Keep a secret

□破廉恥ですよ
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 シングルベッドは二人で寝るには窮屈だ。
 枕を借りずに時谷くんに背を向けて寝転がる。シーツからは柔軟剤の清潔な香りがして、少し残念に思うくらい時谷くんの匂いはしなかった。

「お腹だけでも布団掛けてくださいね」
「うん……」

 横から小声で言われ、私は足元にあった薄手の布団を手繰り寄せる。

「綾瀬さん……こんなときに言うのもなんですが、好きです」
「と、突然どうしたの……」
「昨日告白してよかったと思ってるんです。ああ、綾瀬さんのこと好きだなって思ったときにいつでも気持ちを伝えられるようになったから……」

 近くにいるのに少し遠い声。時谷くんも反対側を向いて寝ているんだろう。

「……お見舞いに行った日にも時谷くんから好きって言われたよ。寝言だけどね」
「えっ……まさかあの夢!?」

 体を起こしたらしい振動が伝わってきたけれど、時谷くんはまた静かに体をシーツに沈めた。

「覚えがあるの?」
「や、その……綾瀬さんが夢の中でも料理を作ってくれていたんです。しかもあーんして食べさせてくれたから僕は浮かれて……確かに綾瀬さんを抱きしめながら好きと言いました。言いましたが……あ、あれは夢の中の話のはずで……!」

 あの"好き"は寝言とはいえ無意識下の告白でもあったんだ。嬉しい……けど、時谷くんがやたらと必死に、深刻そうに語るからつい面白くなってきてしまう。

「いーや、現実だったよ。綾瀬しゃーん、しゅきぃ……って感じでしたねぇ」
「嘘……そ、そんな恥ずかしい言い方してましたか? 忘れてくださいっ!」
「わわっ!」

 時谷くんが後ろから抱き着いてきた。私の髪に顔を擦り付けながら、ううう……と唸り、身悶えている時谷くんは可愛らしい。
 ちょっと話を盛りすぎたな。

「ごめんごめん。本当はもう少し普通の言い方だったよ」
「何ですかそれ……!もう知りませんっ、僕は寝ます! 綾瀬さん、お・や・す・み・な・さ・い!」

 時谷くんは怒ったというより拗ねたみたいだった。プンプン、という古臭い擬音が聞こえてきそうな雰囲気だ。さっきの電話のときと違って全然怖く感じない。
 私を抱きしめる腕の力が強くなって、体がより一層密着する。窮屈だけど、くっつかれているのも嫌ではなくて素直に目を閉じた。

 しかし数分後――
 時谷くんが不審な動きを見せる。

「はぁ……ん……」

 彼は私の髪に顔を埋めるとすんすん鼻を鳴らし、匂いを嗅ぎ始めた。
 私がまだ寝付いていないことは明らかなのにお構いなしだ。そのまま艶っぽい吐息まで漏らされたらのんきに眠っていられない。

 時谷くんの呼吸が荒くなるのに比例して最初は気にならなかった彼の性器がむくりむくりと起き上がり、硬くなっていく過程が服越しでも妙に生々しく感じられた。

「はぁ……はぁ………すみません。わざとではないです。でも、つい……あ、でも変なことをする気はない、ので……安心して寝てくださいね」

 ――こんな状況で寝ていられるもんか……!
 こっちは時谷くんのアレの存在を意識させられて気が気じゃないのに!

「……時谷くんもちゃんと寝るの?」
「ん……はぁ」

 時谷くんは小さく頷いた。
 熱い息が首筋にかかる。時谷くんは私から離れようとしないけど、性器をこれ以上押し付けようともしない。
 本当に襲う気はないみたいだ。
 今晩は私だけでなく時谷くんにとっても修業のような、過酷で眠れない夜になりそう……私はそっと目を閉じて、眠る努力を始めた。


