創作夢

□03
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 休み明けの出勤だったこともあり、今日は普段よりどっと疲れている。ご飯を用意しておいてもらえて正直助かった。
 おかげですぐに食事を取れたし、お風呂にも早い時間帯に入ることができた。しろが私と入れ替わりで浴室に姿を消してから落ち着かない気持ちでリビングと廊下を往復する。
 部屋着にできそうなTシャツとジャージをさっき脱衣所に置きに行ったら、シャワーの音に混じって鼻唄が聞こえた。
 のんきなもんだ。私はこんなにそわそわしてるっていうのに。

「ねぇ、しろ。どう思う? この状況って違うよね。先にシャワーを済ませた女がベッドで男を待つ、あの流れじゃないよね?」
「にゃっ」

 白猫のしろが呆れたように短く鳴いて私から離れていく。ちょうど廊下にいるタイミングで浴室のドアが開く音がしたから、慌ててリビングに戻った。

「あっつー」
「ん?……あ、おかえり。風呂上がりはどうしてもね。アイス食べ――っ!」

 全然しろのことなんて意識してなかったよ。そういやお風呂入ってたんだね。
 という演技を解除し、しろに視線を向けた。バスタオルを肩にかけたしろは片手で髪をガシガシと拭いている。
 髪が濡れてぺたんこになっている姿は新鮮だけど――スラリとした肉体を隠しているのがグレーのボクサーパンツ一枚だけなことに動揺させられる。

「きっ、着替え置いておいたのに何で着ないの!」
「暑いんだもん。てか、あの服メンズですよね。お姉さんの?」
「それ、は……元彼のやつ」
「あー、なるほど」
「……別に……物に罪はないし」
「なんて顔してんの。何も言ってないでしょ」

 言われなくてもわかる。出ていった元彼の服を捨てずにいるなんて未練がましいと思われたんだろう。

「あーあ。お風呂から出たら襲ってあげようと思ってたのになんか調子狂うなぁ……」
「っ、な、何考えてるの! 駄目に決まってるから……!」
「でも、お姉さんも期待してたよね? しろくんに話しかけてる声聞こえてましたよ」
「えっ」

 廊下でしろに語りかけてた時? まさか、と息が詰まる。顔がカァっと熱くなるのを感じて俯けば、しろはおかしそうに吹き出した。

「あはははっ! 本当に何か言ってたんだ。お姉さん可愛いねぇ」
「なっ、なっ!?」

 しろは私をからかうのが上手い。
 ここは私の家だから、私はいつでもしろを追い出すことができる。この家にいる限りは私の方が立場は上のはずなのに、どうしてこうも振り回されているんだろうか……。


 しろはお風呂上がりにスキンケアをするタイプの男子だった。
 しろの背負っていた黒いリュックにはスキンケア用品や眼鏡、コンタクトレンズなんかが入っているらしい。
 化粧用の卓上ミラーの前で割と雑な感じでスキンケアをしている。

「……あっ! しろが使ってるのデパコスだよね! しかも特にお高いブランドのやつ。すごい。よく買えたね。化粧水だけで二万くらいしない?」
「や、値段とか知らないです。前に泊めてくれた人にもらった。お姉さんにあげよっか? 俺は別に何でもいいし」
「いい、いい」

 年齢的にそろそろいいものを使ったほうがいいんだろうな……とは思いつつも、切り詰めた節約生活をしている私は薬局で売っている安いスキンケアを買うので精一杯だ。
 でも、私の関心は憧れのデパートコスメから、しろの意味深な言葉にすぐ移っていた。前に泊めてくれた人……しろのツイッターのアカウント自体は去年の六月に作成されている。
 しろはいつから家出してるんだろう。きっかけは何だったんだろう。

「しろの肌、綺麗だと思ってたんだよね」
「ありがと。お姉さんはすっぴんだと幼く見えるね」
「そうかな」

 しろの話が全然頭に入ってこない。
 私はお酒の勢いで親や元彼や上司の愚痴、生い立ちから出身大学、職場、本名まで明かしている。
 それ以前に、自宅という最もプライベートな空間にしろを迎え入れているわけだが。逆に私はしろのことを何にも知らないことに今更ながら気が付いた。

「しろはさ、どうして家出したの?」

 聞きたいことは山ほどあったが、まず一番気になっていた疑問が口から出る。

「親とケンカした、そんだけ」
「ケンカって」
「あっ、何でケンカしたとか面倒くさいこと聞いてこないでね」
「……じゃ、じゃあどれくらい家出してるの?」
「六月からだから……二ヶ月くらいかな」
「二ヶ月も!? 家に連絡は入れてるの? 六月ならまだ夏休み前だけど高校は? 行ってないの?」
「友達から聞いた話では、俺は病気で休学扱いになってるってさ。親が届け出をしたみたいです。あの人らしいな……あーもう。お説教は勘弁」

