創作夢

□あたたかいもの
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 厳しい寒さが続く一月下旬――
冷たい風を切りながら自転車を漕いだ。今晩は特に冷え込んでいる。天気予報によれば明け方にかけて雪が降るらしい。

 アパートに着く頃には手袋の中の指先と、足の爪先の感覚がほとんどなくなっていた。手を丸めながら自転車を押して歩く。玄関前の駐輪スペースに人影が見えた。
 その人物はうずくまり、膝に顔を埋めている。もう来ないでと昨日きつく言ったのに今日も来たんだ。うんざりした気持ちで私は白いため息を吐き出した。

「おかえりなさい! 遊びに行ってたんですね。やっぱり僕、昨日の話考え直してほしくて待ってました」

 私の存在に気付いて瞳を輝かせた彼に、「邪魔」と一言告げる。
 彼――クラスメートの三森くんは、慌てて謝罪しながら飛び退いた。できるだけ目を合わせないよう意識しながら自転車を停めて、カゴの中で冷たくなったカバンを手にする。

「僕と付き合ってください! お試しで一週間だけでもいいです。好きになってもらえるように精一杯がんばります! お願いします。僕にチャンスをください……!」

 またこの話だ。一週間前に告白を断ってからというもの、彼は毎日私の帰りを待ち伏せている。昨日なんて泣きながら土下座をし始めて、帰ってきたお隣さんに白い目で見られてしまった。
 下手に相手をして昨日のようになるのは御免だ。私はかじかんだ手で早急に玄関の鍵を開けた。

「ま、待っ――くしゅっ!」

 大きなクシャミだった。そこからクシュンクシュンと何度も連続し、鼻をすすり始めたから思わず背後を振り返る。
 真っ赤になった鼻と耳。酷くかさついた唇。三森くんの全身がガタガタ震えている。体の芯から冷え切っているのだろう。
 この肌が痛いほどの寒さだ。最寄り駅から十分間自転車を漕いだだけの私の体だって凍えている。三森くんは私の帰りを長時間待っていたのだから当然だ。
 加えて昨夜は「告白の返事を撤回してくれるまで帰らない」と主張し、随分遅くまで玄関前にいたようだ。風邪も引くだろう。

「後悔はさせません。一生幸せにします。僕、死ぬ気でがんばります。きっと良い彼氏になりますから!」

 寒さに震える肩をかばうように抱く、三森くんの指先は、ひと目でそうとわかるほどに痛々しいしもやけができていた。
 三森くんは一生懸命だけれど、その好意は迷惑でしかない。こちらが望んでもないのに勝手に家の前で待った挙げ句に体調まで崩されたら、拒絶を続ける私が悪者みたいだ。

「……三森くん。家で待ち伏せとかさ、これって立派なストーカーだよ」
「ス、ストーカーなんて! そんなつもりありません……! ただ、僕がどれだけ好きかわかってほしくて!」
「だからそれが迷惑なの。これ以上しつこくするなら警察を呼ぶしかなくなるよ」
「そんな……」

 三森くんは怯えたような表情をしているから、また罪悪感が生まれる。だけど、私は間違ったことは言っていないはずだ。

 私だって何も最初から彼を邪険に扱ったわけではない。
 元々三森くんとはほとんど喋ったことがなかったから思いがけない告白ではあった。しかし「ずっと好きでした。僕と付き合ってください」と何度も詰まりながらも伝えてくれて純粋に嬉しかったし、ドキドキした。
 私は付き合えない理由を正直に述べて断った上で、好きになってくれてありがとうとお礼を言った。誠意は見せたつもりだった。

 三森くんは大人しい男子だ。クラス内で目立った存在ではないが、その分成績優秀で、容姿も好みのタイプだった。もしも私に好きな人がいなければ前向きな返事をさせてもらったのだろうと思う。
 でも、私には片想いの相手がいる――隣のクラスの男子だ。友達の協力もあって、二人きりで遊びに行く約束までこぎつけている。そのデートの日は明日に迫っていた。
 一週間だけでもお試しでお付き合いなんてとても考えられない。


「何度も言ってるけど私は他に好きな人がいるの。三森くんとは付き合えないよ」
「っ、でも! 僕があなたを思ってる気持ちの方が強いと思います! 覚えてないですか? これを僕にくれた時のこと!」

 三森くんが無理やり握らせてきたのはよくある使い捨てカイロだった。
 中に入った鉄の粉はカチカチに固まっている。温かくも何ともなかった。

「二年前の今の時期に、教室でクシャミした僕にくれましたよね。僕、それが本当に嬉しくて……ずっとポケットに入れてるんです」

 これは二年前に私があげたカイロだという。言われてみれば何人かの同級生にカイロを配ったこともあったような気がするが、おぼろげな記憶でしかなかった。

「そのカイロあったかいでしょう? 不思議ですよね。ずっと冷たくならないんです。あなたが他の男と仲良くしてるところを見ると心が冷たくなるし、取り乱しそうになります。でも、このカイロを握ったら気持ちが落ち着くんです」
「え……」

 二年前に開封したカイロが温かい? 半信半疑で手元のカイロを握ってみると、やはりとっくの昔に温度をなくしている。
 うっとりしたような笑みを浮かべて話す三森くんが急に不気味に思えてくる。だって、こんな使い捨てカイロを二年間大事にポケットにしまいこみ、精神安定剤のように握ってきたというのだ。
 好きだと言ってもらえて最初は嬉しかったが、あまりに理解の範疇を超えているから、つい口走ってしまった。"気持ち悪い"と――
 私が言葉と共に地面へと投げ捨てた白く柔いそれの真ん中が破れている。そこから黒い砂が飛散する。

「あぁぁ…っ、どうして! 冷たい。冷たくなっちゃった! もうあったかくない…っ」

 三森くんは私の想像より遥かに動揺しているようだった。それを拾い上げて握ろうとするが、二年間彼の救いとなっていたものが指の隙間からサーとこぼれ落ちていく。

「……僕もう我慢できない……っ」
「ひっ!」

 抜け殻になったカイロを手放して、三森くんは私の両肩を掴んだ。分厚いコート越しなのに、氷みたいに冷たい手の温度を肌で感じたような気がした。体がぶるりと震える。

「ねぇ! お試しで一週間だけでもいいなんて嘘です。一生僕と一緒にいてください。カイロがなくたってあなたがいてくれたらずっとあたたかでいられるんです!」
「み、三森くん落ち着いてよ……っ」
「駄目ですか? 駄目ですよね。なら、こうするしかないですよね」

 三森くんはカイロを入れていた方と反対のポケットに手を入れて、何かを取り出した。
 バチバチバチ――激しい音と共に首に激痛が走る。

「僕……好きになってもらえるようにがんばりますからね」

 それが、薄れゆく意識の中で最後に聞いた言葉だった。


End
 

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