創作夢

□08
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 しろの"不用品の処分"は完璧だった。元彼の使っていた物だとわかりにくいであろう物まで綺麗になくなっている。
 急いで確認したクローゼットや棚、引き出しを閉める余裕もなく、私は立ちつくす。
 どうやって見分けたのか、元彼からのプレゼントだった化粧品まで捨てられていた。

「大丈夫だよ。俺が新しいの買ってあげる」
「っ!」

 背後から抱きしめられる。枕とベッドシーツを詰め込んだ袋を捨てに行っていたしろが戻ってきたのだ。

「片付いてよかったね。なくなったからってそんな困る物ないでしょ? お姉さんの生活に必要のない物だったんだよ。ね、お姉さん、」
「っ!」

 背後から囁かれる甘い声と、スカートの中に侵入してきた手が内ももを撫でる感触にぞわぞわと粟立つ。

「やめてよ!」

 ハッと思い出すように怒りがこみ上げてきて、しろの腕を振り払った。

「人の家にある物を勝手に捨てるってやばいでしょ! どういうつもりなの!?」
「……なんで怒るわけ。お姉さんさ、未練はないって言ってるけど本当に? 本当は元彼がまたこの家に帰ってきてくれるの待ってるんじゃないの?」
「ち、違うよ……!」
「だったら過去の男との思い出なんて捨ててくださいよ!」

 珍しく大きな声を出したしろに私は怯んでしまっていた。
 未練はない……ないはずだ。彼とよりを戻したいなんて思いが少しでもあったらきっとマンションのゴミ置き場に走っていた。
 ただ、自分で向き合うべき問題が突然こんな形で消化されて気持ちの整理がつかないし、やっぱり少しの喪失感もあった。

「ねぇ、引っ越そうよ。こんな……過去の男の痕跡だらけの部屋でいつまで暮らすの。お姉さん、元彼とあのテーブルでご飯食べてたんでしょ? このソファーでくつろいでテレビ見てたんだよね? それで毎晩元彼に抱かれたベッドで今夜も眠るんだ!……う……っ、吐き気がする……」
「ちょ、ちょっとしろ?」

 しろは早口でまくし立てた後、口元を押さえて座り込んだ。しろはどうしちゃったんだろうか。ただでさえ様子がおかしいのに、今にも倒れそうな青白い顔をしているから嫌でも心配になってくる。

「……俺は今日一人でこの家にいたら頭がおかしくなりそうでした。お姉さんは何で平気でいられるの?」
「そ、それは……」

 この部屋は一人で住むには広い。私だって本当は新たな生活を始めたくて探していた時期もある。ところがペット可で立地の良い物件はどこもそれなりに家賃が高いのだ。
 私の給料で無理のない物件は明らかにボロかったりワケありだったり、引っ越したいとは思えないところばかりだった。

「今はお金に余裕ないし……」
「お金があったら引っ越してくれるの?」
「ま、まあね」

 ピクリと反応し、見上げてくるしろの言葉に私は曖昧な返事をした。





――翌日。仕事を終えた私は二日連続で面食らうことになった。
 しろがいつも通りに白猫のしろと戯れているソファーの前のローテーブルに、札束が二つ置かれていたのだ。

「な、なにこれ?」
「二百万あります」
「あ、ああ、やっぱりこれ一束、百万だよね……ってそうじゃなくて! 何でこんな大金があるの!?」
「下ろしてきたんだよ。ATMって一日に下ろせる金額に上限があるらしくてさ。四つの銀行のATM回ったからめんどかったー。これで引っ越し費用足りる? もっといるなら明日追加で下ろしてきます」
「えっ、しろのお金? 高校生が何でこんなに持ってるの?」

