Keep a secret

□いらっしゃい
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「のんちゃん、忙しいのかな……」

 私はため息をついてばかりいる。
 数時間前に送ったメッセージに既読がつかない。ゆかりんと並んで仲良しの、のんちゃんこと楠木(くすのき)希(のぞみ)はレスポンスが早いタイプだ。
 電話も出なかったということはスマホが手元にないのか、もう寝ちゃったのか、それとも無視をしているのか……心細いからって嫌なことを考えてしまう。

 他の友達に連絡するか悩むが、なかなか踏ん切りがつかない。
 鍵を落として家に入れなくなっちゃった。お金もなくて困ってるの。今晩泊めてくれないかな。
 こんなことをいきなり頼める相手は限られている。ゆかりんは押野くんと旅行に行くと言っていたし……。

 遊びに誘える友達はいても困ったときに助けを求められる相手はそう多くないんだな。
 時谷くんにも……私から友達になろうと提案したくせに、鍵探しを頼まなかった。
 私の"友達になろう"という言葉は薄っぺらいのだ。時谷くんには見透かされている。だから写真も消してくれなかったのかな。

 私の方からも時谷くんのことを信頼して心を開かなければ、私が離れていくことを不安に思う時谷くんの気持ちも変わらない。
 本当の友達どころか恋人になるなんて夢のまた夢だ。

「えっ……う、嘘でしょ。充電が!」

 考え事をしている間にスマホの電源が落ちて、光源を失った庭は真っ暗になった。
 これでもうのんちゃんから連絡が来ても確認できない。何かあれば警察や救急車を呼べるし、外部と繋がっている……という安心感も失われた。絶望だ。
 今の私の所持品は――充電切れのスマートフォン、空っぽの財布、メイクポーチ、ティッシュ、ハンカチ、マグカップ。
 役に立ちそうな物が一つもない。こんな状況でお母さんが家に帰ってくるのは四日後の朝なのだ。気が遠くなってくる。

 静かで真っ暗な庭は自分の家じゃないみたいに不気味に思えた。
 駅前なら今の時間でも人がいそうだし、少しは気が紛れるかもしれない。そう考えて、家の前の道路を歩き始める。
 街灯が多い道とはいえ、こんな遅い時間に出歩くことはめったにない。私の後ろをヒタヒタと幽霊が付いてきてたりして……恐る恐る振り返ろうとした、その時。
 周囲が急に明るくなった。

「ひぃぃっ!?……な、なんだ電気ね……」

 ちょうど真横にある時谷くん家の光が道路に漏れただけみたいだ。
 電気が点いたのは二階の道路側に面した部屋……あそこは時谷くんの部屋だ。
 今は日付が変わったくらいの時間だろうか。時谷くん、まだ起きてるんだな……。

 私って大バカだ。時谷くんの家の前で、後悔が押し寄せてくる。
 もしも時谷くんに鍵をなくしたと相談していれば、今頃こんなことにはなっていなかったんじゃないかな。
 私の探し物のためならドブにでも手を突っ込んでくれる人だよ。時谷くんなら鍵が見付かるまで一緒に探してくれた。二人で探していたら見付かっていたかもしれない。

 ――ねぇ、綾瀬さん。僕達、友達でしょ? 困ったことや悩みがあったらいつでも相談してくださいね。何でも打ち明けられてこそ本当の友達ですから。

 本当に、いつでもいいのかな。
 常識的に考えて、こんな時間に急に来られたら迷惑じゃない?
 でも、私だったら困っている時谷くんが家に来て迷惑とか思う……?

「よし……」

 時谷くんにお金を貸してと頼んでみよう。お金があればネカフェやファミレスで夜を明かせるし、スマホの充電もできる。
 緊張で震える指でインターホンを押すと、ピンポーンとお馴染みの音が鳴り終わる前に玄関のドアが開いた。

「こんばんは、綾瀬さん」
「こ、こんばんは。夜遅くにごめんね」

 時谷くんは私を確認し、一瞬だけ微笑むと門のところまで出て来てくれた。
 風呂上がりだろうかTシャツにジャージというラフな服装をしている。

「そろそろ迎えに行こうかと考えてました」
「……迎えに? 私を?」
「ふふっ、こっちの話です。気にしないでください。それよりご用件は?」

 時谷くんは満足げに笑っていて、上機嫌に見える。こんな夜遅くに訪ねて来た私に対して怒ってはなさそうで安心する。
 ……けど、時谷くんがこっちの話だと言うときはいつも妙に意味深だ。

