Keep a secret

□お邪魔します
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「お、お邪魔します」

 こんなに夜遅い時間にお邪魔するのは初めてだ。ドキドキしながら上がると廊下の壁の手作り感満載の飾り付けが目に入った。
 花紙で作られた花飾り、折り紙の輪っかを繋いで作られた飾り、「綾瀬七花さん ようこそ」と書かれた画用紙。
 ……妙な歓迎を受けている。
 小学生みたいで懐かしいなあと思いながら、"ようこそ"という言葉が引っ掛かった。この飾りはいつ作ったものなんだろう。

 飾りに気を取られている間に、脱いだ靴は靴箱に片付けられていた。目につく場所には物が置かれていない綺麗な玄関に戻る。
 過去に時谷くんの家に来たときは私の靴はそのまま置きっぱなしだった。
 私は今夜ここに泊まっていくのだと改めて実感する。

「お腹空いてますよね?」
「ちょ、ちょっとだけ」

 微笑ましい飾りつけの横を通るも、話題は出ない。

「遠慮しないでください。ご飯すぐに温めますね」
「え、夕飯の残りがあるの? じ、実はすごく空いてたんだ……ありがとね」
「それはよかったです。僕もお腹が空きました。面倒で朝食を食べなかったのですが、昼食と夕食も抜くことにしたので……さすがに胃が空っぽです」
「一日食べてないってこと? 何で食べなかったの? ご飯作ってあるんでしょ!?」

 私は時谷くんの背中を追いかけながら矢継ぎ早に問う。今の話では出掛ける前にパンをかじってきた私より重傷だ。

「決まってるじゃないですか。綾瀬さんだけにひもじい思いをさせるわけにはいきませんから」
「い、いや、だから時谷くんは」

 ――私の落とし物が鍵だって、いつ気付いたの?

「さあ早くご飯を食べましょう」

 素朴な疑問を掻き消して時谷くんはダイニングキッチンへさっさと入っていった。
 勘の良い時谷くんは、私が夜中に突然お金を貸してと訪ねてきたから昼の落とし物が鍵だと気付いたのかと思っていたが、それだとあらかじめ用意されていた廊下の飾りや、私と同じように昼と夜ご飯を抜くのは変だ。
 私と昼間に会ったときに気付いたと考えれば辻褄が合う。しかし鍵を落としたことがわかるような言動をした覚えないけどな……。
 その場で考えこんでいると美味しそうな匂いが漂ってきた。


「あーっ、お腹いっぱい。ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした」

 ご飯を二杯もおかわりさせてもらって大満足で手を合わせた。
 少食の時谷くんは私より大分前に食べ終わり、何かと世話を焼いてくれた。「これも食べますか?」と作り置きの料理を冷蔵庫からどんどん取り出してきて、デザートにメロンまで切ってくれる大盤振る舞いだった。

「洗い物は私がするね」
「いえ、僕がしますから」
「私がするってば」

 二人分の食器をまとめて流しに持って行こうと立ち上がると、すかさず時谷くんが手を伸ばしてきた。譲る気のない私と時谷くんで食器の取り合いが始まる。
 せめて後片付けくらいは私にさせてほしいのに時谷くんが強情な人で困る。ただ、向こうも同じように私のことを強情な奴めと思っているのかもしれない。

