Keep a secret
□目に見えない
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俺は綾瀬さんのそばにいたい。
ただのクラスメートやご近所さん、友達ではなくて……恋人として、そばにいさせて。
俺の夢は綾瀬さんと結婚することなんだ。仕事を終えて家に帰ったら、綾瀬さんがおかえりと笑顔で迎えてくれる生活はさぞかし幸せだろう。
いずれは僕と綾瀬さんの遺伝子が混じりあった子供が生まれて、幾度となく結婚記念日を迎えて、俺の人生に綾瀬さんがいることを当たり前にしたい。
最期の時が来たら同じ墓に眠る。死んだ後も離れるつもりはない。きっと俺達は生まれ変わって再会を果たす。
そして、再び永遠の愛を誓うんだ。
『明日って予定ありますか? 二人でどこか出かけない?』
『こんばんは。綾瀬さんに誘ってもらえるなんて嬉しいです。僕は一日空いているので何時からでも大丈夫ですよ』
『よかった。十三時に駅の銀時計前で待ち合わせでいいかな? デートの待ち合わせといえばここだよね』
『了解です。明日楽しみですね』
『うん。また明日ね!』
まさか綾瀬さんからデートに誘ってもらえるなんて……俺なんかにこんな奇跡が舞い降りてもいいのだろうか。
嬉しいけど、わからないことがある。綾瀬さんが俺に優しくし続けてくれる理由だ。
夏休みに入る前に綾瀬さんが俺を避け始めたのは黒崎さんとの約束のせいだった。俺を守るための行動だったことにも気付かずに、俺は綾瀬さんに乱暴し、今も写真があると言って脅している。
救いようのないクズだ。
それでも綾瀬さんは俺のことを嫌いじゃないと言ってくれた……。
あの言葉は本心だったのかな。夏祭りに誘ってくれたのも不思議だ。
綾瀬さんはもしかしてまだ俺と友達に戻りたいと思っている? それとも俺を怒らせないために心にもないことを言った?
写真があると脅した結果、綾瀬さんが俺から逃げられない状況を作り出せた。
けど、その代償に綾瀬さんの言葉を素直に受け取れなくなってしまっている。
世界で一番特別な人の気持ちが誰よりわからないなんて皮肉な話だな。
――俺はいつもそうだ。
本当は誰よりも綾瀬さんに優しくしたいのに、酷いことばかりしてしまう。俺には知られたくない秘密があるのに綾瀬さんの何もかも全てを把握したくなる。
綾瀬さんを好きだとまだ気付かれたくない。気付かれるのは怖い。
だけど、胸に秘めておくにはこの想いは膨らみすぎている。どんなに隠そうとしても俺の口からぽろぽろとこぼれ落ちていくから、とっくに勘付かれているかもしれない。
いっそのこと明日告白してしまおうか。
ほぼ間違いなく振られるだろうが、今の俺は数日前より気持ちに余裕がある。
綾瀬さんに完全に嫌われたわけではないらしい……という希望の糸が、俺の心を安定させていた。
嫌われていないならまだ俺にも可能性はある。少なくとも綾瀬さんが俺以外の男を好きになるまでは……。
翌日。俺は寝坊という過ちを犯した。
明け方まで入念に告白のシミュレーションを重ねてきたものの、待ち合わせ場所に集まっている顔ぶれを見た瞬間にその時間が無駄だったことを悟る。
綾瀬さんへの過剰なスキンシップが目に余る高橋ゆかさん。その彼氏の押野睦月くん。綾瀬さんに下心があり、馴れ馴れしく下の名前で呼んでいる竹山田日向。
これだけ揃えば今日が残念な一日になることはわかりきっていた。告白出来る雰囲気になりそうにないことも……。
押野くんの提案でカラオケをすることになり、行き先はゲームセンターやボーリングなんかも入っている複合アミューズメント施設に決まった。
「どこ座る?」
「俺とゆかと時谷はこっちで、前山田と綾瀬がそっちのソファーでいいよな」
「押野に賛成!」
カラオケルームに入って早々にきっちりとした席決めが行われようとしていた。押野くんと竹山田はテーブルを挟んだ真向かいのソファーにそれぞれ座る。
こいつら本当に邪魔だな。
二人きりで過ごせないだけでなく、綾瀬さんの隣に座ることも許されないなんて冗談じゃない。
そもそもこういった場では適当に座っていくものなんじゃないのか?
