創作夢

□03
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 四方を壁に囲まれた狭い空間。世界中どこを探してもここより安心出来る場所はないだろう。
 誰もが無防備に下半身を晒け出すこの場所……トイレに、私は居た。
 今日はホワイトデーだというのにかれこれ一時間くらいトイレに引きこもっている。

「姉ちゃん、出ーてーきーてーよー!」

 弟の瞬は激しくドアを叩いて私をトイレから出させようと必死だった。でも私はトイレにこもるのはもう慣れっこだ。
 携帯と雑誌をちゃっかり持ち込んで悠々自適な引きこもりトイレライフを送っている。

「どうしてクッキー食べてくれないの?俺の全てが詰まった最高の出来なのに」
「い・や・だ!なんかそのクッキーは悪寒がする!」

――私がトイレに立てこもったのは一時間前。バレンタインのトリュフのお返しとして手作りクッキーを渡されたことがきっかけだった。
 照れくさそうに手渡す瞬が少し可愛く思えたし、お返しを貰えて悪い気はしない。私は喜んでそれを受け取った……が、その後の弟の態度が明らかにおかしかったのだ。
 弟は今すぐにクッキーを食べてほしいとしつこかった。まあ、感想を聞きたいのかなと思い、食べることにした。
 ハート形をしたそのバタークッキーを口に入れようとしたら、間近で見ていた弟が頬を赤く染めて荒い息を吐き出していることに気付いた。
 はあはあはあ、お前は犬か?と思うようなとにかくうるさい息遣いだった。

 目が合うと「俺を食べて?」という不気味な一言と微笑みを浮かべる。こいつはやばいと私の脳が警笛を鳴らしたらしく、全身に悪寒が走った。
 私はクッキーを放り出して携帯と雑誌を手にトイレへ駆け込み、今に至るというわけだ。

 私にとってトイレは安心安全な避難所だった。何度も私を守ってくれたトイレに強い信頼を置いている。
 ここにいれば大丈夫。変態の魔の手から逃れられるさ。
 友達と呑気にラインのやりとりをしているうちにドアの向こうが静かになっていた。もしかして弟は諦めて立ち去ったのだろうか?
 念のため、ドアに耳を当てて外の様子を探る。静かだと思った矢先、足音がトイレに近付いてくる。変態バカ弟め……まだ諦めてなかったのかよ。

 足音の主はトイレの前に立ち止まるとガチャガチャと乱暴にドアノブを回す。
 鍵をかけてるから当然開くことはない。ドアに耳を当てながらほくそ笑んでいるとカチッと血の気が引く音がした。
 慌ててドアから離れようとするも間に合わず、開かれたドアと一緒に私の体はトイレの外に投げ出される。

「もう何やってるの。大丈夫?」
「何で!?鍵かけてたのに!」

 私は信頼していたトイレに裏切られたショックで立ち上がることが出来ない。憎き変態はそんな私を呆れたように見下ろしている。

「あ、やっぱり姉ちゃんも忘れてたんだ?この鍵ってコインとかで簡単に開けられるんだよね。子供の頃は父さんや母さんが入ってるときに悪戯で開けたりしてよく怒られたっけ……なんか懐かしいよね」
「そ、そういえば……」

 弟は手に持った硬貨を私の目の前で振りながら、昔を懐かしむようにうんうん頷いている。
 そんな悪戯はとっくに卒業していたし、トイレの外のドアノブにはカバーを付けているから開けやすい鍵だなんてことは完全に忘れていた。
 弟はトイレの前で倒れている私の口にクッキーを近付けてくる。

「ねぇ、食べて?……ほら、あーん」
「ひぃっ!い、嫌だ…っ」

 さっきと同じ恍惚とした表情に鳥肌が立つ。急いで起き上がってその場から逃げ出す……けれど、トイレが駄目ならどこに逃げればいいのか。
 この家に逃げ場なんて有りはしない。追いかけてきた弟にあっという間に捕まってしまった。


「……はい!姉ちゃんにどちらか選ばせてあげる」

 リビングのソファーに無理矢理座らされて、テーブルにはハート型のクッキーと丸いトリュフが一個ずつ並べられている。どちらか片方だけ食べればもう片方は食べなくていいらしい。
 でも、どうしてトリュフ……?

