Keep a secret
□内緒の買い物
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「服のお金出してくれてありがとう。お金は家に帰れたら返すからね」
「お金のことは気にしないでって何度も言ってるのに……」
私がショップ袋を肩にかけて話し掛けると時谷くんは呆れたような顔をした。
お母さんが帰ってくるのは三日後の早朝。
時谷くんの家に今晩も合わせて三泊させてもらうことになる。
私が昨晩脱いだ服は寝ている間に時谷くんが下着も含めて洗濯してくれていた。
おかげで今も着ることができているけれど、三日も泊まるなら着替えの服が必要だ。
ということで私達はショッピングモールに来ている。店員さんとなにかと結託してバッグや靴の購入まで勧めてくる時谷くんを跳ねのけながら買い物をするのは一苦労だ。
「本当にあのワンピース買わなくてよかったんですか? 綾瀬さんに絶対似合うのに……」
「それはもういいの」
何軒か前のお店で「これ可愛い。こういうワンピを着こなせる女の子って憧れるなぁ」と私がぼやいた白のワンピースのことを時谷くんはまだ引きずっていた。
裾がふんわりと広がったロマンティックなレースのワンピースはお姫様のドレスみたいで、輝いて見えた。
でも、私が着るには甘くて可愛すぎるデザインだ。ちょっとハードルが高かった。
「お金は返さなくていいんですよ。所詮は親の金ですから。ね?」
……身も蓋もないこと言ってるな。
「ちゃんと返すよ。えっと、最後に買っておきたい物があるんだけど……」
なかなか言えなかった話をついに切り出す。時谷くんに伝わらないだろうかと、十メートルほど先にあるランジェリーショップにチラチラ目を遣った。
「あっ……」
私に釣られてランジェリーショップの方向を見た時谷くんは短く呟くと、気恥ずかしそうに反対側へ視線を逸らした。
「一人で行って来てもいいかな?」
「は、はい。お金は好きに使ってください」
「えっ、財布ごと?」
「僕は向こうのベンチで待ってますから!」
時谷くんは私に財布を渡して、さっき横を通ったベンチにそそくさと戻っていった。
時谷くんってたまにピュアな男の子になるんだよな。
自分の家に帰ってからも使い続けるんだから気に入った物を買いたい。でも可愛い下着ばかりで迷うな。
真剣に売り場を眺めていた時だった――
「きゃっ!」
突然現れた手のひらによって私の視界は奪われた。
「い、嫌……!」
「だーれだ?」
私の目を覆い隠している手の主が背後から楽しそうな声を上げた。変な裏声でごまかそうとしているみたいだけど、誰だか気付けて私はホッと胸を撫で下ろす。
「日向でしょ」
「大正解! ところで七花ちゃんさぁ、それ買うのかなぁ?」
手を離した日向は私が持っていた上下セットの下着を見ながらにやつく。薄いピンク色に花柄の下着で可愛いなと思っていたものだ。恥ずかしくなって元の場所に戻す。
「べ、別に買わない。ていうかさ、日向はここで何してるの?」
女性客で溢れたランジェリーショップに男一人でいる日向への視線は軽蔑が混ざる。
「お、おいやめてくれ。ゴミを見るような目で俺を見るな! 女子の下着を物色したい……なんて邪な思いでいるはずないだろ? 姉ちゃんの買い物に付き合わされてんだよ。今レジに並んでるのが俺の姉ちゃん」
「へぇ……そうだったんだ」
本当だ。レジに並んでいるオシャレなサブカル系の女性は日向のお姉さんって感じがする。それでも鼻の下を伸ばして女子の下着を眺めていたのも事実でしょ。多分。
「七花は一人?」
「ううん。と、友達と来てるよ」
日向は「そっか、残念」と肩をすくめた。
今日は時谷くんと日向を友達にしよう作戦を決行する気はなかった。
もしかしたら無期限停止かも。昨日公園で話した時、時谷くんは日向をあまり良く思っていないような口ぶりだった。本人が嫌がっているのでは仕方がない。
「日向ー! 帰るよ」
「あっ、おう!……じゃあ俺から七花にありがたいアドバイスをしてやるよ!」
「ちょっ!?」
遠くのお姉さんに返事をすると、日向は背中に隠していたらしい下着を私に押し付けた。開いた口が塞がらない。
「おすすめの勝負下着はこちらでーす! 小悪魔系ショッキングピンクで愛しの彼をメロメロに!」
「ち、違っ! 勝負下着なんて選んでないから!」
デリカシーの欠片もない日向の発言に顔が熱くなる。必死で否定する私に対して「知ってるよー」と笑って日向は帰っていった。
一人残された私の手には棚に戻しておいてと頼まれた上下セットの下着が。
その下着は鮮やかなピンク地に黒のレースがあしらわれており、ショーツのサイド部分が細くなっている。セクシーだけど、露骨すぎない大人なデザインだ。
おすすめの勝負下着と言っていたが、単に日向の趣味?
