Keep a secret
□俺から彼女を
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ゲームセンター内のとあるUFOキャッチャーの前に、綾瀬さんは立っていた。
「綾瀬さ――」
「はー……」
声をかけようとした瞬間、彼女は腰が抜けたように座り込んだ。
「大丈夫ですか!?」
「あーっ! 時谷くんちょっと聞いてよ! このアーム弱すぎて絶対に持ち上がらないんだよ。酷くない!?」
一体何事かと思ったが、UFOキャッチャーに腹を立てているだけか。体調が悪いわけではないようでホッとする。
「酷いですね。綾瀬さんの貴重なお金と純粋な心を弄ぶなんて許せません。それで、どれが欲しいんですか?」
「……あれ。取れそうで取れないんだよ」
立ち上がって景品を指差す綾瀬さんは頬をぷくっと膨らませている。
まんまとゲームセンターの金づるとなってしまった綾瀬さんが可哀相だし、一緒になって真剣に怒ってあげたいんだけど……ふて腐れている表情が可愛いから、俺はつい笑ってしまいそうだった。
「わかりました。挑戦してみます」
「もういいよー。さっきので諦めることにしたから……」
俺は止められる前に素早くお金を入れた。
「って時谷くん!?」
綾瀬さんが欲しがっている景品は箱に入ったマグカップで、ホールの真横にあった。これなら持ち上げるよりアームの側面を使って押し出す方法がいいんじゃないか。
前にテレビでUFOキャッチャーの達人が説明しているのを見た覚えがある。
「時谷くん頑張って!」
「はい」
綾瀬さんが俺の顔を食い入るように見つめながら応援してくれている。緊張するけど、すごく嬉しい。俺が綾瀬さんの無念を晴らすんだ。
「あっ、あーーっ!」
「……落ちた。落ちましたよ!」
押し出す方法は大正解だった。狙い通りの位置にアームを持ってきて、横にずらされた景品はホールの中に落ちていった。
「時谷くん、すごい!」
まさかこんなにあっさり取れるとは。高橋さんに置き去りにされた綾瀬さんは、俺が来るまでに何回挑戦したんだろう。
両替を必要としたってことは相当な金額を注ぎ込んだ可能性が……いや、追求するのは気の毒だからやめよう。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。ありがとね……!」
綾瀬さんは俺から受け取った景品の箱を大事そうに抱きしめて笑う。なんとうっすら涙まで浮かべて喜んでくれている。
これを手にするまでに壮絶な戦いがあったんだろうな……。
「あっ、そうだ。お金返すよ」
「お金なんていいんですよ」
「でも」
怒ってる顔も可愛いけど、綾瀬さんはやっぱり笑顔が一番だ。たった百円の投資で、陽だまりみたいな綾瀬さんの笑顔を見られて俺は得した気分だった。
「あ、あのさ……今日はごめんね?」
「…………」
笑顔だった綾瀬さんはハッとしたように顔を強張らせ、俯いた。
綾瀬さんは竹山田と終始楽しそうに過ごしていたけど、俺のことも少しは気にしてくれていたのかな……まあ、竹山田とばっかり話していたが。よりにもよって竹山田と。
それでも、今日のことで綾瀬さんを責めるつもりはなかった。
嘘をつかれたのは確かにショックだったが、同時に嬉しい気持ちもあった。
綾瀬さんは高橋さんと押野くんとの約束に俺を誘ってくれたのだ。
例え人数合わせだったとしても他の誰でもない俺が選ばれたんだ。それは素直に喜ばしいことだったから、今日は邪魔者がいても我慢しようと思っていた。
竹山田には今すぐにでも帰ってほしいが。
「気にしないでください。それより、誘ってくれてありがとうございます」
「時谷くん……ありがとう。時谷くんって優しいときは本当に優しいよね」
「ふふっ、何を言ってるんですか。僕はいつでも優しいですよ」
残念ながら、俺が優しい瞬間なんて一秒たりともなかった。
俺は綾瀬さんが誰かと少しでも親しくしていることが許せなくて、汚いことばかり考えてしまう。今日も竹山田への嫉妬で狂いそうになっていた。
だけど、今みたいに冷静なときの俺は優しげに笑いかけることができる。自分でも恐ろしいくらい自然に。
だから俺が内に秘めた醜く汚い心に、綾瀬さんは気付かない。
このまま二人で抜け出したいところだが、綾瀬さんはまだ歌う気満々らしい。仕方なくカラオケルームに向けて歩き出した。
「前山田くんはセブンスのファンなんだって。今度のライブ行きたいって言ってたよ」
「そうなんですか」
「時谷くんはセブンス好き?」
「普通です」
セブンスというのは名前だけ聞いたことがある。中高生から支持を受けているアーティストらしいが、それを竹山田が好き……?