俺が最後にカラオケに来たのは小学生の頃で親と一緒だった。同級生とは来たことがないからその辺の事情はわからない。
「えー!? 私と睦月と前山田がこっちで、七花と時谷くんがそっちだよ!」
俺の気持ちを代弁するかのように高橋さんが不満の声を上げてくれた。
「前山田こっち来てっ」
高橋さんは押野くんの隣に座り、もう反対の自分の隣の空席をポンポン叩く。
「いやぁ……俺はこの席がいいんだよなー」
「ちょっ、ゆか! 頼むから俺に合わせてくれよ」
「睦月こそ空気読んで私に合わせてよ!」
揉め始めた三人の姿を俺と綾瀬さんはドア付近で見守る。
高橋さんを相手にしても折れる気がない竹山田と押野くんは綾瀬さんにチラチラと視線を向けている。
やはりこの様子だと、竹山田が綾瀬さんを好きだという噂は事実だったんだ。
本来なら今日は俺抜きの四人でダブルデートをし、竹山田と綾瀬さんの距離を縮める計画だったんだろうな。想定外の俺が来ても奴らは計画を諦めてはいないらしい。
高橋さんはアンチ竹山田派なのか駅でも竹山田に帰れと言ったり、明らかに綾瀬さんから引き離そうとしている。
それどころか俺と綾瀬さんを近付けようとしてくれている気がするのはさすがに思い上がりだろうか。
「あ、あのさ……」
短くない時間をこの空間に拘束されることを思えば、座席は重要だ。ずっとソワソワと三人の話に交ざりたそうにしていた綾瀬さんが、遠慮がちに口を開く。
「私、前山田くん、時谷くんの三人と、ゆかりん、押野くんの二人で座ればいいんじゃない?」
「うーん」
「まあ、それでいいか」
「仕方ないね」
「…………」
綾瀬さんの意見に三人は納得したようだが、俺は正直複雑だった。
「時谷くん?」
しかし、竹山田の隣に早速座った綾瀬さんが突っ立ったままの俺の顔を見上げてくるから仕方ない。竹山田と俺で綾瀬さんを挟む形で腰を落ち着けた。
***
「あれ? この歌わかんないかも」
「よしっ七花、俺が歌ってやろう」
「えーっ! アホ山田が二曲連続で歌うの?」
「みんなー! 俺の歌で盛り上がってくれ!!」
「まじ萎えるよー……」
一時間くらい経っただろうか。俺以外は盛り上がっていた。無論、綾瀬さんも。
綾瀬さんは休日や放課後にカラオケへ行くのが当たり前のごく普通の高校生なんだよな。こういう賑やかな場と無縁の生活を送ってきた俺とは違う。
慣れた様子でデンモクを触り、電話で食べ物の注文を済ませる普通の高校生の綾瀬さんと、日陰者の俺との間には目に見えない壁がある気がしてならない。
本当なら俺は、綾瀬さんの隣に並べるような存在じゃないんだ。
窓際でクラスメートと話す彼女の眩しい笑顔を遠くから眺めている、それが俺の正しい立ち位置なんだから。
高橋さんや押野くん、竹山田みたいな根から明るい人達と一緒にいるのが綾瀬さんの本来あるべき姿で、自然だと思う。
俺と綾瀬さんでは釣り合わないことは最初からわかっていた。それでもどうしようもなく綾瀬さんが好きなんだ。
諦めるつもりは毛頭ないが、俺と綾瀬さんの違いを改めて思い知ると胸がキリキリ痛んだ。
「なっ、七花、俺の歌どうだった?」
「あははっ、面白かったよ!」
「あ、やっぱり? やっぱり?」
いかにも頭の悪そうな替え歌を歌い切った竹山田は鼻の下を伸ばしているが、お世辞に決まってるだろ。調子に乗りすぎだ。
駅での耳障りな言葉もそうだ。
――私は前山田くん好きだよ? いつも底抜けに明るくて、一緒にいると楽しいよね。
これは高橋さんに無下にされた竹山田を気の毒に思っての言葉に過ぎない。
綾瀬さんは慈悲深い女の子だから、俺は少しも動揺なんかしていない。
綾瀬さんが前山田を好きだなんてことは有り得ない。大丈夫大丈夫……
……なら、座席の件はどうなんだ?
あのとき綾瀬さんは「私、前山田くん、時谷くんの三人」と言った。「私、時谷くん、前山田くんの三人」の順ではなく「私、前山田くん、時谷くんの三人」だ。
俺より前山田の名前を優先した、この事実は否定しようがない。
人間という生き物は無意識下で自分の周囲の人間を評価し、優先順位を付けている。
綾瀬さんにとって俺より前山田の方が上の存在だったから何気ない言葉にも表れてしまったんじゃないのか?
