Keep a secret

□笑ってくれた
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 ――ここはふわふわしててあったかい。何もない空間で、時谷くんと二人きりだった。

「綾瀬さん、あなたを海より深く愛しています」
「時谷くん……私は海を突き抜けてマントルより深く愛してるよ」
「それなら僕は地底人と友達になってからブラジルに到達するくらい深く深く愛しています!」
「時谷くん……!」
「綾瀬さん……!」

 二人きりの世界で熱い抱擁を交わす。愛を誓い合う私達を祝福するように花が咲き乱れて、辺り一面がお花畑に変わる。

「綾瀬さんは薔薇より美しい……」
「時谷くん、お願い。私をめちゃくちゃにして!」
「ふふっ、言われなくてもそうするつもりでした」
「わっ、な、なに?」
「綾瀬さん……好き……」

 薔薇のつるが手足に絡み付き、私の体は大の字に拘束された。花の絨毯の上で動けない私に、時谷くんが覆いかぶさってくる。
 目を閉じた端正な顔が間近に迫って、そこで世界は暗転した。

 場面は変わり、教室。

「僕は綾瀬さんのSPです! 僕には力がないけど、綾瀬さんに近付く人間を排除してみせる。どんな手を使ってもね」
「えっ?」

 私を背中に隠した時谷くんの前には、大勢のクラスメートが立ちはだかっている。その中には違うクラスの黒崎さんもいた。

「死ねよ、黒崎。お前も、お前もだ。みんな死んでしまえ!」
「「ぎゃぁぁあ!」」
「あはははははっ、いい気味だ。お前らは邪魔なんだよ。綾瀬さんに近付くな……っ」

 時谷くんがガトリングガンを乱射する。
 派手な血飛沫が上がって黒崎さんが、クラスメートが、無力に倒れていく。
 辺り一面血の海だ。

「あはっ、綾瀬さん見てますか? ほんと笑えますよね。こいつらを全て消したら新婚旅行に行こうね」
「あ……あ……い、いや……」

 時谷くんは大量の返り血を全身に浴びながら虐殺を楽しむかのように笑っている。

 ――綾瀬さん、綾瀬さん。

 遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。でも今はそれどころじゃなかった。

「や、やめて。私の友達を殺さないで」
「友達? ただ同じ学校に通っているだけの人達でしょ」
「違う! みんな私の友達だよ!」
「友達、ね。一年前、僕とは友達になってくれなかったのにね?」
「……ごめん。で、でもさ…!これから友達になろうよ!」

 真っ赤に染まった教室で必死の説得をするけれど、時谷くんの体は血溜まりに沈んでいく。

「と、時谷くん……!」
「友達にはなりたくないよ」

 深い深い、底の見えない暗闇に飲み込まれていく時谷くんの手を必死で掴むが、

「……綾瀬さんなんて大嫌い」
「あぁっ、待って!」

 その手は振り払われ、時谷くんの体は血溜まりの中に完全に沈んで見えなくなる。
 そこで、再び暗転――


「ねぇ、僕が欲しい?」
「えっ、この部屋って……」

 私の体はまた大の字で拘束されている。しかしここは、時谷くんの家の"あの部屋"だ。

「友達ですよね。セックスしましょう」
「友達はそんなことしないよ」
「え? しますよ? だって僕達は"セックスフレンド"ですから」
「そ、そんなの……やだぁあ!」

 私は泣き出す。そんな関係は嫌だよ。私は時谷くんが好き。本当は恋人になりたいよ。
 そんなの無理だってわかっているから、私はいつも言い訳ばかりして……

「綾瀬さん」

 また、誰かが私を呼んでいる。優しい声。


「…………」
「綾瀬さん、起きて?」
「……んん……時谷くん……?」

 目を開けると、マスク姿の時谷くんの顔があった。優しい眼差しでこちらを見ている。
 ああ、よかった。目の前の時谷くんが現実で、クラスメートを笑いながら虐殺した時谷くんは夢だったのだ。
 安心したら、ハッと目が覚めた。

 私は昨日、時谷くんが寝ている間に家へ帰ってきた。どういうわけか時谷くんがいるが、ここは私の部屋だ。

「おはようございます。良い朝ですね」
「お、おはよう」
「実はもう十二時なんですけどね」
「十二時? なんかそう聞くとお腹が空いてくるね」

 時谷くんと話しながら上半身を起こしてボサボサの髪を手ぐしで整える。
 寝起きの私はきっと酷い顔をしているんだろうし、部屋着姿を見られて恥ずかしい。

「お昼ご飯出来てますよ。起こしてくるようお母様に頼まれたんです」
「いや……時谷くんは何でうちに来てるの?」
「はい。朝に綾瀬さんの家の前を偶然通ったら、偶然にも綾瀬さんのお母様が出てきて。今日は掃除をする予定だと言うのでお手伝いさせてもらっていました」