「お、お金を貸してもらえないかな? 出来れば五千円くらい……必ず四日後に返すので! お願いします!」

 頭を下げて、時谷くんの返答を待つ。

「お断りします」
「そんなぁ……」

 慈悲のない返答に私は頭を上げる。変わらずにこやかな時谷くんと視線が合う。

「どうしてこんな時間にお金を借りに来たんですか?」
「え、えっと、それはね」
「これはあくまで僕の想像ですが――」

 私が喋る前に時谷くんが言葉を重ねる。

「綾瀬さんは忘れ物のマグカップを取りに出掛けた先で鍵を落としたんじゃないですか? お母様が今日から家を空けているから、鍵を開けてもらうことはできない。しかもお金もない。だから僕に飲み物を奢ると言いかけてやめたんですよね。探すのを手伝ってほしいと一言言えばいいのに一人で探そうとした。それで結局鍵を見付けられなかったんでしょう?」
「っ!」

 淡々と挙げられていく内容が図星でしかなくて、私は息を飲む。

「あてにならない友達ばかりで困り果てていた綾瀬さんは、僕の家の電気が点いていることに気付いて訪ねて来た。他にどうしようもないから消去法で僕を頼ろうと思ったのかな。それとも公園での言葉を思い出して頼りになるのは僕だけだと思ってくれたのかな。できれば後者がいいですね。……まあ、全て僕の勝手な想像に過ぎませんが」
「うう……鍵を落としたのもお金がないのも事実です……」

 公園で時谷くんを頼らなかったことを痛烈に皮肉られている。勝ち誇ったように笑う時谷くんは、あのとき僕を頼らなかったからこうなったと言いたげだった。

「まさかネットカフェにでも行って時間を潰そうとか考えてませんよね」
「そ、そのまさかです」
「ハァ……深夜に女子高生がぶらついていたら悪い大人の食い物にされてしまいます。何かあったらどうするんですか」

 時谷くんの表情が厳しいものに変わる。私が遅い時間に帰宅するとお母さんが見せる鬼の形相によく似ていた。

「ご、ごめんなさい」

 うなだれる私の姿は、お怒りモードのお母さんを前にしたときと同じだった。

「……でも、家の庭にいるの怖いし、今の時間に行けそうな場所は他になくて……」
「行く場所ならあるじゃないですか。よく見てくださいよ」
「えっ?」

 時谷くんが呆れた顔で横に数歩ずれる。自然と目の前の時谷くんの家が視界に入った。相変わらず綺麗な家で羨ましい限りだ。

「見た、けど?」
「本当にもう……綾瀬さんから言わせたかったけど仕方がないです。危なっかしい綾瀬さんは僕の家で保護します」
「保護? 時谷くんの家に泊まりってこと!?」
「当然です。僕に保護されたくないんですか?」

 時谷くんの家に泊めてもらう……?

「いいいいや! 申し訳ないし!」

 夜の明かし方を考えていた際、全く浮かばなかったわけじゃない。ただ、いくらなんでもちょっと展開が急すぎる。

「私はこれにて失礼します!」
「あれ? 今晩家に泊めてほしいって他の友人に連絡しませんでしたか? 僕の家は嫌なんだ……友達なのにおかしいですね」
「えっ」

 逃げようとして、後ろからかけられた言葉に阻まれる。そういえばさっき、私の方からも時谷くんに心を開くことが大事だと考えていたばかりじゃないか。

「嫌とかじゃないんだよ! で、でも」
「でも?」

 時谷くんが面白がって私に顔をジリジリと近付けてくる。

「え、えっと」

 私達は年頃の男女だし、過去にいろいろあったし、お泊まりはどうなのかな。そう言いたいのに、彼の整った顔を前にしたら何も言葉が出てこない。

「ふふっ、綾瀬さんは大人しく僕に保護されていればいいんです」

 くすくす笑う彼は愛らしい天使みたいで、警戒すべき人間にはとても見えない。けれど時谷くんが可愛い顔した悪魔だってことはとうに知っている。それはどことなく怖い言葉の端々にも見え隠れしていた。

「だって僕達……友達でしょう?」
「う、うん」

 殺し文句のような問い掛けに私は頷いたのだった。

「いらっしゃい、綾瀬さん」

 時谷くんが玄関のドアを開いて私を招き入れる。好きな人であり、友達でもある時谷くんのお家に初めてのお泊まり……不安と緊張と、少しの期待を胸に抱いていた。
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