Keep a secret

□束の間の平和
1ページ/1ページ

 八月十一日、午後七時過ぎ――
 私は友達二人と夏祭りに来ていた。

 夏祭りの会場となっている私の通う高校近くの駅前は賑わっていた。
 ロータリーの中央にはやぐらが作られ、流れる音楽と太鼓の音に合わせて踊る人々。地元ではそこそこ有名な神社に続く参拝道に出店が立ち並んでいる。

「次はどうする?」
「焼きそばにー、たこ焼きにー、お好み焼きは食べたでしょー」
「なんか粉モン多くない?」
「いいのいいの。うちら、男と来れない組は思いきり食べよう!」
「そういえばゆか見かけないね。七花は昼間に会ったんでしょ?」
「うん! ゆかりんこの日のために新品の浴衣を買ったって張り切ってたよ」

 私は普段通りを心がけて笑う。
 二人との待ち合わせの前にゆかりんの家でゆかりんママに浴衣を着付けてもらった。
 母が留守だから浴衣を着られないと話した私にゆかりんが誘ってくれたのだ。

 私の浴衣は白地に紫の菊の花の模様が入っていて、帯は紺色。その上に薄い紫色の飾り帯を重ねている。
 大人っぽい中に可愛さもあってお気に入りだ。今年も袖を通すことができて嬉しい。
 彼氏の押野くんが迎えに来るというからゆかりんとは早々に別れたが、今頃二人も夏祭りを楽しんでいるはずだ。

「去年は四人で来たからちょっと寂しいよね。どっかでゆかを見付けたらみんなで写真撮ろうね」
「ねー! 来年は七花も一緒に来てくれなさそうだしねぇ?」
「えっ!? わ、私はどうかなぁー?」

 面白がるような視線から慌てて顔を逸らす。友達二人は「まさか時谷くんとねー」なんて盛り上がり始めた。

 昨日の夜――日向が私の友達やクラスメートに向けて送った内容は割と真に迫っていた。
「時谷と七花がこんな時間に一緒にいるみたいなんだけど、なにか変だ。あいつは普通じゃない。七花が危ない」
 こんな内容が届いたら誰だって驚くだろう。何人に送ったのか正確には把握できていないけど、私は昨日の夜のうちにとりあえず親しい友達にだけでも「何も心配するようなことはないよ」と伝えたのだった。

 深夜遅くに何で時谷くんと一緒にいたのか。数日前、他の友達に泊めてもらえることになったから大丈夫とのんちゃんに話したが、あれは時谷くんのことだったのか。
 とにかく質問攻めにされ、言葉を濁す私の態度にみんなは誤解したようだ。
 私と時谷くんが付き合っていて、昨夜は痴話ゲンカだったと思われている。私も変に否定しないでおいた。

 この夏祭りには同級生が多く来る。日向のメッセージで変な噂が広まっていたとしても、私がこうして元気な顔を見せれば昨夜のことを気にする人も少しは減るだろう。
 そう思った私は、誘われるままに夏祭りに来たのだ。

 先に時谷くんと約束をしていたから罪悪感はあったけど……ゆかりんの家に行く前に悩みに悩んで電話をかけたら、時谷くんのスマホは電源が入っていなかった。
 その後、試すように送った「今日は夏祭りだね」というメッセージにも既読はついていない。

「そろそろ神社の方に向かう?」
「そうだね。場所取りしてゆっくりしたいし。途中の屋台でいろいろ買っていこっか」

 九時前にこの祭りのラストを彩る打ち上げ花火がある。
 何千発という花火が絶え間なく上がる大きな花火大会とは比べ物にならないが、ささやかながらも綺麗な花火が五分ほど見られるのだ。お祭りの会場の中で一番よく花火が見える場所が、神社の境内だった。


「わ……並んでる……」

 会場の途中に設けられている女性用の仮設トイレには長蛇の列ができていた。花火の時間まで余裕をもって行動して正解だった。
 最後尾の浴衣を着た女子グループの後ろに並ぶ……が、その顔ぶれに顔が強張る。

