創作夢

□恋患いと安楽死
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「君が好きなんだ。僕と付き合ってくれないかな」
「あ、あの……ごめんなさい」
「参ったな。好きな人でもいるの?僕じゃ駄目?」
「駄目とかそういうんじゃないの!吉良くんって格好良いし、頭も良くてモテモテで…!で、でも他には何も知らないから……こんな軽い気持ちで付き合うのは吉良くんに失礼だと思う。だからごめんなさい」
「……そ、れ、本気で言ってるの?」
「え……本気って?」

 思いがけない返事に心臓が跳ねて全身に血が巡るのを感じる。脳がドロドロに溶けるような高揚感だった。
 生まれて初めて思いが受け入れられなかった瞬間に、僕は初めての恋をした――


****


 放課後の教室――

「ハァ……」

 私は無くなった自転車の鍵を探していた。同じく教室に残った数名のクラスメート達が私の行動を眺め、時折小声で話しながら笑っている。
 バッグから鍵を盗んだ犯人が彼らであることは疑いようもない。その中には全ての元凶の吉良伊織(きら いおり)の姿もあった。
 このまま見当違いの場所を探し続けていても埒が明かない。固まって座っている彼らの元に近付いていった。

「あのさ、私の自転車の鍵を見なかった?」

 怯えていることを悟られないように出来る限り平常心を装って話し掛ける。

「んー…あっ、もしかしてゴミ箱の中とか?」
「だな。ゴミと間違えて捨てられた可能性あるんじゃね?」
「そ、そうかもね。ありがとう」

 グループの中の二人がくすくすと笑う。引き攣った笑顔で何とかお礼を言った。間違えたんじゃなくて、わざと捨てたんでしょ。本当はそう言い返したいけれど、反抗したら彼らに何をされるかわかったものではない。
 掃除の時間に捨てなかったのかゴミ箱の中には限界までゴミが溜まっていた。後で掃除しないといけないけど床にひっくり返して探した方が手っ取り早そうだ。

「香坂さーん!私も探すの手伝うよ」
「で、でもゴミ汚いし、悪いよ……」
「いいからいいから」

 私に構わず近付いて来た一人の女子がゴミ箱を高く持ち上げた。次の瞬間、バサバサと音を立てて頭上から降り注ぐゴミの雨。
 昨日もうっかり手が滑ったとかで降ってきたから、またか……という思いが強くて、大してショックを受けなかった。

「ごっめーん。躓いちゃったぁ」
「……大丈夫。鍵、鍵……」

 ゴミの臭いが纏わり付いて気持ち悪い。髪や制服についたゴミを払いながら床に散らばったゴミを足で広げて調べていく。でも鍵は見付からない。
 さっきゴミ箱の中と言った二人に視線を向けた。二人は笑いを堪えながら知らないと首を振る。同時に視界に入った吉良伊織は肩肘をついて本を読んでいるようだった。

「お前の鍵見たよ。持ってきてやるよ」
「本当…?あ、ありがとう」

 今度は別の男子が廊下へ出て行った。このまま無事に返してもらえることを祈るけど、残ったクラスメート達が何やら可笑しそうに笑っている。嫌な予感がする。

「ほれ!多分この中だよ」
「香坂さん、よかったじゃーん!」

 男子が持ってきたのは茶色く濁った水がたっぷり入ったバケツだった。恐らく掃除の時間に雑巾を絞った水だろう。

「べ、別の場所を探して来る!……あ…っ!」

 次に何をされるか察した私は走って逃げ出そうとした。だけど、思わぬところで足を引っ掛けられる。
 私の前に突然足を出したのは、こっちには無関心で本を読んでいたはずの吉良だった。そのまま女子達に捕まえられてゴミの山まで引きずられていく。それでも吉良は私に目もくれず退屈そうにあくびをした。

「何で逃げるんだよ。この中にあるんだぞ?」
「そうだよ。探さないと…ね?」
「やめて!い、嫌……いやああ!!」

 バケツを持ってゆっくり近付いてくる男子が怖くて、悲鳴を上げた。

「んぐっ!っ、んーー!」
「大きい声出すなよ」

 不機嫌な顔をした近くの女子に口を押さえられたと思った途端に声が出せなくなる。ガムテープで口を塞がれていた。

「んーー!んーー!」
「目閉じないと水が入っちゃうよぉ」
「鼻も忘れずにな!」

 前髪を掴まれて無理矢理顔を上げさせられる。嫌だ嫌だと必死で首を振ったって聞き入れてはもらえない。
 いつもこうだ……諦めるしかないんだ。せめて汚い水が入らないように鼻をつまんで目を閉じることにした。ゆっくりと目を閉じていくと、私の元に近寄ってくる吉良の姿が最後に視界に入った。

