Keep a secret
□そばにいたい
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エアコンの効いた涼しい室内で過ごす昼下がり。無音にならないようにとつけたテレビはドラマの再放送が流れている。
田舎の高校生のひと夏の恋を描いた青春ドラマだ。主人公と片思いの男子が庭で花火をしているシーンで、私はふと思い出した。
「そういえばもうすぐだね。駅前の神社の夏祭り」
「ああ……綾瀬さんは行くんですか?」
「え、私?」
返答に少し迷った。私は七月に友達から誘われた際には断っている。
本当は約束なんてないのに、もう約束があると言ってしまったのだ。
時谷くんと夏祭り、行きたいな……。
「い、行く相手がいないから行かない」
「そうですか」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
行く相手がいないアピールをしたら誘ってもらえるんじゃないかと期待したけど、そう上手くはいかなかった。
もしかしてもう誰かと約束してたりするのかな。時谷くんが一緒に行きそうな相手ってちょっと思い浮かばないけれど。
「あそこの夏祭りって同級生も来ますよね」
聞き取りにくいなと思ったら時谷くんは体育座りをして、膝に顔を埋めていた。
「そう、だね。去年はクラスメートの半分くらいと会ったかな」
私達の高校から近いこともあって部活帰りにお祭りに寄る生徒も多く、知り合いとの遭遇率は高めだった。
「二人で行ったらきっと学校で噂されますよね……僕はそういう場所に綾瀬さんを誘うことができません。綾瀬さんが嫌がらせを受けても……僕には守れる力がないってちゃんとわかってるから」
時谷くんは膝を強く抱いたまま、顔を上げようとしない。
何故だか、今朝見た夢のことを思い出した――
教室でクラスメートを虐殺する時谷くんを、私は怖いと思った。けど、あの夢は私が時谷くんに対して負い目に感じていたことが具現化されていただけだった。
"友達になろう"というメモを入れておきながら約束を守らなかったこと。
二年で同じクラスになってからもクラスの雰囲気に迎合し、時谷くんを遠巻きにしていたこと。
そういう過去の過ちと、今時谷くんに恨まれていることへの恐怖と、都合の良い未来の妄想が混在した夢だった。
酷く悲しい気持ちになる。時谷くんが心配していることは、私がつい数ヶ月前まで気にしていたことと同じじゃないか。
時谷くんは私のそんな弱い心に気付いていたんだ。
後悔が募る。もしも過去の私が周りの目を気にせず時谷くんに話しかけていたら……時谷くんにこんな悲しい言葉を言わせることはなかったのだ。
「あ、あのね……時谷くんがよかったら一緒に夏祭りに行こう」
「……行けません。綾瀬さんを散々傷付けてきた僕が言うのも勝手な話だけど……僕のせいで綾瀬さんが悪意に晒されるのは嫌なんだ」
時谷くんは顔を上げてくれない。内にこもった声は震えている気がした。
「わ、私は一人ぼっちになるのが一番怖いんだと思う。だから学校で嫌なことがあっても時谷くんがそばにいてくれたら……それだけで、その……」
素直な感情の吐露は、尻すぼみになった。
いつも学校に一人でいた時谷くんに声をかけようとしなかった私が、なに都合のいいこと言ってるんだろう。
私も時谷くんと同じように膝に顔を埋めた。視界は真っ暗になって、テレビの音声だけが聞こえてくる。
「……綾瀬さん、もしかして泣いてますか?」
「私はまだ泣いてないよ」
時谷くんは鼻をすすりながら沈黙を破った。泣き虫な時谷くんは嬉しくても泣いてしまうんだね。
「実は僕、付きまとうのは得意なんです」
「なにそれ?」
「僕……ずっとそばにいますね。学校も、放課後も、卒業してからもずっと、ずっとずっとずっとずっとずっと、綾瀬さんのそばにいたい……」
まるで告白みたい。いつもなら彼の言葉の裏には何かあるはずだと疑ってかかるけど、今は素直に受け止められた。
「時谷くん?」
「はい」
――まるで愛の告白みたいだね。
もしも今そんなことを言ったら、震え声の時谷くんは何て答えるんだろう。
「……夏祭り、行こうね」
「はい。僕でよければ」
本当は今の言葉が告白なのか確かめたかった。でも、否定されるくらいなら曖昧なままがいい。そして、私にとって一番良い意味で胸に刻んでおきたい。
