創作夢

□怪物の檻と少年の首輪
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 母には感謝している。女手一つで娘を育てるのは大変だったと思うが、私は不自由のない生活を送らせてもらってきた。
 希望の高校はアルバイトが禁止で家計を助けられないことが気がかりだったけれど、私の夢のためならと許してくれた。
 これまでの苦労を想像すれば母が毎日家に若い男を連れ込むようになったことくらい些細な問題だ。男と鉢合わせるのが嫌なら私が外で時間を潰してから帰ればいいだけの話。
 そう思っていた。今日までは――


「はいはーい!! おねんねの時間はおしまいだよ! 起ーきーてー!!」

 ゆるゆると目を開けて一番最初に飛び込んできたのは驚くほど醜悪な笑顔だった。
 長い期間磨いていないことを窺わせる歯に、フケだらけの髪、顔中から吹き出る脂汗。清潔感がまるでない。豚のように丸々とした巨体の男と私との間は鉄格子で隔たれている。
 私が目覚めたのは窓のない六畳ほどの空間の固い床の上だった。隅にすりガラスで目隠しされたバスルームらしき物があるだけの部屋。というよりは牢屋か、檻みたいだ。
 私……この男に閉じ込められているの……?

「あ、あなた誰ですか!? ここはどこ!?」

 自分が置かれている状況を把握すると頭の中はパニック状態だ。跳ねるように体を起こしてさらなる違和感に気付く。
 首周りがずっしりと重たいと思ったら首輪が嵌められている。それも金属製の重厚な物だ。首輪に繋がった長い鎖は、男がいる鉄格子の向こう側まで続いていた。

 そして私のとは別に、鎖がもう一本床を這っていた。
 同じ檻の中、丁度私の真後ろの壁にもたれかかっていた男の子が「んん」と吐息を漏らして目を擦る。彼の細い首にも私と同じ重々しい首輪が光っていた。
 顔を隠していたサラサラの黒髪を払いのけながら男の子がこちらに視線を向ける。
 形の良い綺麗な目に射抜かれて、こんな状況にも関わらず心臓が高鳴るのを感じた。
 何度見ても慣れない、類まれな美しい容姿を持つ男の子。私は彼を知っていた。

「渚くん!!」
「お姉さん……? え……首輪? っ、な、なんですかこの状況!?」

 渚くんは私より三つ年下の、中学三年生。時間を潰すために公園のベンチで顔を伏せていたらいつの間にか隣に座っていて、話すようになった男の子だ。事情は知らないが彼も家に居場所がない子供らしかった。
 そう、今日も渚くんと他愛のない話をしていた。
 渚くんとの時間は楽しくて、あっという間に流れていく。そろそろ帰ろうかといつも通りに二人で公園を出たところまでは覚えている。が、記憶はそこで途切れていた。

「二人とも起きたところで問題でーす! この平和な日本で国が所在をつかめていない、闇に消えちゃった子供達は何人いるでしょうか?」
「っ、そんなことより僕達を解放してください!」
「そ、そうだよ! 家に帰してください!」

 渚くんは慌てて立ち上がり、男の前の格子を握りながら訴える。私も一人よりずっと心強い思いで、渚くんの言葉に同調した。

「……はい、時間切れー! 答えはー……とにかくたっくさんでしたー」
「あ……っ、う……」

 男の声がワントーン低くなったのと同時に、渚くんは鉄格子に激しく顔面を打ちつけた。首輪に繋がる鎖を思いきり引っ張られたせいだ。

「言っておくけど、これは誘拐なんかじゃないからね。君達は売られちゃったんだよ。そんで、パパとママに捨てられた可哀相な君達を買ってあげたのがお兄さんってわけ!」
「うぁ……っ!」

 一度弛んだ鎖を男が再度手繰り寄せると端正な顔はまたも衝撃を受けることになった。

「ふひっ、今日から仲良く三人で暮らしていこうねぇ?」

 醜く歪んだ笑みと、美しい少年の苦悶の声を合図にして地獄は始まった――





 二週間が経った。私は小汚い男と格子越しに対面しながら選択を迫られていた。

「キース! キース! 天音たんが渚きゅんにキース!!」

 手を叩き、唾を撒き散らしながら喚く様はおぞましい怪物のようだ。
 初日に男のことをお兄様と呼ぶよう強要されたことから始まり、私と渚くんが夫婦役のおままごとをやってみせろとか、ロリコン向け雑誌の表紙と同じポーズを取れとか、二人でハグしてみせろだとか、気持ち悪い要求は日に日にエスカレートするばかりで。ついにはキスしてみせろ、だなんて。

 男の命令は絶対だ。少しでも口答えしたら水や電気で責められたり、食事を抜かれる。
 この二週間で教えこまれていたが、それでもなお"できない"と反抗した渚くんは水溜りに膝をついている。
 長時間の水責めで頭から爪先まで全身濡れており、疲労の限界が見えた。

「さっさとチューしろよ! お前もお仕置きされたいのか?」

 男の矛先は私へと移ろうとしている。このままじゃ渚くんも私ももっと酷い目にあわされるだろう。

「っ、お姉さんには何もしないでください!」
「……ごめんね」

 慌てて起き上がろうとした渚くんの肩に手を置き、紡いだ唇を渚くんに押しつける。加減がわからずぶつかるように触れ合った薄い唇は少しかさついているものの、柔らかい。
 ベロチューしろと囃し立てられるままに私が舌を出すと、渚くんも引き結んでいた唇を緩めた。
 ぬるりとした舌の感触と一緒に鉄の味が口の中に広がる。強引に鎖を引っ張られたりしていたから口の中を切ったのだろう。