 しろは膝の上のしろを撫でながら何でもないことのように語っているが、急に二百万もポンと差し出された私は混乱していた。

「俺ん家、代々金持ちなんです。じいちゃんの遺産も譲り受けたし、幼い頃からお年玉や入学祝いとかいって馬鹿みたいな金額もらってきた。俺の稼いだ金じゃないし胸くそ悪いから手を付けてこなかったんだけど……金は金だから。お姉さんにあげる」
「受け取れないよ!」
「……何で?」
「な、何でって……普通に怖いよ。理由もないのにお金をもらうなんて」
「理由ならあるよ。お姉さんがお金を必要としてるなら助けてあげたい。お姉さんはお金があれば幸せになれるんでしょ?」

 そんなの全然理由になっていなかった。しろに宿の提供こそしているが、大金をもらえるほどの恩があるとは思えない。
 それに彼は七歳も年下の高校生で、知り合ってまだ二週間と少し。いまだに本名すら知らない関係性なのだ。素性のわからない人から怪しいお金はもらえない。

「そのお金はまたATMに預けてきてよ。本当にしろどうしちゃったの? 昨日からちょっとおかしいよ……」
「……彼氏からだったら受け取ったの?」
「え……そう、だね。受け取ったかも」

 私は別に、お金に目が眩まない良い子ちゃんなんかじゃない。相手が正式にお付き合いしている彼氏で、出どころのはっきりしたお金ならば喜んでもらったかもしれない。

「まっ、彼氏には引越し費用といわずマンションの最上階くらい買ってほしいかな!」

 ……なんて言葉はさすがに冗談だった。

「じゃあ俺と付き合ってよ。マンションプレゼントするから」
「っ!」

 腕を引っ張られた瞬間、鈴の音がした。逃げていった可愛い愛猫の代わりに、私の上半身はしろの膝の上に倒れ込んでいた。

「多分俺、お姉さんのことが好きなんだと思う。こうやってぎゅってしてるだけで気持ち良いし、ドキドキする……セックスしてる時より嫌なこと忘れられるなんて不思議だ」
「しろ……」
「あー……俺、告白下手くそだよね。"好き"ってどうしたら伝わるんだろ。お金もっと下ろしてきたらいい?」
「う、受け取れないってば……」

 思いがけない告白だったから、私はしろに半身を抱えられながら身動きが取れない。そのまま何も言えない私を肯定するように頭を撫でられる。

「俺と付き合ったらもう寂しくないよ。年下だけどお姉さんのこといっぱいよしよしするし、わがまま聞いて甘やかしてあげるからね。この家の家具ってお姉さんの意見は反映されてないんでしょ。俺との新居の家具は全部お姉さんの趣味で選んでいいよ」
「だ、だから、」

 付き合うとも引っ越すとも言ってないのに……顔を上げたらしろと視線が合って、その目はにこりと細められた。気恥ずかしくて逸らした私の喉元を撫でる指先がくすぐったいけれど、気持ち良い。
 足元でしろがニャーと鳴いている。首を優しくこしょこしょする手は猫のしろを撫でる手つきに似ているかもしれない。
 なんだか愛でられているみたいで、落ち着かない。しろの手から逃げると、小さくて可愛いしろが入れ替わりで膝の上に乗った。

「そういえばさ、しろはどうなの。お姉さんがしろを飼おうって言ったの?」
「しろは……」

 しろは私の代わりに首元を掻いてもらいながら気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
 うちの可愛いしろは、しろに懐いていた。きっと私が会社に行ってる間にもたくさん可愛がってもらっているんだろう。

「……うん。私が選んだんだ」

 だからか、何となく嘘をついた。猫を飼うことは元彼と二人で話し合って決めたけど、ペットショップでこの子がいいと最初に言い出したのはやっぱり彼氏だった。

「ふぅん。この子もいらないね」
「え……?」
「しろー、よしよし。可愛いねぇ」

 笑顔のしろから恐ろしい言葉がこぼれ落ちたような気がした。
 でも、きっと空耳だ。しろはいつもと変わらぬ調子で愛猫のしろを撫でている。
 "可愛いね"と、そう言っただけだ。
 

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