「あれ? 綾瀬じゃん」

 久しぶりに顔を合わせた、黒崎さんの取り巻きの女子三人組――
 言っておきますけど。あなた達が時谷くん家のあの部屋で、私の体を三人がかりで押さえつけてきた恨みを忘れてないからね。

「一人なの?」
「……友達と来てるけど、今は近くの屋台に並んでるんだ。そっちも黒崎さんは一緒じゃないの?」

 このメンバーの中に黒崎さんの姿がないのは意外に思えた。

「あー……美愛……ねぇ?」
「誘ってないよ」
「どうせ来ないっしょ」

 三人は顔を見合わせ、含みのある笑みを浮かべる。

「なんかあいつ最近付き合い悪いんだよね」
「そうそう。ここ何日かラインもシカトされてんだよ。有り得なくね?」
「ねー? さすがにだるいわ」

 腹の黒さを隠そうともしない笑顔が恐ろしい。基本的に彼女達は黒崎さんを「美愛可愛い」「さすが美愛」「美愛が言ってるんだから」と、何かと持てはやしているイメージだったが、闇を見てしまった気がする。
 私はトイレの順番が来るまでの間、気まずさに耐えなければならなかった。


 この神社は縁結びの神社として有名だ。
 ここでお守りの鈴を買うと手織りのリボンがついてくる。思い人と二人で買いに来て、互いの鈴にリボンを結びあうと、その恋は永遠になるというジンクスがあるのだ。

 そのジンクスに乗っかることはできなかったけど、私もお守りの鈴を買った。
 去年この鈴を持ち歩いてたゆかりんは押野くんと無事付き合えて、今年は二人で鈴を買いに来ている。私の恋もこのお守りがあれば成就できるかな。

 時谷くんの気持ちは知っているから、私が好きだと伝えれば実る恋。でも、時谷くんと付き合うのは少し怖かった。
 彼は私を繋ぎ止めるためならどんな嘘でもつくし、どんな卑劣な行動だって取れる。昨夜の時谷くんの行動は異常そのものだった。
 今思い返してもゾッとする、あのぽっかりと黒い穴が空いたような暗い暗い瞳。普段は隠そうとしている時谷くんの底なしの闇を覗き見てしまった気がした。

 時谷くんの「好き」と私の「好き」は同じ種類のものだけど、頭の中を占める「好き」の量も、その気持ちとの付き合い方も違う。
 どう折り合いをつければ上手くやっていけるのか、時谷くんの思いに応えられるのかわからない。それが不安でたまらなかった。

 だって時谷くんは私をずっと騙していたのだ。軽蔑したし、幻滅もしている。許せない気持ちも当たり前にあった。
 でも、時谷くんは自ら打ち明けてくれた。
 そもそも彼にそんな嘘をつかせるくらい追い詰めたのは私の責任もある。
 黒崎さんとの約束を守ろうとして時谷くんのことを避けたりしなければ、彼はきっと今も良い友達でいてくれたんだろう。

 良い友達――考えたらツキンと胸が痛む。
 縁結びの神様に縋ろうとするくらいには私も時谷くんのことが好きで、嫌いになんてなれないんだから。私もいい加減、時谷くんの気持ちに向き合わなくちゃ。


「七花、昨日はごめん! 俺の早とちりだった! まさかお前らがその……そういう関係だと思わなくて……」
「い、いや! もう謝らないでよ。私の方こそ心配かけてごめんね」

 日向の友達グループとゆかりん押野くんと境内で偶然会って、みんなで花火を見ることになった。幸運にも特等席の階段を確保できたのだが、隣に座る日向は謝りっぱなしだ。

 昨日のことは私宛てのメッセージを覗き見して、電話にまで出た時谷くんが悪い。
 何故か解除されてしまったロックナンバーは複雑なものに変更しておいたから、もう昨夜みたいなことは起こらないだろう。

