Lunatic Rabbit

□北の森
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 翌日の午前8時、ジュリオは他の使用人と共に城内の聖堂へ礼拝に行った。
それ自体は毎日のこと。ただ、日曜日の今日は国民も大勢参加し、盛大に執り行われるという。選ばれた人間の血と心臓を神に捧げる、狂った儀式が。

 見張りがいない午前中の運動タイムは、喋れることを隠し続けているレイチェルが気兼ねなく口を開ける時間だ。
私達は、明るくじゃれあいながらコミュニケーションを取る人達の姿を眺めていた。
本当は昨晩アンジェの部屋に呼ばれた私が、生贄として選ばれていたはず。
なのに、アンジェの気まぐれで生贄は変更され、私が生き延びた代わりに他の人が犠牲になってしまった。
罪悪感に苛まれて、胸が苦しい。

「花音が悪いんじゃないわ。自分を責めないで」
「で、も……レイチェルが殺されてたかもしれないんだよ」
「……そうね。聞いて、花音。私ね、西の森でひっそり幸せに暮らしていたのよ。突然やって来たうさぎに、優しかった家族も、大好きだった友達も、みんなみんな奪われるまでは……一人ぼっちになってからはずっと怯えながら生きてきたわ。うさぎに見付からないように、森の奥深くに逃げて逃げて……それでも私は結局捕まって、ここにいる。この世界の人間はみんな生まれ落ちた瞬間から、うさぎに殺される順番を待っているだけなの」

あまりに悲しい、レイチェルの話。だけど、レイチェルは俯いてなどいなかった。

「初めからこの世界に人間が安心して暮らせる場所なんてないわ。だから私、花音に会えたこと感謝してる。二人で一緒に、こんな世界捨ててやるのよ」
「うん……」

もし、元の世界に帰る方法がわかったら、レイチェルだけでなくて、この城の人達みんなで逃げることだって可能かもしれない。そう、多少無理矢理にでも気持ちを前向きにして、私は頷いた。


 お風呂上がり、牢屋に敷いた布団に顔を埋めた。チクチクした藁とは違う、柔らかな肌触りに感動してしまう。
支給された女物の衣服は黒のスニーカーブーツと、シンプルなデザインの半袖のパーカーワンピースで、赤と白の二種類がある。私は赤、レイチェルは白を選んだ。
今後は毎日入浴出来て、服も着替えられるのだ。これまで当たり前にしていたことが、今は特別嬉しい。

これも全てジルさんの嘆願書のおかげだ。今日アンジェの許可が下りて、私達人間の生活環境は大幅に改善された。
人間愛護協会の要求をアンジェが聞き入れたのは初めてのことらしく、ジュリオはとても驚いていたけれど。

 布団に顔を埋めていると、鉄格子を軽く叩く音がした。顔を上げれば、相も変わらず表情のないクロムが立っていた。

「昨日の洋服の件です。汚れが目立つようですから、こちらで処分してもよろしいでしょうか?」
「駄目だよ!何ですぐ捨てるとかいう発想になるかな!」

アンジェのバスルームで脱いだ制服をまだ返してもらってない。私は多分、必死な顔をしている。だからか、クロムは少し戸惑うように視線を逸らした。

「衣類は消耗品です。傷んだら処分するのは当然のことだと思いますが」
「で、でも、私にとって特別な服なの!」
「特別…ですか」

元いた世界に、学校に戻りたい。制服を捨ててしまったら、もうあの場所には帰れない気がして怖かった。

「では洗濯をして、後日改めてお持ちします」

私に視線を戻したクロムは、感情が掴めない無表情に戻っていた。そして、長い黒の耳を揺らしながら足早に立ち去った。


 消灯時間が近付き、まだ幼いユーリがいち早く眠りについた頃。「大変だ。大変だ」と騒がしい声が近付いてくる。
ここまで走ってきたのだろう。牢屋の前で足を止めたジュリオは、格子を握って荒い息を整えてから顔を上げた。

「ビッグニュースだよ!明日城の外に出られるよ!!」
「どういうこと!?」

笑顔で告げられた突然の知らせに、私はジュリオの前に寄って行って顔を近付けた。

「あのね――」

 ジュリオの話は、私の思うような話ではなかった。元から明日はエリオットが指揮を執り、北の森の入口に住み着くうさぎの浮浪者を一掃する予定だったのだが、そこに私も連れて行き、人間が住んでいる場所まで案内させることに決まったというのだ。
城からの解放を期待していただけに落胆は大きい。第一、見知らぬ森の案内なんて出来っこない。

「厳しい監視が付くはずだから脱走は難しいと思う。でも、花音と14番が探してることの手掛かりが掴めるかもしれないよ」
「え…?」
「……僕、知ってたんだ。本当は14番……レイチェルが喋れること。どうしたらこの世界を出られるかって、二人が時々話してることも」

ジュリオが少し寂しげに笑った。周囲を警戒して話していたつもりだったけれど、ジュリオの長い耳は私達の会話を聞き逃さなかったのだろう。

「このこと誰にも話してないよ。だって、花音の友達のレイチェルは、僕の友達でもあるんだもん」
「……話を戻してくれないかしら。手掛かりって?」

後ろを振り向くと、壁にもたれ掛かったレイチェルが、ジュリオに冷たい視線を向けていた。
友達の友達は友達…か。ジュリオがそう考えていても、レイチェルはうさぎであるジュリオのことを友達とは思えないだろうな。

「うん……北の森の奥地は遥か昔から謎に包まれているんだ。歴代の王様が今まで多くのうさぎを調査に向かわせたけど、森の奥には濃い霧がかかっていてね。その霧の中に入った途端に、必ず森の入口に戻ってしまうんだよ」

ジュリオが真剣な表情で話し始める。
北の森に住んでいるのかと何度もアンジェが聞いてきた理由は、私が奥地のことを何か知っているかもしれないと思ったからか。

「そして、これはあくまで噂なんだけどね。北の森に行ったきり帰って来ないうさぎもいるらしいんだ。近年でも、ある少年が北の森に入っていく後ろ姿を目撃されたのを最後に、行方不明になってる…って噂だよ。単に、隣の西の森に迷い込んで遭難しただけかもしれないけど……でも、花音は北の森の入口に倒れてたんだよね?だから僕、思うんだ。もしも本当にこの世界と異世界を繋ぐ場所が存在するなら、それは北の森にあるんじゃないかって」
「っ!あ、ありがとうジュリオ!」

何もわからず曇っていた空が、ジュリオのおかげで晴れていくように感じる。私もレイチェルも希望に胸を膨らませていた。

「花音…!」
「うんっ!」

北の森に行けば、何かわかるかもしれない。
ううん、きっと帰る方法を見付けてくるよ。
期待の込められたレイチェルの視線を受け止めて、力強く頷いた。

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