Lunatic Rabbit

□忠誠の剣
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私と大勢のうさぎの使用人を乗せた馬車が東門を通る。
焼け付くような陽射しに目を細めながら、窓から外を眺めた。
城壁の向こう側の景色を見るのは久しぶりだ。城は小高い丘の上に位置しているだけあって、眼下を一望出来る。

ちょっとした広さの東の森を抜けた先には、赤い屋根の家々がどこまでも続いている。私が最初に目を覚ました場所、イーストタウンだった。
東門の前からでは城の右手側の景色しか見えないものの、昨日ジュリオに見せてもらった地図によると城は、東西南北で区切られた4つの森に囲まれている。

城の正面…正門の前には東の森と同程度の小さな南の森があって、抜けた先が首都のサウスタウン。
城の左手側には、レイチェルの住んでいた西の森があるはずだ。地平線まで続く広い西の森の向こうに、大きな湖や荒野が広がっていて、うさぎの居住区にする為の開拓が進められているという話だ。
そのせいで、自然下で生きていた人間は絶滅寸前で、希少種と呼ばれるまでになったという。
酷い話だと思う。でも、私が元いた世界では人間が同じことをしているのだと気付かされて、複雑な気分にもなった。

城の裏手側に広がる北の森の方角へ、馬車が下っていく。
北の森はジュリオの話通り、奥へ進むほど濃くなっている霧に覆い隠され、森の奥がどうなっているのか目視出来ない。
何とかしてあの霧の中に入り込めればいいんだけど。

やがて、東の森と北の森の境界と思われる場所で馬車は止まった。


「立入禁止区域に指定されている北の森への侵入者は、我らが王のご意思に背く逆賊と見做す。一匹残さず引っ捕らえろ。抵抗するようなら殺して構わない」
「ハッ!」

エリオットの話に声を揃えて答え、揃いのマントに身を包んだ使用人達の半分が北の森へ入っていった。
今の話と、全員マントの下に剣を携えているところを見ると、穏やかな作戦にはなりそうもない。
私が顔を知る使用人の中で、今回の作戦に参加しているのはエリオットとクロムだけ。他は屈強な体格をした警備担当の使用人が多いようだ。

「クロムはこの場に残り、バリケード班の作業の指揮を執れ」
「はい」

エリオットの隣でクロムが静かに頷く。北の森と東の森の境界に高い鉄柵を立てて、今後は東側から簡単に侵入出来ないようにするということだが、私にとってもそれは都合が悪かった。
城の門は、正門と東門と封じられて使えない裏門の計3箇所。次にレイチェルと北の森に入る時には、西の森の方から行かなければならない。

「……13番歩け。仲間の元へ案内しろ」
「は、はい。こっちです」

私は北の森の奥地を指差し、慌てて歩き出す。無論、霧の中に入って手掛かりを探す為だった。


 歩き出して数分。霧で視界が悪くなってきた。
東の森にはジリジリとした真夏の陽射しが降り注いでいたのに、北の森に入ってからというもの太陽は隠れている。吹き付ける風が冷たく、半袖では肌寒いくらいだ。

私の後を付いて来ているのはエリオットだけ。
最初こそ、使用人と浮浪者が争い合う生々しい声が森のあちこちから聞こえていたけれど、奥に進むにつれて聞こえなくなった。
霧が音を飲み込んでいるみたいだ。進むと森の入口に戻ってしまうという濃い霧まで多分あともう少し。

「ここでいい。止まれ」

有無を言わさないエリオットの言葉に従って足を止めた。

「あの……もう少し行ったとこ…っ!?」

一瞬の出来事だった。エリオットのマントが揺れたと思った次の瞬間には、柔らかい首の皮膚に冷たい感触を感じた。

「貴様にはここで死んでもらう」
「な…んで…王の命令なの…?」
「……黙れ。家畜の分際でうさぎの言葉を喋るな。家畜は家畜らしくしていればいいんだ」

指の先すら動かせない。ほんの少しでも動いたら、まばたきする間もなく鋭利な刃が私の喉を切り裂くだろう。

「貴様の存在が、アンジェ様の心に迷いを生じさせている……正しい道に戻っていただく為に、アンジェ様を惑わす悪魔を始末しなくては…!」

短く吐く息のペースが早くなり、剣を持つ手が激しく震え出す。私を見つめる憎悪のこもった瞳は揺れていた。
アンジェは今、私を殺すことを望んでいない。主君の意思に背く行動を取っていることへの迷いと怖れがそこにはあった。

「アンジェ様もきっとご理解くださるはずだ…っ」
「ひっ!」

固く目を閉じたエリオットが剣を構え、振り下ろす。私は咄嗟にしゃがみ込んだ。

パンッ――
その時、渇いた音が響いた。


「ぐっ……」
「国を壊した王の犬め…!」

剣は空振りし、エリオットは苦悶の表情を浮かべて左腹部を押さえた。
木の陰から飛び出して来た初老の男が、エリオットに銃口を向けている。服装からして、この森に住む浮浪者のうさぎだ。

「腐った貴族共だけ優遇しやがってよぉ。不景気で仕事なんかどこにもありゃしねぇ。なあっ、俺の家族を返してくれよ!!」
「っ、逆賊が…!」

「きゃああ!」

男が叫びながら目茶苦茶に銃を乱射する。エリオットは剣を構え直し、男に真正面から向かっていく。
銃声が止むことなく響き、屈んで頭を守っている私の右手の甲、丁度"13"の焼印の位置を銃弾がかすめた。
逃げろ、逃げろと頭の中で誰かが叫ぶ。私は立ち上がり、後ろを振り返らずに走り出した。
許してくれと命乞いをし、続いて聞こえた断末魔はエリオットのものじゃない。

エリオットから逃げなくちゃ。捕まったら殺される。


 足場の悪い獣道を蹴つまずきながらがむしゃらに走った。よく似た景色が続いて、方向感覚を失う。
森の奥地に近付けているのかもわからないまま、ひたすら前へ前へと足を進める。

何度目かの転倒で地面に手を付いた。右手の甲からの出血はまだ止まっていない。
体を起こそうとした私の目の前を、黒い影が素早く横切った。
白い霧がかかった森の中で、その小さく黒い体は私の目にとても強い印象を残す。
この世界には存在しないという、私には馴染み深い小動物のうさぎ……黒色のうさぎ。クロだ。

「待ってよ、クロ!」

やっぱりクロもこの世界に迷い込んでいたんだ。
私はすぐにクロの後を追い掛ける。5メートルほど先を跳ねるように軽快に走るクロが、背の高い草の茂みに飛び込んだ。
私も手で草を掻き分けながら、スピードを緩めることなく進んだ。

「あっ!?」

草を掻き分けた先に足場が無い。ここまで近付いてようやく、激しく流れる水の音に気付いた。
勢いづいていた私は止まることが出来ずに、崖の下の川へ転落した。
濁流の中でもがき、無我夢中で流木に掴まって、私の意識はプツリと途切れた。

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