Keep a secret

□空っぽの俺は
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 カラオケの次はボウリングに移動することになった。これもまた押野くんの提案だ。

「よっしゃ!」
「前山田すごーい! 連続ストライクだぁ」

 押野くんが提案するだけあって竹山田はボウリングも得意だ。

「時谷! イエーイ!」
「い、いえーい……」

 俺だけ飛ばしてくれればいいのに。そういうわけにもいかないのかハイタッチを求められ、俺は引きつった笑みを返す。
 場の空気を壊さないよう、合わないノリに無理に合わせる。精神を削られる時間だ。

 俺みたいに根っこから暗い人間を並以上の明るい性格に矯正させることなど不可能だ。
 普通の高校生の皮を無理矢理被せられているようなこの居心地の悪さは、普通に明るい高校生の綾瀬さんには到底理解できないことなんだろうな……。

「時谷くんは前山田くんのことどう思う?」
「どうって……別に」

 俺に顔を近付け、上目がちに聞いてくる綾瀬さんは可愛かった。
 でも、この可愛い表情を引き出したのが竹山田だと思うと嫉妬で狂いそうだ。

「前山田くんって気さくで面白いよね」

 彼女は俺に同意を求めている。もしも俺が、竹山田は面白い奴だと頷けばきっと彼女は満足したかのように笑うだろう。
 だからこそ俺は黙った。

「前山田くんともっといろいろ話してみたいと思わない?」

 ボウリングに移動してから綾瀬さんは竹山田のことばかり話している。俺が別の話題を振っても軽くあしらわれて「それで前山田くんがね」といった調子だ。


 前山田と話したいか――

 悔しいが前山田日向は陽だまりのような人間だ。あいつはいつも底抜けに明るくて、誰にでも優しい。
 実際あいつは、俺が不登校をやめ、また学校に通い始めたばかりの頃によく絡んできた。前山田からの挨拶を聞こえない振りしたり、じゃれつかれても無反応でいるうちに近寄ってこなくなったが……それは俺の態度が悪かっただけだ。

 俺は一人でいることが苦痛ではない。かと言って一人が特別好きなわけでもなく、出来るなら友達が欲しいと思っていたはずだ。
 前山田も高橋さんも押野くんも俺なんかにも優しくしてくれる良い人達だと思う。
 だけど、どうしても好きにはなれない。

 俺は幼い頃から両親が嫌いだった。
 幼稚園、小学校と、俺を馬鹿にしてくる同級生のことが嫌いになった。
 中学生になり、俺を裏切った友達のことが嫌いになった。

 人間が嫌いだから、なるべく誰とも関わらないように過ごしているうちに興味を持てる物がなくなっていった。
 俺には夢や目標や趣味がない。
 何か新しいことを始めて、他人や自分に変に期待することになるのは面倒だから、それでいいと思っていた。

 でも……こんな俺にも好きなものが、興味を惹かれるものが、たった一つだけある。
 好きな人ができたんだ。特別に愛おしい存在。俺には綾瀬さんしかいないけど、それだけで俺の人生は全て事足りる。
 綾瀬さんと一生を共にすることが俺の夢で、綾瀬さんの理想の男に近付くことを目標にして、綾瀬さんが好きなものを俺も好きになればいい。

 今の俺の生活は、綾瀬さん中心に回っている。
 綾瀬さんを好きになる前の自分が何を考えて生きてきたのかもう思い出せない。きっと毎日ただ呼吸をしているだけの空っぽな人間だったからだ。
 綾瀬さんがいなかったら……空っぽの俺は本当に何にもなくなってしまう。
 俺は一人でいることが好きなわけじゃない。世界で唯一好きな人……綾瀬さんにだけは、そばにいてほしい。

「……そうですね。前山田くんは面白くて話しやすいです」
「だよね! さっき前山田くんと話してたんだけどさ、時谷くんも一緒にセブンスのライブ行かない?」
「はい。前山田くんがよければ」

 心にもないことを言って微笑んで見せれば綾瀬さんは瞳を輝かせた。

 ……本当はくだらない友達ごっこなんてしたくない。けど、綾瀬さんは俺に友達ができることを望んでいる。
 だから今日俺を誘ったのだ。
 流されるままにハイタッチをしていて気付いた。みんなの輪の中にいる俺の姿を見る綾瀬さんの嬉しそうな視線。

