創作夢

□09
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『瞬の誕生日忘れてないよね? ケーキ買ってあげなさいよ。』

 このメッセージが届いていたのは今日の午前中。気付いたのはついさっき……とっくに日が沈み、夜ご飯の買い物に行った弟がもうすぐ帰ってくるだろうかという時間だった。
 お母さんは私の性格をよーくご存知のようで。いやもう、完全に忘れてました。

 今日、十二月六日は弟の誕生日だ。
 お父さんとお母さんは昨日入院したという遠くの親戚の見舞いで今日は帰ってこない。ケーキを用意する役割は自然と私になる。
 といっても生理中の私は学校終わりに直帰してからずっとベッドでごろごろしていた。当然ながら冷蔵庫にケーキはない。

 慌てて弟のラインのトーク画面を開く。ケーキ屋に寄って自分の誕生日ケーキを自分で買ってこいと連絡を入れるためにだ。

「姉ちゃんただいまー!」
「あ……お、おかえりー……」

 でも、遅かった。気だるい体を起こして玄関にすっ飛んでいく。
 今晩は特に冷えるからとウールのコートにマフラーに手袋、本格的な冬の装いをしている弟が私の姿を見て目を丸くした。

「えっ、何!? どうしたの!? 姉ちゃんも俺と離れてる時間が寂しかったってこと? そ、そんなに体調悪いの? 頭でも打った……?」

 失礼な弟は両手に持った買い物袋をバサバサと落とす程度には驚き、戸惑っている。
 何なの。姉が弟を玄関で迎えることがそんなに珍しいってわけ?……相当珍しいな。

「……ま、まさか俺の部屋漁った? 確かに今年から姉ちゃんの使用済ナプキンを毎月一つずつもらって真空パックで保管してることは悪いなと思ってるよ! でも信じてほしい。変なことはしてないんだ。ほら、姉ちゃん受験生だろ? 経血の量や状態で健康状態がわかるから、それでだよ。でもさぁ……勝手に人の部屋を漁るのは感心しないよ」
「はあ!? 何それ!?」
「……やべ。今のは忘れて」

 感心しない? 勝手にトイレのゴミ箱を漁って持ち帰ってるような奴が何を言うか!
 とんでもない罪の告白をされて私は意識が飛びそうだった。
 股間に蹴りでも加えてやろうかと思ったけれど、一応こいつは今日誕生日の身だ。いわゆる本日の主役だからなんとか、なんとかこらえた。

 ……もちろん弟の部屋に保管されているというナプキンは後で全処分するけど。

「……買ってきたのはこれだけだよね?」

 玄関に落とされた荷物の中にケーキの箱は見当たらない。言わなくても買ってくるなんてことはさすがになかったか……。

「そうだけど。買い忘れあった?……ああ、安心してよ。プレゼントならもう用意してあるんだ。はいっ、これ。お姉ちゃんに日頃の感謝を込めて!」
「え……?」
「体を温める効果がある入浴剤にしたよ。今日は姉の日だからね」

 ラッピングされたプレゼントを自室から持ってきて弟は明るく笑う。

「姉ちゃんいつもありがとう」

 何となく気まずくて私はその笑顔から目を逸らした。

「体だるいんでしょ? ご飯まで休んでていいよ」
「あ、いや……あんたには任せられない」
「酷いなぁ。今日は姉の日だよ。さすがに変な物入れたりしないって! ほんとに約束するから!」

 そう言い残して弟は一人で台所に入っていってしまった。


「わ……これ高いやつ……」

 自室のベッドに寝転がりながらプレゼントを開けてみて、つい独り言が漏れる。
 オシャレだし使ってみたいけど、自分では手を出そうと思えないお値段のする有名なお店の入浴剤だ。
 こんなプレゼントを前もって用意しておく暇があるなら自分の誕生日のことももっとアピールすればいいのに。

「来月六日は俺の誕生日だよ。覚えてる?」
「来週楽しみだなぁ。お姉ちゃんは何をくれるのかなぁ」
「ハッピーバースデー俺。お姉ちゃん祝って祝ってー!」
 昔の弟はうるさいくらい主張してきたものだが弟がまだ中学生の頃……ネットの記事で姉の日の存在を知ってから、弟の誕生日の過ごし方は大きく変わったのだ。

