Keep a secret
□何でもします
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時間の経過がわからない。小窓の向こうは真っ暗だから夜だと思うけど、もう日付は変わっただろうか。
私は心細くて時谷くんの肩に自分の肩を触れさせて大人しくしていたが、すっかり寄りかかって寝込んでいたらしい。
「黒崎さんに何かされてませんか?」
「うん……大丈夫だよ……」
時谷くんも恐らく目を覚ましたばかりだろうに、起きて早々に私の心配をしてる。
自分が情けなくて時谷くんの顔を見られなかった。
私は時谷くんが目の前で苦しんでいるのに何もしなかった。
だって――抵抗したら自分も殴られるかもしれない。怪我をするほどの暴力なんて今まで一度も受けたことがないから怖い。
怖くて、本当に怖くて、ただ見てることしかできなかった。
「っ、痛た……っ、ごめんなさい。かっこ悪いところ見せてばかりですね」
楽な体勢に座り直そうとして背中の傷口が壁に擦れたらしい。時谷くんは痛みで顔を歪めながら弱々しく笑った。
「ちっ、違う。かっこ悪いなんてことない! 違う……違うよ……」
せき止めていた何かが壊れて、私の瞳から涙が溢れてくる。
時谷くんは傷が増えているのに私は全くの無傷だ。今だって拘束された両腕を下ろせずしんどい思いをしている時谷くんの前で、私は自由に涙を拭うことができる。
時谷くんが私を庇ってくれたからだ。
「ごめ……っ、ね……逃げることも助けることも出来なくて……っ、私、何も出来ない……」
「綾瀬さん……泣かないで。僕、喉が乾きました。その涙舐めたいって言ったら怒りますか?」
「えっ?」
時谷くんが私の肩にこてんと頭を乗せる。心臓が大きく跳ねて、涙が引っ込む。
「ふふっ、泣き止みましたね。残念だなあ」
「そ、そりゃ泣き止むよ」
時谷くんは私をからかうための笑顔を精一杯作ろうとしているけれど、その笑みも力無いものだった。
「でも、喉が乾いたのは本当です。水を飲ませてもらえますか」
「あっ、そうだね。シャワーから直飲みは……顔と服が濡れちゃうか。ちょっと待ってね」
私が何も出来ないと言って泣くから、時谷くんはあえて私に頼みごとをしている――
その優しさにまた泣きそうになるのをこらえて、極力明るい声で返事をした。
腕を使えない時谷くんの代わりに蛇口をひねる。両手でおわんを作り、お水をなみなみ溜めてから時谷くんの口元に近付けた。
時谷くんは静かに喉を鳴らして飲むけれど、指の隙間から水がこぼれ落ちていく。
すぐにまた溜め直して飲ませて……という作業を何度か繰り返し、十分な量の水分補給を終わらせた。
「ありがとうございます。綾瀬さんが飲ませてくれるなら僕は水だけで生きていける気がします」
「もう何言ってるの……」
「ほんとですよ?」
時谷くんはもう三日も水以外口にしていない。相当な空腹状態のはずだ。
それなのに飢えを忘れたような、幸せそうに緩んだ表情を見ていたら少し気が抜ける。
時谷くんは相変わらず大袈裟なんだから。
でも、お腹空いたなあ。
お母さん心配してるだろうな。このままずっと閉じ込めておくわけにはいかないだろうし、黒崎さんも朝には考え直してくれて家に帰れるよね……?
そう、信じていたかった。
――しかし、朝になっても地獄は続いた。
手紙なんて知らないとどれだけ主張しても黒崎さんの怒りは収まらず、殴る蹴るの暴行や水責めが数時間おきに繰り返される。
行為はエスカレートしていたが、それでも私は時谷くんに守られて無傷だった。
小窓の外がまた暗くなった頃、黒崎さんが浴室に戻ってきた。
……見知らぬ男性を二人連れて。
「おー! 結構可愛いじゃん!」
「この子が美愛ちゃんの言ってた女の子?」
「まあね。好きにしちゃってよ。何してもいいからさ」
大学生くらいのいかにも柄の悪そうな二人組が私の顔を覗き込む。
何してもいいって、なに……?
