Keep a secret

□嘘つきだから
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 夏休み真っ只中の公園は賑やかだ。
 幼児達が砂場で遊び、ママさん達は近くで輪になって世間話。小学生男子のグループは遊具の上でゲームをしていた。

「シュガー、取って来てー!」
「ワンッ」

 シュガーは元気良く吠えて私の投げたフリスビーを追いかける。お尻としっぽを振りながら小さな体で一生懸命走る姿はなんて愛らしいんだろう。

「おおーっ、すごい! シュガーって足早いね!」
「そうですか? 犬ならあのくらい普通ですよ。取り立てて褒めることではありません」

 時谷くんが面白くなさそうに答える。各々楽しい時間を過ごしている公園内でただ一人、彼だけが膨れっ面をしていた。
 時谷くんは機嫌が悪い。私がシュガーの散歩に行ってみたくて、乗り気じゃない時谷くんを連れ出したからだ。

「ワン!」
「シュガーいいこだね! ああもうっ、フワフワでころっころしてて可愛いなあ!!」

 得意気にフリスビーを持ち帰ってきたシュガーにおやつのジャーキーをあげながら全身を思いきり撫でる。私を見上げるつぶらな瞳が可愛すぎるからいちいち興奮してしまう。
 ただ、この可愛いお顔を前にも見た気がしてならない。どこか、意外な場所。私は一体どこでシュガーを見たんだろう。

「犬は楽でいいよな。この程度のことで綾瀬さんにご褒美をもらえるんだから」
「またそんなこと言って!」
「グルルルッ」

 時谷くんがシュガーを見下ろしながら吐くと、低い唸り声が上げる。シュガーは賢いから、時谷くんに小馬鹿にされたことが何となくわかるのだろう。
 放っておいたらまた大惨事になりそうで、私はシュガーを抱き上げる。

「時谷くんはシュガーが可愛くないの?」
「こんな狂犬可愛いと思いません。わかってますか? こいつオスですよ? 人間の年齢で考えたら四十越えの中年おやじです。見た目に騙されないでください」
「ガウウッ」
「わっ、落ち着いて!」

 シュガーはいよいよ堪忍袋の緒が切れたとばかりに牙を剥き出しにして、腕から下りようと暴れ始める。仕方なくシュガーを抱いたまま時谷くんから少し離れる。
 時谷くんと距離ができた途端、シュガーは何事もなかったかのように私の手をペロペロと舐めて、愛嬌のある犬に戻った。

「可愛い! 触らせてよ!」
「なんて名前なの?」
「こいつ噛む?」

 遊具の方に近付いたらゲームをしていた小学生男子達が寄ってきた。

「んーと」

 念のため飼い主の許可を得ようと時谷くんの方を見ると、こちらにスマホを向けていた時谷くんが慌てた様子でポケットに仕舞う。
 そして取り繕うような笑顔で私に手を振る。
 確信した。あれは絶対、私のこと盗撮してたな。

「噛まないよ大丈夫。シュガーっていうんだよ」
「へぇ! 俺抱っこしたい!」
「可愛いー」
「おいっシュガー! お手、おかわりっ」

 一人の男の子がシュガーを抱いて、他の子達はしっぽを引っ張ったり、少々手荒にシュガーに触る。
 それでもシュガーは嫌がらずに言うことを聞き、愛想を振り撒いていた。

 本当に時谷くん限定で狂犬になるらしい。
 改めて不憫に思いながら見やると時谷くんは大袈裟に驚き、後ろ手に何かを隠した。
 全く、隙あらばスマホを出して隠し撮りしようとするんだから。
 ――スマホの、写真?

「あ。そっか」

 どこでシュガーを見たのか思い出した。
 例の裸の写真を削除しようと時谷くんのスマホのロックを解除した際、白い毛のポメラニアンの写真が何枚か保存されていたのを見たんだ。
 こんな狂犬可愛いと思わない、とか言っちゃって時谷くんも素直じゃないな。
 私はシュガーを小学生達に預け、口元を緩めながら時谷くんの隣に座った。

「な、何ですか? ニヤニヤして」
「ふふふ……時谷くんって実はシュガーのこと大好きでしょ? 好きじゃなかったらシュガーの写真を大切に保存したりしないよね」
「えっ……あ、う、ま、まぁ、多少は……」

 時谷くんは激しくうろたえて。視線をさまよわせた後、観念するように認めた。
 そして、小学生に囲まれてしっぽを振っているシュガーに寂しげな視線を送る。

「……僕が好きでもあいつは僕を嫌ってるんですよね。僕ってこうなんです。一方的に好きになって、嫌われて、それでも僕は好きで……勝手に好きでい続けて、もっと嫌われるような行動をして、僕は……」
「思い詰めないでよ! ごめんね。時谷くんがそこまで悩んでたなんて知らなくて……」