 今日――"十二月六日"は姉の日。日頃の感謝を姉ちゃんに伝える日。
 弟の中でそういう認識にすり替わってからは私に誕生日のお祝いやプレゼントを求めてこなくなった。
 そうして母の日にカーネーションを贈るのと同じくらい当たり前な調子で姉である私にプレゼントを渡してくるのだ。

「ご飯できたよー!」
「うん……」

 食卓に並んでいるのは体を冷やさないようにという気遣いなのか生姜を使ったメニューが多い。
 異物混入はされていない……はずの弟の手料理はどれも美味しかった。

「姉ちゃん姉ちゃん! シュークリーム買っといたよ。食べるでしょ?」
「う、うん……」

――十七歳の誕生日おめでとう。
 いつ言おう。普段ならごちそうさまをしてから誕生日ケーキが出てくる。
 私も弟ももう子供じゃないからホールケーキは卒業したしロウソクを吹き消したりもしないけど、ケーキを食べる前にお母さん達と同じタイミングでおめでとうと伝える。

 でも……今はお母さん達がいないから、きっかけがなかった。

「一個だけ売れ残ってたんだよ。姉ちゃんよかったね」
「…………」

 弟いわく姉の日だから……一個しかないシュークリームは当然のように私に献上される。
 見てないけど何となくつけていたバラエティー番組は終わってしまった。弟は早くも皿洗いを始めているし、私は気まずい思いでシュークリームを頬張る。

 何で誕生日アピールをしてこないんだろ。祝ってと言われれば私だっておめでとうくらい言うのに、これではタイミングがない。

「それにしてもこんな特別な日に姉ちゃんと二人きりで過ごせてラッキーだなぁ」
「っ!」

 い、今だ! "そういえばあんた誕生日だったっけ? おめでとう"、このセリフでいこう。

「姉ちゃん、俺のお姉ちゃんでいてくれてありがとね。姉ちゃんと同じ屋根の下で過ごせる毎日に感謝だよ。これからもずーーっと一緒にいようね!」

 ああ、特別な日って姉の日のことか……。

「……変態め」
「と、突然何だよ。変態要素あった?」
「あった。とんでもない変態だよお前は」

 弟が不服そうに口を尖らせるが、私も残りのシュークリームを詰め込んでむくれていた。

 とにかく腹が立つ。"姉の日"って何?
 そんなもの全然世間一般に浸透してないじゃないか。なんならこいつの口からしか聞いたことがないレベルだ。
 姉の日があるんだから弟の日も存在するのかもしれないけど私は知らない。今後も調べる気はなかった。
 こんな甲斐甲斐しくされても私はお返しをしない。見返りがないことくらいとっくにわかっているはずなのに、何でこいつは毎年毎年、私の誕生日にも自分の誕生日にもプレゼントを寄越してくるんだろうか。

 プレゼントを買わない。
 誕生日ケーキも用意しない。
 誕生日おめでとうすら言わない。

 そんな冷たい姉に「ありがとう」なんて言って笑う弟は変態以外の何者でもない。


――あと五分で日付が変わる。
 誕生日おめでとうも、ケーキ買い忘れてごめんも、プレゼントありがとうも伝えられないまま弟の誕生日が終わってしまう。

 これが私の誕生日前日だったなら気の早い弟が誕生日おめでとうと言いに来る時間だ。
 あいつは私が自室で友達と電話していることをわかっていながらわざと弟フライングをキメてくる。
 ドアをバーン!と開けてクラッカーを鳴らすのが最早恒例になっていたから、誕生日前に友達と電話できなくなってしまった。

「ハァ……」

 食後に飲んだ生理の薬の効き目が悪く、体がだるい。
 そう、私がさっきからため息ばかりついているのは生理中だからであって、別に弟のことが気がかりなわけでは――

 やっぱり弟の部屋に行こう。使用済ナプキンを保管してるとか言っていたから捨てないといけない。
 ……まあ、そのついでに誕生日のお祝いも少しはしてやってもいいかもな。

 コンコン――

「姉ちゃんこんな時間にどうし」
「欲しい物を言え」
「うわっ!?」

 部屋着で呑気に出てきた弟の顔面に銃口を突きつけるつもりでクラッカーを鳴らした。
 いつ買ったのかわからない百均のものらしきクラッカーがリビングにあったのだ。お母さん達が使おうとしていたのかもしれない。

「何が欲しいの? 何かしてほしいことでもいい。五秒以内に言って」
「えっ!? なっ、何? 怖い怖い怖い! 俺まだ死にたくないよ。命がほしいです」
「いーち。にーい」
「た、誕生日プレゼントってこと? 姉ちゃん覚えててくれたの?」
「さーん、しーい……」
「ちょ、待ってよ! えっとえっと……あ、これ! これしたい!」