「日向もさっきお守り売り場に並んでたね。鈴買ったの?」
「……おう。恋の成就を願って買ったっていうより、好きな人……欲しいと思ったんだよ」

 なんだか寂しそうに笑った日向がお守りの鈴をつけたキーリングを顔の前で揺らす。
 リン、小さな鈴の音が周囲の賑やかな声に溶け込んだ。
 何かあったのかと聞きたかったけど、日向はすぐにいつもの明るい笑顔にもどった。

「七花は? 買ったの?」
「買ったよ。鍵につけるのいいね。私も真似しよっと。こないだ鍵を落としたんだよ。鍵に何にも付けてないのってよくないね。落としたことに全然気付かなかったもん」
「まじかよ。ドジだなあ」
「これでよし。お互いご利益あるといいね」
「……そうだな」

 昨日時谷くんの手から返ってきた家の鍵にお守りの鈴を結びつける。
 リン、リン、笑いながら揺らして見せれば恋が叶う音がした。
 家に帰ったら、話したいことがあると時谷くんにメッセージを入れよう。

「七花〜! バカ山田〜! 花火の前に写真撮ろ!」
「あっ、うん!」
「バカってなんだよ! 俺の名前は前山田だ! よっしゃセンターで映ったろ」

 気付けばみんなは階段近くのお祭りの看板の前に集まっている。私達もゆかりんの呼びかけに応じて輪の中に入った。
 ハイ、チーズ。他のクラスの子達も混ざってぎゅうぎゅう詰めの中、私はゆかりんの隣でピースを作って笑う。

 怖いくらい平和。この平穏な時間が私の当たり前の日常だったはずなのに、随分と久しぶりに感じる。

 この場所に時谷くんもいてくれたら嬉しい。そう思うのに、時谷くんをイメージしようとすると、嘘だったのだと打ち明ける際に見せた昨夜の悲痛な泣き顔が浮かぶ。
 ここで、みんなと一緒に笑っている時谷くんを想像するのはどうしても難しかった。


 色とりどりの花火が上がる。
 寄り添い、手を繋いで頭上を眺めるゆかりんと押野くんの横顔が幸せそうだから、なんだか私まで嬉しくなってしまう。
 お母さんが帰ってきたら花火を見せてあげようとスマホを取り出したら、十件ものメッセージが届いていた。
 ほとんどがさっきみんなで撮った写真を送ってもらったものだ。ただ、その中には私が待っていた返信も混ざっていた。

『電話に出られなくてすみませんでした。明日の午前9時にここに来てください。待ってます』

 このメッセージの後に目的地と思しき住所と、地図アプリのスクリーンショットが送られてきた。私の最寄り駅から四駅離れた駅の近くにある建物にピンが刺さっていた。
 いきなり呼び出して何の用だろう?
 こちらの都合も聞かずに不親切極まりないと思う一方で、わざわざ外で待ち合わせるんだからデートのお誘いかもしれない……なんて思うのは能天気すぎるだろうか。

 明日――時谷くんがいつもの時谷くんに戻っていたら、気持ちを伝えよう。
 高校卒業まで健全な関係を続けることを条件に交際を申し込んでもいいかもしれない。時谷くんは拗ねるだろうが、それくらいのお灸は据えてやりたい。

 それに……自分の体も保たない。
 ゆかりんママに浴衣の着付けをしてもらっている最中、妙に体がもじもじしたし、体を触られると緊張感が走った。昨夜に時谷くんがあんなにしつこく何度もするからだ。
 これ以上時谷くんと体を重ねると自分が変になりそうで、それが少し恐ろしかった。

「七花、なにニヤニヤしてんの? 時谷くんから?」
「えっ!? に、にやついてた?」
「そりゃあもうキモいくらいにね」

 のんちゃんに横から覗き込まれて、急いで画面を閉じた。

 時谷くんとの関係は不安なことも多い。だけど、彼のついていた嘘を、乱暴な行為を、どんなに腹立たしく感じていても、返信があったことにホッとして口元が緩んでしまう。
 その無意識な反応が私の気持ちの全てであり、答えなんだろう。


次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