Keep a secret

□好きな女の子
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「……っ」

 帰り道、時谷くんは声を押し殺し、泣き続けていた。
 たまに顔の前に手を持ってきては最後に髪を適当に整えて腕を下ろす……そんな仕草でごまかしているつもりなんだろうか。涙を拭っていることはバレバレだった。

「……綾瀬さん、気を遣わせてごめんなさい」
「えっ?」

 突然の謝罪に、私は立ち止まる。

「僕って本当に何も出来ない駄目人間じゃないですか。カラオケで一曲も歌わないし、ボウリングではガーターばかり。最後は僕のせいで雰囲気が悪くなっていましたね。元々運動が苦手なんです。勉強は得意だと思っていしたが、期末試験の順位二位だったんですよ。一位は取れませんでした。
友達ゼロの嫌われ者だから綾瀬さんに迷惑をかけているし。そもそも僕って根が暗い人間なんですよ。いじめが原因で人格歪んだとかではないと思います。赤ん坊の頃から暗かったんです。母さんが言ってました。生まれたばかりの僕が産声を上げないから看護婦さんが必死でお尻を叩いて、やっと蚊の鳴くような声で泣いたって。泣くべき時期になかなか泣かないで、今になって泣いてばかりいるんです。そういう奴なんですよ僕は」

 時谷くんの言葉を否定することはもちろん、相槌を打つ隙もないくらい矢継ぎ早に話されて、私は中途半端に口を開けながら彼の背中を見つめていた。
 そういう奴とはどういう奴なんでしょう。彼が大人しくて泣き虫なことは知ってる。それに、二位なんて誇っていい成績だ。
 時谷くんが駄目人間なら、何一つ取り柄がない私はどうなってしまうの。

「こんな駄目な僕でも、誰より強い思いがあれば大切な人を幸せにできると信じたいです……でも気付いてしまったんです。僕と僕の好きな人の間には目に見えない壁があります。だから僕の言葉は届きません。それでも、僕は……僕は…っ」

 強く握った拳を震わせ、時谷くんは少し前のめりになる。

「……ごめんなさい。帰りましょうか」

 だけど、喉元まで出かかっていた言葉を絞り出せずに、再び力無く歩き始めた。


 それからは無言の時間が続いた。私の家の前までついて来てくれた時谷くんは私が門扉を開けると、「じゃあ」と一言呟いて自分の家に引き返していく。

 どうやら時谷くんは私が想像より遥かに美山さんのことが好きらしい。
 まさか泣くほど悩んでいたなんて、ショックだった。日向に好きな人の話をしたことで心境の変化でもあったのだろうか。

 時谷くんの後ろ姿は物悲しい。
 無言で歩いている間に泣き止んだように思ったけど……顔を見ていないから本当のところはわからない。帰ってからまた泣くのかもしれない。一人ぼっちで、自分はなんて駄目な奴なんだと責めながら。
 想像したらいても経ってもいられなくて、私の体は動き出していた。

「時谷くんっ!」

 何を言うかも決まってないのに声をかける。すると自分の家の前に着いていた時谷くんが足を止めた。
 時谷くんは私に背を向けたままで、頑なに顔を見せようとしない。ボウリングで時谷くんの顔を見られなかったときの私みたいだ。

「泣かないで……!」
「え?」

 腕を掴めば、時谷くんは私の方へ向き直る。赤みを帯びた目と、ほっぺ。何度か見たことがある泣いた後の顔。
 やっと時谷くんの顔を見られた。なんだ、簡単なことじゃないか。
 少し背伸びをして目線を合わせる。濡れた目は、不安に揺れていた。

「しっかりしてよ! 目に見えない壁なんてあるわけないでしょ。時谷くんの言葉は好きな子に届くよ。今まで言葉にしてこなかったから届かなかっただけなの。大丈夫。当たって砕けろ精神だよ時谷くん!」

 時谷くんに顔を近付けて無責任な言葉を投げかける。時谷くんはよろけながら、ただでさえ大きな瞳を見開いた。
 食い入るように見つめられて、私は何となく満足感に頷く。

 "当たって砕けろ"だなんて自分は到底できない。でも、少しくらい無責任なことを言ってみたっていいはずだ。
 時谷くんは既に一度好きな女の子から告白されているそうじゃないか。
 本当は付き合いたかったと打ち明けてしまえばいいんですよ。相手に彼氏がいなければまだ間に合うかもしれない。