「……っ」
「ん……っ」

 まさか初めてのキスがこんな形になるとは。絶望を覚えながらも、控えめに舌を絡ませてくる渚くんに身を任せることは苦ではなかった。
 むしろ最低な現実から目を背けられる口付けに少し夢中になってさえいた。

「ヒューヒュー! 盛り上がってきたぁ! 次は渚きゅんと天音たんに子作りしてもらおっかなー!」

――それでも結局、この地獄からは逃れられないんだけれど。


「おい、早く公開子作りセックスしろよっ! 何の為につがいにしてると思ってるんだ!」
「そんなことできません……っ」
「奴隷がご主人様に逆らうな! 早く犯してみせろ! 犯せ犯せ犯せ犯せ犯せ!!」

 鉄格子をガシャガシャと揺らしながら連呼する様は気が触れているとしか思えない。
 庇うように前に出た渚くんの後ろで、私は必死に嘔吐感に耐えていた。
 本当に怪物みたいな男だ。受け入れたくはないが、仮にも花の女子高生である私や美少年の渚くんを自らの手で犯したいというのなら欲望の形として少しは理解できる。
 しかし、この男は渚くんと私を絡ませることに強い執着があるらしい。逆らったお仕置きで殴られたり、服を剥かれて電流責めを受けている渚くんとは違い、私はまだ髪の一筋だって触れられたことはないし無傷だった。
 男の目的や考えが全くわからないことが不気味で仕方がない。

「ハァ……聞き分けのない子にはお仕置きだよ。渚きゅんはこれが大ちゅきだもんねぇ?」

 男の手には電極が握られていた。渚くんが苦痛の声を上げながら「ごめんなさい」と謝らされているところを何度も見てきた。白い肌にはその時のアザがいくつも残っている。

「…………」
「な、渚くん……」

 渚くんは大した抵抗もせずに黙ってそれを受け入れる。
 私が無傷でいられるのは渚くんが私の分まで責め苦に耐えてくれているからだ。
 わかっているけど、怖くてたまらない。私はまた何もできずに、渚くんの悲鳴を聞きながら泣き続けた。


 男が寝ると言って檻の前から姿を消す、ほんのひと時だけ私達に安息は訪れる。
 何故だか今日はとても眠い。用意された食事を取ってすぐに激しい睡魔に襲われていた。
 ぐったりしている渚くんの隣に腰を下ろすと、渚くんは私の手を握ってくれた。私達が動く度に首輪の鎖が音を立てる。

「……キス初めてでしたか?」
「う、ん。渚くんは?」
「僕もです。初めてがお姉さんでよかった」
「わ、たしもだよ……」

 渚くんには悪いけれど、一人じゃなくてよかった。どうしてもそう思ってしまう。
 もしも渚くんが一緒じゃなかったら、私はとっくに正気を失っていただろう。

「私達、本当に親に売られちゃったのかな……」
「あんなの嘘に決まってます。必ず助けが来ますよ」
「ん……ここを出てもそばに、いて、ね……」
「……喜んで」

 渚くんに寄り添っていると、心が休まる気がした。
 嵌められた首輪が肌に擦れて痛むことも、何をされるかわからない明日への恐怖も、少しだけ忘れられる。
 私は睡魔に抗うことなく目を閉じた。


――ごめんなさい。ごめんなさい! 許してください! 明日はもっと上手くやりますから!

 誰かが泣きながら必死で許しを請うている。
 誰? 渚くん? いや、違う。あれは――きっと私は夢を見ているのだろう。ぼやけた視界には、床に額を擦りつけている太った男の姿があった。
 その傍らに立つ美しい少年がこちらに視線を向けて、唇の端を釣り上げる。
 ああ……酷くまぶたが重たい。

――やっぱりお前は使えないね。薬の量が足りてないじゃないか。


 次に目を開けた時、世界は一変していた。
 窮屈な首輪が外れていることにすぐに気付いて、渚くんに報告しようと思った。でも、隣に渚くんはいない。
 私は檻の中に一人ぼっちだ。

「おはよう、お姉さん」
「ど、してそっちにいるの……?」

 鉄格子の向こう側から私を眺める渚くんに胸がざわつく。
 私達を閉じ込めていた男はその後方で嘘みたいにうなだれている。男に反撃して外に出られたのかと喜ぶことができなかったのは、渚くんがこの状況に不釣り合いな落ち着いた笑みを浮かべていたからだろうか。

「ごめんなさい。あと一週間この檻の中で愛を深めあってから助けが来る予定だったんですけど……シナリオを変えることにしました」
「シナリオ? な、何を言ってるの……?」
「ああっ、混乱させちゃいますよね。母親があなたを売ったのは本当です。金に目がくらんであなたのことを一度捨てた人間の元に帰すなんてやっぱり心配だし、僕の元にいた方がいいと思うんです。僕のお家とっても広いんですよ。お姉さんが一緒に住んでくれるなら、僕ももう寂しくありません」
「あ……あ……そんな……」

 唯一の救いだと思っていた渚くんこそがこの地獄を作った張本人で、母が私を売ったというのも本当なら、私の帰りを温かく迎えてくれる家はどこにもない――
 限界だった私の心を何とか繋ぎ止めていたものが音を立てて崩れていく。

「お姉さんのためにプレゼントも用意してますよ」
「……ゆび、わ?」
「違うよ。これは新しい首輪です。この檻から出たいでしょう? 受け取ってくれますよね?」

 渚くんの手の平の上に乗った指輪は大きなダイヤモンドが輝いている。
 私は自然とその指輪に手を伸ばしていた。だって重たい首輪よりずっとつけ心地が良さそうに見える。
 それに、私はこれ以上何も考えたくなかったから。その美しい指輪に新たな救いを見出すことしかできなかったのだ。


End
 

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