Keep a secret

□時谷薫の家族
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「ハァ……薫、待っててって言ったでしょ」
「…………」

 買い物に出掛けていた時谷くんとお母さんはどうやら外で鉢合わせていたらしい。
 私の手首を掴んだまま不機嫌そうな時谷くんはお母さんの方を全く見ようとしない。

「何で逃げるように走って行くかなぁ」

 時谷くんのお母さんがぶつぶつ文句を続けながらヒールの高いパンプスを脱いだ。落ち着いた茶色の髪を耳にかけて、顔を上げる。

「え……」

 私を初めて視界に入れて、時谷くんのお母さんは動きを止めた。

 美人で、若々しいお母さんだ。
 時谷くんはお母さん似だと確信する。シャープな輪郭や目元、鼻や唇などのパーツがよく似ている。そこにお父さんの凛々しさのある彫りの深さを譲り受けて、時谷くんの綺麗な顔は形作られていたようだ。

「……薫のお客さん?」

 よし。今この瞬間に全てが懸かっているのだ。将来嫁姑問題が勃発するか否かは最初の挨拶の印象で決まると思え。
 来るかもわからない未来のことまで意識しながら私は背筋を正した。

「は、はい! お邪魔してます。時谷くんのクラスメートの綾瀬七花といいます。時谷くんにはいつもお世話になっています!」
「これはこれはご丁寧にどうも。薫の母です。何のお構いもできませんで……って、薫が学校の友達を家に連れて来たの!?」

 時谷くんのお母さんは軽い会釈の後、数秒遅れで詰め寄ってきた。
 まばたき一つしないで顔面を凝視されて、私は固まる。目力の強い美人は迫力がある。
 友達が遊びに来たというだけでここまで驚くものなのか。

「え? え? なに? どういうこと? ひょっとして薫の彼女さん!?」

 時谷くんが私の手首を握っていることに気付くと、お母さんはいよいよ興奮を隠せない様子だった。空いていたもう片方の手を取られ、期待に満ちた視線が突き刺さる。

「えっ、と……」

 私は目を逸らして口ごもる。お父さんには既に嘘をついてしまったが、時谷くんの前で言いにくい。

「母さんには関係ない。俺達もう行くから」
「あっ、時谷くん!」
「待って! お母さんも七花ちゃんとお話してみたい!」
「ええっ?」

 右手を時谷くん、左手を時谷くんのお母さんにそれぞれ逆方向に引っ張られる。
 二人とも折れる素振りはなかった。睨み合う二人の間に挟まれた私は妙に肩身が狭い。
 このままでは時谷くんのお母さんからの印象が悪くなってしまう。将来の嫁姑問題が懸かってるのに困る!

「おい、薫。心配しなくても俺達すぐに出て行くよ。ちょっと頼みがあって寄っただけだからな」

 騒ぎを聞き付けた時谷くんのお父さんがリビングから顔を出した。

「頼み?」

 時谷くんは心底嫌そうな顔でお父さんを睨んでから困り顔の私をチラリと見て、手の力を緩めた。


 キラキラとしたオーラを放つ美形家族に囲まれ、ソファーの端っこで縮こまる。
 どう見ても私だけ浮いているのだ。

「あの薫がねー……女の子への興味ゼロだと思ってたからびっくりよね」

 私は結局、お父さんの口から時谷くんの彼女だと紹介されてしまった。時谷くんが満更でもない様子で話を合わせてくれたからよかったものの、馴れ初めがどうだとか根掘り葉掘り聞かれるとさすがに肝が冷える。

「用事があるなら早く行けば」
「えーーまだまだ聞きたいことがいっぱいあるからやだ」

 息子からどれだけ冷たく突き放されても時谷くんのお母さんはけろりとしている。
 私も見習って時谷くんの言動に振り回されない精神を身につけたいものだ。

「行きたいのはやまやまなんだが……薫にシュガーを任せていいのか今になって不安になってきてな……」

 頼みというのは簡単なことだった。今日の夜までシュガーを預かればいいだけだ。
 時谷くんは面倒くさそうに返事をする。

「大丈夫。適当に繋いでおくから――いだっ」
「ガウッ、ガウウッ」

 言ってるそばから一人と一匹は揉めていた。犬語はわからないけど「お前と留守番なんて願い下げだ」とでも言っていそうだ。

「ば、馬鹿っ! 脱げるだろ!」

 時谷くんは黒いチノパンを脱がされまいと格闘している。兄弟喧嘩みたいでだんだん微笑ましく見えてきた。
 やんちゃだった頃の時谷くんはこんな感じだったのかな。

「あの、私も夜まで時谷くんと一緒にいるのでシュガーの面倒は任せてください」
「それは助かるな。ありがとう」
「ハッハッ!」

 私がしゃがむとシュガーはごろんとお腹を見せて、ちぎれそうなほどしっぽを振る。甘えて手に顔を擦り寄せてくる仕草が愛嬌たっぷりで可愛い。
 私はシュガーのことを前にどこかで見た覚えがあるような……。