「ふふっ……そうですよね。壁なんてないですよね。当たって砕けてもいつか破片を拾ってもらえるかもしれない……そう思って今日告白するつもりでいたこと、すっかり忘れていました」
「今日告白しようと思ってたの!? えー……ず、随分急なんだね。まあ、今からでも間に合うよ。そこまで遅い時間でもないし……」

 多少なりとも時谷くんを元気付けられたようだ。時谷くんは涙で濡れた目を擦りながらくすぐったそうに笑ってくれた。
 その綺麗な笑みは時谷くんの好きな女の子のものなのかな。それとも時谷くんから笑顔を引き出した私のものなんだろうか。

「はい……僕の話を聞いてくれますか?」
「いいけど……手短にお願い」
「あっ、こんな場所でごめんなさい! 立ち話では僕の気持ちを伝えきれないのですが……手短に話せるよう努力します」

 本当はこれ以上相談にのりたくなかった。時谷くんの笑顔を取り戻したい一心で追いかけてきたけれど、彼の恋を心から応援できる自信はない。

「……好きになったきっかけは一年前の手紙でした。あの手紙をもらえなかったら、僕はどうなっていただろうと毎日考えます。あの日から僕は――」
「うん。その前置き良いと思う。でも長くなりそうだね。告白の言葉は考えてあるの? 私が添削してあげよっか?」

 私は告白のセリフを聞かなければならないんだね。それって死体に鞭打つようなむごい仕打ちだよ。照れくさそうにもじもじしている姿を見ていられなくて、先を急かす。

「……添、削?」
「考えてないの?」
「ハァー……」

 私の気も知らないで時谷くんは重いため息をついた。

「ここまで脈がないと逆に清々しい気分ですね」
「いやあ、案外わかんないよ?」
「いえ。全く脈なしです」
「そうかなぁ……時谷くんの好きな女の子ってどんな子なの?」

 時谷くんは少し考えた後、私の瞳を真っ直ぐに見つめながら話し始めた。

「僕の好きな女の子は……優しくて、鈍感で、少しお馬鹿で、臆病なのに意外と頑固なところもあって、曲がったことが嫌いで、不器用で鈍臭いから努力は空回りしがちです。それでもいつも一生懸命で、前向きに笑ってる。世界で一番可愛くて素敵な女の子です。鈍感だから、自分が魅力的だという自覚はないみたいですけどね」

 好きな女の子のことを語る眼差しは愛に満ち溢れていた。まるで私を通して告白しているみたいだ。時谷くんがその子のことをどれだけ好きか痛いほど伝わってくる。
 だから、私は悔しかったのだ。

「そんなに素敵かなあ? ちょっと情けないタイプっぽいけど」

 みっともない負け惜しみ。
 ただ、率直な感想だった。出来れば時谷くんの好きな人は非の打ち所のない完璧な女の子でいてほしかった。そうしたら敵わないと諦めもついたのに。

「……本当に鈍いんだから……言っておきますが、例え綾瀬さんでも僕の好きな女の子のことを悪く言うのは許しませんよ」
「と、時谷くんだって少しお馬鹿とか言ってたじゃん!」
「僕は愛故にです。彼女のそういうところも含めて全てが好きだから言えることです。綾瀬さんは駄目です」

 一瞬怒らせたかと不安になったけど、時谷くんは穏やかに微笑んでいる。
 私が時谷くんの好きな女の子を好意的に思うことはない。だって、顔と名前しか知らないその子が妬ましい。話したこともない人を嫌いだと思うのは初めてだった。
 本気で人を好きになるってこういうことなのかな……もっと綺麗で、優しい気持ちでいたいのに、段々難しくなっていく。

「……わからなくもないね。私も好きな人を悪く思うこともあるけど、他の誰かが悪口言ってたらムカつくもん。あなたが彼の何を知ってんの!ってなるよね」
「っ……綾瀬さんの好きな人……いつから好きになったの……?」
「え?」

