な背中が頼もしいような恐ろしいような、複雑な気持ちで見送る。

 一人になった玄関で無意識にスマホを触ろうとして思い出す。

 スマホは没収されている。
 どういうわけか靴もない。

 自然と靴箱に目がいって、その横の姿見に視線が吸い寄せられた。
 昨晩付けられたキスマークがまだ色濃く残っている。

「時谷くんの、もの……」

 言葉にしたら心がざわつく。
 みんなに嘘をついたまま時谷くんの家に泊まっていていいんだろうか?
 ゆかりん達のところに行くか、お母さんの待つ家に帰ったほうがいいんじゃ――

「綾瀬さん?」

 時谷くんの声が思考を遮る。

「リビングで待ってるように言っておいたのに」
「あ、いや、すぐ来るかなって思って」
「……そうですか。あとはこの箱ですね。綾瀬さんも着いてきてください」

 二箱目はさっきの箱よりは軽いみたい。時谷くんは危なげなく階段を上っていく。そうして二階の廊下の突き当たり、金属製の扉の前で足を止めた。
 廊下の隅に置かれている先ほどのダンボールの上に二箱目を乗せる。

 この部屋がどういう用途で作られ、使用されてきたのか、私は知っている。時谷くんのお父さんとお母さんのことも、その仕事も。
 別に怖い部屋じゃないのだ。
 でも――。

 対面すると不気味に見える。
 オシャレな白塗りのドアで統一された時谷家で、唯一の鈍色のドア。
 取っ手の鍵とは別に頑丈な作りの南京錠が五つも縦に連なっている。


「えっと、ドアが閉まらないように抑えておけばいいんだよね。任せ……って重っ! あ。これ鍵がかかってるんだ」

 それも五つの南京錠全てがこの扉を閉ざしていた。

「すぐ開けますね」
「ひゃっ」

 背後の時谷くんが背中に体をぴったりとくっつけてきて、私の目の前の扉に右手を置いた。
 私の体は時谷くんと扉の間に挟まれている。急にものすごく距離が近くなった。
 そのまま時谷くんは空いている手で鍵の束を取り出し、様々な形状の鍵の中から目当ての鍵を探し始める。

「こ、この南京錠って使えたんだね! いつも開いてるから飾りだと思ってたよ」

 金属同士が擦れる音がする。私の脇の下から両腕を回し、私の眼前で知恵の輪でも解くように鍵をいじっている時谷くん。

 いや――近い近い近いから!

「何で鍵なんてかけてるの? 面倒くさくない?」

 無言の時間は照れくさいから、言葉を続ける。

「面倒ですよね。一昨日試しにかけてみただけです。この中に該当する鍵がちゃんとあるのか把握しておきたかったんです」

 鍵束にぶら下がっている鍵の本数は明らかに扉の南京錠より多い。
 大きいお家って施錠する場所がなにかと多いのかもしれない。管理が大変そうだ。

 時谷くんは会話の間に正解の鍵を五本見つけ出したらしく、まず一番高い位置にある南京錠の鍵を開けた。
 私は扉と対面したまま棒立ちで、二つ目の鍵に取りかかった彼の手元をもどかしく見守る。

「時谷くんのご両親は何でこの扉をこんなに厳重にしたんだろうね。夫婦で部屋を使用中のときに南京錠はかけられないでしょ。来客や息子の時谷くんを部屋に入らせないようにするためならドアノブの鍵で十分だと思うんだけど」
「んー……この部屋は両親というより、父の意向で作られてるんです。この鍵が何のためにあるのか、僕も不思議でした。でも……綾瀬さんに恋をして、理解しました」

 二つ目の鍵が開く。

「大切な宝物を閉じ込めておくために、この鍵はあるんです」

 私の耳に唇を寄せて声を落とす時谷くん。

「綾瀬さんにもわかりますか?」

 宝物なんて抽象的すぎて、何を指しているのかピンとこない。
 でも、時谷くんが恋をして理解したなら、私だって理解できるはず。

「夫婦の思い出の品、とか?」

 無難な答えを絞り出すと、時谷くんは「不正解です」と薄く笑った。

「僕の両親は仲が良い方だろうけど……それでも母がいつ他に男を作ってこの家を出ていくと言い出すかわからないでしょ? あの人もあれで怯えてるんですよ。あの人にとっての宝物は母ですから」
「……!」

 時谷くんは何でもないことのように話しながら三つ目の鍵に手を伸ばす。

 大切な人をこの家から出さないために。
 この部屋の中に閉じ込めておくために。
 この鍵は存在している――。

 それは今の今まで、私の脳みそに一欠片も存在しなかった答えで。外から持ち込まれたその小さな欠片から、ある恐ろしい疑念が生まれてしまった。
 体がカタカタと小刻みに震え出す。