女子高生久しぶりだわーとかなんとか言ってにやつく男の手が私の胸元に伸びる――
「触るな!!」
手が触れる直前に時谷くんが声を張り上げた。手すりに繋がれた枷を外そうと暴れるから、ガンッガンッと金属がぶつかる激しい音が鳴り響く。
「いいじゃんその必死な顔! 別れろとかさ、あんな手紙出しやがって……っ、いくら殴っても気が晴れないんだわ。だから時谷、目の前で綾瀬が他の男に犯されるとこ見てろよ。これが最高の罰だろ?」
「っ、僕は手紙を出してない。証拠もないのに僕だと決めつけてこんな無駄な時間を過ごしてていいんですか? 僕に八つ当たりしたところで問題は解決しないのに!」
「お前の言い訳なんて聞きたくない!……んじゃ、二人とも。後はよろしく」
黒崎さんは暴れる時谷くんの腹部に蹴りを一発入れてから出ていってしまった。
時谷くんの体は傷だらけだ。今のでシャツのボタンが弾け飛んだらしく、露出した胸にもお腹にも痛々しいアザができていた。
「ただで女子高生とヤラせてくれるって言うから来たのになんか揉めてんのな」
「あー……だけどさー」
浴室の扉は開いたままだ。時谷くんは二人を牽制するように睨んでいる。
男達の注意は私から時谷くんに逸れていた……けれど、立ち上がって二人の間を抜けて逃げ出すなんてどう考えても無理だ。
「この男の子すげー可愛くない?」
「うっわ、ほんとだ。女の子みたいな顔してんのな」
二人は時谷くんの乱れた髪を払いのけ、あらわになった綺麗な顔に感嘆の声を上げる。
「俺この子でもいいかも」
「まじで!? お前、男もいけんの?」
「これだけ可愛ければ有りだろ」
そのうちの一人の発言にこっちまで面食らってしまう。
確かに時谷くんは顔立ちの整った中性的な美少年だ。かっこいいし、可愛い。
私も常々思っていることではあるけど、しかしこの人は男の人じゃないか。
「なあ、君。相手してくれない?」
男の一人が時谷くんに呼びかけると、静かに男達を見つめていた時谷くんが口を開く。
「……いいですよ。二人とも僕のこと使ってください。僕、何でもします。ちんこ喉奥までくわえてしゃぶるし、精液もごっくんします。ケツの穴だって舐めますよ」
時谷くんは淡々とした口調でとんでもないことを言い出した。
どうして時谷くんはこんなにも私を助けようとしてくれるの。どうしてこんなにも私を好きでいてくれるの。
前からわかってはいたものの、浴室に閉じ込められてから改めて時谷くんの気持ちの強さを思い知った。
「ま、まじ? エロ。俺この子にする」
「俺はちょっと男は無理だなあ」
「僕の方が彼女より良くできます。だから――」
「君には悪いけど、俺はこっちで震えてる女の子にお相手頼むわ」
「ひっ!」
恰幅が良い方の男性は時谷くんの言葉になびかない。舌なめずりしながら気色の悪い視線を私に向ける。
「だから――彼女には手を出すな!」
「っ!?」
「綾瀬さんに少しでも触ったら殺す。お前らもお前らの家族も友人も全員。思いつく限りの残酷な方法で殺してやる」
時谷くんが純粋な怒りだけを宿した瞳で男達を射抜いた。
浮かれていた男達の表情が凍りつく。
こんな怖い顔をした時谷くんを見たのは初めてで、私まで息が苦しくなる。
時谷くんは拘束されていて無力なのに、それでも今この瞬間、本当に人を殺せるんじゃないかと思うくらいの気迫があった。
「な、なにイキってんだよ」
「そうだよ。冗談言うなよ。そんなんで脅しになると思ってんのか」
「――冗談だって? はは……は……可哀想に。お前ら本気で人を好きになったことがないんだな。俺は出会ったんだ。この人のためなら何でも……人殺しだってできると思える人に」
それは男達を心の底から哀れみ、同情するような眼差しだった。
冗談や脅しや強がりではない。彼なら人殺しくらいやりかねない――多分この場にいる全員が、本能で理解した。
