Keep a secret
□私でよければ
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少し休んだ後、腹部にかかった精液を時谷くんがタオルで綺麗にしてくれた。
次に私の秘所へと移動する手を自分でできるからと拒んだものの、まぶたが重くて開けていられない。私は時谷くんに身を預けたままでうとうとし始めた。
「このまま寝ますか?」
「ねー……鍵……ピッキング?」
「あははっ、そんなことが出来たらいいんですけどね。鍵というのは大抵の場合、合鍵が存在するんですよ」
「私だってー……」
鍵が複数あることを黙っていたなんて時谷くんはやっぱり狡い。
仕返しに「私だって時谷くんがオナニーしてるとこ見たんだからね」と言う途中で、意識は遠退いていった。
――犬がキャンキャン鳴いている。そんなに遠くない場所から聞こえる。
目を開けるとベッドの上には全裸の私一人きり。上半身を起こすと枕元に時谷くんからの書き置きを見つけた。
食材を買いに行って来ます、と書かれたメモに目を通していたら、誰かが階段をダダダッと駆け上がってくる。
そんなに急がなくていいのにと思いながら勢いよく開いたドアに視線を向ける。
「クゥーン!」
「うわっ!?」
胸に飛び込んできたのは小さな犬だった。
わたあめみたいに真っ白で丸っこいポメラニアンだ。甘えたように鳴きながらつぶらな瞳で私をじっと見つめる。
「ハッハッ」
「あははっ、くすぐったいよ!」
いきなり顔中に舌が這う。私も負けじとふわふわの毛を撫でる。
可愛いけど――この子は何者?
疑問に思った時。廊下をスリッパが叩く音が近付いてきた。今度こそ人間だ。
この子のことを早く聞きたくて、私は布団から抜け出してその人物の腕にしがみつく。
「時谷くん、おかえり!」
「久しぶりだな。かお、る……?」
「えっ?」
返ってきたのは時谷くんより低い声。見知らぬ男性だった。私からさっと顔を逸らした横顔にある面影を見た。
この人、もしかして――
「あ、あの!」
「……ごめんね。話の前に服を着てくれないかな」
「へ?」
嫌だなあ。突然何を言い出すんですか……と思いながら視線を下げてみたら、私は当然全裸で。
次の瞬間には超音波にも似た悲鳴を上げたのだった。
***
「さ、先ほどは大変お見苦しい姿をお見せして申し訳ありませんでした」
「はは……こちらこそなんかごめんね。薫の父です。初めまして」
「は、初めまして! お邪魔しています」
私は時谷くんのお父さんと改めてリビングで対面していた。
時谷くんのお父さんは顔立ちのはっきりした彫りの深い美形で、大人の色気を放っている。膝に乗せた愛犬と何気なく戯れる姿も絵になっていた。
私はその隣でガチガチに緊張している。
初対面が全裸。しかも痴漢男を目の前にしたような悲鳴まで上げてしまった。
私の第一印象は最悪に違いない。なんとか挽回したいところだ。
「も、申し遅れました。わ、わたくしは」
私はソファーの上で正座し、三つ指をつく。
「綾瀬七花さんだよね? そんなに畏まらないで」
「どうして名前……? あ、時谷くんから聞いていたんですね」
「いや、薫は何も話してくれないよ。"綾瀬七花さん ようこそ"って玄関に貼ってあったから」
「ああー……そういえば」
あの飾り付けのこと忘れてた。今も玄関は私をのほほん歓迎ムードなんだった。
「ところで、薫とは付き合ってどれくらいになるの?」
「付き合う? 友達になってから今日で四日目ですけど……あっ!」
深く考えず馬鹿正直に答えた後で自分がやばいことを口走っていることに気付いた。
「ん?」
時谷くんのお父さんはピクリと小さく反応して小首を傾げる。張り付けたような笑顔から凄みを感じて私の背中には冷や汗が伝う。
「そうかあ……今時の高校生は数日前にできた異性の友達の部屋にお泊まりして全裸で寝るのが普通なんだ?」
「いいいやっ! 間違えました! 時谷くんとはお付き合いさせてもらってます。い、一ヶ月くらい前からです!!」
「だよねー。はははっ」
「は、はいー……あははは」
嘘をついたことに罪悪感はあるものの、私と時谷くんの込み入った関係性を打ち明けるわけにもいかなかった。
「――綾瀬さん」
しばらくわざとらしく笑いあった後、時谷くんのお父さんは雰囲気をガラッと変えて真剣な表情になった。
「薫をよろしくね。綾瀬さんも薫が去年不登校だったことは知ってると思うけど、中学時代にも色々あって薫は傷付いてるから……」
「色々ってあ、あの……ご両親のお仕事のこととか、ですか……?」
「……驚いたな。俺の仕事のことを薫が話してるなんて」
時谷くんの意思で打ち明けてくれたというより半ば強制的に引き出した感じだけれど。
「時谷くんは中学時代に何があったんですか? 教えてください」
あの部屋で私に秘密がバレたとき、時谷くんがあんなにも動揺して怯えていた理由を知りたい。
「うん……薫が中学一年生の頃、同級生と喧嘩……いや、もしかしたら仲間外れにされてるんじゃないかと担任の先生が心配してくれていてね……薫は大丈夫だと言って何も話してくれなかった。でも恐らく俺の仕事が原因だったんだろうね。小学生の頃もそうだったから」
やはり時谷くんは高校で黒崎さん達に目をつけられる前から辛い思いをしてきたんだ。