***


「きて、起きて……」
「ん……」

 耳元で囁かれる穏やかな声が、私を深い眠りから覚ましていく。

「綾瀬さん、起きてください」
「あと、ちょっと……」

 髪を撫でられるのが気持ち良いからもう少しだけ眠っていたい。

「もう……仕方のない人ですね」

 くすくすと笑う声が心地よく響く。

「んー……もっと触ってぇ……」

 私の頬を包むようにふんわりと添えられた手の平に頬擦りする。
 この手好きだなぁ……大切な宝物を扱うように、とびきり優しく触れてくれる。

「綾瀬さん、起きないと……キ……〜〜っ! お、俺、何を言ってるんだ……っ、恥ずかしい!」
「ひゃ、ひゃにっ!?」

 ぼそぼそとした声が途切れて、急に頬を引っ張られる。何事かとまぶたを開けたら、ベッドの脇に屈んで私の顔を覗きこんでいる時谷くんと目が合った。

「おはようございます。よく眠れましたか?……ふふっ、寝ぼけているときの綾瀬さんは甘えんぼうさんなんですね」
「あまへんぼう?」

 頬をつままれているせいで間抜けな声が出た。パチパチとまばたきをしながら、寝起きから完璧に整っている顔面を見つめる。
 ――さっき何を言ったっけ?

「ぎゃあああっ! ち、違う! 何かの間違いだよ! お願いだから忘れて……!」

 私は慌てて起き上がると足元でくしゃくしゃになっていた布団の中に頭を突っ込んだ。
 布団ごと頭を抱えながら恥ずかしさに縮こまる。本当は転がり回りたい気分だった。

「可愛いからもっと見ていたかったのですが、もうお昼なので……」

 時谷くんが布団の上から私の頭を撫でている。ついさっきまで寝付けずに悶々としていた気がするのにもうお昼なんだ。

「お腹空きませんか? お昼ご飯を作ったので食べましょう」
「あ、ありがとう……」

 布団で顔を隠したまま返事をする。

「洗面所使いますよね? 僕はすぐに食べられるように用意してきますね」

 泊めてもらっている身なんだからせめてお手伝いくらいしなければと思うけど、どうしても今は行けそうにない。
 私の頭をもう一度撫でて、時谷くんの足音がベッドから遠ざかっていく。

 とんだ醜態を晒した。火照った顔を洗って冷まそう。
 そういえば。ふと思い出す。時谷くんも私が起きる直前に恥ずかしいとか何とか一人で言っていたような。
 私は布団からこっそり顔を出した。

「さっき何て言おうとしてたの? 起きないと……の続き」
「え!? 何でもな――痛っ!」

 時谷くんは逃げるように部屋から出ようとして、閉まったままのドアに頭からぶつかっていった。

「動揺しすぎでしょ……」

 ぶつけた頭を抱えて悶絶している姿に少し呆れてしまう。

「何でもないですよ。僕は行きますね」

 痛みが治まったらしく、仕切り直しのように言って出て行こうとする。
 けど、そんなあからさまに隠されると余計に気になってしまうじゃないか。

「その前に起きないと何だったのか教えてよ。お願い!」
「だ、だから……さっきの綾瀬さんが可愛かったから……僕は調子に乗って……」

 でも途中で恥ずかしくなって……僕らしくないかなって思うし……などと、時谷くんは口ごもりながら唇を指でなぞる。

「お、起きないと……キ、キ……」

 何やら言いにくいことらしい。もじもじとした姿に、私は一つの答えを見出した。

「まさか! 起きないと犯す、って言おうとしたの?」
「なっ!?」

 半分冗談、半分本気の予想に時谷くんは口をあんぐりさせた。

「ひ、昼間っからなにいやらしいこと言ってるんですかぁっ! 綾瀬さんっていっつもそんなことばかり考えてるんですか? 本当に信じられない! 破廉恥ですよ!」
「なっ!?」