それとも大多数の男子がこの下着を好ましく思うのだろうか。愛しの彼をメロメロにって……時谷くんも?
私は生唾を飲む。今は勝負下着なんて必要ない。でもいつかは時谷くんと正式にお付き合いしたいと思っているわけで。将来的には入用になるかもしれない。
時谷くんはこのお泊まり期間中は私に手を出す気がないようだから自分で洗濯さえしておけば買った下着は見られずに済むはず……。
最初いいなと思った薄いピンク色の可愛い下着と、手元のセクシーな下着を見比べる。
どちらを買うか――
私はそれほど悩むこともなく、セクシーな方の下着を持ってレジへと向かった。
「お待たせ! これで必要な物は全部買えたと思う。これからどうしよっか。適当に見て回る?」
「そうですね。今は……」
プルルル――
時谷くんが時間を確認しようとしたタイミングでちょうどスマホが鳴る。時谷くんは無言で画面を見て、顔を上げた。
「まだ四時みたいです。夜ご飯どうしますか? 僕は外で食べても家で作ってもいいですが」
時谷くんは電話が鳴り続けていることには触れずにスマホをポケットに仕舞う。
「電話は? 出なくていいの?」
「母からでした。話すだけ時間の無駄です」
「えー……お母さんからでも一応出ておいた方がよくない?」
「どうせくだらない話ですよ。父が今日もかっこいいとか、そんな近況報告でしょうね」
心底嫌そうな顔で首を振る時谷くんからは意地でも出ないという意志が伝わってくる。
しばらく鳴り続けた後、電話は切れた。
「わざわざ電話してくるくらいだから何か用事があったのかもよ」
「いいんです。僕は今、綾瀬さんと一緒にいるんですよ? 綾瀬さんより優先すべき用事はこの世に存在しません」
ベンチから立った時谷くんが私に笑いかける。
私より優先すべき用事はいくらでもあるだろう……でも、時谷くんの言葉が少し嬉しくて。時谷くんに見えないように小さく笑いながら私も腰を上げた。
***
再び夜が訪れた。
一つ屋根の下で私と時谷くんは二人きり。昨日は無事に朝を迎えられたが今晩こそ時谷くんが変な気を起こすかもしれない。
お風呂から出た後、私が身につけたのは、時谷くんが洗っておいてくれたもともと私物の下着だ。
今晩も問題なく過ごせたら明日は安心して新品の下着を下ろそう。
今晩は断じて油断しないぞと決意しながら洗面台の前に立つ。知らぬ間に歯ブラシの持ち手にはマジックペンで「綾瀬さん」と名前を書かれていた。
なんだか私、子供みたい……。
脱いだ服を洗濯機に入れて廊下へ出たらまた電話の音が聞こえた。
リビングに入ると、何やらテーブルの上にごちゃごちゃと広げて作業をしていた時谷くんが顔を上げる。
「湯加減はどうでしたか?」
「あ、うん。よかったよ。Tシャツとジャージ貸してくれてありがとね。またお母さんから電話?」
「いえ……母からではありません」
時谷くんが忌ま忌ましそうにテーブルの上のスマホに視線を向ける。
お母さんじゃない……私が知る限りでは時谷くんに電話をかけそうな相手はそんなにいないから不安に駆られる。
「もしかして……黒崎さん?」
「はい。昨日からまた電話がかかってくるようになったんですよ。今更話すことなんてないのに……」
時谷くんがため息をつく。
私も黒崎さんが電話をかけてくるのは変だと思う。黒崎さんからは、時谷くんの秘密を流さない代わりに私達も黒崎さんを探るような真似をしないで、と"お願い"されている。
あれからまだ五日しか経ってない。時谷くんに何の用があるっていうんだろう。
「黒崎さんとは学校で私と一緒に会った日が最後でしょ?」
「そうです」
「昨日から電話無視してるの?」
「はい」
こうして話している間にも電話は鳴り続けている。
時谷くんのお母さんじゃないんだから、黒崎さんが電話をかけてくるのには理由があるはずだ。この電話が不吉に思えて仕方ない。