「片付けは僕がしておくので綾瀬さんはお風呂に入ってきたらどうですか?」
「お風呂?」

 思いがけない提案に力を緩めた一瞬の隙にお皿は取り上げられて、時谷くんの手で流しに運ばれる。

「お、お風呂ね……」

 時谷くんのお家で入浴といえばハーブティーをぶっかけられた後、処女喪失にまで至ったあの苦い思い出が頭をよぎる。

「お風呂、お風呂かぁ……」

 お風呂で体を清めた後に何が待ち受けているのか不安で、目眩すらしてくる。自分の使っていたグラスから早速洗い始める時谷くんの後ろで、私はふらふらよろけた。

「お風呂に入らずに寝ますか? 綾瀬さんがそれでいいなら強制はしませんが」
「いっぱい汗かいたから入りたい、けど……」

 寝る……というのが文字通りただの睡眠を意味するなら問題はないんだけど。
 時谷くんは「ああ」と呟き、洗い物の手を一旦止めて私の方を向いた。

「安心してください。僕の入浴後の残り湯なんかじゃないですよ。隅々まで綺麗に掃除してからお湯を入れ直しました」
「あ……そ、そうなんだ」

 気にしているのは一番風呂か否かではないのだが。

「バスタオルと着替えは脱衣所に用意してあります。ドライヤーと新品の歯ブラシもあるので気兼ねなく使ってくださいね」

 時谷くんはにこりと笑うと、洗い物を再開した。今度は私が使ったお皿に泡立ったスポンジを押し当てる。

「それはそれは……重ね重ねありがとうございます」

 私のためにわざわざ準備してくれたのだ。入らないわけにもいかなかった。


 ***


 お風呂で汗を流した後、脱いだ服の始末に困っていた。下着が見えないよう隠して空っぽの洗濯カゴの中に入れておいたけど、早いとこ洗濯機回しちゃいたいな。
 でも、深夜遅いしなぁ……。

 バスタオルを体に巻きつけながら、用意されていた着替えに手を伸ばす。
 丁寧にたたまれた時谷くんの物と思われるアイボリーのTシャツに、黒地に白のラインが入ったジャージパンツ。
 それから――女性物のショーツ。

「ベージュ……」

 下着が用意されていたこともだけど、それがとても地味だったから二重に驚かされる。
 ご丁寧に一緒に置かれているハサミでタグを切って下着を穿き、服を着た。

 鏡の前で歯を磨きながら自分の姿を覗く。
 多分この服はお見舞いに行った日に時谷くんが着ていたものだ。
 時谷くんにはぴったりなサイズのシャツも私が着ると首周りが少しだぶついて、ジャージのウエストは緩く丈も余っている。
 歯磨きを終えて。洗面台のマグカップには、私が使った水色の歯ブラシと、違う種類だけど同じく水色の時谷くんの歯ブラシが二本仲良く並んだ。

「時谷くん、お風呂ありがとう」
「っ、う、わ……」

 リビングのドアを開けると、時谷くんが目を見開いて口元を手で覆う。そのまま力が抜けたようにソファーからずり落ちていく。

「その格好……想像以上に……」
「え、なに?」
「い、いえ!」

 時谷くんは尚も私を上から下までジロジロと眺めながらソファーに座り直した。

「ねぇ、替えの下着のことなんだけど」
「あ……やっぱり嫌でしたか? ごめんなさい。一人で女性物の衣類を買いに行く勇気がなくて……二階のあの部屋を漁ったら商品の下着がいくつかあったので一番まともな物を選びました。他はちょっと布面積が……下着の役割を果たすかどうか怪しい代物ばかりで……」
「そ、そうなんだ。ありがとう」

 時谷くんがそれはもう遠い目をして話すから、この下着でよかったと心から思う。

「もうすぐ二時です。僕も歯を磨いてきますね」

 時谷くんがスマホで時間を確認すると立ち上がる。
 そういえば私のスマホ、電源が落ちたままだ。

「あっ、待って。充電器借りてもいい?」
「どうぞ」

 振り返った時谷くんは不機嫌が顔に滲み出ていたし、ドアを閉める強さで私の頼みを快く思っていないことを伝えていた。
 時谷くんって親切だけど、たまに怖い。

 電源を入れてみると三十分ほど前から大量のメッセージが届いていた。
 全てのんちゃんから。どうやら心配させてしまったようだ。申し訳なさと、ほっとするような気持ちでメッセージに目を通していると、電話がかかってきた。

「のんちゃん、もしもし?」
『七花! あんた無事なの!? 既読つかないし、電話も繋がらないからもう警察に通報するしかないと思ってたんだからね!』

 電話口ののんちゃんがまくし立てる。もう少し早く充電すればよかったな。

「心配かけてごめんね。のんちゃんにラインしてから、他のと……友達が泊めてくれることになったんだ」
『なんだ、そうだったんだ。あんたが無事ならいいよ。誰の家にいるの?』