本当は綾瀬さんも俺のこと邪魔者だと思ってるかもしれない――
不安が一気に押し寄せてきて吐きそうだ。
綾瀬さんと竹山田は話が盛り上がっているし、高橋さんと押野くんは二人で仲良さそうに歌っている。
明るくて笑顔のあふれるこの場所で、俺だけ一人不幸せだった。
それでもこの場所から逃げ出せない。だってここに綾瀬さんがいるんだ。
綾瀬さんがいない空間に行く、そんな選択肢あるはずがなかった。
「大丈夫か? すげー具合悪そうだぞ」
ぼーっとしていたら、竹山田に肩を叩かれた。顔を上げてみるといつの間にか部屋には俺と竹山田しかいない。
「綾瀬さんは?」
「トイレと、ジュース買いに行くってさ。それより平気か? 顔色悪いって」
「僕はもともと不健康な顔色だから」
「えー……お前って色白だけど、そんな土みたいな色はしてなかった気がするけどな」
「僕のことは気にしないで。竹山田くんは歌ったら」
確かに吐き気がするし精神的に参っているから元気ではないが、どうせ心配する振りをして帰らせようとしてるんだろ。
それともくだらない良い人アピールか? 友達がいっぱいで人気者の俺は、嫌われ者の時谷にも優しいんだぞって。
ただ、肝心の綾瀬さんが見ていないんだから無意味なアピールだと思うけど。
「おいっ、俺の名前は前山田だ!」
竹山田は訂正しながらも笑っていて気色悪い。大体が、名前を間違えられてヘラヘラしてるのはおかしいんだよ。
昔、薫とエロをかけて"エロる"と呼ばれて怒っていた俺の心が狭いみたいじゃないか。
どうにも俺は竹山田の全てが気に食わないらしく、こいつの言動一つ一つが癪に触る。
「時谷は歌わねーの? 一曲も歌ってなくね?」
「まあ」
俺は音楽の授業でも口パクだし、自分自身の歌唱力を把握していない。
最後に歌ったのはいつだったか思い出せないくらい昔だから恐らく音痴の部類だろう。
そもそも音楽に興味がなかった。自ら進んで音楽を聴いたのは綾瀬さんが友達に話していたアーティストのベストアルバムを試しに聴いてみた時くらいかな。
そのアーティストも収録曲も有名だったからいろんな場所で耳にしたことがあったのに、綾瀬さんのお気に入りだと知ってから突然名曲だと感じ始めた。
綾瀬さんが泣きそうになるというバラードで俺も涙ぐんで、綾瀬さんが落ち込んだ気分の時に流すという曲に俺も励まされるような気がした。
結局のところ曲なんか何でもよくて、俺は綾瀬さんと同じものを好きになりたかっただけなんだろう。
「僕のことはいいから。苔山田くんどうぞ」
「俺の名前は……いや、コケってなんだよ! 俺のことコケにしやがっ」
竹山田が言いかけている途中で、
「あれ、歌ってないの?」
「お前らの分のジュースも買ってきたぞ」
高橋さんと押野くんが戻ってきた。
「え、俺と時谷の分のジュース一本なの?」
「ああ、二本買おうと思ったんだけどな。なんか綾瀬が、前山田と時谷の二人で回し飲みすればいいって言うからさ」
「まじか。まあ、いいけどさ」
押野くんと竹山田の話は全く納得できなかった。
綾瀬さんとまだキスをしたことがないのに、綾瀬さん以外の人間と間接キスだなんて御免だ。
でもどうして綾瀬さんはそんなことを言い出したんだろう。俺が嫌がることはわかりそうなものだし、不自然だ。
「高橋さん。綾瀬さんは?」
「ああっ、そうだった! 七花は一階のゲーセンだよ。止めたんだけど両替してくるって聞かなくて……早く行ってあげて!」
「……わかりました」
言われなくても迎えに行くつもりだったが、高橋さんの慌てた様子が気がかりだ。
両替って? 事情はわからないけど、ゲームセンターなんてガラの悪い連中の溜まり場だ。そんな危険な場所に綾瀬さんを一人で置いていかないでほしい。
それでも友達なのか? その程度の愛情しかないなら綾瀬さんの親友面するのはやめてもらいたいな。
俺は密かに高橋さんに失望し、悪態をつきながら部屋を出た。