「時谷くん……私の靴をどこへやったの?」

 震えた声。私の体と接触している時谷くんの手も少し揺れる。
 それでも四つ目の鍵を手早く開けて、鍵はあと一つだけ。

「あー……その、失礼かなと思って伝えるのを控えていました。綾瀬さんの靴、砂が結構ついてたので落としてから靴箱にしまおうと思って移動させてたんです。ごめんなさい。後で戻しておきますね」

 背後から聞こえてくる時谷くんの声はいつも通りだった。
 だから私の動揺も少し収まる。

「そ、そっか、そうだったんだね。うん、そうだよね。よかった。ありがとう。私の方こそ気付かなくてごめんね」

 いや、無理にでも収めようとした。
 確かに私の靴は汚れていたと思う。もともとはゆかりん達と外で遊び尽くす予定だったから履き慣れた靴で来たのだ。時谷くんの言ってることはもっともだ。
 そう自分に言い聞かせる。

「ちょっとだけ疑っちゃった。故意に隠したのかなって」

 そんなわけないのにねー、と笑ってみせると、最後の鍵を開ける手が静かに止まった。

「隠す? 何でそんなことをするんですか?」
「それ、は」

 靴がなければ外に出られない。
 スマホがなければ外と連絡も取れない。
 だから、つまり、

「私をこの家に閉じ込めるため……とか?」

 言葉にしてしまうと疑念は大きく膨らんで、悪寒が走る。
 私の声と重なって最後の鍵が開く。

「な、なんてね! 変なこと言ってごめんね。なんか暑くなってきちゃったよ。早く片付けてアイスでも食べない?」

 空気が冷たくなった気がする。汗が額を伝い落ちたのは暑さが理由じゃないけれど、精一杯取り繕いながらドアノブをひねり、力を入れる。
 少しできた隙間。真っ暗な室内に廊下の明かりが差し込む。
 そのまま扉を全開にしようと体重をかける。

「よくできました」

 ドンッ
 背中に突然の衝撃――。

「え?」

 私の体は暗い床の上に投げ出される。慌てて手と膝をついて眩しい背後を振り返った。

「正解ですよ。綾瀬さん」

 部屋に差し込む光の帯が細くなっていく。
 逆光で見えにくい表情。でも、時谷くんは確かに笑っていた。
 笑いながら、扉を閉めた。この部屋唯一の出入り口を。

 私を閉じ込めるために――。


「え、えっ……時谷くん? 嘘でしょ? 時谷くん、時谷くん!」

 光源を失った部屋。ドアノブの鍵が開いていることは手探りで確認できた。
 それなのに扉はびくともしない。南京錠をかけられたんだ。

「時谷くん聞こえる? じょ、冗談やめてよ。ねぇっ、開けて! 開けてよ、開けてってば!!」

 どんどんどんと激しく扉を叩くが、扉を挟んだ向こう側にいるはずの時谷くんは反応を返してくれない。

 ――閉じ込められた? 本当に?

 部屋の中はひんやりしていた。
 天井に埋め込まれたエアコンの駆動音が化け物の吐息みたいに不気味に降ってくる。

 電気。電気を点けよう。
 時谷くんの秘密を暴こうとしてこの部屋に入った時には見つけられなかった電気のスイッチ。その位置を覚えていた。

 明るくなった室内を見渡してみるが、やっぱり窓はない。
 この部屋だけコンクリート造りのやたらと防音性の高そうな壁をしている。
 叫んでも外どころか廊下にすら届かないのかもしれない……。

 ――大切な宝物を閉じ込めておくために、この鍵はあるんです。

 さっき聞いた言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
 不安に押し潰されそうで、私は必死で扉に拳を打ちつける。

「時谷くん、鍵を開けて! ねぇ、そこにいないの? や、やだ……やだ、やだやだやだぁっ!!」

 嫌だ。こんな部屋に閉じ込められるなんて。

「出して! ここから出してよ! 時谷くん、時谷くん! 時谷くん!!」


 もしかしたらまだ数分も経ってないのかもしれない。でも体感では数時間の出来事。
 縋りついている扉が揺れて、ギィィと音を立てる。廊下の生温い風が扉の隙間から流れ込んできた。

「綾瀬さん。僕が恋しかったですか?」

 私が少し離れると、開いた扉の前で時谷くんが微笑む。

「僕のこと呼んでくれた?」
「っ、呼んだ、呼んだよ。ずっと呼んでた! 時谷くんが急にドアを閉めるから!」
「そうなんだ。綾瀬さんの必死な声聞きたかったな」
「な、何それ……私、本当に……っ」
「本当に閉じ込められたと思いました?」

