Lunatic Rabbit

□屠殺場
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ふと気付くと、頭上に鉄格子が見えた。
ガン、ガンと何かを叩き付ける音が聞こえ、鉄錆のようなにおいがやけに鼻につく。

ぼんやりしながら体を起こした私は、思っていたよりもずっと低い鉄格子の天井に頭をぶつけた。
腰を屈めて周囲を確認するに、どうやら私は、天井だけでなく四方が鉄格子に囲まれた狭い檻の中にいるらしい。
つまり、閉じ込められている…?

なぜこんなことになっているのか、確か公園でクロに似た黒うさぎを追い掛けて草むらに入ったら、地面にぽっかりと開いていた穴に落ちたんだった。
その後は……思い出せない。穴に落ちてからの記憶が欠けている。

パニックに陥っても不思議じゃない、むしろその方が自然な状況なのに、私は案外冷静でいられた。
なんだか酷く現実感がない。
あんな深い穴を滑り落ちたという割には、体にかすり傷一つなく、コートも一切汚れていない。
クロが脱走したところから始まる悪い夢を見ているだけ……そう思えてならなかった。


「一苦労、一苦労」
「綺麗に断つのは一苦労」
「ちょっと力を入れたらバラバラ」
「粉砕骨折」

鳴り続ける音とともに鼻歌交じりの声が聞こえてきて、声のする方へ恐る恐る目を遣った。
檻の前に工場のラインのような作業台がある。
そこで私に背を向けて立っている二人が、忙しなく手を動かしていた。

高い声と低い背丈。薄暗い室内でも、まだ幼い男の子だとわかる。
子供ならばと声を掛けようとした私を、益々酷くなる鉄のにおいが思い止まらせた。

「この不景気だ。見栄えが悪くちゃ売れやしない」
「見栄えが悪くちゃ王に耳をちょん切られちまう」

よく見れば彼らは、逆さまに吊るした動物の死体に鉈のようなものを叩き付けている。
大工作業に近い骨を砕く音と、血と肉片が床に飛び散る不快な音に鳥肌が立つ。
自分達の体より大きな動物の解体作業をしている後ろ姿は気味が悪く、不用意に声を掛けていい相手ではないと感じた。

しばらく様子を窺っていると彼らが振り向き、近付いてきた。
でも私のいる檻は素通りして、ここからではよく見えない別の檻から、新たな動物を引きずり出しているようだ。
作業台に吊されていた動物の大きさから考えると豚、あるいは牛だろうか。


「ゔゔゔ!」
「うぅーうぅー!」

「っ!」

私がいる檻の横を、髪を掴まれて引きずられていく声の主を見て、危うく出かかった声を呑み込んだ。
がむしゃらに手足をばたつかせて抵抗しているのは紛れもなく人間の男性と女性だった。


「さあさ。良い子にするんだよ」
「ゔあ゙ああ!」

作業台に頭を押さえつけられ、抵抗を強める二人は衣服を身に纏っていない。
男性を押さえている男の子が鉈を振り上げ、首へ一直線に振り下ろす。
男性の体はピクピクと痙攣し、唸り声が止んだ。


「さあさ。今日の仕事はお前でおしまい」
「うぅぅ!」

もう一人の男の子が鉈を構えた時、女性が隙を付いて逃げ出した。
大粒の涙を流し、助けを求めるように手を伸ばしながら、私の檻の方に走ってくる。

だけど、あっという間に追い付いた男の子が女性の右腕を掴んだ。
その瞬間、ぐちゃという嫌な音がして、激しい血飛沫が上がった。
目の前の檻が、顔が、コートが、赤く染まる。

「ゔゔうーー」
「やれやれ。もげちまった」
「これじゃ売り物になりゃしない」

女性がもう片方の手で右肩を押さえて崩れ落ちる。
男の子は女性の腕をただ掴んだだけに見えた。なのに腕がまるで柔らかなパンみたいに簡単に肩の付け根から引き千切れて……。

何が起きたのか理解出来なかった。
でも、これは夢なんかじゃない。
だって、だって、顔を伝い落ちる血が焼けるように熱いのだから。


「この不景気だ。捨てるなんてもってのほか」
「親愛なる神と、我らが王に感謝して」
「「いただきまあす!!」」

声を揃えて言うと、それぞれが女性の体に食らいついた。
上半身と下半身を半分こにして、下品な音を立てながら肉を咀嚼し、血を啜り、二人がかりで女性の肉体を胃袋に納めていく。
目の前で幼い男の子が人を貪り食うおぞましい光景に、私は思わず後退り、背後の鉄格子に背中をぶつけた。

やっと気付いた。彼らは人間の皮を被った化け物だ。
鏡に映った姿のようにそっくりな二人の頭の上で、髪と同色の毛が生えた獣の耳が動いている。
ピンと立った長い耳。大好きなクロと似た特徴的な形。

……うさぎの耳…?

「やあ。今晩のメインディッシュ」
「っ!!」

部屋に充満している死のにおい。それは私にも確実に迫っていたから、狂ったうさぎと目が合ってしまった。

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