 しろはソファーに深く座り直すと、両耳にイヤホンをつける。そのままスマホの画面に向けられた冷めた瞳がこれ以上の詮索をするなと訴えていた。





 大手家電量販店アヤサカデンキの○○店が私の勤務先だ。
 朝礼は事務所に社員のみが集められて行われる。社訓を読み上げたりする、この無駄な時間がようやく終わろうというタイミングで店長が「あ、そうそう」と切り出した。

「明後日、日曜日の夜十時からですね。本社に密着取材していたテレビ番組の放送があります。社長が今後の展望を語っているようなのでね、自分達のとこにはカメラ来てないからいいやと思わずに社員一同見てくださいね」

「……この話何度目だよ。実際興味ないよな」

 私の隣に立っている社員が髪をかきながらぼやく。私の同期で、販売担当の水谷くんだ。
 何かと癖が強い性格の人が多い販売担当社員の中で水谷くんは話しやすい存在だった。

「サッカーと被ってるんだよなぁ。サッカー見てもいいかな」
「月曜の朝礼で一人ずつ感想を言う流れになったらどうするの」
「うわ。ありそうだな。一応見とくか」
「その方がいいよ」

 声を潜めながらそんな会話を交わしているうちに朝礼は終わった。 





――日曜日。しろを家に泊めるようになってから約一週間が経つ。
 この一週間、私は変わらず昼間に仕事へ行き、帰りは買い物をしてしろの待つ家へ帰る生活を送っている。
 しろは家事をしておいてくれるし、"猫のしろ"もしろによく懐いている。
 初日以外は寝室も別だから、平和そのものだ。ソファーで寝るのは体が痛いとたまに文句を言われるけれど、「じゃあお家に帰れば」と返せば文句を引っ込めることを私は知っている。
 しろのツイッターのアカウントの更新は、誰か泊めてくださいと神待ちをしていた先週の呟きを最後に止まっていた。

「今いいとこじゃん! お姉さんだって日本の巻き返し見たいでしょ?」

 九時から中継しているサッカー日本代表の試合は現在、二対二で同点だ。このまま見続けたいのが本音だけど、金曜の朝礼で話題に出た番組が始まる時間だ。

「見たいけど……十時に変えるって言っておいたよね。我慢して」
「えー……なに見るんですか?」
「えっとねー……あ、これこれ」

 お馴染みのナレーションが流れて、"ガイヤの夜更け"が始まった。有名な経済ドキュメンタリー番組だ。
 この番組でうちの会社の特集を組まれるという情報が解禁されてから、必ず見るようにと毎日毎日言われているのだ。

「あ……そっか。今日が放送日……」
「ん? しろ、知ってるの?」
「……まあ。お姉さんがツイッターでこの番組の告知を拡散してたの見たので」

 先週の土曜日だったか。ガイヤの夜更け公式の番組告知ツイートが私のアカウントにも回ってきたからリツイートしたんだった。
 テレビの前の床に座り込んでいたしろが後ろのソファーに戻って来た。
 しろは視力が悪いらしい。家の中なら基本裸眼だが、外出時はコンタクト、勉強やゲームを集中してやりたい時だけ家でも眼鏡をかけるという。
 だから今、テレビから離れた位置にあるソファーに戻ってくるということはつまり……そりゃ高校生が見て面白い番組じゃないから仕方ない。

 アヤサカデンキ本社での密着取材の様子や、そこで働く社員達のインタビュー、消費者の声などが流れてから、目玉である礼坂(あやさか)社長のロングインタビューが始まった。
 経営理念と経営戦略をひとしきり語った後は、社長の人柄がわかるプライベートな質問コーナーだ。
 私が社長に会ったことがあるのは入社式と、私の働く店舗に視察に来ていた際の二回だけだ。気さくに声をかけてくれたし、人柄の良さを感じた。
 画面に映る社長の姿も先ほどまでの真剣な雰囲気から一変し、くだけた口調で冗談を挟みながらインタビュアーの笑いを誘っていた。

「僕がやっていけるのは支えてくれる家族の存在が大きいですね。忙しい中でも必ず週に一度は休みを取って家族と過ごすようにしています。僕にとって、かけがえのない宝物な――」

――プツン
 目尻にシワを寄せて話す社長の言葉が途中で切れて、画面が暗転した。

「……嘘つき」
「え?」

 それは一瞬で空気が変わる冷たい声だった。しろの手がリモコンをローテーブルの上に戻したのを視界の端で捉える。
 真横に座っているしろの方を見ることがなかなかできない。いつものしろじゃない、何かに取り憑かれた、恐ろしい顔をしているような気がして怖かった。

「……し、しろ……?」
「お姉さんがサッカー見せてくれないから拗ねた! 俺今のうちにお風呂入らせてもらいますね!」

 震える私の呼びかけに答えた声は不自然に明るい。しろはすぐさま立ち上がり、さっさと出ていってしまった。
 本当にサッカーが見たかっただけ……?
 一人きりで無音になっても、真っ黒な画面を再びつける気にはなれなかった。

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