創作夢

□05
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 遅刻せずに出勤できた月曜日――

「ただいまー」

 玄関は鍵がかかっていなかった。昼間に宅配便の受け取りでもして閉め忘れたのだろうか。
 すぐに猫のしろが駆け寄ってくる。ふくらはぎに顔を擦り寄せ、甘えるしろは疲れた体を癒してくれる。
 でも、しろに出迎えてもらうのは久しぶりだな、と思った。
 この時間帯のしろは、リビングのソファーでくつろぐもう一人のしろの膝の上にいることが多かったから――

 しろを抱っこしながら静かなリビングに入ると、しろの姿はなかった。しろのリュックもスニーカーも消えている。
 代わりにローテーブルの上に書き置きが残されていた。

『お姉さんへ ずっと泊めてもらうのも悪いから出ていくよ。お世話になりました。しろ』

「な、何で急に? 朝もそんな素振りなかったのに……」

 呟いてからハッとした。元彼が家を出ていった日もそうだった。
 同じ場所に書き置きを残し、バッグ一つ分の荷物だけ持って彼は消えたのだ。
 あの日と違うのは台所に夕飯が用意されていたことだった。それもまだ、温かい。しろが家を出てからそこまで時間は経っていないのかもしれない。

 とっさに追いかけようとして、足を止める。
 一緒に部屋まで借りた元彼とは違い、しろとは交際していたわけじゃない。しろはネットで知り合った人の家を転々としている家出少年だ。
 私は彼に何を期待してたんだろう。一晩だけ泊めるつもりだったんだから、これでいい。

「にゃあ」

 小さなしろが指を舐めてくれるから、私はふわふわの毛に顔を埋める。
 結局しろのこと何も知らないままだったな。昨晩思い出したと言っていた嫌なことって何だったんだろう。

「にゃーにゃー」
「うー……しろー……」

 同じ名前だから切なく響いた。しろの本当の名前、知りたかったな。





 しろがいなくなってから一週間後――
 「おかえり」と迎えてくれる人がいないことも、自分で家事をすることにも慣れ、いつもの日常を取り戻していた。
 しろと過ごした期間はたったの一週間だ。元彼が出ていった時に比べれば立ち直るのも早かった。
 それに、私には可愛い可愛い白猫のしろがいるから大丈夫。しろだけは私の帰りをちゃんと待っていてくれる。

「ハァ……」

 とはいえ以前よりため息の数は増えた。休憩室で肩ひじをつきながらツイッターの画面をスクロールしていく。

『また宿がないー 誰か泊めてー #裏垢男子 #神待ち』

 しろとの唯一の連絡手段であるツイッターはブロックされていた。
 何もブロックまでしなくてよくない?と、しろのツイッターを眺める度に腹が立ってくる。
 あれからしろは毎日神待ちをしていた。一晩のみの条件の人が多いのか、しろ自ら渡り歩いているのかは知らないけど、毎日毎日よく見付かるもんだな。
 私なんかしろがいなくなった日に勢いで「死にたい」って鬱ツイートをしたけど、誰からも心配されませんでしたが。

「ハァーー」

 ……今のでまた幸せ逃げていったな。
 嫌な情報しか載っていないとわかりきってるのに何で見ちゃうかな。しかもわざわざ別のアカウントまで作って。
 バッグにはしろが忘れていった眼鏡を入れている。この眼鏡よくよく見てみたらものすごくお高いブランド物なのだ。
 しろも困っているかもしれないし、偶然街なかですれ違うことがあったら渡したいと思って持ち歩いているけれど。もしやストーカーみたい……?
 私の口からはまた自然とため息が漏れていた。


 頼まれたため、店内で営業をしている水谷くんを探す。広い売り場の中で水谷くんに割り振られている持ち場に行くと、大柄な彼の背中が見えた。

「水谷くん! インカムの調子悪いんだって? 事務所にあった予備の持ってき……っ」

 一人だと思って声をかけたが接客中だったようだ。近くに寄ると水谷くんの奥に誰か立っているのがわかった。

「おー、丁度よかったよ。この子知り合いなのか? お前が出勤してるかどうかいきなり聞かれたから何て答えようか迷ってたんだ」
「え、私の出勤の確認を……?」
「あ……っ、もういいです! それじゃあ!」
「っしろ!?」

 水谷くんの奥にいた男の子が小走りで立ち去ろうとしている。服装こそ違うが見知った背中に、覚えのある声。間違いなくしろだった。

「みっ、水谷くん! これ渡したからね」
「あ、ああ。サンキューな」





「しろ、しろってば……」

 人目があるからあまり大きな声では名前を呼べない。
 早足で歩くしろの背中を追いかけるも、しろは一歩一歩が大きい。ただでさえヒールの高いパンプスを履いている私は追いつけそうになかった。

「きゃっ!」

 それでも足を早めようとして売り場の足マットに蹴躓いた――
 手をつく暇もなく、転ぶ!と思ったけれど、衝撃はやってこなかった。しろの腕に体を支えられている。
 「お姉さん、狙ってドジやってんの?」と至近距離でかけられる呆れたような言葉。でも、言葉とは裏腹に優しい声色だった。

 お客さんの少ない駐車場に移動すると、しろは初めて会った日と変わらぬ調子でスマホをいじり始めた。

「全然元気そうじゃん。あんなツイートした後に一週間も無言貫いてるから本当に死んだかと思ったよ」
「あんなツイート?……あっ」
「良い大人がネットでかまってちゃんするのやめてくださいー」

 数秒遅れで"死にたい"というツイートのことを指しているのだと気付いた。
 ネット上での発言を面と向かって指摘されるのはこっ恥ずかしい。まあ、確かに死にたいは言い過ぎかもしれないけど、本気で落ち込んでいたのだ。

「……それで会いに来てくれたの?」
「別に会いに来たわけじゃないですよ。適当な社員捕まえて聞いたら帰ろうと思ってたし」
「そ、そっか」
「なに嬉しそうな顔してんの……あーあ。心配して損した。安否確認のためにお姉さんのツイッター何度もリロードする羽目になった俺の身にもなってよ」
「あははっ、ごめん」

 しろの言うとおり、私の口元は緩んでいた。自分からブロックしたのに気になって見てたんだね。
 私の何気ないツイートを本気で心配してくれていたのは多分しろだけだ。
 
「ところでお姉さん。俺、今晩泊まるとこないんですけど」
「あれ。二時間前の募集ツイートにいいねとリプ何件もついてなかった?」
「うるさいなあ。いいでしょ。仕事終わるの待ってるからDMしてね」

 しろはごまかすように顔を逸らしてからスマホを目の前に突きつけてくる。そのまま私のツイッターアカウントのブロック状態を解除して見せた。

「ほら、これで心置きなく俺を監視できますね?」
「し、しろだって監視してたくせに」
「……うん。してた!」

 片方の口角だけ釣り上げた挑発的な笑みを崩し、しろが口を大きく開けて笑う。年相応な可愛らしい笑顔だった。

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