いまだかつてこんなに興味を持てない会話を綾瀬さんとしたことがあっただろうか。綾瀬さんがセブンスのファンだと言うなら、俺も光の速さでファンになれる自信があるんだけどな。
「普通は好きのうちだよね。ほらぁ、時谷くんもライブに行きたくなってきたでしょ?」
「いいえ、全く」
「あれ?」
今日の綾瀬さんはおかしい。竹山田はあれが好きなんだ、こうなんだと俺に教えてくれる。おかげで竹山田についてやたらと詳しくなってしまった。
正直言って俺は、竹山田の休日の過ごし方よりはミジンコの生態の方がまだ興味を持てただろう。
「お前ら! 遅いから探しにきてやったぞ」
「前山田くん」
噂をすれば偉そうに踏ん反り返って竹山田が歩いてきた。どうやら俺は竹山田の歩き方すらも気に入らないらしい。
「……いっ、いたたたっ! 私トイレ! 二人はゆっくり話しながら戻っててね」
唐突な腹痛の訴え。ついさっきまで元気に竹山田の話をしていたはずだが、彼女はトイレに走っていってしまった。
「綾瀬さん……」
もしかしたら恥ずかしくて言い出せなかっただけで、ずっと我慢していたのかもしれない。綾瀬さんの体の異変に気付けなかったなんて情けない……。
「あいつ堂々と"大"の宣言して行ったなぁ」
「下品なこと言わないでくれる?」
全く竹山田はどこまでも能天気な奴だな。綾瀬さんが心配じゃないのか?
俺は綾瀬さんと離れている間は心配で、不安で、落ち着いてなんかいられないっていうのに。
心配なのは綾瀬さんの体調や、精神面だけではなかった。
今……俺は綾瀬さんのことを考えているけど、綾瀬さんは何を考え、何をしているのだろう?
俺は興味のない人間の顔や名前、話した内容を覚えていられない。綾瀬さんも俺とおんなじだったとして、彼女が俺に全然興味がなかったら、次に顔を合わせる頃には俺のことを忘れているかもしれない。
俺はいつも、そんな焦りと不安に駆られている。前よりマシになったとはいえ、俺にはやっぱり余裕がない。
「時谷、戻ろうぜ」
「そうですね」
本当はここで綾瀬さんを待っていたい。でもそれはあまり歓迎されないことのように思えたから、竹山田の後ろに続いた。
「……なあ、聞きたいことがあるんだけど」
竹山田の声色が変わった。普通にしていてもふざけて見えるような奴なのに、今は後ろ姿でも真剣な表情をしている姿が想像できた。
「何?」
俺も身構えて返事をする。
「時谷と七花って付き合ってんの?」
「……付き合ってない」
「じゃあ、七花のこと好きだったりする?」
「っ」
返答に困った。
まだ一度も口にしたことがない秘めた思いを竹山田に打ち明けるのは抵抗がある。俺にとって何よりも特別で大切な気持ちだから、綾瀬さんに一番最初に聞いてほしい。
「教えてくれよ! 絶対誰にも話さないからさ。なっ、いいだろ?」
「…………」
中学時代、俺を裏切った"友達"も似たようなことを言っていたな。誰か一人にでも話したら、秘密は秘密と呼べなくなってしまうことを俺はよく知っている。
特に竹山田は口が軽いタイプだ。教室中に響き渡る大きな声で「ここだけの話だけど〜」「秘密って言われたからお前も絶対秘密にしろよ」とか何とか言って、他人の秘密をバラしているのを何度聞いたことか。
竹山田に悪気はないらしく何だかんだで許されているようだけど……信頼という言葉からは最も遠い男だと思う。竹山田に話したら速攻でクラスメート全員に知れ渡りそうだ。
俺が綾瀬さんを好きだという噂が流れたら、綾瀬さんは迷惑に思うだろう。それだけは絶対に阻止しなければ。
「……別に好きとかじゃないよ。綾瀬さんは友達だし」
「なーんか怪しいよな。ぶっちゃけろって。秘密にするからさ!」
友達だと強調することで信憑性を上げたつもりだった。しかし、沈黙が長かったからか怪しまれている。
それっぽく嘘に嘘を重ねてみるしかないな。
「俺、他に好きな子がいるから勘違いされても困るよ」
声が裏返ることも目が泳ぐこともなく自然だったと思う。ごまかすには他に好きな子がいると言うのが一番だ。
「なんだよ。そうだったのか! もっと早く言ってくれよな! で、誰誰? 同じ学校の女子なんだろ?」