 友達の、時谷くんの家。

「あー……のんちゃんは知らない子だよ」

 さすがに時谷くんの名前は出せない。

「ふぅん。でも、いいな。ちょっとお泊まり楽しそうー。明日はどうすんの? うちに泊まってく?」
「のんちゃんの家に泊まってもいいの? だったら……あっ!?」

 大喜びで返事をしようとしたら私の手に別の手が重なり、スマホを奪われていた。
 振り向くと時谷くんが冷ややかに画面を見つめていて、

『七花? どうかした? もしも――』

 私を呼ぶ声がブツリと途切れた。

「きゅ、急になに?」
「僕が綾瀬さんを保護するって言いましたよね。お母様が帰ってくるまでの間ずっとここにいればいい。今になって連絡してくる役立たずの家に行く必要はありません」
「役立たずとか嫌な言い方しないでよ!」

 頭にきて言い返したとき、再び電話が鳴り出した。時谷くんは充電中の私のスマホをテレビ台の上に置いた。
 手を伸ばせば届く距離。だけど、私がもう一度電話に出るには時谷くんの許可が要るように思えた。

「綾瀬さんこそ友人に優劣を付けるのはよくないですよ。まさかとは思いますが……綾瀬さんを泊めると先に提案した僕より、連絡が遅かった電話の向こうの彼女を頼ったりしませんよね?」
「優劣なんて……そんなつもりは……」

 しどろもどろな返事しかできず、時谷くんの威圧的な視線に耐えかねて俯く。

「それなら僕との友情を守る行動を取ってください。簡単なことです。出来ますよね?」

 時谷くんは片方の口角を吊り上げて笑い、ラックの上の携帯に目配せをする。
 時谷くんの幸せそうな笑顔が大好きだけど……こうやって時々見せる、優しい時谷くんを殺すような冷たい笑顔は好きになれない。
 私は返事の代わりに電話に出て、のんちゃんの家に泊めてもらうという話を断った。


 ――どうしよう。ついにこの時間が訪れた。
 そろそろ寝ましょうかと提案され、時谷くんの部屋に来たが、ベッドは当然一つしかない。時谷くんは電気のスイッチに指をかけて、入口でもたつく私を急かした。

「電気消しますよ? 真っ暗になる前にベッドに行ってください」
「…………」

 どうしてそこから動かないの? とでも言いたげに首を傾げる。
 底意地が悪い。私が躊躇している理由は簡単に想像できるだろうに。
 時谷くんを軽く睨みつけてからベッドに腰掛けると電気が消された。

 暗闇の中で時谷くんが私より先にベッドに横たわる。暗くてもすぐ近くに時谷くんがいることは気配でわかる。
 一つのベッドで寝るの? どうする気なの? 時谷くんは何を考えてる?
 私が動けずにいるとベッドが軋んで時谷くんが背後に迫った。

「綾瀬さん……」
「ひっ!」

 両肩に手を置かれ、私の体は過剰に跳ねる。顔だけ後ろに向ければ、多少は暗闇にも目が慣れたのか、可笑しそうに笑いをこらえている時谷くんが見えた。

「な、何がおかしいわけ!? さっき時谷くんも言ってたよね。私達は友達だから! そこを忘れないでもらえるかな!」
「わかってますよ? 友達だから一緒に寝てるんじゃないですか。友達の家でお泊り会ってそういうものでしょ」
「確かに……って! それは同性の友達の場合!」

 一瞬納得しかけたけどすぐに思い直す。肩に置かれた手を払いのけようとしたら、手にぐっと力を込められて私の体は背中からベッドに沈む。

「綾瀬さん、今夜は何もしないから……もう寝ましょう?」

 本気で言っているらしい。二人で寝るには窮屈なシングルベッドの上で、時谷くんは私からできる限り離れて寝転がった。
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