 秘密を暴かれて恥ずかしがっているというよりも本気で落ち込んでしまったらしく、手で顔を覆った時谷くんの声は弱々しかった。
 ちょっとからかってやろうと軽い気持ちで言ったことを後悔し、もう一度立ち上がる。

「私、時谷くんがシュガーと仲良くなれるように協力するね! まず、動物と仲良くなるためにはスキンシップが大事だよ」

 愛を込めていっぱい撫でてあげれば、シュガーも時谷くんからの愛情に気付いて懐くんじゃないだろうか。

「僕がスキンシップを取ろうとすると怒るんですが……」
「それは時谷くんが"シュガーなんて嫌い"オーラを作ってるからじゃない? なんというかこう、プラスの感情を前に押し出して……そう、"好き好きオーラ"を全開にして接したらシュガーも答えてくれるよ!」
「好き好きオーラを全開にして、と……なるほど。参考になります」

 時谷くんは私の雑なアドバイスに耳を傾け、熱心にメモまで取っている。

 私は小学生のところから連れ戻してきたシュガーを時谷くんの前で抱き上げた。

「まずはおやつをあげてみようよ」
「わかりました。やってみます」

 時谷くんが小型犬用の小さめのジャーキーの端っこを持ち、恐る恐るシュガーの口元に近付けていく。
 不思議そうに首を傾げ、差し出されたジャーキーを見つめるシュガーの様子にこれならいけると思った。

「クーン……」
「シュ、シュガー……」

 一人と一匹の新たな一歩。
 私は静かに、固唾を呑んで見守る――

「っ! い゛っ、ででで!」

 が、そんな簡単にいくはずもない。大きく口を開けたシュガーは当然のように時谷くんの指ごとジャーキーにかじりつく。
 もしやいけるのでは、とキラキラした瞳でシュガーを見ていた時谷くんは悲痛な声を上げ、別の意味で瞳を潤ませる。

「あーー! この兄ちゃん噛まれてやんの!」
「あははっ、だっせー!」
「ワン!」

 先ほどシュガーを撫でていた小学生達が時谷くんを指差し囃し立てると、シュガーまで一緒になって機嫌良さそうに吠えた。

「こ、こらあっ!」
「わーー! 逃げろ逃げろー!」

 私が怒鳴ると小学生達は散り散りに公園を出て行った。時谷くんの傷口に塩を塗りこんでいくのだから悪ガキって困る。

「気を落とさないで? 最初から上手くはいかないよ。根気よくいこう、根気よく!」
「そ、そうですね。もう一度スキンシップを……っ、いだぁっ……綾瀬さん! 僕やっぱりシュガーなんてだいっっ嫌いです!」

 シュガーがぶら下がっている腕をぶんぶん振りながら、時谷くんはシュガーに向けて思い切り口をイーっと開けて叫ぶ。
 かくして時谷くんとシュガーの間の溝は更に深まったのだった……。


 ***


 夜になり帰ってきた時谷くんのご両親は必要な荷物をキャリーケースに詰めこんで、玄関へと向かった。

「綾瀬さん、シュガーの面倒を見てくれてありがとう」
「いえ。私もシュガーと遊べて楽しかったです!」

 時谷くんとご両親の会話は「ちゃんと学校行きなさいよ」「わかってる」程度だった。
 海外暮らしのご両親とシュガーにはなかなか会えないだろうに随分あっさりしている。時谷くんらしいな。

「あ、そうそう。七花ちゃんにこの花火あげるね」
「わ、いいんですか? ありがとうございます!」
「今日のお礼に。本当は薫としたくて買ってきたんだけどね……」
「するわけないだろ」

 すかさず時谷くんのしらけきった視線とツッコミが飛ぶ。
 ほら、薫ってこうでしょ、と言うように時谷くんのお母さんは肩をすくめて見せた。

「七花ちゃん、次は二人でゆっくりお茶飲もうね。女子会、女子会!」
「母さんは女子って年齢じゃないだろ。それに二度と母さん達を綾瀬さんに近付かせないから」
「薫うるさい!」

「これからも息子をよろしくね」
「はい」

 時谷くんとお母さんが喧嘩している横で、お父さんが密かに私に耳打ちする。

「薫と君の関係がどうであれ、ね?」
「えっ……」
「薫にとって君が特別な存在であることには変わりないみたいだから」

 時谷くんのお父さんが私の耳元でくすりと小さく笑う。
 考えてみればあの時谷くんのお父さんが私みたいな小娘の嘘に騙されるはずなかった。
 多分最初に友達だと答えたときからわかっていたのだ。わかっていて、それでも時谷くんの中学時代の話をしてくれた。