 俺は前山田も高橋さんも押野くんも嫌いだ。同じ高校の人間も、街中ですれ違う人間もみんなみんな大嫌い。
 それでも彼らを好きになる努力と、俺を好きになってもらう努力をしよう。
 そうすればいつの日か綾瀬さんも俺を好きになってくれるかもしれない。


 ***


 ――精神を集中する。
 俺の投球は左寄りに進む癖があるから、レーンの真ん中を真っ直ぐ転がっていくよう気を付けて……力み過ぎないように……。
 力を込めて投げたボールは狙い通りの軌道を描き、全てのピンを倒した。

「やったぁ! ストライクです! 綾瀬さん、見ててくれま、したか……」

 振り返ったら綾瀬さんと前山田の姿がない。

「おーっ、初ストライク!」
「時谷くんおめでとう!」
「あ、ありがとう……」

 求められるまま押野くんと高橋さんとハイタッチを交わすが、俺は気が気じゃない。綾瀬さんはどこへ行ったんだ……。
 集中が切れた二投目はガーターまっしぐらだった。格好悪い。前山田ならガーターなんて取らないのに。

 しばらくして前山田が一人で戻ってきた。
 高橋さんもだが、腹痛以外の理由で綾瀬さんを一人にするなよ。ガラの悪い連中に絡まれたらどうするんだ。

「綾瀬さんは?」
「……ああ、すぐ来るんじゃね? それよりお前にやるよ!」
「はっ?」

 甘い物は苦手だ。ジュースとお菓子を押し付けられても困る……が、前山田と仲良くなる努力をするって決めたんだ。

「ありがとう。前山田くんって親切だよね」

 俺は人から嫌われるのは得意だが、好かれる方法を知らない。仕方なく、印象の良さそうな笑みを作っておいた。

「俺は嫌な奴だよ」
「え?」

 前山田が眉をしかめる。

「よーしっ! 俺の華麗な投球を見てろ」

 前山田が普段と違う顔を見せたのは一瞬のことで、すぐにいつもの馬鹿みたいに明るい笑顔になった。
 直後に戻ってきた綾瀬さんの元気がないことに、俺は目ざとく気付く。

「綾瀬さん、疲れちゃいましたか?」
「ううん……」

 素っ気ない返事。俺の顔を見ようともしない。綾瀬さんの様子は明らかにおかしかった。

「あ……ゆかりんの順番なのに日向が投げてる……」

 綾瀬さんはぼんやりと前山田に視線をやりながら独り言のように呟く。
 ……日向? "日向"って名前で呼んだのか?

「あの、前山田と何を話してたんですか?」
「日向って優しいよね……」

 綾瀬さんは俺なんかお構いなしに前山田だけを見つめている。二人の間に何があったっていうんだよ……。

「ねぇ、カラオケで時谷くんは日向に……」
「え?」
「真剣に歌ってた日向かっこよかったね。本当に……素敵な人だよ」

 そう言い終えると綾瀬さんは俺を残して、レーンの前ではしゃいでいる前山田と高橋さんの元に行ってしまった。

 まさか、あんな安っぽい借り物のラブソングで前山田に惚れたっていうのか?
 もしも俺が下手くそでも心を込めて歌っていたら、気持ちは届いたのか?
 ――わからない。俺は言い訳をして一曲も歌わなかった。
 "もしも"なんて考えても意味はない。

 急に目の前が真っ暗になって、足場が崩れていくような錯覚。俺は平衡感覚を失い、膝をついた。

「はっ、はっ……」

 全部……全部全部全部、前山田が悪い。
 人気者の前山田は女を選びたい放題なんだから他の女子で我慢してくれればいいだろ。
 順風満帆な前山田の人生において、綾瀬さんはそこまで特別な存在か?
 お前はどうせ綾瀬さんがいなくても生きていけるんだろう?

 空っぽの俺には綾瀬さんしかいないんだ。俺から綾瀬さんを奪わないで。俺の邪魔をするなよ。
 きっと、きっと前山田さえいなければ全て上手くいくんだ――

「はっ、はあっはあっ……」

 頭の中がぐちゃぐちゃで、どうにかなってしまいそうだ。
 誰でもいいから俺の体を引き裂いて俺の中に溜まっていく汚い感情を取り除いてほしい。そうすれば俺だって前山田みたいに優しい人間になれるかもしれないのに。

 涙が溢れて止まらない。俺が泣く時はいつも綾瀬さんがそばにいてくれた。
 今だって決して遠くない距離なのに……綾瀬さんとの間には目に見えない壁があった。
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