時谷くんは私の心配をよそにソファーでリラックスしている。
「用件が気になるよね」
「いいえ。特には」
電話に出てほしいと遠回しに伝えたつもりだったがサラリとかわされた。
時谷くんは鳴り続けるスマホの存在を無視して、テーブルの上の写真を集め始める。
後で問題にならないだろうか。黒崎さんのお願いはきちんと守っていても電話を無視したから時谷くんの秘密をバラしてやる……とか、あの人なら言いかねない。
私が一人で悶々としている間に電話は切れてしまった。
不安を煽る電話が切れてしまえば、自然とテーブルの上の写真に目がいった。
ぱっと見、メリーゴーランドに乗っている私の写真が多い。
「遊園地で撮った写真プリントしたんだね。私にも見せて」
「あっ、はい! 是非見てください。僕なんかが撮った写真ですが本当に素晴らしいんですよ! いつまででも見ていられます」
「へぇー! 見たい見たい!」
時谷くんが手に持っていた分厚い束とテーブルの上の写真をかき集めて渡してくれる。
素晴らしい写真ってどんなだろう。ライトアップされた園内、綺麗だったもんね。
私は時谷くんの隣に座り、写真の束の上から順番に見ていく。
まずメリーゴーランドに乗った私の写真。ピントが合っておらずいまいちな写りだ。
次もメリーゴーランドに乗った私の写真。ピントは合っているけどカメラ目線ではないし、変な顔をしていて少し恥ずかしい。
またもメリーゴーランドに乗った私の写真だ。私が乗っている最中に外からずっとカメラを向けていたから枚数が多そうだ。
「この写真の綾瀬さん可愛いですね。こっちも可愛いな。あ、これも可愛いし……どうしよう。全部可愛いですね」
時谷くんがニコニコしながら時々写真を指差して生産性のない感想を言っている。
私はだんだんとイライラしてきていた。
メリーゴーランドに乗る私の写真の下にはメリーゴーランドに乗る私の写真、そのまた下にもメリーゴーランドに乗る私の写真――
めくってもめくってもよく似た写真がコマ送りのように延々と続く。
「えっ、これで最後?」
写真の中の景色はとうとうメリーゴーランドから移り変わることはなかった。
「ちょっと時谷くん! どうなってんの!? 素晴らしい写真ってのはどこにあるの?」
「……ふふっ、メリーゴーランドと綾瀬さんって素晴らしい組み合わせですよね」
「えぇ……?」
時谷くんは一瞬きょとんとしてから、横から写真を覗いて照れくさそうに笑う。
恋する乙女のような微笑みを見てると気が抜けてくる。
このほとんど変わらない写真達をいつまででも見ていられると言ってたんだ……。
しかし思い返せば時谷くんはメリーゴーランドの時しかデジカメを出していなかった。他のアトラクションには二人で乗っていたから写真を撮る暇がなかったんだろう。
せっかく二人で遊園地に行ったんだから、
「ツーショット撮りたかった……」
「え?」
「あっ……」
心の声が口に出た。なんてことない発言だけど時谷くん相手だと気恥ずかしい。
「い、今、写真……撮りますか? ふ、二人で……」
「う、うん」
「待っててください!」
時谷くんの表情はパアッと明るくなって、慌ただしく自室にデジカメを取りに行った。
この程度のことでぎくしゃくしている私達が体の関係を持ったことがあるだなんてね。
自分自身が一番よくわかっていることだけど、信じられない。
でも、そう。一昨日も私はこのソファーのドアから近いこの位置に座っていて、足元のラグの上で時谷くんと……
「ああっ、このリビングで――!」
一昨日の出来事が鮮明に頭を過ぎる。
何度も入ったことがあるリビングだけど、急に恥ずかしい空間に思えてきた。
私は平然とソファーに座っていることができなくなって逃げるようにドアへと向かう。