それからしばらくテレビの音だけ聞きながらぽつりぽつりと話をした。
私は膝に顔を埋めたまま。隣に座っている時谷くんも多分同じだ。
表情が見えないと言葉の裏に隠した気持ちを読み取るのは難しい。だからきっと時谷くんは私の本心に気付かない。
今、時谷くんがどんな表情をしているのか、どんな気持ちでいるのか、私にはわからないのと同じように。
「二人とも、掃除手伝ってちょうだい!」
静かな時間は、お母さんが乗り込んで来たことで終わりを告げる。
顔を上げた時谷くんは「僕にお任せくださいお母様」と、ケロリとした顔で言ったが、病み上がりだから駄目だと私は止めに入る。
それにお母さんが怒って、言い合いを始めた私達を見ながら時谷くんが笑って。
お母さんの存在が何となくありがたかった。
風呂から上がった私はベッドに倒れ込む。
時谷くんは我が家で夜ご飯を食べてから帰った。その間ずっとお母さんも一緒だったため、取り留めのない話をして過ごした。
「次の約束しないで別れちゃったな……」
他の友達と違って時谷くんには気軽に連絡できない。暇だから電話してみたよーとか、絶対無理。
だからまだ先の話だけど、次に時谷くんと会うのは夏祭りってことになるのかな。
私がベッドでうじうじ考え事をしているとスマホが鳴った。ゆかりんからの着信だ。
「もしもーし」
『七花、久しぶり!』
「うん! 暇だから電話してくれたの?」
ゆかりんとの電話の気楽なこと気楽なこと。この電話がもしも時谷くんからだったら、私は深呼吸して気持ちを落ち着かせ、やっとのことで出るんだろうな。
『うん、ひま〜。でも、それだけじゃなくてね。明日空いてる? 睦月と会うんだけど、七花も来ない?』
「えっ、三人で遊ぶの?」
私に予定などありませんが……ゆかりんの誘いは意外だった。彼氏の押野(おしの)睦月(むつき)くんとデートの予定であれば、私は邪魔者なんじゃないかな。
『睦月が七花も誘おうって言うんだ。実は夏休み中ずっと言ってたんだよね』
「え、そうなの? 何でなんだろ」
『なんか頼まれてるとか言ってた。絶対七花に来てもらいたいんだって。私もよくわかんないんだけどね』
ますますよくわからないな。私と押野くんはこれといって親しい間柄ではない。
一年では同じクラスだったが今は違うし、ゆかりん繋がりでたまに話す程度の仲だ。
「んー……ゆかりんがいいなら私はいいよ」
『もっちろん私も七花と遊びたいよっ! だって七花、外に出たくないって言ってたからなかなか誘えなくてさ……でーもー! 私は一昨日見たのです!』
ゆかりんは少し声のトーンを落とした後、明るく言った。
一昨日といえば学校と遊園地に行った日?
『時谷くんと楽しそうに電車に乗ってたでしょ〜? これは元気になったなって確信したのですよ!』
時谷くんと一緒にいるところを目撃されてたんだ。ゆかりん以外に見られている可能性も十分にある。
別に夏祭りに行かなくても夏休み明けには噂になってたかもしれないね、時谷くん。
だからといって、全然焦りはないけれど。
「そうだね。今まで心配かけてごめんね」
『いいのいいの! 時谷くんとの詳しい話は明日聞いちゃおうかな?』
「あはは……お手柔らかに」
『待ち合わせ時間と場所はどうしよっか。私達の好きに決めてって睦月が言ってたよ』
「そうだね、うーんと」
いつもゆかりんと待ち合わせしている駅前でいいかな。
待ち合わせといえば時谷くんは一時間も前から待っててくれたな。本当に家からすぐそこの待ち合わせ場所なのにね。
明日、時谷くんはどう過ごすんだろう。夏休みの前半は家に引きこもっていたそうだから、明日も予定はないのかな。
時谷くんって……友達が欲しいと思うことはあるのだろうか?
中学では友達がいたと言っていたし、私のメモがきっかけで学校に来るようになったことを考えれば思っていても不思議じゃない。
もしも夏休み中に友達ができたら、今日時谷くんが心配していたことは起こらない。
同性の友達が一人でもいると状況は大きく変わる。時谷くんはきっかけさえあればクラスに馴染むことができるはずなんだ。
『もしもし? どうかしたの?』
「あ、あのさ、三人ってきりが悪いと思わない…?」
『え?……ふふっ、そうだね。もう一人呼んだ方がいいかも。男子を……ね?』
やっぱりゆかりんって最高の親友だ。私が何を言いたいのかすぐに察してくれた。
「私、誘いたい人がいるんだ――」