「小学生の頃と事情が違うのは、薫が一番親しくしていた友達がいじめの首謀者になったってことかな。薫はこの一件以来、本当に変わってしまったよ。元から俺と妻の前では笑顔を見せない子だったけど、日に日に表情が暗くなっていくのを見るのは苦しかったな」
私は何も言えずに唇を噛みながら時谷くんのお父さんの話に耳を傾ける。
「あれでも小学生の頃は結構やんちゃなタイプだったんだけどね。それが先生と話す機会がある度に『薫くんは大人しいタイプですね。休み時間は一人で本を読んで過ごしていることが多いです』なんて真逆のことを言われるようになってさ。まあ、もともと無理して虚勢を張ってただけなのかもしれない」
時谷くんの過去の重さにうなだれる。
彼はあの部屋で、「みんな僕を気持ち悪いって軽蔑した目で見た」と言っていた。
隠したい秘密が学校で漏れて、一番の友達から軽蔑され、いじめられて。それは時谷くんの心にどれほど深い傷を刻んだのだろう。
「親として情けないけど……薫は俺には見せない楽しげな笑顔を綾瀬さんになら見せてるんじゃないかな?」
「そ……うかもしれません」
時谷くんとはいろんなことがあって泣き顔も何度も見たけど、笑顔だっていっぱい見てきた。
それが特別なことだと気付けていたら、時谷くんの私への気持ちにももっと早く気付くことができていたかもしれない……。
「そうか、よかった……綾瀬さん、どうかこれからも薫をよろしくお願いします」
「……はい。私でよければ」
私の口から自然と出た言葉は嘘偽りない本心だった。時谷くんのお父さんはありがとうと言って柔らかい微笑みを浮かべた。
幼い頃から両親の仕事が原因でいじめを受けてきた時谷くんが両親を嫌うのは仕方がないことだ。
だけど私は時谷くんのお父さんを悪い人ではないと思った。時谷くんのお母さんも、きっと同じ。
「なんだか暗い話をしてごめんね」
「いえ、お話してくださってありがとうございます」
「薫には内緒にしてね。綾瀬さんに聞いてもらいたくなったときに自分で話すと思うから」
「約束します」
「ウウーッ!」
わたあめちゃんが膝の上から下りて、ドアの前で唸り声を上げる。小さいながらも鋭い歯を剥き出しにして突然の臨戦態勢だ。
さっきまで気持ち良さそうにうたた寝していたのにどうしちゃったんだろう。
「薫が帰って来たみたいだね」
「時谷くんが?……あっ」
時谷くんのお父さんが言う通り、玄関が開く音がした。すぐさま私を呼ぶ時谷くんの声と騒々しい足音がリビングに近付いてくる。
「いやあ、実は薫とシュガーは……」
「何ですか?」
シュガーっていう名前なんだ。お砂糖が膨らんだようなふんわり甘そうな毛をしているからピッタリだ。
「綾瀬さん! 起きてま――うわっ!?」
「ワンッワンッ!」
リビングのドアが開いたのを合図にシュガーは時谷くんに飛び掛かる。
まずは高くジャンプをして時谷くんの腹部へ弾丸のような体当たりを一発。不意うちの攻撃に腹部を押さえて前のめりになったのを見計らい、第二の攻撃を仕掛けた。
「いだだだ!!」
シュガーが時谷くんの髪に噛み付いてぶら下がる。
時谷くんは小さな体のポメラニアンにやられたい放題だ。悲痛な声を響かせて床に膝をついた。
「とっ、時谷くん!」
「ご覧の様にシュガーと薫は犬猿の仲なんだよ。兄弟喧嘩みたいなものかな? あははっ」
いやいや。お言葉ですが、私には時谷くんが一方的に痛めつけられているようにしか見えません。
「シ、シュガー離れろ! お座り! 痛っっ!」
引き剥がそうと必死な時谷くんの腕をかいくぐり、シュガーは止めに肩の辺りへ食らいついた。「この雰囲気懐かしいなあ」なんて言って和んでいる時谷くんのお父さんを尻目に、私は絶叫する。
「いやあああっ!! シュガーやめて! 時谷くんが死んじゃうよ!」
「し、死ぬ……?」
「クーン……」
一人と一匹が、くりくりの大きな目を見開いて私を見る。そして時谷くんはシュガーが私に気を取られている隙に噛み付けないよう上手く抱きかかえた。
「もうっ、大袈裟ですよ。こんな小さな犬にやられるはずないじゃないですか」
「そ、そう? 本気で時谷くんの生命の危機を感じたんだけど」
「え……」
「ワンッ!」
シュガーが元気よく一吠えする。
「お、お前のせいで!」
時谷くんは腕の中のシュガーを恨めしそうに睨むばかりだった。
何はともあれ時谷くんが殺されなくてよかった。
「それより綾瀬さん! 父に変なことをされませんでしたか!? ごめんなさい。僕が綾瀬さんを一人にしたから……っ」
時谷くんはシュガーを解放すると、私の両肩を掴んで前後に揺さぶってきた。
「だ、大丈夫だよ」
脳を激しくシェイクされながら何とか伝える。まあ、裸は見られましたけど。
「そうですか、よかった……でもこれ以上父と同じ空気を吸わせるわけにはいきません!
手遅れになる前にこの家を出ましょう。さあっ、今すぐに」
「ええっ!?」
「おいおい。親をばい菌みたいに言うもんじゃないぞ」
「ワンッ! ワンッ!」
今度は手首を引っ張られ廊下に連れ出される。足元で吠えるシュガーの存在を無視して時谷くんは玄関へとずんずん進んでいく。
「チッ……もう帰ってきたのか」
私達が靴を履く直前に玄関が開いた。時谷くんが眉を顰め、露骨な舌打ちをする。
「ただいまー……」
次に美人な女性が顔を覗かせた。
時谷くんのお母さんだ……!