創作夢
□初恋は叶わない
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一番乗りで登校し、あいつの机の中にカエルのキーホルダーを忍ばせた。
もうすぐあいつが登校してくる時間だ。俺は教卓の裏で息を殺した。
リアルなカエルシリーズのガチャガチャは一回三百円。中学生になったからと毎月のお小遣いを少し上げてもらえたけど、それでもちょっと高い。
あいつの机に隠したアマガエルのキーホルダーを引き当てるために俺の財布はすっからかんになった。
「きゃあっ!?」
いつも朝が早いあいつは何の気なしに机に手を入れて、すぐに飛び跳ねるように席を立った。後ろで一つに括った長い髪が揺れる。椅子はガタンと大きな音を立てて倒れ、あいつの声は教室全体に響き渡った。
俺はそれを合図に教卓の裏から飛び出した。
「やーい!びっくりしてやんの!」
「こっ、これ入れたの守谷(もりや)なの!?ほんとガキだね!カエルとかまじキモい!」
「っ、はあ?」
投げつけられたキーホルダーが俺の体に当たって床に転がった。
キモい――キモいってなんだよ。昔はアマガエル好きだったくせに。平気な顔で田んぼの泥の中に手を突っ込んで、可愛い子捕まえたって自慢していたろ。
リアルな作りですごいと思って回したガチャガチャだったけど、ひっくり返って白いお腹を晒した姿は酷く滑稽に見える。
「ねぇ、聞いてよ!また守谷がさ――」
遅れて登校してきた友達の女子に駆け寄っていくあいつの背後でサラサラ揺れる黒髪。ずっとショートだった髪を五年生から伸ばし始めて、今では高い位置で括っても腰まで届く長さになっていた。
俺は無性に腹が立って、捨てられたカエルをあいつの顔面に向けて投げ返した。
「お前の方がキモいよ!ブース!髪長いのとか似合ってねーし!」
……面白くない。こんなの全然面白くない。
五年生の春、俺らのクラスに転校生が来てからあいつは気持ち悪くなったんだ。
あいつはいつも短パン姿で、履き古したスニーカーをはいていて、俺らとドッジやサッカーをして遊んでいた。なのに転校生が現れてから、ふわりと広がった白いスカートや、新品みたいにきれいな靴を履くようになった。
そんな格好では走り回れない。だからあいつは次第に教室で女子とばかりつるむようになって、占いとか服や化粧の話なんかできゃあきゃあ盛り上がってた。
あいつは"恋"ってやつをしたんだ。髪を突然伸ばし始めたのもその転校生の好きな女のタイプがロングだったから。
転校生に好かれようと日々変わっていくあいつの姿を見ていると、胸の奥の方がムカムカしてくる。
俺はどうしてもこの気持ちを無視することができなかった。
****
「や、やだ……ごめんなさい守谷くん。許して……っ」
「俺との約束破ったのはそっちだろ?」
「で、でも、本当に何も話してなくて……!」
「へぇ。言い訳するんだ」
放課後の教室――彼女が俺の下で懇願する姿を見るのは何度目だろうか。床に広がった長い髪を一房すくい上げる。
昔とは違って膨らんだ胸を彼女はビクリと震えさせた。
「また一人ぼっちの学校生活を送りたいの?中学の時みたいにさ」
「やっ、嫌!嫌です……っ」
「じゃあ、ん。忠誠のお手」
「…………」
「うん、うん。いいこだね。飼い犬がご主人様に逆らおうなんて思わない方がいいよ」
過去の話に触れてやれば、彼女は面白いくらい従順に俺の手の平に自らの手を重ねてきた。
ご褒美にと彼女の艷やかな髪に指を通し、梳くようにしながら頭を撫でてやるが、俺を見上げる彼女は歯をガチガチと鳴らして、怯えきっている。
少し嫌なことを思い出させてしまったからだろう。
彼女は中学一年生の春から卒業するまでのほぼ三年間、激しいいじめを受けて過ごした。
彼女が孤立するように仕向けたのは俺だ。友達であった女子や、片思いの相手だった男からも見捨てられた彼女の毎日は、さぞ地獄だったに違いない。
その地獄から抜け出そうと彼女は遠くの高校に進学を決めた。でも、そんなことで俺が彼女を逃がすはずがない。
入学式で俺の姿を見つけた時の、絶望に打ち震えた彼女の顔といったら傑作だった。あれは一生忘れられそうにない。
「お仕置きなんにしようかなぁ」
俺との約束を破ったらお仕置きを一つ受ける。それが俺と彼女の間の取り決めだった。
今日彼女はある教師に呼ばれた。俺と彼女の関係性に疑問を持っている、むかつく教師だ。
その教師とは個人的に会話をしないようにと約束していた。それなのに俺に報告もせずにこそこそと話をしていたのだから、これは重大な裏切り行為だ。
「ああ、そうだ。この髪、気持ち悪いから切っちゃおうか」
「っ!」
髪に通していた指に力を込めた。触り心地の良いなめらかで繊細な髪を握ると、彼女の緊張が伝わってくる。毛先まで手入れの行き届いた綺麗な髪は、彼女にとって大切なものなんだろう。
だから、気持ちが悪い――俺は彼女の髪にハサミの刃を通していく。
彼女の想い人であった男は薄情で、常に笑われ者の彼女を助けようとしないどころか一緒に面白がっていた。彼女が思い続ける価値のない男だ。にも関わらず彼女は自らの意思で髪を切ることはしなかった。
常に彼女の首元で揺れる綺麗な髪は、あの男への未練に他ならない。俺がその思いを断ち切ってやるんだ。
パサリ、パサリ――成就しなかった淡い恋が床に散らばっていく。それを見ながら彼女は声を殺して泣いていた。
彼女の長い髪を気持ち悪いと言って引っ張ることしかできなかった、幼い日の自分ともお別れだ。
「……うん。可愛い。やっぱり短い方が似合うよ」
全体のバランスを整えてカットを終えると、一緒に校庭を駆け回っていた頃の彼女がそこにいた。ああ、これでやっと言える――
「俺さ、昔からずっと好きだったんだよ」
「……っ」
彼女のポーチの中から手鏡を手渡して、十年越しの告白を耳元で囁く。彼女はついにわんわん声を上げて泣き出した。
いい気味だ。鏡を見る度に落ち込み、ため息をついて、俺のことを思い出せばいい。
――――今思うと、俺の初恋が歪んだのは、ゴミ箱に捨てられていたカエルのキーホルダーを見つけた瞬間だった。
あの時、俺の中の何かが壊れたんだろう。
バカで子供だった俺は、あのキーホルダーを可愛いといって喜んでもらえること、きっと期待してたんだ。
End