男達が顔を見合わせる。そのまま自然に二人の足が浴室の扉に向かっていって、黒崎さんが姿を見せた。
「時谷、あんたね……!」
「悪いんだけど美愛ちゃん。俺達もう行くわ……」
「ああ。面倒事は勘弁だし、萎えたわ」
「はぁっ!? ちょっと!」
よっぽどこの場から……いや、時谷くんから離れたかったのだろう。
二人は黒崎さんの制止を振り切って先を争うように浴室から出て行った。階段を駆け下りる音がして、すぐに静かになった。
「あたしだって本気で先生のことが好きなんだから! お前なんかに邪魔されてたまるかよっ!」
「ぐっ、ぁっ!」
さっきの時谷くんの言葉を聞いていたらしく、激昂している黒崎さんが時谷くんの腹部を蹴り上げる。
「やめて黒崎さん!」
時谷くんが傷付けられるところを黙って見てるのはもう嫌だ。
黒崎さんに後ろからがむしゃらにしがみつくけれど、彼女も必死だった。
「離せよっ! 先生と別れるなんて絶対に嫌! けど、けど……っ、別れなかったら関係をバラすなんて手紙が届いたこと、もしも先生が知ったら、先生は……」
黒崎さんの声は震えていた。
黒崎さんは手紙を出した犯人が時谷くん以外の誰かである可能性を恐れている。自分の秘密を知る人間が他にも存在すると思いたくないからだ。
私を巻き込み、監禁してまで時谷くんに認めさせようとしたのも全て若野先生と別れたくないから。黒崎さんは黒崎さんなりに自分の恋を守ろうと必死になっている。
黒崎さんと若野先生の関係を知っていて、二人を別れさせたい人物――
うちの高校で一番人気の若野先生のことを狙っている女子は多いだろうし、黒崎さんは何かと他人から恨みを買っているだろう。
この人だ、という具体的な心当たりはないけれど、いくらでも候補は考えられる。
「時谷くんは犯人じゃないよ。黒崎さんだって本当は気付いてるんでしょ? もう私達を解放してよ……そ、そうだ、手紙を出した犯人は私が突き止めるよ! 黒崎さんは若野先生に手紙のこと知られたくないから自由に動けないでしょ?」
「……お前にそんなこと出来んの?」
解放してもらいたい一心で出た言葉だった。正直無策だし、解決できる自信はない。
しかし黒崎さんも誰かわからない犯人を知りたくてたまらないから、私の頼りない言葉に心が揺らいでいる。
「出来るよ! 時谷くんにも手伝ってもらって何とか頑張るから」
「はい」
事態を静観していた時谷くんが、私の無茶振りを肯定する。
早く時谷くんの怪我の手当をしたい。それにお腹が空いた。トイレに行きたいし、柔らかい布団で寝たい。
今この時を逃すわけにはいかないんだ――!
しばらく見定めるように私を眺めていた黒崎さんが小さな鍵を取り出した。
カチャリ――
時谷くんの腕がやっと自由になった。私は時谷くんの体が糸の切れた人形のように床へ倒れこむ前に慌てて支えた。
「逃げたら終わりだと思ってんなよ。あたしのお父さんに頼めば、ここで起きた出来事なんてなかったことにできる。逆に言えば、してもいない罪をでっち上げてお前達を犯罪者にすることだって出来るんだ。綾瀬をもうこんな目にあわせたくないなら手紙の差出人を必ず見付けろ。わかったな時谷?」
名指しされた時谷くんが無言で頷く。
二人のやりとりを見て、少し後悔する。
黒崎さんははなから私に期待などしていなかったのだ。私はここから解放されても人質みたいなもの。
もしかしてとんでもない約束をしてしまったのでは……?
「僕達の荷物はどこですか?」
「一階のリビング」
「行きましょう、綾瀬さん」
壁にもたれながら何とか立ち上がった時谷くんが私の手を引いた。傷だらけの手は力強くて、私を引っ張ってくれる。
時谷くん――勝手なこと言ってごめん。
心の中で謝罪をしたら少し困ったような、しかし優しい微笑みが返ってきた。