Lunatic Rabbit

□女の子
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 ピンク色したうさぎのピエロ、名前はスマイル。子供達を笑顔にするのが彼の仕事だ――

「スマイルー!もっと風船ちょうだい!」
「僕も僕も!青がいいなぁ」
「俺は王様の赤色ー!」
「〜〜っ!」

 着ぐるみの視界は最悪だった。すりガラス越しのようにはっきりしない景色を小さな覗き穴から見ている、そんな心許ない状態だが子供はそんなのお構いなしだ。
 背の低い子供達のうさぎの耳だけが辛うじて視界に入る中で両腕を右へ左へ引っ張られ、更には予期しない方向からの抱きつき攻撃にも耐えなければならない。空中を浮かんでいる色とりどりの風船は私に合わせて穏やかじゃない動きをしていることだろう。

「スマイルーねえってばー!」
「だっこしてよー!」

 頭がくらくらする。ただでさえこの国は真夏のように暑いのだ。通気性の悪い着ぐるみの中は地獄の高温になっていた。
 ただ立っているだけでも息が上がる。初めて会った時のフィンはこの着ぐるみを着てよくあんなに走れたものだと感心してしまう。
 さっきから叩かれ続けている背中が痛いし、腕はそんな方向に曲がらない。やめてーと思わず叫びたくなるが、スマイルは男の子だ。声を出すなと言われている。
 子供達の夢を守るために過酷な思いをしないといけないのはどうやらこの世界も同じらしい。

「はいはい。いい子だから押さないの。風船は一人一個ずつだよ。並んで並んでー!」
「「はーい!」」
「青くださーい!」

 付き添いのフィンが見かねて助け船を出してくれたようだ。周りを取り囲んでいた子供達が離れたおかげで幾分か動きやすくなって、最初の男の子に青色の風船を手渡す。
 次の男の子は紫。次に緑、また青、赤、黄色、オレンジ、赤、青、赤、赤、赤。子供達の希望通りの色の風船を何とか識別しながら配っていく。
 「ありがとうスマイル」と弾んだ声が返ってくるから純粋に嬉しい気持ちになる。けれど……小さなうさぎの耳が視界に入る度に私の思考は現実へ引き戻された。
 この子達は目の前のスマイルの中身が人間だと知ってもお礼を言ってくれるだろうか、と。


 すっかり夜も更けて、終了時間になる頃には私の体力も尽きていた。広場の噴水の縁に腰掛け、ぐったりしているスマイルの姿はとても子供達には見せられないが、幸いもう大人達しか出歩いていないようだった。
 フィンが辺りを見渡してから着ぐるみのファスナーを下ろしてくれた。

「あんた死にそうな顔してるけど大丈夫?」
「……大丈夫に見える?」
「ごめんごめん。けど仕方ないでしょ。人間が広場に長時間立ってたら目立っちゃうし。かと言って部屋にあんた一人で置いておいたらラピスあたりがガブッといきそうなんだから」

 着ぐるみを小脇に抱えながらフィンは悪びれる様子もなく笑う。これからバニーボーイクラブに戻って舞台に上がらされるのだ。お願いだから少し休憩させてほしい。
 フィンと出会ってから三日目、明らかに私への扱いは雑になっていると思う。初対面時のナンパのような態度はもはや影も形もなく、今では"あんた"呼ばわりだ。赤ずきんちゃんだの可愛いお嬢さんだのと呼ばれることはもうないのだろう。

「ピンクの風船ばっかりこんなに残っちゃったけどいいの?」
「あぁ……」

 頭上にぷかぷかと浮かんでいる残り物の風船はほとんどがピンク色だ。配っている最中は必死で気付かなかったが、七色あった風船のうちピンク色だけ希望する子供があまりいなかったように思う。
 この風船配りはフィンがバニーボーイクラブとかけもちでしているバイトだ。二週間後のクリスマスに向け、イーストタウンで一番人気だというおもちゃ屋のロゴをプリントした風船を配っている。
 こんなに色の偏りがあっていいのか不安に思って聞いてみれば、フィンが風船を見上げた。街灯に照らされて風船が透けている。フィンのうさぎの耳と髪色とお揃いだ。

「いつもピンクだけ残るんだ。男の子しかいないんだもん。そりゃピンクは人気ないよ」
「……男の子しかいないってどういう?」
「え?やっぱ人間は知らないの?どうってそのままの意味さ。見てみなよ。どこもかしこも野郎ばっかり。やんなっちゃうね」

 何を言っているのかと広場を見渡してみる。まばらに歩いている大人のうさぎ達は男性がやけに目につく。否、男性しか見かけない。ざっと見た感じでは女性らしき見た目のうさぎはいなかった。
 確かにお城にいたうさぎの使用人達もみな男性だったし、バニーボーイクラブだって男性客ばかりなのだから、本来なら女の子が舞台に立った方が客が入りそうなのに男の子しか働いていない。
 思い返してみればこの世界でうさぎの耳が生えている女性を見た記憶がなかった。

「女の子が生まれなくなったのは十五、六年前からなんだ。原因はわかってないよ。多分この国は呪われてるのさ。今生きてる女性達は貴重だからって首都のサウスタウンで大事にされてるよ」
「そ、それならさっきの子供達はどうやって生まれたの?まだ幼そうだったけど」
「今イーストタウンにいる子供は、不況のせいで首都での職を失った父親と移住してきた子供達がほとんどだね。特にここ数年はあぶれ者が絶えないんだよ」

 ……呪いによって女の子が生まれなくなった?そんな馬鹿な、と思うけれど、人間を食べるうさぎが存在している時点で、私からしたらおかしすぎる世界なのだ。この事実より驚くことは今更少なかった。

「……それにまぁ、相当珍しいけどイーストタウンにも女性はいるよ」
「そうなの?全くいないわけじゃないんだね」
「うん……だからあんたのことうさぎの女の子だと思ったんだよ。初めてここで見かけた時、俯きながら頭を隠して歩いてるあんたは、この世界に不満があるように見えたからさ……俺と同じだと思ったんだ……勘違いだったけどね」
「あ……っ」

 フィンは私が持っていた余り物の風船の束を受け取ると、その手の平を広げた。私の視線は、どこか寂しそうなフィンの横顔から、頭上へと奪われる。
 開放された風船が一斉に上空へと登っていく。風に揺られてたくさんのピンク色が私達から遠ざかる。それらはすぐに地上の光が届かない、真っ暗闇に飲み込まれていった。

「さっ、そんな話どうだっていいや。早く戻ろう!オーナーやたらと張り切ってたからさ。遅刻でもしようもんなら借金増やされるかも。おぉ、怖い怖い」
「う、うん……」

 フィンが大げさに肩をすくめると、そのまま歩き出す。これ以上聞いたらいけないことのように思えたから大人しく後に続いた。
 うさぎのフィンでもこの世界に不満があって、生きづらさを感じているんだ。そうでなければ私はとっくにアンジェの元へ差し出されていたのかもしれない。
 フィンの歩みに合わせて薄いピンクの立ち耳がゆらゆらと揺れている。その色は周囲の景色から浮いていて馴染んでいないように見えた。

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