「はい……」

 私――恋人ではないけれど、時谷くんのことが好きなんです。
 時谷くんのお父さんは息子に優しげな視線を向けたまま頷く。

 そして、別れのとき。

「クーン……」
「シュガ〜〜!! 寂しいよぉ! 私のこと忘れないでね!」
「ワンワン!」

 人懐っこくてふわふわもふもふの可愛いシュガーと離れたくない。シュガーも寂しそうに私の口元を舐め回し、別れを惜しんでくれているようだった。

「う、そ……俺だってキスしたことないのに……っ、シュガー! 綾瀬さんにそんなことしてうらや……っ失礼だろ!」

 本音が見える時谷くんの言葉は無視してシュガーを時谷くんのお母さんの元に返す。

「――ねぇ、薫。本当に一人で生活できる? 向こうに戻ったら私達しばらく帰ってこられなくなりそうなの……」
「ああ。薫は来年受験生だし、高校を卒業するまでは俺達も日本にいた方がいいんじゃないかって話もしてて……」
「白々しいな。心配してるフリなんてして。ヨーロッパ圏でも事業を始めるとか言って張り切ってたじゃん。俺のために留まる気なんて本当はないんだろ。俺は困ったら叔父さんを頼るからいいよ」
「薫……」

 重苦しい空気が流れる。時谷くんは両親の背中をぐいぐい押して外へ追い出し、

「二度と帰ってこないで」

 更に冷たく言い放った。


 ***


 私と時谷くんは早速お庭で時谷くんのお母さんからもらった手持ち花火をした。
 花火は綺麗だったけど、さっきのお別れを引きずって私の目には切なく映った。

 明日の夜は、時谷くんと以前に行く約束をした夏祭りがある。
 ちょうど今、目の前のテレビで宣伝が流れた有名な花火大会ほどの規模ではないものの、一応は花火も上がるし楽しみだなあ。

「綾瀬さん、すみませんでした」

 時谷くんは隣に座ってテレビを眺めながら何度目かの謝罪を口にした。
 両親の存在を心底汚らわしく思っている時谷くんは、両親と会ったことで私が不愉快な思いをしたんじゃないかと気にしている。

「謝らないでよ。私は時谷くんのお父さんとお母さんとお話できて楽しかったよ」
「でも」
「あっ! あの嘘は驚いたけどね。時谷くんが甘い物嫌いだって話!」
「ごめんなさい」
「ごめんごめん。そのことも気にしてないってば」
「僕は嘘つきですね。ごめんなさい」

 軽い冗談のつもりで言っただけなのに、時谷くんは妙に深刻そうに謝罪を繰り返す。

「時谷くんは大げさだよ。それとも……他にもいっぱい私に嘘ついてることがあるの?」
「っ!」

 時谷くんがビクッと大きく肩を揺らす。膝の上で握り締めた拳が震えている。
 まさかの図星だったらしい。

「いっぱいってことは……な、いと思います。多分……」
「あはは。そこは言い切ってほしかったところだけどね」
「ひ、一つだけです!……大きな嘘は、ですけど……」

 顔を上げた時谷くんはなんだか必死で。

「大きな嘘?」
「っ!」

 私が反射的に聞き返すと、その表情をくしゃりと歪ませた。

「ごめんなさい……あのことだけは言えません。言ったら綾瀬さんは今度こそ絶対に僕を軽蔑します。許してくれるはずないんです。本当の本当に僕から離れていっちゃうから……っ」
「も、もう、本当に大げさだな。そんなこと言うけど『実は甘い物が嫌いでした』程度の嘘なんでしょ?」

 その程度で時谷くんを好きな気持ちは変わらないよ、という言葉は心の中に留めておく。
 時谷くんは私に散々酷いことをしてきたし裸の写真も消してくれないけど、それでも私は時谷くんの友達としてそばにいるのだ。
 今度こそ絶対に軽蔑されると怯えるほどの嘘がなんなのか、見当もつかなかった。

「大袈裟じゃ……ないです。僕、嘘つきだから……綾瀬さんを繋ぎ止めるためならどんな最低な嘘でもつけるんです」

 そう言って俯く時谷くんの瞳の奥に見えたほの暗い色に少しゾッとしたけれど……

「時谷くんはいちいち重苦しく考え過ぎなんだって! あ、次の番組始まったよ。気を取り直してテレビでも見ようよ!」

 私にはどうしても深刻なものとは思えなかったから明るく返した。


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