Keep a secret

□もしもばなし
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〜もしも時谷くんが記憶喪失になったら〜


「看護師さんから聞いたよ。来週退院なんだってね。おめでとう」

信号無視の車に轢かれてから二週間。足の怪我は順調に良くなっているが、失われた記憶は戻っていない。
今まで使っていた携帯は事故の衝撃で壊れたから、過去の俺の情報が一切ない新しい携帯でネットを見たり、本を読んだりして時間を潰してきたけど、いい加減それらにも飽き飽きしていたところだ。退院は喜ばしいことだった。
俺は読んでいる本に視線を落としたまま「うん」とそっけなく返事をした。

「学校にも通えるんだよね。朝、時谷くんを迎えに行ってもいいかな?」

それでも声の主は気を悪くすることなく明るい声で話し続けた。
自分の名前すら忘れていたのに時谷くんと呼ばれると妙にしっくりくるから呼ばれる度に不思議な気分になる。

俺はようやく顔を上げた。クラスメートで近所に住んでいるという綾瀬は、面会が許可された日から毎日見舞いに来ていた。
この病室に訪れたのは綾瀬と、最初の一週間は毎日来ていたけど最近は仕事で来なくなった親を名乗る人達、それから高校の担任が一回きり。クラスメートが事故にあい、しかも記憶喪失になったなんて聞いたら寄せ書きの一つでも届きそうだが、そういった物もなく。
恐らく記憶を失う前の時谷薫は人望がない人間だったんだろう。だから俺はどんな性格であったのか、どんな人間と関わり、どんな毎日を送っていたのか思い出したいと思えなかった。

「高校の場所わからないから初日だけお願い」
「任せて!エスコートします」

綾瀬が顔を綻ばせる。毎日会いに来るくらいだからきっと他に伝えたいことがあるはずなのに、全てを押し殺して笑う。
頭のずっと奥の方がざわついて、胸が締め付けられる。彼女の笑顔を見るといつもこうだ。
胸が痛くて、苦しくて苦しくて。理由のわからない苦しさから逃れたくなる。


「……な…んで俺に構うの…?綾瀬は…っ、綾瀬は俺のなんなの?他には誰も来ないのに綾瀬だけ毎日毎日…っ、過去にどんな関係だったか知らないけど、俺は過去のことを思い出す気なんてないから。変な期待されても困るんだ!」

綾瀬の表情が曇り、俺から目を逸らしたのを見てハッとした。こんなことが言いたかったわけじゃない。
綾瀬はすぐに俺を見つめ直して力なく笑った。

「あはは。思い出したくない、かぁ……うん。仕方ないよね。過去のことは言わないよ。だからね、また時谷くんの友達になりたい。それもだめかな?」
「っ!」

綾瀬が望んだ関係に言葉が詰まる。
俺がそっけない態度を取っても馬鹿みたいに会いに来る、そんな綾瀬と積み重ねてきたであろう過去を否定し拒絶したのに、それでも綾瀬は……

"友達になろう"

頭が痛い。痛みに耐えられず顔を覆うと、頭の中で懐かしくて愛しい声が語りかけてきた。
前にも聞いた、過去の俺が救われた特別な言葉……その言葉を中心にして今までの俺を形作っていた記憶の波が押し寄せてくる。
胸が苦しくなるはずだ。思わずくすりと笑ってしまうくらいに、俺の楽しかった記憶にも辛かった記憶にも彼女は深く深く住み着いていたんだから。

「綾瀬さ…ん…」

"好きです"

伝えていなかった二週間分の愛と、毎日お見舞に来てくれたことへの感謝、心配をかけてしまったこと、傷付けてしまったことへの謝罪、全てひっくるめてその一言に込める。
子供みたいに声を上げて泣き出した綾瀬さんをそっと抱き寄せた。


2016.06.25 ネタ提供 匿名様
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