「これってバレンタインに私があげたトリュフだよね?一ヶ月経ってるのに食べるのはやばいんじゃ……」
「そうだよ。んー…冷凍庫に入れておいたからまだ大丈夫じゃない?」

 市販品ならともかく手作りチョコは長持ちしないだろう。生クリーム入りのトリュフの消費期限はきっと切れている。
 先月あれだけ喜んで受け取っていたのに全部食べていなかったのか。なんだか少しショックを受けている自分もいた。
 だけど、これは悪くない提案だ。弟が作った得体の知れないクッキーより、自分が作った消費期限切れのトリュフの方が何万倍もマシだ。

「じゃあトリュフにする。いい?食べるからね……」
「……うん」

 弟に確認を取ってからトリュフを選んでゆっくりと口に運ぶ。
 後から腹痛になる可能性もあるけど……ぶっちゃけ経血なんて一切入っていない普通のトリュフだ。弟のクッキーだけは生理的に受け付けないのだから腹痛くらいは我慢しようと思う。

「食べちゃ駄目!」

 唇に少しだけ触れた瞬間、弟に手首を掴まれてトリュフを取り上げられる。
 そしてそのまま弟が一口で食べてしまった。無言でトリュフを噛みながら不機嫌そうに私を見る。

「……確信を持ったよ。このトリュフに経血入れてないでしょ?」
「え?」
「とぼけるなよ!本当に経血が入っていたら姉ちゃんが食べようとするはずない。クッキーも嫌だから抵抗しようとするに決まってる。姉ちゃんらしくない聞き分けの良さだよね!」

 さ、さすが弟。生まれてからずっと一緒に暮らしてきただけあって私の性格を熟知している。
 確かに自分の経血入りチョコだったら絶対に口にしない。だからといって弟の手作りクッキーも嫌だから悪あがきをするだろう。
 妙に納得していたら隣に座っていた弟が距離を詰めてくる。

「姉ちゃんの嘘つき……俺、経血入りのチョコがもらえたってすっごく嬉しかった。姉ちゃんのことがもっともっと好きになった!……勿体なくて少しずつ食べてたから今の一個だけ残ってたんだよ。それなのに姉ちゃんは……」

 間近に迫った弟は眉間に皺を寄せ、酷く恐い顔をしていて、でもどこか寂しそうな瞳にも見える。
 罪悪感に苛まれる。弟の瞳を見つめ返すばかりで何も言うことが出来ない。
 弟の気持ちを今まで真剣に考えたことはなかった。ただの変態だとしか思っていなかったから、好きだと言われても聞き流していた。
 でも……弟の瞬は姉である私を本気で好きなのかもしれない……。
 私はその気持ちには応えられそうにないけれど、弟を無下にするような態度は良くなかったと思う。

「……ごめん。あのさ……クッキー食べてもいい?私のために作ってくれたんだもんね」
「姉ちゃん……もちろんだよ。食べて食べて!」

 弟の表情はすぐにパアッと明るくなって机の上のクッキーを差し出した。

「いただきます……うん。美味しいよ!」

 クッキーを一口かじるとサクサクした食感が広がる。私は微笑みながら感想を伝えたが、実はそれほど美味しくなかった。噛んでいると思ったよりも味がない。というか、変なくさみがある…?

「本当!?……ね、姉ちゃんが俺のクッキーを美味しいって……俺のクッキーを……俺の……を食べちゃった……はぁはぁ」
「お、お前、どうしたの…?」

 またもや弟は犬のような呼吸をしながら私をうっとり見つめている。
 何なのだろうこの気色悪さは。もしかして私はとんでもない物を食べてしまったのではないか?

