創作夢

□その柔く、いちばん深いところに
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――ガタ、ガタ、ガタ

 周辺に田んぼと畑しかない田舎の夜道はどこまでも暗闇が広がっている。一メートルほど後ろをついて歩く彼女のスマートフォンのライトは、僕の足元まで鮮明に照らしてくれるほどの光量はなかった。

――ガタ、ガタ、ガタンッ

 未舗装の砂利道だ。時折落ちている大きな石を運悪くリヤカーの車輪が巻き込んだ。重たいリヤカーが倒れそうになるのを何とか持ちこたえる。それを見て、彼女は驚いたのだろう。スマートフォンを地面に落としたらしく、辺りは更に薄暗くなった。

 僕は仕方なしに自らのスマートフォンで手元を照らす。一度傾いたことでリヤカーに乗せている物のバランスが崩れていた。
 荷台の外にだらんと垂れ下がった脚を折りたたむようにして再び押し込んで、ずれていたブルーシートをかけ直す。

 タイミング悪くこちらに明かりを向けた彼女が「ひ……っ」と小さな悲鳴を上げる。大型のシャベルを二本抱えている体は可哀想なくらい震えていた。
 彼女には夜道で誰かとすれ違っても顔を見られないようにとパーカーのフードを目深に被らせている。そのため表情はわからないが、きっと酷く青ざめているのだろう。

「行こうか。もうすぐそこだよ」

 目的地は村はずれの廃校だった。地元の人は不気味がって誰も近寄らないその場所に、荷台の上の重たい荷物を埋めに行くのだ。彼女の父親だった亡骸を――


 白く濁った瞳をした物言わぬ体は、ガタガタ揺れる荷台の上で不格好に丸まっている。その大人しく収まった姿はあれだけ早口でまくし立てていた男とは思えない。

 数時間前、この男は僕の部屋に逃げ込んでいた彼女を連れ戻しに来た。娘を心配する良い父親の仮面はすぐにヒビが入って、彼女を帰したくない僕と激しい口論になった。
 ついカッとなって、という表現は僕に相応しくないだろう。
 彼女の唯一の肉親であるこの男は、幼い頃から彼女に虐待を繰り返しているのだ。僕の中には明確な殺意が存在していた。
 ただ、場所とタイミング、方法は間違えたと思う。
 もっと適切な場所を選んでいれば今頃重たいリヤカーを押しながら夜道を歩かなくても済んだのだろうし、赤く染まった部屋の掃除が帰宅後に待ち受けていることもなかっただろう。

 その場に居合わせた彼女は泣きじゃくり、取り乱していた。彼女にとって唯一の友達である僕が、こんなのでも一応は唯一の肉親であった父親を包丁でめった刺しにしたのだ。
 世界の終わりにも匹敵するようなその残酷な光景は、彼女の網膜に焼き付いて一生剥がれ落ちることはないのだろう。

 彼女が落ち着くのを待ってから「自首するよ」と伝えると、彼女は震える声を振り絞り、こう言ってくれた――

「わ、私も何度も、何千回も考えたよ。こんな奴死ねばいいのにって。殺してやりたいって。頭の中で何度も殺した……だから、蒼生(あおい)は悪くないの。私が悪いの。お父さんを殺したのは私だって警察に言――」

 僕の罪をかばおうとする彼女をきつく抱きしめた。しがみついて声を殺して泣く彼女の肩に、僕も顔を埋める。表情を見られるわけにはいかなかった。きっとその時の僕は歓びを隠しきれていなかっただろう。
 だって、残りの人生全てをかけて挑んだ勝負に、僕は勝ったのだ。


 人一人を埋められるだけの大きな穴をシャベルのみで掘るというのは、重労働で時間がかかる。最初こそ僕が一人で休み休み作業していたが、彼女は青白い顔で「私も手伝う」と自ら名乗りを上げた。
 彼女は何も悪くない。真っ当な人間だったのに、これでまごうことなき共犯者だ。僕一人のものだった罪が、二人の罪になる。
 真っ暗闇の中、二人で協力して掘り進めた穴は十分な深さになった。後は死体を……僕らの罪を埋めるだけだ。

「蒼生……ごめんね」

 時々彼女は僕への謝罪を口にする。自分のせいで僕を殺人犯にしてしまったと罪の意識を感じているからだ。僕はあえてその感情をより濃くする言葉を選んで返事をする。

「謝らないで。君を助けるためならこのくらいなんてことないよ」

 怖くてたまらないはずだ。本当は今すぐ逃げ出したいはずなのに、罪悪感に囚われた彼女は血に染まった父親の脚を持ち上げる。
 僕が上半身を抱えて、"せーの"というかけ声とともに真っ暗な穴にそれを放り投げた。


 彼女の父親に包丁を突き立てた時、激しい血しぶきを顔面に浴びて驚いた。
 この悪魔にも赤い血が流れていたのか――そう認識した瞬間、僕は少し動揺した。
 この男は僕が知っている中で最も汚く、醜い存在だから、僕とは違う色の血液が流れているのだと思っていた。
 だが、なんてことはない。僕もまた、醜悪な心を持った悪魔だったのだ。
 大人は誰も助けてくれないと心を閉ざす彼女を説得し、救う手段なんて他にいくらでもあっただろう。だけど僕は、彼女の父親を殺害するという一番最悪な手段を選んだ。

 彼女の体に無数に存在する虐待の傷跡は、年月とともに薄くなり、やがて消えるだろう。でも、幼い頃から蝕まれてきた心の傷は一生消えない。
 虐待が発覚し、父親と離れた安全な場所で暮らすことになったとしても彼女の一番深い場所にその傷は残り続けるだろう。
 僕じゃない他の人間が、彼女の心の奥深くに住み着いている。僕はそれが羨ましいと、妬ましいと思ってしまった。
 彼女の一番深いところの傷にナイフを突き立てて、心の奥の奥をえぐり、これまで以上の深い傷に僕の手で塗り替えたかった。

 そのために僕は彼女の父親を殺したのだ。もちろん殺人犯となった僕を彼女が見捨てる可能性も十分あり得ただろう。しかし、横で震えている彼女は僕を許した。
 彼女もまた、残りの人生全てをかけて僕の罪を一緒に背負う道を選んでくれたのだ。


「ねぇ、蒼生……死体見つかるかな」
「誰にも会わなかったし、きっと大丈夫だよ。今日のことは誰にも話しちゃだめだよ」
「わかってる。私と蒼生、二人だけの秘密」
「うん……約束だよ」

 この場所には悪魔が二人眠っている。彼女は気付いていないもう一つの僕の罪に土をかぶせていく。そうして慣らした地面の上に立ち、彼女と手を繋ぐ。
 僕の手を強く握り返す彼女はもう震えていなかった。


End

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