創作夢

□初恋とチョコレート
1ページ/1ページ

 いち、に、さん、し。バレンタイン当日に交換しようねと約束していた人数分の友チョコをカバンにつめる。
 ひんやりとした冷気を漏らす扉を閉めようとして、ある物が目に止まった。冷蔵庫の奥に眠っていたそれを手に取る。

 有名なチョコレートブランドの少しお高いバレンタインチョコレートだ。
 未開封だけれど、去年の物だからとっくに消費期限が切れてしまっている。
 期限切れになる前に自分で食べることもできなくて、見えないように奥の方へしまいこんでいる、このチョコレートは私の消化不良の初恋の象徴だった。


 通勤、通学ラッシュの混み合うホーム。いつもの時間、いつもの乗車位置に彼――逢沢くんは並んでいた。
 私は一つ隣の乗車位置に並んで、スマホをいじる振りをしながら彼に視線を向ける。
 去年より随分と背が伸びたが、本を片手に俯く綺麗な横顔はさほど変わらない。
 分厚いレンズの眼鏡は彼の黒目がちな大きい目を小さく映しており、重たい髪は顔に影を落としていた。
 ファッションに無頓着な彼が、実はかっこいい男の子だってことを知っているのはまだ私だけだろうか?

 胸がチクリと痛む。去年の冬、中学三年生の私は、逢沢くんと一ヶ月ほど付き合っていたのに。みんなにバレてからかわれ、「付き合ってるわけないじゃん」なんて否定したこと、本当に後悔している。
 逢沢くんとの関係はそれきり自然消滅していた。

 どうしてか持ってきてしまった消費期限切れのチョコレートが気になって取り出してみると、突然横から無骨な手が伸びてきた。

「おー。今時の学生は学校にこんなチャラついた物を持っていくのか!」
「あっ!」

 強い酒の匂いを漂わせた中年男性が私の手からチョコレートを奪い取っていく。こんな時間に酔っぱらいだ。

「か、返してください!」
「なんだ、なんだ。そんな必死になって。彼氏にでもあげるのか?」

 忙しい朝に面倒事に巻き込まれるのはごめんなんだろう。周囲の人達は酔っぱらいに絡まれている私から目を逸らし、気付かない振りをすることに決めたようだった。
 やはりチョコレートなんて持ってくるべきじゃなかった。この恋の消費期限は切れている。とっくの昔に捨てなければいけない思いだったのだ。
 なのに私は毎朝、違う高校に通う逢沢くんの登校時間に合わせたりして――


「や、やめてください! 彼女困ってますよ……!」

 チョコレートを奪い返してくれたのは、とても懐かしい声だった。
 先ほどまで隣の乗車位置に並んでいた逢沢くんが、目の前に立っている。私と酔っぱらいとの間に割って入り、私をその背中に隠してくれている。
 相変わらず細身だが、私の身長を追い越した背中は頼もしく見えた。

「なんだ君は! 関係ないだろう」
「か、関係あります……! 僕のか……っ、彼女なので……!!」
「あっ!」

 逢沢くんは彼の喉のどこから出てきたのだろうと思うくらい高く裏返った声で叫ぶと、私の手を引いて駆け出した。
 息を切らしながらもすごい勢いでホームの階段を下りていく手は力強い。大きな声も、強引な手も、初めて知る逢沢くんの一面で、私の胸は高鳴っていた。

 そのまま人の波をかき分けながら走って走って、駅の外で足を止めた。逢沢くんは胸に手を当て、乱れた呼吸を整えてから口を開く。

「あっ、あの……! 僕なんて違う学校だし、もうずっと話してないし、連絡先も知らないし、きっと名前も忘れちゃってると思うし……っ、もう新しくチョコをあげる相手がいることもわかってるけど……っ、それでも、」

 考えながら言葉を紡いでいる瞳は揺らいでいた。その目は私の顔や、私の手元に戻ってきたチョコレートに向けられている。
 去年のバレンタインに渡せなくて……でも、どうしても捨てられなかった逢沢くんへの思いが詰まったチョコレートだ。

「僕は今でもあなたが好きです……っ! 大好きです! 毎日毎日、朝起きた瞬間から夜寝付くまで、馬鹿みたいにずっと考えてて……っ、いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも好きで……っ、本当は僕、隣の駅が最寄りだし、学校も反対方向だけど真似して同じ電車乗ってて……っ! こ、こんなのって……僕って、ストーカーみたいですよね……っ」

 逢沢くんは何度も声を詰まらせる。不器用で口下手な彼の全力の告白に、私の視界はぼやけていく。

「そっ、そんなの……っ、私もおんなじだよ! 私もいつも逢沢くんのこと盗み見してた。もしかしたら私達ストーカー同士なのかもね……!」
「ストーカー同士……? っ嬉しい……っ」

 二人して泣きながら笑う。ずっと奥にしまいこんでいた思いを持ち出してよかった。
 私と逢沢くんの関係はあの日からも変わらず続いていた。私の恋は期限切れなんかじゃなかったのだ。


「……本当にそれでいいの? それ、食べれないよ? 友チョコ用だけど、丁度今持ってるやつあるよ?」
「とんでもないです……! これがいいんです。未来永劫大切に保管しますから」

 いつもより何本も遅い、遅刻確定の電車を待ちながら、逢沢くんはチョコレートをかばうように抱きしめる。
 もうそのチョコレートは彼の所有物なのだ。絶対に返す気はないという固い意志を感じた。

 もったいないけれど、消費期限切れのチョコレートは食べて消化されることはない。
 でも、私の思いが詰まったチョコレートが、逢沢くんの家の冷蔵庫の中に場所を移して宝物のように大切にされるのなら、それも悪くないかもしれないと思った。


End
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