こいつはまだ深入りしてくる気らしい。正直ここまで聞かれるとは思わなかった。手頃な女子はいないだろうか。
いざ女子の名前を挙げようと思ったら全く出てこない。俺って女子の名前は綾瀬さんと高橋さんと……不本意だけど黒崎さんくらいしか覚えていなかったんだな。
「あー……前に告白してくれた子で……」
「えっ、もう付き合ってんの?」
やばい。何か言わなければと焦り過ぎて問題発言をしてしまった。
俺に彼女がいるなんて話はさすがに無理があると思うし……しかも、前に告白してくれた子って誰だよ。嘘の中にも少しの真実を混ぜなければ途端に胡散臭くなってしまう。
「いや、付き合っては……手紙が入ってて……」
「手紙?」
ああ、この話は綾瀬さんを好きになったきっかけじゃないか。綾瀬さんが俺の家に手紙を届けていたことを知っている竹山田なら勘付くかもしれない。
気持ちが焦るが、ふと過去の出来事を思い出した。
「手紙っていうかチョコだよ。バレンタインの日に机に入ってた。せっかく告白してもらえたのに断っちゃって……あの時は罰ゲームで告白されたと思ったから」
「あっ、その話友達づてに聞いたことあるわ! お前本当は好きだったの? もったいねー! あいつ絶対本気だったぞ」
高一のバレンタインの日、机の中にチョコが入っていたのは事実だ。
どんな女子だったか顔も名前も覚えていないが、竹山田がこの件を知っていてあっさり納得してくれて助かった。
俺もあの告白は罰ゲームじゃなかったことはわかっている。綾瀬さんを守るために嘘と真実を混ぜて話しただけのことだ。
「この話は秘密で」
「おう、約束な! あとさ、俺も教えてやるよ。俺は七花が好きなんだ!」
竹山田は白い歯を見せて笑うと一足早くカラオケルームに入っていった。
人当たりの良さそうな笑顔……いや、実際に人から好かれているんだもんな。表情筋の鈍っている俺にはどう頑張っても作れない、内面が滲み出るような明るい笑顔だった。
俺は結構大きな嘘をついてしまった。竹山田は本当に秘密にしてくれるんだろうか。
変な噂が流れたらあの女子に申し訳ないとは思うけど……これで綾瀬さんが被害を被ることはなくなったんだ。他の人がどうなってもいいか。と、本気で思っている最低な俺も存在した。
考え事をしていたら綾瀬さんも戻ってきた。綾瀬さんが健康なこと、それが一番大切なんだよ。
「皆さん……実に四時間にも及んだカラオケ大会もラスト一曲を残すところとなりました」
修業のようだった長い長いカラオケがあと五分で終わる。前山田がわざとらしいしんみりとした雰囲気で語り始めた。
「心を込めて歌います。聞いてください。前山田日向で」
「うるさい! でしゃばり山田! 最後はみんなで歌いたかったのに!」
「まーまー、歌わせてやろうぜ」
大トリを巡っては高橋さんと竹山田の小競り合いがあった。結局押野くんの説得勝ちで竹山田がトリを飾ることに決まったらしい。
「引っ込めー!」
高橋さんが野次を飛ばす中、前奏が流れる。俺でも知っている有名なラブソングだ。
竹山田が歌い出すと文句を言い続けていた高橋さんも口をつぐんだ。
それも納得だった。てっきりふざけて歌うのかと思ったら真剣に熱唱している。難しいバラードをプロ並に歌いこなしていた。
普段はふざけてばかりのお調子者がラブソングをしっとり歌い上げる……そんな竹山田の姿は女子目線では魅力的に映ったようだ。
綾瀬さんは竹山田の顔を見つめながら聴き入っていた――
「よっ、歌上手田!」
「見直したよ前山田」
「うん、すっごくかっこよかった!」
「ま、まあな? 俺が本気を出せばこの程度の曲は余裕だかんな」
最後まで歌い終えた竹山田に俺以外の三人が立ち上がって拍手を送る。さっきまで文句たらたらだった高橋さんの好感度まで上げてるじゃないか。
押野くんがカラオケに行こうと提案したのは、竹山田が歌が上手いからアピールできるとわかっていたからなんだ。四時間ずっと適当な音程で替え歌を歌っていたのも、このラブソングの歌声を際立たせるため……。
竹山田は何も考えていないように見えて、本気で綾瀬さんを落とす気だ。
――俺から綾瀬さんを、本気で奪おうとしている。