 つい口を滑らせてしまった。
 何故だか時谷くんは射抜くような鋭い目つきで私を見ている。嘘をついたらバレてしまいそうで、ぞっとする。

「わ、私のことはどうでもよくない? それより時谷くんの告白だよ! 告白の話はどうなったの?」

 時谷くんが好きだということは絶対に知られたくない。私はこの気持ちをひっそりと胸の奥にしまいたいのだ。

「ああ、もちろん告白の参考にさせてもらいます。で、いつ好きになったんですか?」
「参考にはならないんじゃ……」
「早く答えて」
「な、夏休みから……です」

 きっとそれ以前から好きだったけど、この思いを自覚したのは夏休みに入ってからだ。
 私の答えが気に入らなかったのか、時谷くんはとてつもない不機嫌オーラを出している。この雰囲気になった後、私は決まって不幸な目にあうのだ。
 それを過去の経験から学んでいたから、時谷くんに気付かれないように小さな歩幅で後退していく。少しでも時谷くんから距離を取っておいた方がいいと思った。

「夏休みから……やっぱりそうなんだ……あ、はは……はは……どうしよう。なんかこれ……想像以上にきついなあ……」
「時谷くん?」

 私が少しずつ離れる中、時谷くんは片手で顔を覆って俯いた。その弱々しい言葉と震えた声に不安になってくる。
 もしかして怒ってるんじゃなくて悲しんでるんだろうか? どうして? 怒る理由も悲しむ理由もないように思うけど……。

「どうかしたの……?」
「綾瀬さん」

 顔を隠している手を退けようとしたら、時谷くんのもう反対の手に阻まれる。

「痛っ!」
「僕の恋を応援してくれませんか?」

 手首に、指がぎりぎりと食い込む。
 意味がわからなかった。時谷くんの恋を応援している真っ最中じゃないか。

「わかった、わかったから」

 手を離してもらいたい一心で頷く。

「では、僕の家に行きましょうか」
「も、もう八時だよ……また今度にしようよ。明日とかさ。ねっ?」

 恋を応援することと、今から時谷くんの家に行くことに何か関連があるのだろうか。
 見えない表情と読めない言動が不安を煽る。時谷くんが自らの手の平で覆い隠した表情は恐ろしいもののような気がした。

「そうですね。もう遅いから今晩はうちに泊まってください」
「泊まり!?……無理だよ! 私は帰るね!」

 時谷くんが手首を握り直そうと力を緩めた瞬間を見逃さず、その手を振り払う。

「騒がないでください。近所迷惑ですよ」
「んぐっ!? ん゛ーー! ん゛ーーっ!」

 慌てて逃げ出そうとした私の右脇の下から時谷くんの腕が伸びてきて、手の平で口を塞がれた。急に呼吸を奪われた不安感と、これから見舞われる不幸から逃れたくて抵抗するが、時谷くんはそんな私の体を右脇だけで支えて玄関まで引きずっていく。

「えっと、鍵、鍵……」
「んーー! ん゛ーん゛ー!!」

 時谷くんがポケットに手を入れ、鍵を探している間、自由な手を使って必死で暴れた。でも、どれだけお腹や胸を叩いても、脚を蹴っても時谷くんはうっとうしそうに少し身をよじるだけで。
 言ってやりたいことが山ほどある。だけど、喋れない。自分の意思を言葉で伝えられないってすごくすごくもどかしい。

「ありました。すぐに開けますね」

 時谷くんは先に自分だけスニーカーを脱ぎ、修羅場の真っ最中であることを無視して几帳面に靴箱へ片付けた。
 しかし、私はサンダルを履いたまま。綺麗なこの家に土足で上がって汚すのは本意じゃない。だけど本当はお邪魔したくないのだ。
 私はどうすることもできずにそのまま廊下を引きずられていった。

「階段は……大人しく上ってくれませんよね。危ないからリビングにしましょうか」
「……!」

 普段と変わらない声色が逆に不気味に感じる。二階のどの部屋に連れ込むつもりだったのか……嫌でも想像してしまうのは、廊下の一番奥のあの悪趣味な部屋だ。
 あの部屋から逃れられてほっとしたのもつかの間、私は半ば放り投げられる形でリビングのソファーの上に転がされたのだった。

「ちょっと! どういうつも――」

 すぐに体を起こしてソファーに座り直す。喋れることに安堵し、めちゃくちゃに怒鳴りつけてやろうと思ったが……時谷くんは予想外な行動を取った。
 膝の上で感じる、確かな重みと体温。

「あ、あの、時谷くん……?」

 時谷くんがソファーの前の床に跪き、私の太ももに頬擦りするように頭を乗せている。寝転がってはいないが、この状態も膝枕というんだろうか。
 温度の高い頬とは違い、時谷くんの手は氷のように冷たい。強く握られた両手首を通して、全身の体温が奪われてしまいそうだ。

「綾瀬さん、あいつのことどれくらい好きですか?」
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