「し、信じられない。シュガーが父さんと母さん以外の人に懐いてる……こんな狂犬をも手懐けるとはさすが綾瀬さんです。人徳のなせる業ですね」

 体を起こした時谷くんは散々な姿だった。
 チノパンがずり下がったことで下着が顔を出し、服の裾がめくれ上がったことで腹部を大胆に露出し、サラサラストレートの髪は見る影もなくぐちゃぐちゃだ。

「シュガーって人見知りするの? 懐っこそうな感じだけど」
「ううん。薫以外の人にはすぐ懐くよ。それに絶対に噛まないから安心してね」
「そ、そうなんですか」

 時谷くんのお母さんが質問に答えてくれる。家族の一員なのに時谷くんにだけ懐かないなんてこんな切ないことあるだろうか。

「なに無責任なこと言って! シュガーの噛み癖はひど……い"っ!」
「ほら、薫以外には噛まない」

 拳を強く握りしめて言い返そうとした時谷くんの手首にシュガーがまたも噛みついた。
 大型犬じゃなくてよかったね。本当に。

「シュガー。お母さんのところにおいで」
「クーン!」

「なんで俺だけ……」

 シュガーは噛むだけ噛んで時谷くんの元から離れていく。あぐらをかいた時谷くんは膝の上で肩ひじをついて、面白くなさそうにそっぽを向いた。

「何故か薫は初日からシュガーに嫌われてたな。小学生の薫がこの子を飼いたい飼いたいってペットショップで騒いだから飼うことにしたんだがなぁ」
「初めてのペットだったのにねぇ」

 二人が時谷くんに哀れみの視線を向ける。
 シュガーを迎えることができて嬉しくてたまらなかっただろうに自分だけ懐かれなかった小学生の時谷くん……か、可哀相。
 でも、私が知らない昔の時谷くんの話を聞けるのは嬉しい。

「シュガーって名前も時谷くんが付けたんですか? 甘党の時谷くんらしいですよね」
「「甘党?」」

 二人は声を揃えて言うと顔を見合わせた。
 なにか変なこと言ったかな?

「七花ちゃん、薫が甘党はないよ。小さい頃から甘い物が大嫌いな変わった子だもん」
「そうそう。シュガーが懐かないものだから薫は拗ねて嫌いな物と同じ名前で呼び始めたんだよ。シュガーに合ってる可愛い名前だから採用することにしたけどね」
「えっ」

 時谷くんは甘い物が好きなはず。私が行きたいと思っていたマカロンの有名なお店の常連だと言っていたよね。昔は嫌いだったけど今は好きになったのかな。
 確認するように視線を向けたら、同じくこちらを見ていた時谷くんがばつが悪そうに俯いた。

「あー……そろそろ行こうか。余計なこと言ったみたいだし」
「そ、そうね。じゃあ七花ちゃん、シュガーと……薫をお願いね」
「は、はい」

 私はシュガーを抱っこして玄関まで付いて行き、二人を見送った。
 気さくな人達だったな。面倒事を押し付けて逃げていった感はあるけど。

 リビングに戻ると時谷くんはまだ同じ状態だった。さっきの話なら気にしてないよ、と私が言う前に時谷くんが口を開く。

「し、仕方ないじゃないですか。綾瀬さんが甘い物を好きなら僕もその気持ちを共有したいんです。でも僕の体は甘い物を拒絶してて、食べると気持ち悪くなるから……っ、そんなこと正直に言ったら綾瀬さんはケーキ屋さんとかカフェに俺とは一緒に行ってくれなくなるじゃないですか。好きな物を共有できる他の人を誘おうってなります。絶対に。そ、それに僕は!」
「は、はい?」

 時谷くんが必死で訴えかけてくる。そこまで深刻に捉えてなかったから私はきょとんとしてしまう。

「ケーキ……また作ってほしかったから……っ」
「っ!」

 泣き出しそうな顔で可愛いことを言わないでほしい。急な心拍数の上昇に心臓がもたなくなる。

「……あ、あんなのでよければまた作るよ」

 シュガーの飼い主はシュガーに負けず劣らず可愛いね。
 心の中で話しかけたらシュガーは肯定するようにワンと鳴いた。


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