 よっぽど不満だったのか散々言った後に私を睨みつけた瞳は潤んでいるように見えた。
 あの時谷くんに破廉恥呼ばわりされたら私も口をあんぐりさせるしかない。

「僕はもう行きますから。綾瀬さんも早く顔洗ってきてください!」

 時谷くんは一方的に言い捨てて、騒々しい音を立てながら階段を駆け下りていった。


 鏡の中の私はぼーっと気が抜けた顔で歯を磨いている。家で普段使っている物よりミントの爽快感が強い歯磨き粉だ。
 しかし私の眠気はなくならない。寝付けたのは朝方だった気がするからなあ。
 ダラダラ磨いていると時谷くんが鏡に映った。

「綾瀬さんは食前に歯磨きする派なんですか?」
「別に適当かな」

 深く考えずに磨き始めたが、そういや今からご飯を食べるんだった。
 時谷くんの機嫌はもう直ったようだ。歯磨き中の私の顔をにこやかに覗き込むと、突然時谷くんの顔が引き攣った。

「そ、それ」
「なに?」

 それと言って指差しているのは私の口元。
 顎? 唇?……歯ブラシ?

「僕の……です……」
「えっ」

 時谷くんが気まずそうに顔を背ける。
 私は洗面台に置かれたもう一本の水色の歯ブラシの後、現在くわえている同じく水色の歯ブラシに視線を移す。

 よく似てる。でもデザインが若干違う。
 この歯ブラシには何やら歯ブラシメーカーのロゴがあるが、昨日私が使った歯ブラシにこんなの書いてあったっけ……。

「ご、ご、ごめん!」

 驚いて歯磨き粉を飲み込みそうになるのをこらえて、口から歯ブラシを出した。
 なんということだろう……私が思いっきり歯を磨き、歯磨き粉のたっぷり付いたこの歯ブラシが時谷くんの物だなんて。
 どうすればいいのかわからず、泣きそうになりながら時谷くんを見つめた。

「僕の、だから……返して」
「……あ。う、うん」

 私の前に出された手の平に少し戸惑う。
 時谷くんは眉を八の字にして困った顔をしていた。もしかして私が新品を下ろしちゃったから替えがないのかな。

「本当にごめんね! 今洗うから待っ――」

 蛇口を捻り、歯ブラシを流水に近付けた瞬間。手首を掴まれ、時谷くんの方にグッと引っ張られる。

「っ!?」

 そうして時谷くんが、泡立ったままの歯ブラシを口にくわえた。
 思わず私が手離した歯ブラシを自分の手で持ち、彼は歯ブラシをくわえながら閉ざした口をもごもご動かしている。
 私は間抜けに口を開け、彼の動向を見守ることしかできない。

 開いた唇から唾液が垂れてきそうだ。
 ゴクン――
 私が歯磨き粉混じりの唾液を飲み込んだのと、時谷くんが喉を大きく鳴らしたのはほぼ同時だった。

「な、な、ななな!?」

 何してるのと聞きたくても動揺して上手く喋れない。
 だってだって、私の口の中で泡立った歯磨き粉とか、汚れとか、その他もろもろを時谷くんが飲み込んでしまった。

「き、きっ、汚いよ!」
「汚くないです」
「いや、汚いから!」

 歯ブラシを口から出した時谷くんと言い合いになる。

「ん……そうですか。それなら……」

 時谷くんは私を不思議そうに眺めてから一呼吸置いて、自分の喉に手を当てる。

「綾瀬さんの細菌……僕が食べちゃった」
「っ!」

 彼は笑いながら、もう片方の手を私の喉に近付ける。

「ねぇ、僕の細菌も少しは残ってたかな?」

 今の状況に不似合いな柔らかい笑みを浮かべ、指先で優しく私の喉を撫でる。
 こんな綺麗な人から汚い菌など生まれるはずがない。
 馬鹿なことを本気で考えながら、私は無意識に唾を飲んだ。味がしないそれに、時谷くんの一部が紛れ込んでいる気がした。

 その後のお昼ご飯はそうめんだった。
 前に私が冷たい物を食べたいと文句を言っていたこと覚えていたのかな。
 なんだかこれから楽しいお泊り会になりそう、なんて。単純な私は思った。
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