Keep a secret

□もしもばなし
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〜もしも時谷くんとヒロインの体が入れ替わったら〜


「ジャジャジャーン!特別大サービス!今日一日、七花ちゃんと時谷くんの体をチェンジしてあげたクマ!良い一日を過ごしてクマー」

不思議な喋るテディベアが飛んで跳ねて、波乱の一日の始まりを告げる。
呆気にとられた俺の前でそのまま光に包まれて消えてしまった。

「な、なんだったんでしょうね?あのテディベア……」
「なっ、何で私が目の前にいるの!?」

残された俺と綾瀬さんは顔を見合わせた。
こちらを指差しながら目をまん丸にしているのは見知った俺の顔だった。その見開かれた瞳にはこんなときでも可愛い困り顔の綾瀬さんの顔が映っていた。
俺が綾瀬さんで、綾瀬さんが俺で……ああ、どうしてこんなことに。

俺は次の体育のために更衣室に向かう途中、曲がり角から飛び出してきた綾瀬さんと衝突したのだ。
ぶつかった衝撃で足元が揺らぎ、視点がぐるりと変わったような不思議な感覚に襲われたと思ったらあのクマがいて、今に至る。
シンプルないきさつだけど、あまりに非現実過ぎて何故こうなったのか理解できない。

「と、時谷くんどこ?わ、わ、私がいるよ!私はここなのに、私が目の前に…!」
「落ち着いてください。綾瀬さんの姿をしていますが、僕が時谷です。どうやら僕たち、体が入れ替わってしまったみたいです」

それでも現状を冷静に分析するなら俺は今、通常なら綾瀬さんの心と体と強く結びついている脳を借りてこうして思考し、澄みきった瞳で世界を見て、いつも"時谷くん"と優しく呼んでくれる可愛らしい唇と声で言葉を紡いでいる。
清らかな綾瀬さんの肉体に、浅ましい俺の精神が宿っているのだ。
つまり綾瀬さんの白く柔らかな肢体の全てが今は俺の思いのままということだ。

「入れ替わったってそんなバカな…!あっ……」

綾瀬さんは窓に映った自分の姿、今は綾瀬さんのものとなった俺の肉体を見て言葉を失った。
こんな非現実的なこと混乱するのも無理はない。俺も冷や汗が止まらないし、鼓動が早くめまいもする。
でも、流れ落ちる汗も脈打つ心臓も頭の痛みも全て綾瀬さんのものだ。
綾瀬七花さんという一人の人間の存在を全身から感じる。まるで綾瀬さんに魂ごと包まれているみたいだ。
なんて素晴らしい感覚だろう。その幸福感に浸るために目を閉じ、胸に手を当てれば落ち着いてきた心音がとても心地よく響いた。


****


「なあなあ、時谷!七花の様子変じゃねぇ?」
「えっ!?そ、そう?どっ、どんな風に?ですか!」
「んー、なんかエロいんだよな」
「エロい!?」
「憂いを帯びた顔ってやつ?どことなく大人っぽくてさ。それに話し掛けてもつれない感じなんだよ。具合でも悪いんかな?」
「そうかもっ!あ、そうですね。綾瀬さん、具合が悪いって言ってましたよ。今日はそっとしておいてあげましょうか!ねっ!」

私が必死でごまかすと、日向はなんだか煮え切らない顔で頷いた。
時谷くんってば。あれから体育をサボって一時間話し合いをして、とりあえず今日一日はお互いの振りをしてやり過ごそうということになったのに思いきり怪しまれてるじゃないか。
全く、時谷くんに完璧になりきっている私を見習ってほしいよ。

「つーか、お前は今日調子いいの?」
「えぇっ!?どうして?」
「ほらな!声大きいし妙に明るくね?いつもはもっと静かで死んだような目してた気がするけど」
「そ、そう…ですか…?僕は…いつも…こんな感じ…ですよ…?」
「お、おう?」

ちょっとあからさまな私の演技に、日向が関わりたくないといった様子で離れていく。
……ごめん、時谷くん。私も時谷くんになりきれてなかったみたい。
私の体の時谷くんはどうしているかと席の方に視線を向けると、時谷くんはつまらなさそうに片肘をついて分厚い本を読んでいた。
傍らで首を傾げているゆかりんを見ながら、私はガックリと肩を落とした。


****


「七花〜!久しぶりに一緒に帰ろうよぉ。何か悩みとかあるなら聞くからさ!」

俺は帰りのホームルームが終わったのと同時に席を立った。
駆け寄ってきた高橋ゆかさんに「用事があるからごめん。ありがとう」と簡潔に伝えて、廊下へ飛び出した。

綾瀬さんはホームルームの最中に日直の雑用仕事を任されて教室を出ていったままだ。
本当は俺が日直なのに面倒事を押し付ける形になって申し訳ない。
手伝いに行きたい気持ちは山々だが、俺はその前にどうしてもしたいことがある。
綾瀬さんの体の隅々にまで触れて、綾瀬さんの体の弱い部分をリアルな感覚として知れたら元の体に戻ったときに大いに役立てることができるはずだから。

目指すは教室から離れた階下のトイレだ。
スカートで走ることには気を使わないといけないけれど、綾瀬さんの体は望み通り軽快に動いてくれるから軟弱な俺の体に比べて遥かに走りやすい。
窓ガラスに映る綾瀬さんの可愛い顔に時々視線を向けて楽しみながら走って、やがて曲がり角に差し掛かった。

「きゃっ!」
「っ!」

曲がり角で誰かに勢いよくぶつかり、またあの不思議な感覚。気付けば俺の前で女子生徒が尻餅をついていた。自分自身の肉体を取り戻した綾瀬さんが。

「綾瀬さん、ごめんなさい!立てますか?」

当然ながら差し出した俺の手も小さくて綺麗な綾瀬さんの手ではなくなっていた。
戻れてよかった……が、残念でもあって。そんな俺は「また今度クマー」という小さな声を聞いた気がした。


08.10 ネタ提供 匿名様
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