 時谷くんは楽しそうに話すけど、この人……病み上がりに何やってるんだ……。
 何故か私のお母さんと仲が良くて、気に入られてるんだよね。

「もう熱は下がってるんだよね?」
「はい! 昨日の夜起きてすぐに計ったら平熱になってました。咳も出ません」
「昨日の夜に平熱って……すごい回復力だね」

 ひとまず安心した。もしもまだ熱があるとかふざけたことを言い出したら直ちに時谷くんの家に連行し、微妙な味の雑炊をまた食べさせてやるところだったよ。

「綾瀬さんの看病のおかげですよ。昨日は本当にありがとうございました。夜ご飯も美味しかったです」
「そっか、ありがとう」

 ご飯食べてくれたんだ……あんまり力になれなかったけど、お見舞いに行ってよかった。

「よーし、ご飯食べに行こう。時谷くんも一緒に食べるよね?」
「はい……あ。わわっ」
「え、なに?」

 ベッドから降りて部屋を出ようとした私の後ろでガサガサと音がした。振り返れば時谷くんが慌てて背中に何かを隠す。

「何でもないです。早く行きましょう。綾瀬さんがお先にどうぞ」

 何でもないと言って笑うけど、どう見ても怪しい。怪しすぎる。

「手に何を持ってるの?」
「別に、何も」
「嘘! ビニール袋の音が聞こえるよ」

 背中に隠れて見えないが、ビニールの擦れる音は今も聞こえる。変に隠そうとするのは私に見られて困る物だからじゃないの。

「うっ……ご、ごめんなさい……魔が差して……綾瀬さんが眠っている間に盗んでしまいました……」
「盗んだ!? 何を? 今すぐ返してよ!」

 信じられないことを言い出した。確かに時谷くんは強姦に盗撮に脅迫など、最低なことを平気でする人だ。
 それでも何らかの事情や理由があってのことだと思っていたのに……まさかの窃盗までされちゃうと、もうフォロー出来ないぞ。

「……返さないと駄目ですか?」
「当たり前でしょ」

 時谷くんはうなだれているけど、本当に反省してるかどうか疑わしい。

「ごめんなさい。お返しします」

 時谷くんは深々と頭を下げた後、背中に隠していたビニール袋を私に手渡してきた。
 やたらと軽い透明なビニール袋は口が縛られ、パンパンに膨らんでいた。中に何が入っているのか袋の外側から確認する。
 でも中身は空っぽだ。何かが入っているにしては軽すぎるから変だと思ったんだよ。

「これ、何も入ってないよね?」
「何を言ってるんですか! とても貴重な物が入ってますよ」
「はいはい。じゃあ開けてみるね」

 時谷くんはムキになって言い返してくるけど怒りたいのは私の方だ。
 冗談だったんでしょ。こういう不安になるような冗談はやめてほしいよね。
 なんて考えながら、私は袋の口を開けた。

「あぁっ……綾瀬さんの部屋の空気が!」
「え?」

 袋を開けた途端に大きく肩を落とした時谷くんを信じられない気持ちで見つめる。
 どう見ても空っぽのビニール袋。でも、そこには一つだけ、袋いっぱいに詰め込まれていた物があったのだ。
 それは――空気だ。

「ま、まさか盗んだ物って空気なの?」
「そうです。本当にごめんなさい。もう二度と綾瀬さんの部屋に入る機会なんてないかもしれないと思ったら、記念に空気だけでも持って帰りたくなってしまって……丁度掃除で使ってたビニール袋があったからつい……で、でも二度としないって誓います。どうか許してください」

 時谷くんがあまりにも深刻そうに話すもんだから、おかしくて仕方がない。

「……ぷっ。あははっ! 時谷くんってほんと変わってるよね。別に空気ならどれだけでも持って帰っていいよ。あはははっ、変なの」

 どうしようもなく笑いがこみ上げてくる。
 時谷くん、大丈夫だよ。ビニール袋一つ分の空気を盗むことは罪ではないよ、多分。

「ふふっ、本当にそうですよね。僕って綾瀬さんが絡むとおかしなことばかりしてる。自分でも馬鹿だなって思うんです。でも、馬鹿でよかったです! おかげで綾瀬さんが笑ってくれた」

 時谷くんも私につられてくすくす笑い出したのが嬉しかった。

「わ、私、笑うよ!」
「綾瀬さん……」

 時谷くんが笑ってくれるなら、いくらでも。

「おーい、薫くーん! 七花起きないの? ベッドから蹴落としてやってね!」
「んなっ?」

 何となく良い感じになっていた雰囲気をぶち壊す声が一階から聞こえてくる。

「……下に行きましょうか」
「うん」

 お母さんめ。蹴落とされるなんてお断りだ。というか年頃の娘が眠っている部屋に男子を入らせていいのか。
 まあ、時谷くんがしたことといえば空気を盗むくらいでしたけど。
 私が先に廊下へ出て、時谷くんは少し遅れて来た。空気でパンパンに膨れたビニール袋を手に持って。


 私が洗面所に寄ってからリビングに行くと、既に三人分のお皿が並べられていた。

「えー……またチャーハン? 昨日の夜もそうだったじゃん。冷し中華とかそうめんとか、冷たい物がよかった」
「具と味付けが違うんだから文句言うんじゃないの! ほら、座って。いただきます」
「いただきます」

 私は料理を見た瞬間、思わず文句をこぼしていた。そのままダラダラと椅子に座り、手を合わせる。

「いただきます!」

 私の隣に座った時谷くんは生き生きとしている。

「そうそう、薫くん。私ね、明日から七花のおばあちゃん家に五日間泊まるのよ」
「明日ってまだ七日ですよね。お盆休みなんですか?」
「うん。今年のお盆は仕事休めないから少し早めにね」

 黙々と食べ進めていく私と、話に花が咲いている様子の二人。なんだか面白くない。
 お母さんは私より先に"薫くん"なんて呼んでいる。私だって名前で呼んでみたいけど、今更呼び方を変えるのは難しかった。

「ねぇ、お母さん。それ私も行くんでしょ? 日付早くなったなら教えておいてよ。まだ何にも準備してないよ」
「え……綾瀬さんが五日間も……」

 毎年お盆には遠くに住んでいる祖父母の家に泊まりに行く。だから当然、私も行くものだと思っていたのだけど……

「七花は行かないでしょ」

 お母さんはサラリと否定したのだ。
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