「もっと食べて?俺のぜーんぶ、姉ちゃんにあげるよ!はっはぁはぁ」
「全部…?そ、そうだよね……せっかく作ってくれたんだもんね……」

 弟はクッキーの入った袋を私に押し付けながら、辛抱堪らんという様子で私の口元を凝視している。
 段々気分が悪くなってきてしまう私の体は、このクッキーを拒絶しているんだと思う。だけど自分から食べると言った手前、ここでやめられなかった。

「いただきます!」

 私はクッキーを両手で何個も持って次から次へと口に入れていく。
 たくさん食べるとくさみを感じるだけでなく、何か変な食感もすることに気付いた。もしかして材料がよく混ざっていないのかな……深く考えずに一心不乱に食べ続ける。

「はぁはぁ……ねぇねぇ美味しい?俺のせーえき美味しい?」

 ――今、何て言った?
 私は手に持ったクッキーを落とした。とろんとした目をしている弟を信じられない気持ちで見つめると、弟は微笑む。

「はぁはぁ……姉ちゃん好き…だ…よ……んっ、やばい…っ触ってないのに俺……もう……あっ」

 弟の喘いでいるとしか思えないおぞましい声を聞いて、恐怖が這い上がってくる。ただ呆然と息を整えている弟を眺めるしか出来ない。
 少しすると弟はスラックスの前を気にし始めた。目の前の光景を受け入れたくないけれど、そういうことらしい。つまり弟は……射精してしまったようだ。
 弟はアレな場所には少しも触っていないのだ。隣に座ってテーブルに手を付きながら私をじっと見つめていただけ。
 それなのにこんなに興奮した理由は間違いなくこのクッキーにあるはずだ。

「バカ!アホ!変態!!クッキーに何入れたんだよぉぉぉ」

 いてもたってもいられず、弟の胸倉を掴んで激しく揺さぶる。

「あはは……全部食べてもらえなかったのは残念だけど、まあいいか。姉ちゃん、俺の精液は美味しかった?」
「っ!」

 弟が微笑みながら言った言葉に、私の方が頭がくらくらしてくる。力が抜けた私の体はソファーに沈んでいった。

「言っておくけどただの精液じゃないよ。トリュフを食べながら生理中の姉ちゃんをクンニする妄想をしながらオナったんだ。姉ちゃんに俺の気持ちが伝わるように7回も出しちゃった。最後の方は痛かったし精液に血も混ざってたけど姉ちゃんへの愛のために頑張ったんだからね?」

 弟はソファーでぐったりしている私の顔を覗き込んで、知りたくもない情報をペラペラと喋り始める……。
 私が馬鹿だった。こんな変態な弟には徹底的に冷たくしてやればよかったんだ。金輪際無視しよう。こいつの存在を私の頭の中から消し去ろう。
 悔しくて仕方がなくて、涙が零れてくる。弟は一瞬驚いた顔をしてから私の頭を優しく撫で始めた。
 そんな行動をされたって不愉快なだけだし酷くイライラする。

「姉ちゃん……チョコのお返しは欲しがってたゲーム機でいい?」

 その言葉に、そっぽを向いていた私は弟の顔を素早く見上げる。が……無視だ。無視するんだ。決めたじゃないか。
 変態の言葉に耳を傾けてはいけない。そう思うのにどうしても誘惑には勝てそうにない。弟は私と目が合うと手でピースサインを作った。

「ゲームソフトも二本付けるよ。どうする……姉ちゃん?」
「ぜ、絶対買えよな!ばかばかばかぁ……」

 弟は「もちろん」と嬉しそうに頷いてから服を着替えに行った。
 悔しい。私の決心なんて欲しかったお高いゲーム機の前では無力だ。これからもきっと生理が来る度に弟に迫られることになる。
 変態な弟と物で釣られてしまう姉。さすが姉弟。どっちもどっちだ。



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弟がこのクッキーをどうやって作ったかのお話(2022.03.15)
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