 ――思った。
 時谷くんは顔を顰めた私を見て悪戯っぽく笑うと、廊下にあった重たい箱を一つドアストッパー代わりに移動させた。

 ぽっかり開いた出入り口。奥には白い廊下が続いている。いつもとなんら変わりない光景。
 この部屋を出て、真っ直ぐ廊下を進み、階段を下りると玄関がある。外に出れば私の家はすぐそこだ。

「ううう……っ」

 そこまで考えて、へなへなと腰が抜ける。
 安心感から涙まで出てきた。

「綾瀬さん、そんなに怖かったんですか? 冗談ですよ。すぐに開けたでしょう?」

 時谷くんはしゃがんで視線を合わせてから、私の頭にそっと手を置いた。

「大丈夫。いつでも外に出れますからね。綾瀬さんちはご近所です。すぐに帰れる距離ですよ。怖くない、怖くないですよ」

 泣いている子供をあやすような優しい口調で、少し困ったように微笑みながら頭を撫でる時谷くん。

「うー……こんなこと、二度としないで」

 こんな冗談面白くない。
 腹立たしくてたまらない彼の首に抱きついた。「あはは」と笑って、時谷くんも私の背中に手を回す。
 扉が開いて時谷くんの顔を見た瞬間、妙にホッとした。
 私が抱いた不安は、疑念は、間違いだった。それがわかったから。


 ***


「もう……綾瀬さん。機嫌を直してくださいよ。ちょっとからかっただけじゃないですか。一分くらいの話ですよ」
「一分は嘘だよ。絶対に二分は経ってました。私的には百時間くらいだったけどね」

 一悶着あった密室の片隅で体育座りをしながら時谷くんを睨みつける。
 さっきのお詫びに私の夏休みの課題の残りをやってもらうことと、ファミレスとクレープをまた奢ることを半ば強制的に約束させた。
 それでもまだ腹の虫は治まらない。

「百時間は嘘ですよね」
「うるさい。百時間だったの!」

 時谷くんは「はいはい」と受け流しながら、部屋の端っこの棚の前でダンボールを開封している。

 届いた荷物は時谷くんのご両親が経営しているお店の商品らしい。つまり、アダルトグッズの類なんだろう。
 ただ、間違いで送ってしまったものが紛れ込んでいる可能性があって、確認してほしいんだとか。

 時谷くんが一緒にいる分、先ほどのような心細さはないが、この部屋は落ち着かない。
 誰にも邪魔されず、心置きなくセックスをするために作られた部屋。

 ここは私が初めて時谷くんに抱かれた場所でもある。
 気を抜くと部屋の中央に置かれたベッドに意識が向いてしまう。
 私は軽く首を振ると、時谷くんの隣に腰を下ろしてダンボールの中を覗き込んだ。

「私も手伝うよ」
「え、でも」
「早く終わらせて……アイスを食べよう!」
「あはは。じゃあ綾瀬さんはこの箱の続きをお願いしますね。この箱の中身は全部女性向けの商品みたいだからパッケージが控えめですよ。もう一個の方はその……パッと見でやばい感じだったので綾瀬さんには見せられません」
「そ、そうなんだ……」


 時谷くんのお父さんから送られてきている情報は商品のバーコードの数字のみ。見落とさないように一つ一つ確認しなくちゃ。
 そう言い訳しながら、興味津々にじっくり見てしまう。
 このダンボールの中身はバイブやローターがほとんどのようだ。女性が購入しやすいように配慮された、一見するとアダルトグッズに見えないようなパッケージのものが多い。

「適当でいいですよ。頻繁に荷物が届いて、あれとそれを送ってくれとか頼まれるのでいつも迷惑してるんです」

 一方時谷くんは、裸の女性が大股を広げた大胆なパッケージの商品を見ても眉一つ動かさずに機械的に仕分けている。
 彼はこういうものが日常的にそばにあって、もう見慣れてしまっているんだろう。
 でも、私には初めて見るものばかりだった。

 女性がこっそり買って、きっと誰にも秘密で使う玩具――
 これなんて裏面にすごいことが書かれてる。イケなかったら返金保証だって。

「本当にそんな気持ち良いのかなぁ……」

 ネットでべた褒めされてる美容用品に興味を持つのと同じくらい何となしに。軽率に。私の口から好奇心が滑り落ちた。
 言ってから、一番聞かせてはならない人の前だったことに気付く。

「使ってみます? 綾瀬さんも知りたいですよね? 僕とするより気持ち良いのか」

 紅潮した頬。興奮で潤んだ瞳。時谷くんのスイッチは一瞬で切り替わっていた。
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