Lunatic Rabbit

□foot mat
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手錠に結ばれたロープを引かれ、うなだれながら歩く私は絞首台に向かう死刑囚のよう。
廊下の突き当たりに見える、国王アンジェの私室の扉が一歩また一歩と近付いていく。自然と歩幅が小さくなる私を急かすように、クロムは時々後ろを振り返る。

「王に逆らわなければ殺されないよね…?」
「逆らう…というより抵抗はしない方が賢明です。変に暴れて頸動脈を綺麗に切断されなかった場合は、その分長く苦しむことになりますから」

一沫の希望もないアドバイスだ。私は益々肩を落として、立派な扉の前に立つことになった。
立体的にライオンの顔が彫られた金のドアノックをクロムが叩く。

「13番をお連れしました」
「入れ」

中から聞こえたのは、玉座の間で王の隣に常に付いていたエリオットという怖い使用人の声だ。

「僕の仕事は滞りなく終わりました。これで失礼します」

私の手錠を外し、扉を開けると、前にも聞いた言葉を残してクロムは背を向けた。


「酷い臭い……」

開口一番に、少年王から辛辣な言葉を浴びせられる。
真夏並の暑さのなか、最後に入浴したのは一昨日で、替えの服がないから制服の洗濯も入浴時にしか頼めない現状だ。
今の私が清潔じゃないのは確かだけど、それは一体誰のせいなのかと。鼻をつまみ、蔑みの視線を向けてくる王に言い返せたらどんなにいいだろう。

「エリオット、お風呂の用意をしてやって」
「そんな!アンジェ様の寝室のバスルームを、人間ごときにお貸しになられるのですか!?」
「早くしてよ。鼻がもげそうなんだ」

王は言うだけ言うと、気だるそうにソファーで横になった。
まだ何か言いたげな表情をしながらも、エリオットが"畏まりました"と言って頭を下げる。
そして、それだけで人を殺せそうな鋭い眼光で私を睨み、部屋の奥の扉へと姿を消した。


 総大理石のバスルームは広々としていて、猫足バスタブに色とりどりの花が浮かんでいた。
シャンプーにボディーソープ、体に張り付く花も良い香りがする。ロマンティックで理想的なバスタイムだけど、今はお姫様気分ではいられない。
有無を言わさず殺されなくて済んだものの、状況は何一つ好転していないのだ。
私をお風呂に入れるのは、料理の下ごしらえのようなもの。食材を洗い、風味を付ける為の作業でしかないのだから。

 バスルームに入ってからそろそろ30分になるだろうか。30分以内に出て来いとエリオットにきつく言われている。
行きたくないと心が叫び、ズシリと重くなった体を起こし、バスタブを跨ごうと片脚を上げた。
すると、背後から「ひぃっ」と短い悲鳴が聞こえた。

「誰っ!?」

私は花の浮かんだお湯に再び体を沈める。
四方へ跳ねたお湯が床にも飛び散って、また小さな悲鳴とジャラジャラという金属音がする。
音の聞こえる方を見ると、バスタブの影から出て来た男の子が、床を這って後ずさりしていた。

男の子には鉄の枷が5つも嵌められていて、左右の手首の枷、左右の足首の枷、首輪と両手首の枷、右手首と右足首、左手首と左足首の枷が、それぞれ長い鎖で繋がっている。
頑丈そうな太い鎖が四肢の動きに合わせて派手な音を立てる。後ろへ後ろへと下がっていく男の子はついに壁に背中をぶつけた。
多分私がバスルームに入る前からバスタブの裏にいたのだろう。誰かいるなんて思わないから無警戒だったし、入口とシャワーの位置からバスルームを見渡す限りでは見付けられないだろうから。


「い、い…や…嫌……」

男の子は枷を嵌められているけど、うさぎだった。髪と同じクリーム色で、肩まで垂れた長い耳が目を惹く。
年齢は中学生くらいだろうか。高い声は弱々しく、全身ずぶ濡れの痩せた体は気の毒になるほど震えていた。
でも、変だ。こんなになるまでお湯は飛んでなかったと思うけど。

水で濡れたショートパンツはボロボロ。半袖で、胸板までしか隠れない短いセーターは黒い染みだらけ。襟元はだらんと伸びきっていて、後少しずり下がったら脱げそうなくらい肩を露出している。
王に仕える使用人にしては粗末な服を着ているような気がした。


「ね、ねぇ、どうしたの?どうしてそんなに怯えてるの?」

ジュリオと、一応クロムを除けば、うさぎの使用人達は人間に対して横暴だ。
怯えるのはいつも私の方だったから、怯えきった様子の彼にどう接していいかわからない。

「や…嫌だ……」

何度も首を振る男の子の鮮やかな翠色の瞳はどこか虚ろで、肌は青白い。せっかくとても綺麗な顔立ちなのに、かすり傷が目立ち、左目には眼帯をしていた。
それに、他にも酷い怪我の跡がある。特にお腹の傷は重症だったはずだ。胸の位置から下腹部まで縦に真っ直ぐ出来た傷跡が、赤い糸で雑に縫われている。
ただ、それより痛々しいのは右腕に無数にある切り傷の方かもしれない。お腹よりずっと浅い傷なのは、自分で傷付けたからではないのかと、つい想像してしまう。


「君は私の監視役じゃないの…?」
「それね、マット代わりに敷いてるんだよ」

背後から答えが返ってきて、バスルームの入口には王が立っていた。
男の子は消え入りそうな、声にもならない悲鳴を上げ、震える肩を抱きながら俯いた。

「でもおかしいなー…足拭きマットが勝手に移動してる。今なら怒らないからこっちにおいで?」

男の子は言葉に従い、黙って立ち上がる。何度も転びそうになりながら王の前に辿り着くと、糸が切れたようにペタンと座った。

「13番も使う?使用を許可するよ」
「っ!」

足を上げ、濡れた靴の裏を男の子の頬に擦り付けながら、私に向かって笑顔で言った。
人間は酷い扱いをされる世界だということは身を持って知っている。だけど、この男の子はうさぎじゃないか。
どうして、こんな……。

「……使えよ。まさか僕が許可してやってるのに拒否しないよね?」

私は無意識に反抗的な視線を返していたのかもしれない。機嫌が良さそうだった王が「そう」と小さな声で呟いた。

「僕ね、言うことが聞けない子は嫌いなんだ」

まばたきする間に、王は私の目の前に移動していて、同時に何かが耳たぶに触れた。
それがハサミだと気付いたのは、シャキンという冷たい音を聞いてからだった。

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