 真上から大量の水が降ってくる。すごい衝撃で落ちてきた水の後、最後に額に当たったのは確かに私の自転車の鍵だった。情けなさと惨めさから溢れる涙が髪からぽたぽたと落ちる汚い水滴と混ざっていく。
 前髪を掴んでいた女子は水をかける直前に離れていたらしい。力無く座っているびしょ濡れの私を取り囲んでみんなと一緒に笑っている。その中で唯一、吉良伊織だけは無表情だった。

「今日はもう終わりにしようか」
「伊織くんが言うならいいよ」
「おう!伊織も今からカラオケ行くだろ?」

 今まで黙っていた吉良が意外にもまともな提案をした。これでやっとこの地獄から解放されるんだ……。

「僕はいいや。みんなで楽しんできて?」
「えー…残念……」
「しゃーない。じゃ、伊織!また明日な」
「うん、また明日」

 私にこんな酷いことをしておいて彼らは何事もなかったように賑やかに話しながら帰っていった。
 教室には私と吉良の二人きり。吉良は私の座っている湿った床のギリギリ外側に立って無表情で私を見下ろしている。私は余裕がなくて吉良の前でも気にせず泣き続けた。


 それからどれくらいの時間が経ったのか……私を無言で見続けていた吉良が口を開いた。

「……香坂さん、大丈夫?」
「っ!」

 大丈夫なわけないし、吉良にだけはそんなことを聞かれたくない。それでも私は反射的に大丈夫と言おうとして、口がガムテープで塞がれていたことを思い出した。
 通りで息苦しいはずだ。あまりのショックに忘れてしまっていた。
 ガムテープを剥がそうと口元に手を伸ばすと、いつの間にか湿った床の内側に立っていた吉良に手首を掴まれる。濡れた私の腕から吉良の手の平に濁った水滴が伝う。

「んーー!」

 一人で嫌がらせを続行するために彼らと一緒に帰らなかったのか。吉良伊織の本性を知っている今となっては驚くようなことでもない。口を塞がれたままの私は吉良を精一杯睨みつけた。

「……うん。そうだよね」

 少しの沈黙の後、吉良は何かに納得したように頷いた。何のことだかわからない。

「あぁ、改めて思ってね。天音さんは言葉を話す必要がないなって」
「…………」

 困惑していることが伝わったらしく、吉良は私の前にしゃがんで笑みを浮かべた。

「まだ理解出来ないって顔をしてるね。とても簡単なことだよ。香坂さんはあまり賢くないから僕を喜ばせる言葉がわからないんだよね?僕の望む通りの言葉を言うことが出来ないのなら、その口……必要ないと思わない?」
「……っ」

 吉良は笑顔を崩さない。言ってることが目茶苦茶だ。こいつを喜ばせる言葉を選んで話すなんて冗談じゃない。
 やはり吉良伊織はどこまでいっても極悪非道の冷血人間だ。それなのに表向きの顔にみんな騙されているから、吉良は学校一の人気者だし教師からの信頼も厚い。
 吉良が私を悪者扱いすれば周囲はそういう存在として私を認識し、誰もが吉良の味方をする。平和な学校生活を送っていた私は吉良のせいで僅かな間に嫌われ者のいじめられっこになってしまった。

「香坂さんは僕の告白になんて返事をしたか覚えてる?実はね、あの告白って罰ゲームだったんだよ。誰でもよかったんだけど、たまたま香坂さんが教室に残ってたから。まさか振られると思わなかったよ。隠れて見てたみんなにも少し笑われちゃった」

 一ヶ月前の出来事だ。忘れるはずがない。吉良には親衛隊まで存在して常日頃からアイドルのように特別扱いされている。罰ゲームとはいえ吉良が振られるだなんて本来あってはならないことだったのだろう。
 私は告白に真剣に向き合っただけなのに吉良は私に恥をかかされたと逆恨みしたのだ。あの告白の翌日から同級生の態度は一変した。仲が良かった友達も急によそよそしくなり、数日も経つと他のみんなと一緒に私を無視するようになった。
 吉良が何か裏で糸を引いてこうなるように仕向けたことは明らかだった。

「そんなに怖い顔しないでよ。あの時僕は感銘を受けたんだよ?香坂さんは僕の告白を至極真っ当な理由で断ってみせた。僕に付き合ってくれとお願いされて断るなんて、普通なら考えられないことなのに」

 吉良は自信過剰なことを大真面目な顔で言ってのけた。でも、そう自信満々に言えるだけの扱いを受けて今日まで生きてきたんだろうとは思う。
 私だって吉良がこんな人間だと知るまでは完璧な男の子だと勘違いしていたのだから。