 クラッカーから飛び出した紙を間抜けに頭に被ったまま弟は私にスマホを渡してきた。
 友達とラインの最中だったようだ。
 弟への誕生日のお祝いメッセージが届いたところからやりとりは始まり、そして……

『生理中なら言ってほしかったわ』
『今ホテルで腕枕させられてんだよ』
『彼女もう寝たし』
『腕攣ってて地獄』

「う、で……枕……?」
「うん!」
「あんたの友達は地獄って言ってるけど?」
「姉ちゃんはバカだなぁ。姉ちゃん相手なら天国に決まってるじゃんか」
「本当に腕枕……?」





「はぁっ、はあっ、姉ちゃんいい匂い……」
「ちょ、ちょっと!」

 なんか固いの当たってるから……!
 日付が変わるまで、という条件で私は弟の願いを聞き入れた。
 そもそも弟のベッドに寝転がったのも初めての経験だけれど、枕にしているのは弟の二の腕だ。弟に背を向けて横向きに寝た私の背中に弟は容赦なく体を密着させてくる。

 あと三分くらい……もしかしたらもう二分を切っただろうか。
 私は弟に後ろから抱きしめられながら設定したスマホのアラームが鳴るのをまだかまだかと待っている。

「はぁっ、はぁっ、すごい……俺が腰を押し付けるとさ、ナプキンが擦れてカサカサ音がするね。ナプキンずれちゃってるかな。俺のベッドならいくらでも汚していいんだよ。姉ちゃんの経血で染みを作ってよ」
「ひぃっ、この変態! 変態変態変態変態!!」

 頭の中で数えていた秒数がわからなくなる。本当ならこの変態をぶっ飛ばして逃げたいところだけど、あと一分程度の我慢だ。
 この地獄の数分間に耐えてこいつに返していなかった五年分くらいの誕生日プレゼントの分をチャラにする。

 弟は細身に見えるが、ほどよく筋肉のついた体をしていたらしい。幼くて可愛かった昔とは違う厚みのある腕だ。
 私がドキドキして呼吸困難に陥っているのは、こんな要求をしてくるこいつが気持ち悪いからだよ。まともじゃない変態を前にして体が危険を感じ、警戒しているだけだ。

「変態変態変態変態」

 悪しきものを祓うように、自分の中の何かを守るように、私は何度も唱える。
 弟が耳元で熱い息を吐きながら笑う。

「姉ちゃん……俺の誕生日なんて祝ってくれなくていいんだ。プレゼントもいらないよ。でも、俺には姉ちゃんの誕生日を祝わせてね。次の誕生日もその次も十年後も、一番におめでとうって言わせて」
「意味、わかんない……」

 だからあんたは、何でそんなに私のことが好きなのよ――

「あー……もうすぐ姉ちゃんの日終わっちゃうかぁ。最後にもう一度言っとくね。姉ちゃん、いつもありがとう」
「……変態」
「うん。変態な弟でごめん」

 私達の枕元でアラームが鳴り響く。弟の誕生日も、姉の日もおしまいだ。
 それでも弟は私を抱きしめる腕を強くする。もう少し早い時間にこの部屋に来ればよかったかな。
 一瞬そう考えて、すぐに後悔した。

「……姉ちゃん、俺もう出そう」
「出っ!? 最低! 変態! 死んで!」

 何でこいつはいつもいつもいつもいつも……!!
 私は弟の腕から抜け出し、こみ上げてくる怒りの全てを乗せてふざけたテントを張っている弟の股間を蹴り上げてやった。
 遠慮はいらない。もう本日の主役ではないからね。

「うあ……っ、痛い、けど。やば。このくらいじゃ俺のは全然負けないようになってきた」
「いや、そこは負けてよ! ってもういい! 誕生日おめでとうございましたぁ!!」

 二度とこんな目にあいたくない。来年は、そして再来年も、更には十年後も絶対にケーキを買い忘れたりしない。
 食後に誕生日ケーキを食べながら自然な流れで「おめでとう」を言おう。

 ……十年後も? あの変態な弟と……瞬と、姉弟でいられるのかな?
 私は芽生えた不安を振り払うように自分のベッドに飛び込んだ。

「あ……ナプキン捨てるの忘れてた……」
 

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