Keep a secret

□仲良くしてね
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 しばらくして――
 放心状態の私の体を時谷くんが清潔なタオルで丁寧に拭いてくれた。次に彼はその辺に散らばった私の衣服を集め始める。
 ぼんやりと目で追っていたが、「ぐしょぐしょだ」という呟きを合図に魔法は解けた。
 途端に怒りが込み上げてきて、私は彼の手から下着を引ったくった。

「写真だよ写真! 消す気になった?」

 時谷くんに背を向けて怒鳴りながらショーツに足を通す。
 うう……ぐっしょり湿っていて気持ち悪い。

「……いいえ。わかりきった返事を聞くためにリスクを負いたくはありませんから……ああ、そうだ。僕はギャンブルにはハマらないタイプなので良い旦那さんになれると思いませんか? ギャンブルが好きな男って綾瀬さん的にもナシでしょう?」

 私は手早く服を着込んでいって、テーブルの下に落ちているカバンを拾いに行く。
 確かにギャンブルは嫌だけど、時には度胸も必要だと思う。自分に自信のない時谷くんが消す気になってくれるまでまだ時間がかかりそうだな……と考えながらふとテーブルの裏を見上げたらメモが目に入った。
 つい、口元が緩む。

「わっ、私と友達になって!」
「え……そ、れって……告白の返事ですか……?」

 私が勢いよく立ち上がると、時谷くんは逆に膝から崩れ落ちた。時谷くんが縋るように握りしめたラグはぐしゃりと歪んでいる。

「ううん。告白の返事とは別……」
「どういうことですか?」

 時谷くんは困惑した様子で私を見上げる。
 私はその眼前に一枚のメモを突きつけた。これは今さっき剥がしたメモだ。元はテーブルの裏側に貼り付けられていた。

「時谷くん、友達になろう」
「っ!」

 ――そろそろ学校に来ない? 学校に来たら友達になろう。
 時谷くんの不登校時代に私がポストに入れたメモのコピー……これと同じものが、時谷くんのパソコンのモニターにも貼られていた。
 もしかしたら私が今まで気が付かなかっただけで、この家のあちこちに貼られているのかもしれない。そうして、時谷くんの心の拠り所になっていたのかも。

「時谷くんともう一度、友達になりたい」

 時谷くんが写真を消してくれないのは今の私達の関係が友達でも恋人でもない、写真が消えたら一緒にいる理由もなくなってしまうような関係だと思っているから。
 こんな、歪な関係はもう終わりにして、自然な形で一緒にいたい。

「……ぼ、くは綾瀬さんの特別になりたいんです……」
「うん」
「友達にはなりたくないと前にも言いました。写真だって消しません。でも……」
「うん」
「友達になろうって……その言葉が嬉しい……なんて……っ」

 時谷くんは私から受け取ったメモを大事そうに胸の前で抱きしめた。
 固く閉じたまぶたが震えている。メモを抱きしめる手を緩めたり強めたり、葛藤しているようだった。


「時谷くん……?」

 その後。ぶるぶる震える時谷くんを宥めてソファーに座らせてから、彼は人形のようにピクリとも動かなくなってしまった。瞳孔を開いたまま、まばたきも忘れている。
 連れ込まれる際に泊まっていくように言われたが、お断りである。そろそろ家に帰りたい私は恐る恐る時谷くんに声をかける。

「もしかして……写真を消す方向に気持ちが傾いてたりする……?」
「頭の中に色んな考えが浮かんでそれどころじゃないです」
「色んなって?」
「綾瀬さんが好き……とか。お腹空いたとか。俺の指、綾瀬さんの愛液の匂いがまだ残ってるなとか。後で指を舐めながら一人で抜こうとか。やっぱり綾瀬さんをもう一度襲っておくかとか。綾瀬さん可愛いとか。ゲームセンターで取ったマグカップ、ボウリング場に忘れてません?とか。なんか疲れたなとか。綾瀬さんの恋人になりたいとか。高橋さんと押野くん今頃恋人っぽいことしてるのかなとか。俺も綾瀬さんと恋人っぽいことがしたかっただけなのに、何でこんなことにとか。苔山田は死んでほしいとか。ミジンコになりたいとか。綾瀬さんの恋人になりたいとか。綾瀬さんの友達も少し嬉しいとか。綾瀬さんを犯したいとか。綾瀬さんが好きとか。綾瀬さん可愛いとか。綾瀬さんが好きとか。綾瀬さん可愛いとか。綾瀬さんが好きとか。綾瀬さん可愛いとか。綾瀬さんが好きとか。綾瀬さん可愛いとか。綾瀬さんが好きとか。綾瀬さん可愛いとか。綾瀬さんが好きとか。綾瀬さんが――」
「ひっ!?」

 無表情のまま同じ言葉を繰り返す時谷くんは壊れたオモチャのようだ。
 しかし、今が特別異常な状態というわけではなく、彼は普段からこんなことばかり考えているのかもしれない。
 とにかく身の危険を感じる。

「綾瀬さん可愛いとか。綾瀬さんが好きとか。綾瀬さ」
「ご、ごめん! 私帰るよ。またね!」

 私は慌ててカバンを肩に掛けて、リビングのドアに向かう。時谷くんが言う通り、カバンの中にマグカップは入っていなかった。
 帰り際の私は失恋だと思い込んで気分が沈んでいたから、忘れてしまったらしい。

「……綾瀬さんの嘘つき、とか」
「え?」

 背後で呟かれた言葉に私は足を止める。

「目に見えない壁はあるじゃないですか。僕を助けてくれた写真が、今は壁になって僕の邪魔をしています」
「あ、あのねぇ……データ上の写真は直接現物に触れられないけど、目に見える物でしょ! 目に見える壁はあったってことかもね」

 私だって時谷くんが私の裸の写真をどうこうするとは思っていない……けど。
 パソコンを他人に見られたり盗まれたり、ウイルスに感染して取り返しがつかないことになる可能性だってある。何より、私が許可してないものが存在することが嫌だ。

「綾瀬さん……」
「な、なに……?」

 時谷くんはゆらゆら揺れながら近付いてくる。重たい足取りに、何となく不穏な空気を感じた……本能的に後ずさった私はあっという間に背中を廊下の壁にぶつける。

「綾瀬さん! これから友達としてよろしくお願いしますね!」
「へっ?」
「友達って何して遊ぶんだろう? シルベニアファミリーやアイロンビーズ、塗り絵、クッキー作り、編み物とかですかね!? あっ、交換日記はどうですか? 女の子ってそういうのやってませんでしたか? 僕、ちょっと憧れてたんです!」

 時谷くんが私の手を取り、ぶんぶん振りながら子供のような無邪気な笑顔を見せる……が、私のこと幼女だと勘違いしてないかな。小学校低学年……いや、その年代でも今時の子はもうしてなさそうな遊びばっかりだ。
 さっきは犯したいなんて物騒なことを言っていただけに、不気味だった。

「……仲良くしてね?」
「う、うん。よろしく……」

 改めて私の前に差し出された手。天使のように愛らしい微笑みを浮かべている時谷くんの手を、私は握った。


「綾瀬さん、おやすみなさい」

 友達になるのは悪いことじゃないよね。脅したりしなくても私達は一緒にいられるってこと、気付いてもらうんだ。
 そうしたら私達……お互いが相手を思い遣り、尊重し合える素敵なカップルになれるはず、だよね……?

「うん……送ってくれてありがとね。おやすみ」

 門の前で笑顔で手を振る時谷くんに心の中で問い掛けながら、私はなんだか落ち着かない気持ちで玄関を閉めた。
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