「あの告白の答えで香坂さんは僕が今まで出会ってきた女子とは違う、特別な存在なんだと気付けたよ」

 私はおぞましい吉良の微笑みから逃げるように顔を逸らした。
 まるであの告白をきっかけに私を好きになったかのような口ぶりだ。だとしたら何故周りを巻き込んでいじめを始めたのか。吉良の考えは全く読めなかった。

「どうしてって?僕が物心ついてすぐに理解したことを香坂さんにも教えてあげようと思って。自分の周囲の人間の中で、誰が本当の味方で誰が敵なのか……おかげでわかったでしょ?」
「っ!」

 なんだか頭を殴打されたみたいに目の前が暗くなる。いじめが始まってからずっと目を逸らして考えないようにしてきたこと。耳を塞ごうにも私の両手首を握る手の力が強まって、それを阻む。

「みんな簡単に香坂さんから離れていったね。何故ならみんな上辺だけの友達だったからだよ。本当は誰からも好かれてない一人ぼっちの香坂さんに味方なんているはずないよね」
「…………」

 毎日のように遊んで、相談に乗り合って、当たり前に一緒にいた。確かに友達だったはずなのに。どうしてみんな離れていっちゃったんだろう。どうして私の味方でいてくれないの……。

「香坂さんは友達だと思っていたかもしれないけど、その人達にとっての香坂さんは床に散らばってるゴミ屑と同じ。掃いて捨てるほどいる無価値な存在としか思われてなかったってことに気付けてよかったじゃない」

 私の心をより深く傷付けるためにはどんな言葉を浴びせればいいのか吉良は知っているみたいだ。涙がとめどなく溢れて息苦しい。意識が朦朧としてきた。

「ねぇ、今の香坂さん、とっても不様だよ。白目剥きながら鼻の穴を豚みたいに大きく開いて、涙と鼻水垂れ流しのぐしゃぐしゃなその顔をみんなが見たら醜いと嘲笑するだろうね」
「……っ」

 目の前の吉良の顔が白く霞む。腕を掴まれているから辛うじてまだ座っていられる。だけどもしも吉良が手を離したら私の体は崩れ落ちていくだろう。
 そうなったら私を助けてくれる人はいない。無価値で醜い私はゴミと一緒に棄てられてしまうのだろうか。

「……でもね、香坂さん」

 声のトーンを落とした吉良がそっと手を離して、私の体は後ろに傾いていく。
 私は一人ぼっちだって。掃いて捨てるほどいる無価値な存在なんて……そんなの、そんなのは嫌だよ。

 自分でも気付かないうちに前へと伸ばした手を、力強い吉良の手が取った。そのまま引き寄せられる。

「僕なら香坂さんを愛してあげられるよ。みっともなく鼻を垂らした姿すらも愛しくて仕方がないんだ」

 吉良は真っ白なカッターシャツに濁った水が染み込むのも気にせずに私をきつく抱きしめる。私すごく汚くて臭いのにどうして……。

「みんな酷いよね。香坂さんを急に無視したり、鍵を隠してゴミや水をかけて、こんなガムテープまで貼るなんてさ……」
「っ、はぁっはぁっ」

 ガムテープを剥がされると必死で肺に酸素を送り込んだ。
 吉良はそんな私の世話を焼くように取り出した綺麗なハンカチで鼻水を拭ってくる。汚れるからと制止しようとした私の手に自分の手を重ね、静かに首を横に振った。

「ねぇ、香坂さんは何も悪くないよ。僕だけはずっと香坂さんの味方でいる。香坂さんが良い子だってことは僕が誰よりも一番よくわかってるから」
「で、でもみんな私を……」
「そうだね。みんなは心の奥底で香坂さんを嫌っていたけど、僕は香坂さんが好きで好きで堪らない。香坂さんだけが好きだよ」

 吉良は優しく微笑んで、ふんわり包み込むように私を再び抱きしめる。

「香坂さんを助けられる人は僕しかいない。僕だけが香坂さんを助けてあげられる」
「……吉良だけが、私を……」

 僕は、僕しか、僕だけが……繰り返される言葉がぼんやりした頭の中に溶けていく。

「僕が天音を守るから、もう何も心配いらないよ」
「……う、ん」

 それは一人ぼっちの暗闇に差す希望の光のよう。私のせいで手も髪も服も濡れた吉良の背中にそっと手を回した。
 彼を好きになる。そうすれば楽になれる。ドクンドクンと早鐘を打つ心音が伝わってきて、私に伝染するのにそう時間は掛からなかった。

end
 

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